民謡 2006.8月~総集編民謡ブログ

吉岡 都の民謡Weblog 「民謡は心のふるさとです。」

民謡 吉岡都

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<お知らせ>

商店会寺子屋「茨木童子」10月7日(木) NHK総合テレビ「ニューステラス関西」(18時10分から) をご覧くださいね。ニュースにdaughterと私登場します。同日、読売新聞より同内容で取材されました。「10月25日放送 4:30 - 5:00 NHK総合 「NHKニュースおはよう日本」 (特集) 後継者不足などから商店街に増えてきた空き店舗を現代版の寺子屋にし、街全体を活性化させようという取り組みを、大阪府茨木市の商店街が行っている。1時間500円で、算数や国語の指導をしているという。」 ttp://datazoo.jp/w/%E5%90%89%E5%B2%A1%E9%83%BD/4565767  

民謡日和

2015-02-02 | 民謡

「民謡とは四季の農耕の祈りの唄であったが、今後とも人間の続く限り唄い続けて我々と共に歩むものである。」

 庶民がはぐくんできた各地の民謡は、言うまでもなく、貴重な 文化遺産です。

 民謡は心のふるさとです。






民謡大会(コンクール)なんて至極、政治的であり、公正ではありませんよ。

・・・最初から優勝者が決まっているし。 

ワイロありきの民謡大会でしたね、私たちがみてきた民謡大会全般は。

かの有名な民謡番組「キンカン素人民謡名人戦」と

「日本民謡大賞」(NTB・日本テレビ系)も、そうでした。

言わずもがな。 (これつて、レコード大賞と同じ)


民謡大会(コンクール)なんて至極、政治的であり、公正ではありませんよ。

・・・最初から優勝者が決まっているし。 

 

 自然発生的に生まれた「民謡」というものを、

 民謡コンクールなどで、表現の優劣をつけるのは、いとも狡猾

 

 大会は、民謡の素晴らしさをアピールする場ではなく、政治的。なんですよ、お花畑さんたちへ。

 魑魅魍魎。

 言わば民謡コンクールなんてものは、伏魔殿ふくまでんです外務省と同じ)。






 

 

 

 

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/e6/97d1d07635919cc1d8085d1447b9ac8a.jpg



小学生、中学生時分は、

クリスマスにも民謡

夏休みも毎日、民謡。

(夏は特に日焼けが厳禁。 海水浴は御法度。冬はスキー、当然ながら禁止。 舞台映えしなくなる。着物が着られなくなるので。)




平日も土日も民謡

年がら年中、民謡な日々だったのでした。


しかし、同級生や友人らは私たちが民謡をやっていることを知らないのです。


クリスマスパーティー、

同級生の家族とバッタリ。

ホテルの宴会場の舞台で私たちが唄い、踊り、演奏していたので、

学校が始まるとからかわれたものです・・・。



 






蒼い夜空には小さい月が高く、足元には両側の溝の瀬の音が、陽気な太鼓や三味の音色のとぎれた間に

急に思い出すように勢いよく聞こえて来るのであった。「おわら」の情趣はこういうところにあると人は言っている


 

唄い手さんがお上手で、ほれぼれしました。 4:58~







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転載 

日本における伝統 I

保守思想においては伝統なしには語ることが出来ない。伝統とはなにか、それは目に見える美術品などに限定されることはなく、いままでの歴史の英知によって構 成されている。伝統とは不文律ゆえに非常に柔軟性があり、ダイナミックである。日本の歴史は非常に安定的でなおかつ長く、数百年・数千年の我らの祖先の英 知により伝統が生まれてきた。ではなぜ伝統が必要になるのか。それは人間というものは完全になりきることができないからだ。人間とはつねに理性的な行動を するとは限らず、善行をおこなっているつもりでも冷静に考えれば愚行を犯しているということもしばしばである。そこで、いったい何をもってして善行と 言えるのかという基準が伝統である。伝統は長い歴史の中において不必要なものは基本的には削除されてきているので模範とすべきである。そして、この伝統を 一般的にはどのようにいっているかといえば常識と呼んでいる。また良識と呼んでも差し支えないであろう。

ここでいえることはその常識にさえ従っていれば問題はないだろうということである。だが、人々はしばしばメディアなどに動かされその常識の一部分を忘れて しまうことがある。そのような人々を”大衆”と呼ぶことにする。そのようにしておくと、国民というのは義務をすることによって権利をもらっている人に他な らず、権利のみを主張し自らの義務を忘れてしまった人々が大衆である。この権利と義務のバランスをとるのが伝統の役目であるとすると大衆というものは伝統 を破壊する傾向にあることがわかる。現代社会は高度大衆社会と言われるように大衆がすべてを取り仕切り伝統の破壊を楽しむ時代であるといえる

では過去においてはどのように伝統の保持がおこなわれたのか。過去においては武士には武士道という道徳があった。武士道とは誰かが突然考えたことではなく、長い歴史の中でゆっくりと出来上がったものである。武士たちは自分たちにはノブレスオブリージュ、つまり高貴な義務があると考えた。それゆえに、武士たちは恥となるような行動は慎むようにし、どのようなことが恥になるかは伝統、つまり道徳を破ることであった。武士たちの高貴な行動は庶民たちにも影響を与えた。明治の時代になっても武士道は捨てられることなく形を変え日本国民の間に親しまれていた。日清・日露・大東亜戦争などの軍神ともいえる日本軍人の活躍は武士道に根ざしていたといっても過言ではないと思う。

だが、問題は戦後である。敗戦のショックによってアメリカへの追従をすることをよしとしたものや、進歩主義と呼ばれる左翼的な考えをもつものが出てきた。進歩主義は人間は完全であるがゆえに、最後は世界市民になれるというリベラルな 考え方であり、国家という伝統の産物が戦争の原因になるので、日本という国はなくならないと戦争がまたおきるし、世界政府もつくれないと考える幼稚な主義 である。またアメリカへの追従は戦後すぐは確かにそうせざるを得ない面 もあったが、一向に自主防衛を鑑みずに日本をよりアメリカ的にしようとする動きである。彼らは反左翼であったので伝統を大事にしていると勘違いされがちで あるが、歴史軽視のアメリカのやり方を日本に強引に導入し、導入に邪魔な伝統を廃止しようとしているという左翼である。左翼と反左翼の戦いは結局のところ 左翼の内輪もめである。また「聖域なき構造改革」とのたまわった 小泉純一郎という首相も伝統破壊という点で左翼でしかない。

