民謡 2006.8月~総集編民謡ブログ

吉岡 都の民謡Weblog 「民謡は心のふるさとです。」

民謡 吉岡都

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<お知らせ>

商店会寺子屋「茨木童子」10月7日(木) NHK総合テレビ「ニューステラス関西」(18時10分から) をご覧くださいね。ニュースにdaughterと私登場します。同日、読売新聞より同内容で取材されました。「10月25日放送 4:30 - 5:00 NHK総合 「NHKニュースおはよう日本」 (特集) 後継者不足などから商店街に増えてきた空き店舗を現代版の寺子屋にし、街全体を活性化させようという取り組みを、大阪府茨木市の商店街が行っている。1時間500円で、算数や国語の指導をしているという。」 ttp://datazoo.jp/w/%E5%90%89%E5%B2%A1%E9%83%BD/4565767  

軌跡

2010-09-18 | 吉岡 都の民謡日和

 

<自己紹介>
生粋の富山県人です。
親類縁者には売薬さんが多いです。・・・薬の富山ですね・・・。
祖父母が戦後まもなく福野から旧婦負郡に開拓にきて大沢野に移住し生まれた父と
射水郡(美味しいお米の八町米の産地)で生まれた母は四方育ちです。母は浜育ち。

私は長女で1歳半違いの妹がいます。


妹は富山市北部の伯爵邸さながらの豪邸に住んでおります。
(ちなみに、メイドさんはいないです。)← ばかな文章
質実剛健で働き者の富山県人気質の典型ですね。

妹は回転寿司の情報通で富山に帰った折は回転寿司屋ナビをしてくれ大変助かります。

 ※私は「すし玉」の廻る寿司がお気に入りでしで、妹から他の美味しい廻る寿司を教えてもらいました。
 また、「8番ラーメン」の美味しい店舗も熟知している頼もしい妹です。


妹は私より10cm身長が高いのでいつも姉に見られ嫌がっています。
大和のデパートの店員さんは20年以上前から妹が姉と思っていたとか。



私たち姉妹は富山市のど真ん中で育ちました。

富大のキャンパス内や球場は、わが家の庭のように思っていましたし
宮本輝さんの小説 川3部作シリーズのひとつ「蛍川

※正式名称は「いたち川」 あたりを駆け回っていました。

 

蛍川 こと いたち川です。


ピアノと習字も習っていましたが、民謡がいちばん長く続いています。



それから母の進学、父の転勤で高校から大阪に移住。
また富山に戻り治療所を経営。保険治療が他県より取り扱いができるので。
いろいろ事がややこしく、また難しい問題があり詳細は書けませんが。
簡略し書きますね、厳重な保険取り扱の審査があり国家資格取得者全員が「保険取り扱い」指定院にはなれないのです。


その後、諏訪川原の治療所時代、富山市海外派遣団に応募し合格。

富山の企業推薦枠の方以外の一般応募の枠は狭き門で超難関倍率の中、

何もバックアップがない自営業者である私は最年少でもあり、とてもリスキーな受験でしたが(笑。

約1年弱の研修(英会話や訪問先の国の歴史や文化など)を終えまして
マレーシア、シンガポール、オーストラリアの3ヶ国に表敬訪問。

異文化交流で、富山県の民謡「せり込み蝶六」保存会の方々からレクチャーしていただき

魚津の民謡「せり込み蝶六」を、訪問3ヶ国で披露しました。

その後、私は厚生省の大臣(現在の厚生労働省)から表彰されました。
富山県で事例・類例のない、はじめての事象で有り難く賜りました。


結婚後は仕事で日本と米国の二重生活を送ることに。

西海岸に拠点をおき、ロサンゼルス弁?の英語とスペイン語も習得しました(?)。
会社のスタッフは、ヒスパニック系が多く英語より先にスペイン語を覚えたという顛末、笑。
この頃、民謡と三味線をやめており、既に四半世紀もの年月が経過していましたねー。

 

ざっとレアな(奇特な?)プロフィールを列挙いたしましたが

吉岡都の民謡Weblog(sanri1618)で書き尽くしていた内容ばかりですね。

 


