民謡 2006.8月~総集編民謡ブログ

吉岡 都の民謡Weblog 「民謡は心のふるさとです。」

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<お知らせ>

商店会寺子屋「茨木童子」10月7日(木) NHK総合テレビ「ニューステラス関西」(18時10分から) をご覧くださいね。ニュースにdaughterと私登場します。同日、読売新聞より同内容で取材されました。「10月25日放送 4:30 - 5:00 NHK総合 「NHKニュースおはよう日本」 (特集) 後継者不足などから商店街に増えてきた空き店舗を現代版の寺子屋にし、街全体を活性化させようという取り組みを、大阪府茨木市の商店街が行っている。1時間500円で、算数や国語の指導をしているという。」 ttp://datazoo.jp/w/%E5%90%89%E5%B2%A1%E9%83%BD/4565767  

風の盆

2014-11-17 | 越中おわら  風の盆

民謡とは四季の農耕の祈りの唄であったが、今後とも人間の続く限り唄い続けて我々と共に歩むものである

 民謡は心のふるさとです。


 

蒼い夜空には小さい月が高く、足元には両側の溝の瀬の音が、

陽気な太鼓や三味の音色のとぎれた間に急に思い出すように勢いよく聞こえて来るのであった。

「おわら」の情趣はこういうところにあると人は言っている


 

 越中おわら節歌詞  八尾四季

揺らぐ吊り橋 手に手を取りて 渡る井田川 オワラ 春の風

富山あたりか あのともしびは 飛んでいきたや オワラ 灯とり虫

八尾坂道 別れてくれば 露か時雨か オワラ はらはらと 

もしや来るかと 窓押し開けて 見れば立山 オワラ 雪ばかり


 

唄い手さんがとてもお上手動画4分58秒から視聴を ほれぼれしました。 

唄の味、地元の節まわし。

言わずもがな、コンクール仕立ての民謡と違いますね。本来の民謡の姿、佇まい。

地元の風柄や民情、息吹が伝わり、見る者聞く者心に迫るのではないでしょうか。


おわら字余りの歌詞で一息(ひといき)です。 本当にすばらしいです。

素唄(通常バージョンのおわら)でも一息で唄うのは、日々弛み(たゆみ)ない精進をしていてもむずかしいのです。





 素唄(平唄)の越中おわら。



「全国の民謡 越中おわら節」

 上のリンク先  唄、お囃し、三味線、胡弓、すべてが素晴らしいです。



https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/67/135c3b5cef46dc384f107b8163aa5bdb.jpg

 

 


おわら「風の盆」

2014-11-14 | 越中おわら  風の盆

 越中八尾 「風の盆 」の様子です。


 

 

民謡は心のふるさとです。

 蒼い夜空には小さい月が高く、足元には両側の溝の瀬の音が、陽気な太鼓や三味の音色のとぎれた間に急に思い出すように勢いよく聞こえて来るのであった。

 「おわら」の情趣はこういうところにあると人は言っている。

 

 

 

 越中おわら節歌詞 八尾四季

 

揺らぐ吊り橋 手に手を取りて 渡る井田川 オワラ 春の風

富山あたりか あのともしびは 飛んでいきたや オワラ 灯とり虫

八尾坂道 別れてくれば 露か時雨か オワラ はらはらと 

もしや来るかと 窓押し開けて 見れば立山 オワラ 雪ばかり


 

 

唄い手さんがとてもお上手(4:58~)、ほれぼれしました。

 

 

日光市出身の画家、小杉放菴(ほうあん)(1881~1964)の没後50年を記念して7日、同市山内の小杉放菴記念日光美術館で、放菴が作詞した富山県の民謡「越中おわら節」の踊りなどの特別公演があった。

放菴は1928年1月、八尾町(現富山市)を訪問。町医者で、後におわら中興の祖とされる川崎順二(1898~1971)に料亭に招かれ、おわら節に感銘を受けた。「全国に広めたいので、力を貸して欲しい」と川崎に懇願され、2月に新歌詞の「八尾四季」を贈ったとされる。その後、八尾四季に合わせた新しい踊りが作られ、祭り「おわら風の盆」として全国に知られるようになった。放菴は「おわらの大恩人」とたたえられる。

 

 

 外国の方からみた「越中おわら」

 

この様な唄い出しの高調な民謡を聴くのは初めてであり、

特に字余りの音調は我々西洋人には実に興味深い。

折を見て外国の民謡界にぜひ一度ひろく公開したいと思う。

 