戦後の”常識”をもった庶民を大衆へと変化させた原因の一つに偏った戦後教育も挙げられる。日教組などが中心の自虐的歴史教育ヒューマニズム信奉の道徳教育の 影響は計り知れない。このような教育と平和ボケにより国家意識というもの消滅寸前であり、せいぜい国家意識を思い出すときはスポーツの時ぐらいなものだろ うか。ヒューマニズムとは簡単にいえば命それ自体が目的という考えかたで、命は大事と叫ぶ考え方である。だがこれはまったく間違ってい て、命とはそれ自体が手段である。もし命され自体が目的であるのなら、自分の命と相手の命を天秤にかけたときには自分の命の方がウェイトが重くなって結局 他人の命軽視、つまり命軽視という逆説的な結末になるし、命それ自体がルールよりも大事なら、道徳・法を破ってでも命を守ろうということに最終的につながってしまう。




 

 

 

 

 

 

2014-12-13 16:30:05


民謡ブログを開設してから10年目

2014-12-04 | 民謡

 

「民謡とは四季の農耕の祈りの唄であったが、今後とも人間の続く限り唄い続けて我々と共に歩むものである。」

日本の民謡日本人の心のふるさとです。



民謡ブログを開設してから10年目になりました。



 


日本で生まれ育ち

日本人でよかったと心から思います。


インド、ミャンマーに滞在中の友人も日本がいちばん暮らしやすいとのこと。





そうですね、

他国からみた日本は実に平和ですね。

感謝です。


 

 

 

 蒼い夜空には小さい月が高く、足元には両側の溝の瀬の音が、陽気な太鼓や三味の音色のとぎれた間に急に思い出すように勢いよく聞こえて来るのであった。

 「おわら」の情趣はこういうところにあると人は言っている。


 

好きな民謡の歌詞 「越中おわら節」編


おわら風の盆 天満町深夜の流し

唄い手さんがお上手で、ほれぼれしました。 4:58~ 



民謡日和 吉岡 都の民謡Weblog(2006.8月~総集編民謡ブログ)



 

 


ブーム

2014-03-03 | 民謡

民謡とは、四季の農耕の祈りの唄であったが、今後とも人間の続く限り唄い続けて、我々をと共に歩むものである



民謡ブームの頃の紅白歌合戦。青森県民謡「津軽あいや節」。 あいや節もじょんから節(1979年の紅白はじょんがら節でした)も好きです。いいですね。

 

・・・突然ですが、このエントリーを書いている途中で当時の民謡人気、民謡ブームを象徴する番組を思い出しました。

 フジテレビ 民謡バラエティ「お茶の間スペシャル」です

お茶の間スペシャル』は1978年10月2日から1980年3月28日までフジテレビ系列局で放送されたバラエティ番組である。放送時間は毎週月曜 - 金曜 12:00 - 12:30  内容はその大半が当時人気の「日本民謡」関係で様々な形式で民謡を放送、特に各季節ごとに『NHK紅白歌合戦』形式での民謡合戦を行ったり夏休みにはちびっ こを集めての民謡歌合戦を行ったりした。また当時フジテレビが開局20周年を迎えたので「20年」に関する企画も放送した。



そういえば、「ブーム」というのは「電通が作り出すと中学の社会の先生から教わりました。

当時の社会の先生はお寺の住職さんで、教職と住職を上手く熟(こな)されていたようです。

 

 

失礼します。 都さん、憶えてますか?


導かれるように、都さんのブログを発見してしまい、読ませていただきました。
いろんな経験をされ、幸せそうな人生を歩んでるなあとなんだか読んでいるうちに微笑ましく思うと同時に凄く懐かしく、青春時代の甘ずっぱい思い出がよみがえっちゃいました(^o^)
長渕剛のライブレコード。自転車の2人乗り。一緒に習字の授業サボってお墓の前でいろんな話をしたこと。なぜか西武で増位山の名前を館内放送で流 してもらったこと。なぜかみんなで駅前シネマで映画を見たこと。などなど僕にとっては、40何年の内のたった数ヶ月でしたが、今でも強烈な思い出として残ってます。
ブログの写真見させていただきました。高校時代と面影が残っててとても感激です!


後、家族4人の写真、見た瞬間フラシュバックのように同じ写真を見せてくれたことを思い出しました。(お父様のご冥福をお祈り申し上げます。)
自分はまじめに家業を継ぐべく使命で地元に根付き、可愛い娘3人と嫁と母の女性陣に囲まれ、一家の大黒柱として頑張って生きてます。
そういえば、なぜ都さんのブログを発見したのか言ってなかったですね。1月の晴れたとある日、市電通りを車で通った時、都さんのことを ふと思い出し、その後、googleで検索したら民謡の関連でヒットするかなあと何気なく検索したら発見してしまいました。それで黙っていられずメールしちゃいました。多分、ほかの季節に通ってたら、思い出したり、検索しようと思わなかったでしょう。
それではこれからも頑張ってください。影ながら応援してます!



通称「ますいやま」さん、ありがとうございます。青春・・・財産です。(まずはご本人の希望で、そして私も所望し、民謡ブログに記載しました。ありがとうね。

※青春ソングといえば、吉田拓郎さん(当時は「よしだたくろう」表記)の「青春の詩」。 青春の曲というカテゴリーで原点の楽曲ではなかろうかと思います。

 デビューして間もない頃の拓郎さん、レコード店の前でみかん箱に乗って歌っていたそう。オールナイトニッポンで語っておられました。「神様 吉田拓郎」にも下積み時代があるんだなあ。と。

 

拓郎さんのニュース   拓郎は現在6月発売予定の新アルバムを制作中で、同作を携えての首都圏ツアーを決意。バンドメンバーには、同作のアレンジとキーボードを担当する武部聡志(57)やギタリストの鳥山雄司(54)ら日本屈指のミュージシャンが参加することも決まった。日ごろからジムで約1時間の体幹トレーニングを積むなど、健康状態に問題はない。昨夏からボイストレーニングも重ねており万全の態勢で臨む

 

 

 

(紅白の表を見て)

