8月15日(月)
母の介護のため、午前5時にやっと就寝。
不意の腰椎圧迫骨折から、約3週間経つ。
約5分前、母、カルピスをストローで飲み、「あ~おいしい~。」と言う。
母が眠りにつくのを見とどけて安堵。 私、二階に行く。
数10分前に某物まね芸能人の話題で、母と私、談笑。前日に観た、EXIL..とAKB...の番組の話題もする。
日にちを遡って
8月12日(金) 家族全員でTVドラマ「犬の消えた日」を観る。
母、幼少時ながら戦争を体験しているので涙す。娘も。
バニラアイスが美味しいと満面の笑みの母。
食欲が戻りつつの様子、ひとまず安心。
何ら普段とかわらない「日常」。
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ゴミ出しの日なので、同日午前6時30分に起床。部屋の掃除を軽くしてから洗濯機を稼動。
母の寝ているベットの横に置いてある棚の上のコップのお茶の量、
私の就寝前の時より半分くらいに減っていた。
カルピスはそのまま・・・。 あれから口につけていない様子。
いつもなら2時間に一回は起きて、コップの中の飲み物全部飲み干すのに...と思いつつ、、、
新しいお茶(やや冷えた、「かおりちゃん・お番茶」が母の好み)を、いつもの位置に。
母、よく寝ている様子。
午前7時。 部屋の温度 28℃ 湿度 65%
母の寝室の電波時計で確認する。
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同日午前10時。 母、暑苦しい様子。
エアコンの温度を 29℃ 設定から 28℃ に。
しばらくすると、母、いびきをかき、いつものように、、寝付いたと思う、、、わたし。
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同日午前11時30分。 おそらく、この時刻であろう。
永遠の別れになるとは、、、露知らず・・・。
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同日正午。 終戦記念日のサイレンが高らかに鳴り響く。
直後、母の異変に気づく。 約5分後、救急車到着。
車内で、隊員と病院側の物々しいやり取りがきこえる。
車は動かず自宅前の道路で停車したまま..約30分経過。
救急車中の母、隊員と私と娘の問いかけに反応する。
目はきちんと開いてる。脈拍、血圧ともに正常に近し。
病院4件、受け入れ拒否。 どこもベットの空きがないと。
突然で・・・
不意の・・・・・・
こんなことに
まさに...青天の霹靂で・・・・・・。
死因 脳梗塞 左内頚動脈閉塞症 でした。
まさか本人は死ぬなんて思っていなかったし
最後の最後まで助かるまでとがんばっていました。
・・・悔しいのです。
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starting overとは日本語で新たなる旅立ち、再出発をあらわす。
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<後書き>
救急車内から5件目の病院のICUの母の傍らで娘はずっと振り絞るように泣いていたが、
私は、どうしてなのか、、、涙がでてこないのです。
「この世で“たった一人の親”」と、もう二度と会えないのに・・・。 震災の影響・・・計り知れない。。。
悲しみが深くなればなるほど・・・涙が出なくて・・・泣けないのかもしれません。
脳梗塞 脳疾患
サイレンの音、電話の呼び出し音・・・トラウマになりました。
http://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/11/f2/45b0f76ff9a91f9e0f8f202a5446403d_s.jpg
葬儀の後 富山の妹とdaughter.