    マキシム・シャビロー(氏はモスクワ銀行の頭取息子、藤原善江氏の伴奏として来尾)

 

 

 幸せにも八尾のおわら踊りを見ることを得た私の頭の中に、

 代表的日本文化の一つとして記憶されることであろう。

 これを見て私は「ハアこれでなければならん」という感じと

 「大衆的な娯楽」であるという印象を受けた。

踊りの所作の単純さと美しさが、年齢の違った男女の群集によって

釣合いがとれ変化があり、非常に自然的な感じを深くした。

 

   ケボス・アール・スピース

 

 

どの場面で色彩が美しくまた興味があり、しかも踊りの上品な所作い

いささかも値打ちを傷つけることもなかった。熟練したそしてまた

自信に満ちた喋子方や唄い手の音楽的伴奏により、この民謡を弾き立たせた

ことは全く古典日本文化の神髄である。特に注目すべきことは、近代的な舞踊が

民謡と踊りとよく融け合って典型的な印象を深めているということである。

 

   フランクリン・ムートマン

 

 

 

  

越中おわら 1968年(昭和43年)刊行   

父の形見。 形見と遺品の語源を調べてみると「形見」の方が自分の感情にしっくり合いました。

 

 

 

富山県民謡おわら保存会の「先人たちのおわら鑑賞」は、富山市八尾町上新町の越中八尾観光会館で行われ、

会員約30人が歴代の名人の唄を収録したCDに聴き入り、 おわらの原点を感じ取った。

同保存会の成瀬高志さん(64)と79歳で死去した伯(はく)育男さんが収集した、大正から昭和までの唄15曲が披露された。

昭和初期の名人で、現在のおわらの手本とされている江尻豊治さんの唄などが流れた。

成瀬さんによると、現在のおわらが踊り手に合わせてゆったりとしたテンポであるのに対し、

昔のおわらは唄に重点を置き、歌い手の個性が光っている。

会員は現代の唄と比較しながら、おわらの技術向上へ意識を高めた様子だった。



おわら「風の盆」


越中の民謡(富山県民謡)の代表 「越中おわら節」の魅力は、

たくさんありますが(町の雰囲気 唄 三味線 踊り等すべて)

魅力のひとつとして、哀愁漂う「胡弓の音色」でなかろうかと感じております。

 

次回の民謡ライブラリーでは、「越中おわら節」を書きたいと思います。

 前回の 民謡ライブラリー で、黒部の民謡 「しばんば」を UPしてから約1年振りになりますね。 

 

 新川地方 滑川の民謡新川古代神

 

 

 

  おわら「風の盆」 町流し


越中おわら おわら風の盆 前夜祭

2014-07-21 | 越中おわら  風の盆

民謡とは、四季の農耕の祈りの唄であったが、今後とも人間の続く限り、唄い続けて我々と共に歩むものである



蒼い夜空には小さい月が高く、足元には両側の溝の瀬の音が、陽気な太鼓や三味の音色のとぎれた間に急に思い出すように勢いよく聞こえて来るのであった。

「おわら」の情趣はこういうところにあると人は言っている。 

 「越中おわら」  1968年(昭和43年)発刊


 

 

 

 

 

 

 


おわら風の盆 前夜祭



 母と泉 風の盆にて。私達一同の町流しの前に撮影。


八尾高校郷土芸能部

2013-12-24 | 越中おわら  風の盆


八尾高校郷土芸能部は7日、富山市八尾町西町のグループホームおわらを訪問し、日ごろ練習しているおわらを披露した。福祉施設の訪問は数年ぶりで、参加した部員は初めての体験。部員は哀調を帯びた音色に合わせ、しっとりとした踊りを繰り広げた。おわらを披露する機会を増やし、部員の技術向上につなげようと実施。三味線や胡弓(こきゅう)、唄、囃子(はやし)を担当する地方(じかた)と、踊り手の1、2年生計23人が参加した。

そろいの法被や浴衣、編みがさを着けた踊り手は、音色に合わせて豊年踊りや女踊りを披露。グループホームの利用者は、演奏に合わせて手拍子をしながら楽しそうに演技を見ていた。12月中旬と来年2月上旬には、それぞれ八尾地域と山田地域の別の福祉施設を訪れておわらを披露する予定。部長の西崎克君(2年)は「稽古の成果を見たり聞いたりしてもらえるのがうれしい。さらに練習して技術を磨きたい」と話した。