民謡を保存」の記事に書きましたさださんの「防人の詩」。こちらでも登場、偶然です。~最下段の表

あと、この時代はポプコンが最盛期。八神さんやクリスタルキングとか(SONGS)。2年後には「待つわ」あみんがグランプリ。

追記 私が十八番とする?ポプコン話で肝心の話題が抜けていました。伊藤敏博さん「サヨナラ模様」。この紅白の翌年のポプコンでグランプリ。伊藤さんは元国鉄の車掌さんです。当時、富山では伊藤さんフィーバー。このブログで伊藤さんを2回ほど記事にしています。


田原俊彦さん、この頃クラスの女子が騒いでいましたねえ。わたしアイドルにはそんなに夢中になれなかったけどトシちゃんの歌は殆ど知っているし松田聖子さんも(しょこたんか?)。

トシちゃんの「悲しみ2(TOO)ヤング」(哀愁路線)、聖子ちゃんの「ハートをRock」(モータウン・ビート)が好きです。

聖子さんの「Kimono Beat」、「ハートをRock」と同じく大村雅朗さん編曲そして小室哲哉さん作曲(両作家さん、渡辺美里さんの「My Revolution」は有名ですね。

自分は美里さん曲の中では「Teenage Walk」お気に入り)で、Kimono Beatも好きな曲なんです。

珍しいことに、この小室さん曲を原田真二さんが聖子さんのライブでギターを弾いています。

(原田さんのサポートメンバーオーディションで無名時代の小室さん、メンバーに選ばれなかったよね? ・・・たぶん山下達郎さんのバンドにも。 キーボードで。)

着物と付いたタイトルも貴重で好感を抱きます。 Kimono Beat

 

小室さんの話題を出したので書きますが、小室先生、TMのサポートメンバーのすばらしいこと。

浅倉大介さんや葛Gさん、べーあんさん、FENCE OF DEFENSEさん・・・のTM愛は本物です。

元サポメン、B'zの松本さんももちろん。

高校生だった自分も30年経ち今年30thのライブは感慨深いものがありますね、いろいろと。。。

・・・昨年は野村のよっちゃんを拝見しました、ライブで。 よちをさん、痩せてて一段と格好よかったです。さすが元ジャニーズ。 素敵なギタリスト、ミュージシャンでした。

はなしが脱線(トリオ)しています、すみません。

 

さて話を元に戻すと、和田アキ子さんが出場されていませんね。和田さん、この当時より5年後まで特定の民謡歌手のこといろんな番組でお話しされていた記憶があるんですよね、何だったんだろうあれは?(続く)

〈紅組〉〈白組〉
(3)榊原郁恵/ロボット (8)郷ひろみ/How manyいい顔
(初)松田聖子/青い珊瑚礁 (初)田原俊彦/哀愁でいと
(2)石野真子/ハートで勝負 (9)野口五郎/コーラス・ライン
(3)高田みづえ/私はピアノ (2)海援隊/贈る言葉
(初)岩崎良美/あなた色のマノン (7)西城秀樹/サンタマリアの祈り
(6)岩崎宏美/摩天楼 (8)沢田研二/TOKIO
(初)八神純子/パープルタウン (初)クリスタルキング/大都会
(初)五輪真弓/恋人よ (2)さだまさし/防人の詩
(初)ロス・インディオス&シルヴィア/別れても好きな人 (初)もんた&ブラザーズ/ダンシング・オールナイト
(10)小柳ルミ子/来夢来人 (9)内山田洋とクール・ファイブ/魅惑・シェイプアップ
(5)太田裕美/南風 (5)新沼謙治/さすらい派
(7)桜田淳子/美しい夏 (14)布施明/愛よその日まで
(4)研ナオコ/夢枕 (7)加山雄三/湯沢旅情
(24)島倉千代子/女がひとり (24)フランク永井/恋はお洒落に
(2)ジュディ・オング/麗華の夢 (2)ゴダイゴ/ポートピア
(2)金沢明子津軽あいや節 (14)菅原洋一/ラ・クンパルシータ
(4)石川さゆり/鴎という名の酒場 (6)細川たかし/ほたる草
(16)都はるみ/大阪しぐれ (18)北島三郎/風雪ながれ旅
(16)水前寺清子/三百六十五歩のマーチ (23)三波春夫/チャンチキおけさ
(8)森昌子/波止場通りなみだ町 (8)千昌夫/味噌汁の詩
(14)青江三奈/酔心 (19)村田英雄/夫婦酒
(2)小林幸子/とまり木 (13)森進一/恋月夜
(8)八代亜紀/雨の慕情 (10)五木ひろし/ふたりの夜明け

民謡を保存

2014-02-15 | 民謡

 

Hey Jude - Paul McCartney, Elton John, Eric Clapton, Sting, Phil Collins, Mark Knopfler, Beatles New


ポール・マッカートニーさん、日本が本当に好きですか?(「本当に日本が好き」とのニュアンスが違う)。


 

わたし右翼でも左翼でもないですが(?)、ちょっと気になって。ただ単に皮肉やさんなのかな、大昔からポールは舌禍で・・・。

・・・お茶目な部分もありますねえ、大滝さんプロデュースの「イエローサブマリン音頭」に大喜びだったとか。以前の記事に書いていましたが。

 

しかし、「ヘイ・ジュード」は、やっぱ名曲です。

エルトン・ジョンのキャラは最高です。同性愛結婚、勇気ある・・・因みに上の映像(YouTube)はダイアナさんが亡くなった年でエルトンの活動期。薔薇が キャンドルが

Goodbye Yellow Brick Road Live in Seattle この曲にしびれた子どもの頃、よく聴いていました。当時からそっち系だとは知らんかった。(子どもなので)当然かぁ。

 (安室ちゃんのSWEET 19 BLUES・・・)

エリック・クラプトンはお酒は控えめに(余計なお世話)。ゴシップ好きですみません。

 

まあ音楽家の嗜好のあれこれを言うのは無粋で、音楽家イコール人格者という観念は要らぬと悟ったのは最近ではあるまい、30歳過ぎたあたりからです。

さりとて作家も人格と・・・・・・。 誤解を恐れずに、お節介を承知で言います。いい音楽と作品を書き表現していただけたら好いと思います。それらも人のためですよね。


プロの音楽人が「平和を~、人権を~、憲法を~、」とやると正直、戸惑います。あれー?何か違う、て。

・・・ジュリーの山本太郎氏への応援演説にはびっくりしました。そんな思想を持っていたんだ・・・と。

まあジュリーは歌手としては憧れの存在に間違いないですが。 沢田ジュリー「我が窮状」。憲法9条

で、極端な話「平和ー♪」とのほほんと唄っていて領土を乗っ取られたなんて全然洒落になりませぬ。

 