このブログは、2006年8月から2010年2月まで掲載しておりました、
吉岡都の民謡日記・Weblog  「民謡 吉岡都」のレビューです。


 
                                            2010-02-15 20:02:38


私の原点

2010-09-18 | 吉岡 都の民謡日和


4年間書き続けた民謡ブログを休憩して感じたこと。


◇本年度の第31周年民謡発表会(2010.7.19)を終えまして◇
生まれ育ったふるさとの富山の民謡
「越中おわら」(節)を今年も勉強させていただきました。

師匠
設営、運営に携わった皆様、会の皆さま
会場にお越しいただいたお客様
そして、家族
すべての方に感謝申し上げます。

恥を承知で打ち明けますが、、「おわら」を一息(ひといき)で唄うことに
今回の発表会では..怖くなり危機感を抱きました。
結果、「上句」の唄尻が「ひと息すれすれ」状態に。。

まだまだ「修行が足りない」と、反省頻りでございます。

過去、何回も自分のブログで自責の念や

不甲斐ない事象を拙い文章で記述してまいりましたが...。

口(くち)だけ達者の「自分の怠慢・傲慢・稚拙さ」を直していきたいと強く思いました。

・逆境や苦境を糧に、バッドトラックからグッドトラック(好機)へチェンジする
・何事も素直に捉え正していき乗り越えていく

今回の30th記念発表会で、強い心を授けていただく契機となりました。

「慢心は成長にならず」ですね。(私のケースです)。

民謡を通して人生の修行、精進あるのみが自己の成長に繋がると至極痛感いたしております。

ありがとうございました。

 


小さい頃から、民謡や三味線 踊り(日舞も)を習わしてくれた両親に感謝です。

特に父親の無類の民謡好きは異常?と思っていた幼少時の姉妹。

いや~現在は素直に、素敵だと、誇りに、思います。

そして民謡と無縁だった母親は私たち姉妹の運転手として仕事を中断してまで、

送迎してくれたので民謡を続けられ、本当に感謝。 感服の一言に尽きます。



当時、我が家経営の店「ホームラン軒」と「シルクロード」は、大変忙しかったのにね。


富山断酒のぞみの会」を、発足したばかりの母は毎日が忙しくて
家の仕事や『のぞみの会』の会場にわが家を解放し、ハードスケジュールをこなし
日本各地 東奔西走と多忙極めていた時期でした。

おまけにただでさえ暇なしなのに
名門と名高い(マニアックな内容ですみません)、
明治鍼灸・柔整学校に40代半ばで入学し、尊敬します。


当時、京大と同志社に入学した姪っ子の高校の教科書を借り、
朝から晩まで母は受験勉強していた記憶があります。
小学生だった私たち姉妹はリアルに覚えてないですが(ごめんなさい)。

出願の際に提出する「高校の成績表」と
「数学」「化学」「生物」と「国語」の筆記試験や
受験当日に学校側から出され「論文」のテストが受験科目でしたが、
なかでも、「論文」がつらかったと(テーマがわからないので勉強の仕様がない)。
以上の結果の優劣が受験の合否すなわち明暗を分けます


母の入学から何10年後に私も同じ道に進む運命に。


一応書いておきましょう(笑)
まあ、、うちの経緯を何も知らない私の娘にと。


母の高校3年の二学期の通知表が「オール5」だったとか
凄いな、中部高校でねえ…(聞いて、奥さん、それもあの在郷の和合中学からよ~)。


補足) 出願の際に、「高3二学期の成績表」が必要
あっ!そういえば、私、明治でクラス委員長で特待生でしたわ(えっへん、唯一母に(^^;..苦笑)。

 



わが家のヒストリーの話題になりましたが
実は特筆すべきことであります。

民謡から心が豊かになると教えてくれた今はなき父(享年52)
手に職を持たなければと私に仕事の道を示唆してくれた母

一見、対峙しているようですが1つの線(結果)に繋がっているのです。
ゆえに、今の、現在の、私があります。

小さい頃は 民謡が好きではなくイヤイヤ行っていましたが
「とんかつ」と「カツカレー」と「焼き肉」が毎日食べられるという素敵なオプション付きでしたので、
大好物だった食べ物の誘惑に駆られ民謡をやりました。汗。


「民謡」と「とんかつ」と「野球」
富山県民なら周知の事実(?)深い関係ですね。

 

民謡と、とんかつと野球が「部屋とYシャツと私」 風に..。

   


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2010-09-17 | 吉岡 都の民謡日和

 

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本館ブログ(sanri1618)で莫大な数になった記事を絞り込みました。






本年の発表会の自分です。
結っていた髪がくずれてきましてビジュアル的にあまりにも“おぞましい”ので
速攻でほどき普段の髪型にしました。





目方が「20バウンド」も増えたわたくし。。 iya!