うちは砺波市(福野)がルーツなのですが戦後開拓の為、上新川郡に移住。

それで吉岡家の本家のあんさん(長男・あんまとも言う)が八尾高校出身なんです。

昭和30年(1955年)生のいとこが本家の家長。

蛇足ですが、分家を富山弁では「あじち」と言います。

・「蛇足」 あっても益のない余計な物事。あっても無駄になるもの。(広辞苑)

福野といえば、夜高行燈、民謡「夜高節」が有名ですね。

 

尚、富山県立南砺平高等学校 郷土芸能部のエントリーはこちら



全国の民謡「越中おわら節」

2013-08-06 | 越中おわら  風の盆


民謡とは、四季の農耕の祈りの唄であったが、今後とも人間の続く限り、唄い続けて我々と共に歩むものである



TV「全国の民謡 越中おわら節」 click

上のリンク先 唄、お囃し、三味線、胡弓、すべてが素晴らしいです。


全国の民謡から富山県富山市八尾町の民謡「越中おわら節」。

越中八尾「風の盆」、良いです。


 

富山県民謡 おわら保存会の「先人たちのおわら鑑賞」は、富山市八尾町上新町の 越中八尾観光会館で行われ、会員約30人が歴代の名人の唄を収録したCDに聴き入り、 おわらの原点を感じ取った。同保存会の成瀬高志さんと、79歳で死去した伯(はく)育男さんが 収集した、大正から昭和までの唄15曲が披露された。昭和初期の名人で、現在のおわら の手本とされている江尻豊治さんの唄などが流れた。

成瀬さんによると、現在のおわらが踊り手に合わせてゆったりとしたテンポであるのに 対し、昔のおわらは唄に重点を置き、歌い手の個性が光っている。会員は現代の唄と比較しながら、おわらの技術向上へ意識を高めた様子だった。


 

八尾高校郷土芸能部は、富山市八尾町西町のグループホームおわらを訪問し、日ごろ練習しているおわらを披露した。福祉施設の訪問は数年ぶりで、参加した部員は初めての体験。部員は哀調を帯びた音色に合わせ、しっとりとした踊りを繰り広げた。おわらを披露する機会を増やし、部員の技術向上につなげようと実施。三味線や胡弓(こきゅう)、唄、囃子(はやし)を担当する地方(じかた)と、踊り手の1、2年生計23人が参加した。

そろいの法被や浴衣、編みがさを着けた踊り手は、音色に合わせて豊年踊りや女踊りを披露。グループホームの利用者は、演奏に合わせて手拍子をしながら楽しそうに演技を見ていた。12月中旬と来年2月上旬には、それぞれ八尾地域と山田地域の別の福祉施設を訪れておわらを披露する予定。部長の西崎克君(2年)は「稽古の成果を見たり聞いたりしてもらえるのがうれしい。さらに練習して技術を磨きたい」と話した。




 大伴家持

 

蜃気楼



 


民謡日和 吉岡 都の民謡Weblog(2006.8月~総集編民謡ブログ)   2013-08-06 15:18:41


おわら風の盆 前夜祭

2013-01-31 | 越中おわら  風の盆

 

おわら風の盆 2012前夜祭 (諏訪町)

越中おわら節、いいですね。



長囃し

春風吹こうが 秋風吹こうが

おわらの恋風 身についてならない


越中おわらの歌詞参照)

ゆらぐ釣り橋 手に手を取りて

渡る井田川 オワラ 春の風


富山あたりか あの燈火は

飛んでゆきたや オワラ 灯どり虫


字余り

 =上句=

三越路の中の越路で見せたいものは

黒部 立山 蜃気楼 蛍いか

 =下句=

他所で聞けないものは越中八尾本場の オワラ 節の綾

 

一字余り

来る春風 氷がとける

うれしや気ままに オワラ 開く梅 

 

 

富山県富山市八尾の「おわら」を、

越中おわらを 民謡を生で

聴いてみてくださいね。

他所で聞けないものは越中八尾本場の節の綾。


越中おわら・五文字冠り

雁(かり)がねの 翼欲いや 海山越えて

妾(わたしゃ)ゃ逢いたい オワラ 人がある


越中おわら・長囃し

 浮いたかひょうたん 軽そうに流れる

 行く先ゃ知らねど あの身になりたや




<閑話休題>

父が無類な(の)民謡好きだったので渋々(正直、嫌々かな)?民謡を習わされた感がありましたが数年前、自主的に民謡を始めました。

この歳になってやっと分ったんですけど民謡が生活と密着していたと・・・。師匠、両親、皆様に感謝です。本当にありがたいです。


ふるさとの民謡に誇りを持ちます。



越中おわら節

2012-10-14 | 越中おわら  風の盆

 