ネットの「富山」より引用

 ・「暗くなってから海の近くを歩くな。朝鮮に連れてかれる」は何十年も言われていることなので、拉致被害者のニュースに全く驚かなかった。

 ・富山県民では二人、拉致被害者認定を受けている。

 ・北朝鮮よりもロシア人のほうが怖いと教えられていた。

 ・港の近くでは「自転車は鍵を標識やガードに巻いてないと、ロシア人に持って行かれる」と言われていた。

 ・最近でも自動販売機でロシアのコインが使われたりとか何とか。

 ・スーパーのレジ後の買ったものをつめる台のところにあるビニール袋を、タダだからとガンガン持ってってしまうらしい。

 ・夜の海王丸パークはロシア人と地元ヤンキーの溜まり場で治安があまりよろしくないらしい。

 

そんでロシアつながりで、有田ヨシフ・スターリンさんは「いい人」だと?? うちの子の学校の先輩を悪く言うつもりはありませんが、知っている人は知っている・・・で。

~ヨシフ・スターリンさんの「ああ言えば上祐」に対しての一連の言動については強い信念をお持ちであろうかと存じます。


 

きゃーっ!  なんじゃコレーー!!  おぞましや!!!

 

 

 

・・・「t.A.T.u.」というロシアの二人組歌手の素行の悪さ。タモリさん司会の音楽番組でドタキャンしていましたよね、日本を舐めとる。。。


 私の年代は北方領土問題について正確な情報を得て教育を受けてきました。富山と北海道は親密な関係ゆえに教育現場で領土問題を扱ったのかもしれません。

 沿岸に近い妹の居住地、岩瀬がリトル・ロシアと化しています。自動販売機が破壊されたりなど犯罪多発地帯に。。夜はひとりで歩けないです。 おそロシア・・・。

 

ロシアの敵国  「こちら」をご覧ください。 

 38% 米国

 33% グルジア

 21% ラトビア

 17% リトアニア

 16% エストニア

 11% ウクライナ

 10% アフガニスタン

 9% 英国

 8% ポーランド

 7% 日本

 7% イラク

1位の米国は超大国を形成した冷戦時代から通じて、ロシア人の意識の中に、「敵国」とのイメージは深く染みこまれています。中国が友好国に含まれていたのも、対米への連合、多極化世界の構成という意味合いが大きいのでしょう。米国は現在も、軍事面や人権問題をめぐる「内政干渉」、スパイ活動などをめぐって、軋轢を抱えています。

10位に日本が入りました。これはやはり、領土問題の存在が大きい。日本よりも深刻な社会問題や歴史的な問題を抱えている国々がロシアにはまだあります。面積的には小さな島をめぐる問題が、クローズアップされ、ロシア人の「敵国」というイメージの中に、入ってきているのです。国内に米軍基地があることも影響しているとも言えましょう。

 

ところで「さりとて」っていうワード、さだまさしさんの楽曲の歌詞によく出てきます。さださんで思い出しました。「島を~買いました~。」「防人の詩」の替え歌で。 余談ですね。

言いたい放題書いていますが、

なんだかんだと言って

結局薬局、彼ら(さださんは除く←?)のファンなんですかねえ、自分。。

わたしお花畑です。。。

 

さて、この記事の内容と後々話しをつなげていくには避けては通れない話題のひとつで、

1992年から1997年の間、海外で生活し河野談話村山談話のせいで私ら日本人は卑屈な思いをしてきました。

いい加減に撤回してほしいです、日本のために。願わくは、村山さんが生存中に(この言い草?失礼。)。

 

「NO(ノー)」と言える日本―新日米関係の方策(カード) (カッパ・ホームス)

 

 

今後も、さまざまな話題を交え、民謡に携わっている人には「誇り」を持つようブログに書き続けます。

話が分かりにくいエントリーは、「日本の民謡は心のふるさと」 と換言?しながらお読みください


トップの画像と上画像 富山市の民謡「さんさい踊り」 富山市無形民俗文化財  右・妹。左・自分。

 記事「新春民謡の祭典」※参照

 


テレビ(殊に紅白歌合戦)やラジオで「民謡」枠が「演歌」枠に占領された経緯から民謡を保存し守らなければならない、

そして

日本の民族服である和服を、歴史が浅い演歌(歌手)の特権だと「印象操作」させられた経緯、経験は誠に遺憾。


日本の民族服  日本の民族衣装である和服(着物・呉服などともいう)は、平安時代の庶民の間で着られていた小袖が、平安時代末期から中世にかけて上流階級にまで広がり、日本独自の発展を遂げたものである。平安時代中期以前の貴族は漢服の流れを汲む礼服などの衣装も着用しており、束帯などの儀礼的和服は漢服の影響を受けてい る。安土桃山時代から江戸時代にかけてはポルトガルの影響も受け、ポルトガルの衣服が日本化した股引・鯉口シャツなどは広く庶民の作業着や下着として普及 した。現在では男性は紋付きの羽織・袴、女性は留袖・振袖などが正装として使われる、礼服としての和服は用途(結婚式や葬式など)によって使い分ける。普段着としては多くが廃れ、わずかに浴衣(男性では甚平・作務衣なども)が夏場に好まれている。

 

民謡の歴史 奈良時代から平安時代初期にかけて民謡を外来楽器で伴奏しながら歌う催馬楽(さいばら)が成立した。のちに雅楽にとりこまれた。また漢詩をうたった朗詠も同じ頃に成立した

 

 

ちなみに「演歌」を検索、「明治時代の自由民権運動において政府批判を歌に託した演説歌・・(略)」とか。  

「演歌こそ日本民族の音楽である、という権威付けは間違いである」 

「音楽芸術の面から見れば瀧廉太郎から始まり、すくすくと育った日本の音楽文化に暗黒時代を築いた、と断言してよい」

「我々コンポーザーの間でも演歌を歌とは認めても、音楽的には優れた美しいものと認めている人は少ないのではないか 

 すぎやまこういち氏のコメント



ジテレビ 「夜のヒットスタジオ」で民謡津軽じょんから節」を。この歌番組に出られることが一流歌手の仲間入りステータスの証と言われていたものです(東京時代の私の三味線の先生がいちばんアップで映っています)。・・・この当時の民謡歌手は(主にNHKとフジテレビ)局の意向でジーパンなど洋服で民謡を唄わさせていました。若いファン獲得の旨のようでしたが、たぶん。

 

 

 

誇りと傲慢は相反。 ちなみに「誇り」の対義語・反対語は「」である




2014-02-15 19:12:31


軌跡 「富山 越中民謡 越中おわら 風の盆 大阪」  

2012-12-01 | 民謡

 

 楽しい民謡ライフの軌跡です。

 

民謡の軌跡 「富山 越中民謡 越中おわら 風の盆 大阪」

 (クリックで、フォトチャンネルch83176 のページに)

 

中央が私。「電気ビル」で。ここはよく民謡の演芸にいきました。

秋田大黒舞」「秋田飴売り唄(節)」「りんご節」「宮城野盆唄」と富山県の民謡を数曲唄いました。クリスマスも民謡。

富山市梅沢町の民謡・盆踊り唄「さんさい踊り(音頭)」=富山市無形民俗文化財= 掛け合いを姉妹で。

画像・当時中学生で現在,私の子どもと同年齢。 手前がいもうと、後ろが自分。

 

 

私達姉妹の「さんさい踊り」はレコーディングし全国のレコード屋さんで販売されていましたが、今は、、?

余談ですが、「さんさい踊り」の歌詞は現在でもパーフェクトに暗記していて全部唄えます。踊りも踊れます。

(ちなみにさんさい踊りの歌詞はとてつもなく長い。ですが、同じく長い歌詞の「新川古代神」の歌詞より覚えやすい)

この歳で踊るにはビジュアル的(おぞましや~)体力的に不向きかも・・(さんさい踊りは子どもさん向きの踊りなので)。

カテゴリー「海外日記」で披露しました魚津の民謡「せり込み蝶六」は、たまに家の中限定で踊っていますが(笑)

※さんさい踊りの歌詞の中に出てくる「あんま」とは富山弁で長男のことで(注※富山は広いので..富山市の富山弁

ついでに「あねま」は長女で、次女は「おわちゃん」、次男は「おっちゃん」「おっさま」(合ってますか?)

私、現在は唄い手ですが、子どもの時は伴奏者(三味線)でした。踊り手は社中のリーダ。年長者という理由で(3人しかいない中それぞれ一歳違い)。

 

さて、「布施谷節」は最近全国的に知名度が高まり県民として喜ばしいですね。

それで思い出しまして、「布施谷田植え祝い唄」という民謡を。

この(布施谷節の)地方にありまして、とても素晴らしい民謡です

 

 布施谷田植え祝い唄」の歌詞

  朝出に植えし 何早生じゃ (ナニワセジャ)
  葉広の早生じゃ 蔵の下積みじゃ (ハァサイユル サイユル)

 

 富山は民謡の宝庫ですね。

 

日本の民謡は心のふるさと

ふるさとの民謡は宝ものですね。

 

 

築百年の建造物でのphotograph.

↓意味なく、突如20数年前にタイムリープ

 

加賀友禅の着物(お見合い写真に活躍していた過去..釣書に添付)。

お見合いは当時の患者さんのお付き合いで6回はしました。が、お見合い以外で結婚。

(祖父母、父親の産土神社であります、福野の高瀬神社にて挙式・披露宴)。※福野・現在は南砺市。

たぶん?20代前半いや半ばで婚姻。それから32歳で子どもが授かりました。

当時、周囲から高齢出産なので心配と・・・今となれば笑い話。 時代が変わりましたね。

 

今後、唄はもちろん、三味線と胡弓も精進いたします。daughterが(^_-)-☆

昨年、ムスメがライブ(カラオケ)で民謡日本一(越中おわら)のイズおばちゃん(私の妹)の生声での

カーペンターズや千恵っ子よされをはじめて聴き、カルチャーショックを受けていましたねえ。

うちは子どもができてからライブやカラオケに行かなくなり、殊に生の唄声や音に感動したようです、daughter.

 

<補足>娘、小学低学年の頃には津軽三味線ライブや民謡の発表会に観にきていたのですが、間が空き過ぎたため記憶が曖昧になったとのこと。継続は大事ですね。 ・・遡りますが、娘が赤ちゃんの頃、「モーツァルト」と「Baby・アインシュタイン」を約1年間の半日程ずっと流しており、それははっきり覚えている模様(本人談)。 子どもは理屈や数式で解明できない無限の可能性を秘めているのでしょう。...何か話が散見し、まとまりのない文章になりました。

盟友のコメントにも「子供の感性は、何千の数式よりも鋭いことがあるようで。」My記事「宇宙と隕石の誕生日メッセージ」より。

 

話が冗長になるのはいつものことですが(すみません)最後に、

民謡ブログを不定期ではありますが書いている理由を。(以前の「sanri1618」民謡ブログは毎日更新のスタンス)民謡のすばらしさを伝えていくことはもちろんですが、両親が天寿をまっとうせずにお迎えがきて、人間万事塞翁が馬・・まさにその通りだと思うようになり余力があるうちに書き留めていきたいと。  

(いちばん力が入っている☆気合記事は「民謡三味」かな。精神的に体力的に..単に寒さの所為でセンシティブになっていたかも・・) 

一方、ありがたいことに私の健康状態を心配くださっている方々への元気なサインでもあります。 それと民謡ブログを媒体として、私(母)なりの我がむすめへ向けられたメッセージが随所に残してあります。

 

ご拝読ありがとうございます。

 

 

民謡日和 吉岡 都の民謡Weblog(2006.8月~総集編民謡ブログ)

 


日本民謡大観

2012-10-27 | 民謡

 

・・・日本全国の民謡を現地録音。2万曲という膨大な数もさることながら、歌詞と楽譜を起こし、解説を加えてまとめた貴重な文化遺産が「日本民謡大観」だ。

 

「日本民謡大観」 民謡は奥が深いですね。 勉強させていただいております。

 

 


富山県五箇山地方に伝わる民謡

2012-09-23 | 民謡

 

 富山市海外派遣」二ヶ国目の表敬訪問の国 マレーシア・クアラルンプール(KL)にて。

この頃、東芝機械ココム違反事件が発覚し団員達はその話題でもちきりでした、当時の世相。

 