春風吹こうが  秋風吹こうが
   おわらの恋風  身についてならない

 

 好きな民謡の歌詞「越中おわら節  長囃し

 

 

富山県民謡「越中おわら」の唄声、三味線、胡弓、お囃子は素晴らしいです。

おわらを「上の句」と「下の句」を一息で唄い切る・・「江尻豊治」さんのおわらの唱法が主流。

 

 風の盆はとても風情があります。 ・・・おわら風の盆、哀調と情趣

※唄い手さん、私の八尾の唄の師(6年前から大阪の師匠の御厚意により八尾で通い修行と現地滞在で唄・胡弓の修行)のS先生と思いましたが違いますね。現在、旧婦負郡八尾町の隣町に(旧・婦負郡。現・富山市)お住まいですし...。余談ですが、自分はその町にある自動車学校の卒業生です、旧婦負郡の町。速星が首都(?)の、町。

 

 


下記・おわらを愛した私たち子ども時代(赤ちゃんの時分から生え抜きの弟子)のです。

商売もさることながら、「民謡」と「野球」という趣味がさらに人脈を広げた。三味線を独学で学び、おわらを愛し、名伯楽でもあり全国に通ずる弟子を何人も育てた。かたや野球は、自分のチームを二つも持ち、大の巨人ファンで王選手の後援会の副会長も務めた。今でも元巨人軍で富山に来ると必ずこのお店に寄るという選手も少なくない。


拙ブログ記事 越中八尾「風の盆 にも記述。



 

 

 

 1年前の記事シリーズ No.3 (2011.10.14)

 

秋桜 誕生月の花
 10月生まれの私。季節は「秋」が好き。花は「秋桜・コスモス」が大好き。  両親にありがとうございます。...
 

 


おわら風の盆

2012-09-01 | 越中おわら  風の盆


おわら風の盆 諏訪町

 「風の盆」はいいですね。

蒼い夜空には小さい月が高く、足元には両側の溝の瀬の音が、陽気な太鼓や三味の音色のとぎれた間に急に思い出すように勢いよく聞こえて来るのであった。おわらの情趣はこういうところにあると人は言っている。 

 「越中おわら」  昭和43年(1968年)発刊

 

好きな民謡の歌詞「越中おわら節」編

 

  坂は坂でも 八尾の坂は

      浴衣姿で オワラ 踊る坂

 

本日9/1 から 9/2未明 八尾に私の現地スタッフ?が「風の盆」撮影に行っております。

当該記事と関係ありませんが、八尾の町の澤田さん(化粧品屋さん)と私の母は中部の同級で親友でして

風の盆の時以外や風の盆の折お世話になっていました。澤田様、K放送局の野上様、ありがとうございました。

 

 

 

昔、私達(会)は八尾の風の盆にて、おわらを唄う、三味線を弾く、と勉強させていただき

とても大切な、特別なイベントであり、かけがえのない財産になっております。

風の盆に長年通いましたが観光で行った経験はないですね。

ありがたいことでございます。

 

毎年9月3日、八尾小学校で開催されていた「おわらのど自慢大会」にもエントリーさせられて(?)いました。

「上の句」の途中で息を切ると会場がどよめきます、一息のプレッシャー。 コワい(笑)大会でしたが良い経験になりました。

妹は確実に受賞していましたね。姉は「おわら」恐怖症で(小学生~中学の昭和40年代後半から50年代前~中半のお話)。

・・・秋田飴売り唄(節)や富山市梅沢町の民謡さんさい踊り(音頭)の歌詞みたい。両曲レパートリーでした。

 

 ------

 

昨年の友人のコメントから>

富山市八尾町のおわら風の盆が1日から始まりました。 坂の町に哀調を帯びた音色と伸びやかな歌声が響き渡っています。

八尾から伝えてもらいます。 坂の途中に天満宮を抱く町、天満町です。 八尾中心部に11ある町の中でも北側に位置し、東・西・北の三方を川にかこまれた町です。 天満町の皆さんの協力で天満宮の前で踊りを披露していただいています。

披露していただいている踊りは八尾の四季を唄った歌詞にあわせて夏にホタルを取る楽しさをあらわしているんだそうです。

おわら風の盆は台風などで被害をうけやすいという季節「二百十日」の風封じと五穀豊穣を願って江戸時代に始まったといわれています。中でも、ここ天満町でおわらを始めた人はうぐいすのように透き通った歌声だったといわれ、その芸を受け継いでか天満町の唄には定評があります。 その天満町で、今日デビューした歌い手がいます。