 

 

 麦屋節

哀調の唄と踊り~越中五箇山麦屋節~(1) (2)
越中五箇山麦屋節保存会設立100周年を記念する特別映像

富山県五箇山地方に伝わる民謡「麦屋節」。こきりこ唄とともに五箇山地方を代表する民謡で、越中おわら節・こきりこ唄・麦屋節は富山県の三大民謡と言われている。
明治42(1909)年県立福野農学校で当時の皇太子(後の大正天皇)に麦屋節を披露するためにそれまで歌い踊り継がれて来た「麦屋節」を後世に保存すべく麦屋節保存会を発足。平成21年(2009)年に設立100周年を迎えた。

富山県内の民謡団体で最も古い歴史を誇る。

 

こきりこ唄

昭和51年、皇太子殿下(当時皇孫)が学友と友に五箇山の巡遊の際にご鑑賞になった本場の闊達ななかに哀愁を帯びた「こきりこ踊り」にいたく感銘を受けられた。

そして平成3年、宮中恒例の歌会始に「五箇山をおとずれし日の夕餉時、森に響かふこきりこの唄」とお詠みになり、五箇山詩情の中でこきりこのしらべを見事に再現されて、五箇山への敬慕の念をあらわされたのである。

一方、昭和50年、英国エリザベス女王の来日の際、宮中晩餐会に「こきりこ」が日本を代表する古謡として、バック音楽に流されるという光栄に浴した。また、ウイ-ン少年合唱団の演曲にも取り入れるなど、いまや国内にとどまることなく、国際的な親善の場でも広く活用されることとなった。

世界遺産として高く評価され、永久的保存が叫ばれている合掌造りとともに、「こきりこ」は五箇山を代表する 歴史的遺産として末永く保存されると同時に、心のふるさとの唄として慕われていくであろう。

楽器は、鍬金、筑子竹、ささら、鼓、横笛、太鼓など往時のままのものを今に伝え、豊穣を祈り祝う純朴な踊りであります。

 出典・参考(引用)文献 「こきりこ


麦屋節・・・明治42(1909)年って、母方の祖母(旧・射水郡。現・富山市野田)の生年なんですね。

福野(現・南砺市)で生まれ育った父方の祖父は明治33年、祖母は明治38年生。長い歴史を感じさせますね。先人の努力の結晶、恩恵の賜物に畏敬の念を抱き、常に感謝の心を忘れず、堅持していくことを願います。

尚、当記事との関連で、「郷土芸能部」の記事をよろしければご覧くださいね。

五箇山のお若い方も郷土の文化の伝承、継承にと日々精進しておられます。

 

 

五箇山のジャズ・ギター作り職人の「辻 四郎」さん、「麦屋節」のヴォーカリストです(動画)。

 辻 四郎ギター工房 さん。

 

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  <こちらにて、ご挨拶>

記事「しば漬け、食べてしまったんですか!?」、スマホで推敲していたら全文が消えました。。茫然自失。

富山の新米コシヒカリ。豊かな水の富山のお米は美味しいです。
農薬は最小限に抑え、減農薬米に心がけています。

David boysbowieさん、五箇山の写真をいただきありがとうございました。

あと、富山市民球場アルペンスタジアムでの写真楽しそう。アットホームな社風で、すごく良いですね。

五福の球場は真向かいなので毎日行ってましたが実は私富山市民球場アルペンスタジアムに行ったことないのです。

☆いい時に思い出しました、そろそろ運転免許証の更新で運転教育センターは近場でした。もちろん?優良運転者、ゴールド。

 

余談。上の富山市民球場アルペンスタジアム(リンク先)の正力松太郎さん信仰(?)は

うちの父は格別、奇特な人ではなかった模様。 ※参照元の記事「家族と歩んだ民謡メモリーズ

 

本題。boysさんご執筆の渾身の力作、富山を代表する民謡、麦屋節と新川古代神の民謡論文を参考にさせていただきますね。

 しゅ‐ぎょく 【珠玉】とは
 
   1.海から産する玉と、山から産する玉。真珠と宝石。たま。「金銀―を飾る」

   2. 美しいもの、りっぱなもののたとえ。特に、詩文などのすぐれたものを賞していう。「―の短編」

Davidboysbowieさんの民謡論と詩文は珠玉の名作だと思います。

 

 民謡日和 吉岡 都の民謡Weblog(2006.8月~総集編民謡ブログ)  


城端「麦屋節」コンクール 全国大会

2012-09-14 | 民謡

 

 城端むぎや祭の最終日に別院会場(善徳寺の本堂前)で、「麦屋節コンクール全国大会」が行われます。

 

例年100名程度が参加し、午前中に予選が行われ、午後には 決勝と表彰式が行われます。

大会優勝者は、毎年NHKホールで開催される日本民謡フェスティバルに参加することが出来ます。

城端むぎや祭は15、16日に行われ、両日とも坡場(はば)の坂、瑞泉寺前、浄念寺 前、出丸町通り、JR城端駅前の5カ所で街並み踊りが繰り広げられるほか、城端別院善 徳寺とじょうはな座で競演会が開かれます。

16日は午前9時から、麦屋節コンクール全国大会が善徳寺特設舞台で開かれ、むぎやの歌い手日本一を目指して美声を競います。

 

 若年層に日本の民謡の良さをアピールしたいですね。

 

私たちも子どもの時に城端の麦屋節大会に出場していました、秋ですが暑い日が多かったと記憶。

「麦や祭」より早い暦に開催される「風の盆」三が日の方が寒かったような感があります(主観かも)。

 

南砺市城端で行われる城端むぎや祭(富山新聞社共催)の開幕を15日に控え、街並み踊りや競演会に出演する町内団体は13日、本番と同じ舞台で通し稽古を行い、準備を整えた。新町は一足早く「稽古上げ」を行い、入念に所作を確認し合った。

競演会の会場となる城端伝統芸能会館じょうはな座では、新町と出丸町の踊り手が舞台に上がり、「麦屋節」「古代神」などを本番さながらに流麗に踊った。

城端むぎや祭協賛会は今年から、踊り手と地方(じかた)を町外から公募しており、今年は4人が参加する。新町にはアニメ制作会社「ピーエーワークス」社員の小川耕平さん(21)=青森県出身=が初めて踊り手として加わり、先輩とともに勇壮に踊った。

 

上の記事 転載 引用 こちらからです。

 

 

 麦屋節コンクール全国大会 今年は「麦屋節コンクール63回」でしたかね?因みに父は1963・昭和38年に出場。

日  時
 平成24年9月16日(日) 9:00~15:00 (予選~決勝)
会  場
 城端別院善徳寺 ※雨天の場合はじょうはな座
プログラム
 9:00~  予 選
 13:00~  決 勝
 14:00  アトラクション(麦屋踊りなど)
 14:40~  表彰式
座  席
 無 料(400席)
審査員
 (財)日本民謡協会/富山新聞社/北日本放送
 越中五箇山麦屋節保存会/城端むぎや祭協賛会
 《優勝》 賞状、トロフィー等((財)日本民謡協会杯、北日本放送杯、富山県知事賞)
       副賞(金一封、城端産品)
 ※その他各賞を数多く用意してあります。
 ※この大会の優勝者は東京で開催される日本民謡フェスティバルにノミネートされます。
主催等
 主催/城端むぎや祭協賛会
 共催/富山新聞社、北日本放送
 後援/(財)日本民謡協会
 協賛/なんと農業協同組合
その他
 ≪出場者≫ 約130名(一般・ジュニア)
 ≪伴 奏≫ 越中城端麦屋節保存会

 大会の結果はこちら

 


 五箇山こきりこ祭り ふるさとかるた こきりこ節

     

 

日本最古の民謡 「こきりこ」 

いちばん最初に習いました(覚えた)民謡と三味線が、「こきりこ節」です。

民謡を習いはじめてから二週間後、初舞台(富山市公会堂)でもこきりこ節でした。

 

 常磐町の「ニューとんの前で。

 

 

呉羽ハイツ海老亭さんにも)には週2、3回は民謡の演芸に行っていました。呉羽ハイツでは舞台の前にカツ丼をよばれますが、大人は食べませんでしたね。会の皆様のカツ丼、1人で3人前は私達いただいてましたね~。大人の方々は「おわら」「麦や」を唄う前は満腹だと唄えないのです。私達1ステージ、唄と民謡の踊りが各5曲、都合10曲は舞台に出ていたので子どもゆえに消費が早いです。特に「麦屋節」「大黒舞」「帆柱起こし祝い唄」の踊りは、(ダイ)ハード。

時は流れ、、大人になった私は唄う前に食事しませんねぇ、おわら一息で唄えなくなります。麦屋節も一節の息が長く、息継ぎに難渋します。また、おわら麦や三味線間(ま)胡弓の演奏、お囃し踊りテンポ、体得するに至って相当な鍛錬が必要な民謡であろうかと思われます(全国のあらゆる民謡にも言えますね)。

 

 

1976年・S51年 新聞社主催の「民謡のこころ」。

 

 

麦屋節 動画にJumpします。

三味線、胡弓、鳴物、お囃しにはその道の名人の御名前があり貴重な音源。

・・・三味 「水原渡月」先生は、たっちゃん(友人であり現在、鱒の寿し屋さんの社長)の奥さまのおじい様。

・・・私たちも生前の水原先生の芸能生活の節目をお祝い会のアトラクションに出させていただきました。

 

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 記事「民謡の祖」より。

 

民謡日和 吉岡 都の民謡Weblog(2006.8月~総集編民謡ブログ)


民謡ブログ7年目

2012-08-07 | 民謡

 

民謡ブログを開設してから7年目になりました。

ありがとうございます。

日本で生まれ育ち日本人でよかったと心から思います。

インド、ミャンマーに滞在中の友人も日本がいちばん暮らしやすいとのこと。

そうですね、他国からみた日本は実に平和ですね。感謝です。

 

 

 

好きな民謡の歌詞 「越中おわら節」編

 

山へ登れば 棘(いばら)がとめる

  棘はなしゃれ オワラ 日がくれる



 民謡日和 吉岡 都の民謡Weblog(2006.8月~総集編民謡ブログ)


五箇山民謡「四つ竹節」 

2012-07-04 | 民謡

 

  「五箇山は民謡の宝庫」でもとりあげました「四つ竹節」です。

 

 クリックで拡大表示します。

 

 

四つ竹節の歌詞>

越中五箇山 蚕の本場 娘やりたや あの桑摘みに 宝ゆたかな 麦やがお里

 

 

五箇山の風土や暮らし振りを「如実」に表している民謡のひとつだと思います。

 

五箇山の民謡はなんともいえない風情、格調・歴史、哀感があり良いです。

日本の民謡は日本各地の四季折々の風土や民情が豊かに表現されており本当にいいですね。

 

 

五箇山民謡の「お小夜節」

城端むぎや祭より「お小夜節」

 

記事「民謡の祖」の中の新聞の紙面上に詳しく書かれています。

 

 

 

 

 

昆布消費量日本一」の富山ならでこその「とろろ昆布のおにぎり」は幼少時から大好きです。

本来は肉好きな私、「サスの昆布締め」も好きです。 「ぶり」と「ふくらぎ」は若い時によく食しましたネ。

 

 

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昨年の今日(※去年の記事)はトムクルーズの「7月4日に生まれて」を母と観てたのですが、う~ん、、、

この1年は長くもありあっという間に過ぎた感も。まずは好きな民謡のこと書くのが私の「再生」なのでしょうね。

...たぶん。。   ・・・唄うこともできるよね。

  


富山の民謡

2012-05-16 | 民謡

 

 

 富山の民謡

 

富山名物 福野の夜高ヨー

競う万灯の ササ灯が燃える

 

 富山県の民謡「夜高節」の歌詞


 

夜高節は私の大好きな民謡です。

うちの父方は福野(※富山の地域により在郷のことを「在」と富山弁で言う)。


福野(在)の出身なので「夜高節」には、望郷の念と愛着があります。

 

 

父の20歳のダイアリー(「THE 元祖アナログ・ブログ」ですね)。

 

「夜高行灯・よたかあんどん」に行った際の感動の記録がありましたが、

ページ数が膨大で見つけられず。 お父さん、感受性豊かな人?の模様。

・・「ケセラセラ」の日記の心情が「言い得て妙」。ケセラ..この時分に流行したのかな。

 