金山倫子さん。

実は、倫子さんの出身は、八尾ではありません。 2年前、富山市の上滝から八尾に嫁ぎ、おわらに真剣にとりくむご主人や町の人に憧れるようになり、歌い手に立候補しました。 町の人には最初は冗談かと思われたそうですが、去年から練習を重ねて、今日を迎えました。

最初は全然上手く歌えなかったそうですが、今では町の人に「去年から唄い始めた」というと驚かれるほど、上達しました。 「これも八尾に嫁いだ特権」と笑う倫子さん。

天満町のおわらを聞くときは、唄い方にも注目してください。

上の句の間に「コラショット」と囃子がはいるのは、古くから伝わる天満町ならではの唄い方です。 この囃子は「船頭」の言葉からきているともいわれ、三方を川に囲まれ、今も近くに船着場がある天満町らしい特徴なんです。 おわら風の盆はあさって土曜日までです。 各町内で夜を中心に輪踊りや町流しが行われるほか、八尾小学校のグラウンドでは1日と2日、演舞会が行われる予定です。

 

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 富山の庶民グルメ情報

私世代の北陸人は「8(はっちゃん)」と成長してきたと申しても過言ではないですね~。

野菜ラーメンが美味しいです、娘は冷やし中華(マヨラーの気配有り)ファン。駐車場が広いのも嬉しいですね。

廻る寿しは、掛尾(R41沿い)の「すし玉」に25年以上は通っています。生前の父もオススメだった「廻る寿し」です。

生魚が苦手だった私。寿しは太巻きしか食べられない私でしたが生の握りの美味に感動を覚えた青春時代。

尚、記事「クラスメイト」にも富山市のラーメンレポート書いています。好みはありますがご参考までに、と。

☆追記で、アイスは「山川のいもや」さんの「もなかアイス」が好きです。


  

 民謡日和 吉岡 都の民謡Weblog(2006.8月~総集編民謡ブログ) 

 


越中八尾 おわら「風の盆」

2012-07-25 | 越中おわら  風の盆

 

八尾・諏訪町の町並みは情趣。

 

 

 好きな民謡の歌詞 「越中おわら節」」の(長囃し編)

三味線が出を引きゃ太鼓がどんとなる

  手拍子そろえておわらにしょまいかいね

 

 

哀調帯びた八尾・おわらの情景

胡弓の音色が良いですね。

風の盆が近づくと心躍ります。

 

叔父(父の弟)が富山市八尾に住んでます。

今年は「風の盆」に行きたいなぁ。

 

 

(越中おわらの五文字冠り)

雁がねの 翼欲いや 海山越えて

  妾(わたしゃ)ゃ逢いたい オワラ 人がある

 

 

 ※上のおわらの「五文字冠り」の歌詞の上の句、下の句とも「誤記」ではありません(^^)

 

 

 

  富山時代の民謡の唄の先生は1980(S55年)に逝去。先生は父の親友(野球仲間)で、 

 ↑※当該記事 富山の38豪雪

  赤ちゃんの時から民謡会にスカウトされ私たちは根負けし?民謡を習いました。

  お月謝は無しで当時毎日のようにありました民謡の演芸で逆に給料をいただいてました。

  また私たち姉妹を三味線と踊りの先生に紹介し月謝は唄の先生がずっと払ってました。感謝。

 

富山の民謡ひとはマルチプレーヤーで唄、三味線、踊りがセット。

尺八、鳴物、胡弓..全部できる方もいます。 当該記事◇民謡の祖

 

 上の「四季の会」の方々が寄稿された「短歌」がすばらしいです。

  会員は大正末期から昭和の戦中派までお生まれの年代の方の有志だと思われます。

 

 

 

←そして民謡を本格的にやっている方でも本業を持っています。働き者である富山県人の気質でしょうか。

 

私たちの先生もとんかつ屋さん3店舗(常盤町と神田横丁)の経営と朝間野球チームの監督をなさっていました。

 

とんかつ 夫婦 民謡 ・・・ こちら

 

 

 

 

 

 

   

 

二百十日の風の盆で三日三晩唄い、弾きましたね。八尾で過ごした三が日でした。

画像は「越中の民謡」「民謡三味」「五箇山は民謡の宝庫」の記事で掲載してます。

 

 

 民謡日和 吉岡 都の民謡Weblog(2006.8月~総集編民謡ブログ)