そして

富山県の「呉東」地方では、

新川地方の民謡の新川松坂も良い民謡で好きです。

 

※カテゴリー「富山の民謡」(このカテゴリーは自分のメモ代わりに(備忘録)データ保存)から抜粋。


・・・民謡ブログのお引越し、意外に難航。 検討中。

 

 

この記事はどうしても残しておきたかったので。


 

 

<お願い>

他の方も富山の民謡のこと書いて下さったら嬉しいですね。

 

 

 

元祖(?)民謡姉妹

 

 

 

 

 

好きな 「越中おわら節」の歌詞 (字余り) 

 

 三越路の中の越路で見せたいものは 

   黒部 立山 蜃気楼 ほたるいか

 

 よそで聞けないものは

    越中八尾本場の オワラ 節のあや

 

 

 

 民謡日和 吉岡 都の民謡Weblog(2006.8月~総集編民謡ブログ)

 


五箇山は民謡の宝庫

2012-01-03 | 民謡

 

五箇山は民謡の宝庫です。

麦屋節の踊りは良いですね、格好いいです。


 

五箇山の民謡「麦屋節」の歌詞

 麦や菜種は 二年で刈るが

   麻が刈らりょか 半土用に

 

 

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 本館ブログでも書きましたが、

麦屋節の踊りで勢い余って「笠」を客席まで飛ばしてしまいました。。

観客(当時ご高齢の)の方が舞台に上がる階段まで笠を持ってきてくださって..。

以降、麦屋節の踊りを自重することに(子ども(たち)といえども舞台で大笑いはNG)。

(出演料をいただいているので殊更)その一件から反省し、舞台を努めるようになりました。

 

 

   五箇山の民謡「四つ竹節」(四ッ竹節)の感想文にオドロキ。

小さい画像はクリックで拡大表示します。

 

 

 

利賀そば」は今から30年ほど前、母の弟つまり叔父がそばの製法を五箇山の方に伝授しました。叔父が「利賀そば」の製法特許を持っていたのです。ご存知の方も多いと思いますが、うちの実家は「ヌ〇メのちゅるちゅるうどん」でした。

立山町の「大岩素麺」も実家の人気商品でしたね。手延べうどんの布目と大好評で。親戚が函館で塩辛や松前漬の会社を経営しています。名前(屋号である姓)は一緒です。

 

 

 

 

  

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 海外に派遣された時(市代表として表敬訪問がメインですが異文化交流の一環で富山県黒部市の民謡「せり込み蝶六を3ヶ国で披露)外国に住んでいた頃、

 

日本人は礼儀正しい。日本のカルチャーは伝統があり美しい。」

 

などと賞賛され、すごくとても誇りに思ったものです。

 

 

民謡にはその土地の風土や民情が沢山織り込められ日本の素晴らしい文化であり財産だと思います。

そして、このような財産を私たちに残していただいた先人たちに感謝の心を忘れないで伝えていくことがとても重要で大事だと思いました。

  

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  Photo Gallery

   

  

(右)当時のポラロイド。泉は「ひかり保育園」の幼児なのです。Big Girl.

 

 

五箇山民謡「こきりこ節」は日本最古の民謡。   

 

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  Photo Gallery

 

  富山市の民謡さんさい踊り」「さんさい音頭

 

富山 伏木民謡帆柱起し祝い唄」の踊り。

 

 

   

 

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五箇山は民謡の宝庫。 富山は民謡の宝庫です。

民謡を発掘し口承・口伝、採譜して今日に伝承したのは先人達の恩恵の賜物です。

民謡がないお国は無いと思います。

ゆえに「故郷の民謡」「日本の民謡」を大切にと願います。

民謡は日本人の心」ですね。

 

 

上の画像は祖父母の家と田んぼ。吉岡家先祖代々のお墓があります。母方(布目家)は「西番」にあります。 

   


越中の民謡

2011-12-03 | 民謡

 

越中八尾 「風の盆 」の様子です。

 

越中の民謡(富山県民謡)の代表 「越中おわら節」の魅力は、

たくさんありますが(町の雰囲気 唄 三味線 踊り等すべて)

魅力のひとつとして、哀愁漂う「胡弓の音色」でなかろうかと感じております。

 

次回の民謡ライブラリーでは、「越中おわら節」を書きたいと思います。

 前回の 民謡ライブラリー で、黒部の民謡 「しばんば」を UPしてから約1年振りになりますね。 

 

 新川地方 滑川の民謡「新川古代神」

 

 

 

  おわら「風の盆」 町流し


民謡の祖

2011-10-12 | 民謡

 

 

カテゴリー「 民謡ライブラリー 」にて、越中三民謡
「越中おわら節」と「こきりこ節・筑子唄」を投稿していなかったですね。
  ~麦屋節は投稿。


この三曲は私にとって大切な民謡で、ふるさと富山が誇る民謡であり
地元の宝の民謡という認識が強く根付いています。

「越中おわら節」「麦屋節」そして、「こきりこ」も 本当にすばらしい民謡です。


こきりこ・筑子」は、本最古の民謡といわれています。

 

「こきりこ」 情緒があり、つくづく良い民謡と感じております。
五箇山の風情や民情が心に沁み渡り、地元の「音」は非常に崇高。



五箇山民謡の「といちんさ(節)」と「お小夜節」も、

「こきりこ」と双璧を成す良い民謡です。

 

こきりこ節を唄っている「よしおか姉妹」。記憶が曖昧ですが、maybe,おそらく「呉羽ハイツ」で。

日本民謡大賞で民謡日本一の栄冠の座に輝かれた鈴木実さん、なぜかお太鼓と司会を。

今では想像し難い民謡のポジション、当時の民謡界では珍しくないことでして、よくありました。

 

「♪ハァ~姉も良いけど~妹に~」 飴売り唄の歌詞は今も姉妹のテーマソングです。(飴売り唄・秋田県の民謡)

 

 


「お小夜節」は 私の以前のblog記事 “民謡の祖” でUPしましたが、

投稿のタイミングが全国紙の朝刊とブッキング(偶然に)。 シンクロニシティ

       

<1枚目と2枚目の画像>

舞台(1976年始め頃・昭和51年)で「こきりこ節」と「花笠音頭」「ソーラン節」の三味線を弾かせていただきました私たち姉妹。

最上段の画像(舞台の画像)は、幼くてまだ足が床にとどいてないですね。