好きな民謡の歌詞 「越中おわら節」編

2012-05-11 | 越中おわら  風の盆

 

好きな「越中おわら節」の歌詞

 

 

上の句

 常願寺 神通 片貝 黒部 早月 庄川 

  小矢部の七つの川は

 (下の句

 ほんに電気の王国 お米の産地で

  その名も高い オワラ 富山県

 

 

 

上の句

 舟になりたや 越中で名高い

  神通川の あの渡し舟

下の句

 可愛いあの子を 乗せて西から東へ

  一時も早く オワラ 送りたや

 

 

 

 <番外編> 字余り

上の句

 好いたおかたと 逢うたその夜は

  長いようで 短こうてならぬ

下の句

 からすが鳴きゃ 恋しくなる

  今朝(けさ)の別れが 涙の種だよ

 長い廊下を 後なり先なり 

  お近いうちには きっとだよ

 袖にすがりて オワラ ほろり泣く

 

 

  おわらの「字余り」

 

 

 上の句と下の句で一番(一つ)の歌詞です。

 

 

 

 番外編「3」番の越中おわら節の歌詞

約40年前の不世出の唄い手(現在、レジェンドに)柳瀬千鶴子さん

民謡日本一のひとみさんがよく唄われていました(お二方と私たちは同じ会)。

 

※補足・・・富山では歌詞の「一番」「二番」を「一題目」「二題目」といいます。

 

 

神通川の近くで生まれ(安野屋の細野病院)

育ったので(富山市の五福、安野屋、諏訪川原)

おわらの歌詞の中でも特に愛着がありますね。

 

 

 

 

 民謡日和 吉岡 都の民謡Weblog(2006.8月~総集編民謡ブログ) 


「風の盆」八尾の子ども達

2009-08-26 | 越中おわら  風の盆

 


「 風の盆 」

八尾の子どもさんのphoto.

小さい時から「おわら」が染みついているんですね。


そういえば、わたし達も学校を休んで((^-^;)
Only「風の盆」の三が日でした。
浴衣がぐだぐだになるまで唄い踊り
草履で足が痛くなって・・・。



二百十日の風が心地良い~昭和のノスタルジー。

 

 微笑ましいphoto.

 


越中おわら・風の盆

2009-08-26 | 越中おわら  風の盆

 

越中おわら・風の盆


遥か遠い昔の、おわら「風の盆」の写真です。
撮影者は父と私。私には一眼レフは重たかったですが、良き思い出に。

 

二百十日の風に流れてくる

「おわら」の音、なんともいえないですね。

唄・三味線・胡弓・踊りが一体になり夜更けていきます。



この柄の着物を纏(まと)える踊り手さんは一握り。ステイタスのシンボルのお着物です。

 

薄灯りのぼんぼりのなかでの

「 越中おわら・風の盆 」

哀愁漂います。

特に、諏訪町にはたくさんの思い出があります。

 


「越中おわら節」めぐり

2007-05-29 | 越中おわら  風の盆

 

富山県の代表民謡 越中おわら節 修行(練習)の合間に立ち寄りました。
“おわら巡り”は楽しいですね。

おわら「風の盆」以外の時期の富山市八尾町は、時間がゆっくり過ぎていくような心地よさを感じます。

越中八尾観光会館(曳山展示館)は、見応えあります。
勇壮で雅かな曳山が展示されています。

和紙の製造と繭から生糸をつくる「糸くり」と、
染色仕事の時に唄われたのが越中おわら(節)です。





その他にも黒部や世界遺産の五箇山(&岐阜県の白川郷)の合掌造りの里など、
見どころがたくさんある、「富山の民謡巡り旅」はオススメです。

 


『越中おわら』巡り

2007-05-29 | 越中おわら  風の盆

 

 

 

富山県の代表民謡 越中おわら節 修行(練習)の合間に立ち寄りました。
「おわら巡り」は楽しいですね。



おわら「風の盆」以外の時期の富山市八尾町は時間がゆっくり過ぎていくような心地よさを感じます。

越中八尾観光会館(曳山展示館)は見応えがあります。

勇壮で雅かな曳山が展示されています。



和紙の製造と繭から生糸をつくる「糸くり」と、
染色仕事の時に唄われたのが、「越中おわら節」です。

 

 

 

 

その他にも、黒部や世界遺産の合掌造りの集落「五箇山」(&岐阜県の白川郷)の合掌造りの里など、

見どころがたくさんある「富山の民謡・巡り旅」は、おすすめです。