加古隆 「黄昏のワルツ」 富士山
色々な富士山の姿を、お楽しみください。
私の父(享年52歳)。 大好きだった富士山。
昔から現在に至り、赤富士の絵画 わが家のいちばん目立つところに(壁)に飾られています。
2011-01-31 21:00:00
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富士山 イコール 「謙良節」という図式がなぜだか子どもの時分からあります。
最近気づいたのですが私、自然と「民謡・頭あたま」になっていましたね。
39年前に民謡と三味線を始め(祭りのとき等、父や親戚の民謡を胎内で聴き)、まさに、「三つ子の魂..」なんですね。
北日本民謡舞踊大会 が今年で38回。 第1回目からアトラクションで出演しているので...。
第一回大賞受賞者であります、「中田好美」先生が、私たち姉妹の踊りの師匠です。
どうでもいいことなので軽く聞き流してくださいね。
新川JC(新川青年会議所)のこと、私たち姉妹の会話限定のみ「新川古代神」で通じます。
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母と私親子で商売していた治療院 富山市諏訪川原 には、たくさんの思い出が。。
諏訪社(氏神様)の「玉垣」に母の名前 (吉岡京子)が、電停(路面電車の駅のこと)側にあります。
私の名前も・・と当時勧められましたが、若かったので辞退しました。 う~ん..惜しい選択...。
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わたし、母がなくなってから、一回もテレビを観てないのです。
なくなる前日まで、ごくごく普通の日常で、母と歓談しながらTV観て...。
まあ、忙しく動きまわり自宅でゆっくりしている時間が極端に減少したことも一因で。。
現在、救急車の音・・・・・「深い」心のトラウマになりました。娘も.....。
・・・昨年末から普通にTV観てます。
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子どもが生まれてから最近の母の写真がなくて遺影の写真に困りましたが、なんとかなんとか..。
両親とも突然で、「心」してないお別れになりました。
・・・突然でしたが長患いしなくて、本人も、私たちも、今になって、良かったと思っています。
※「・・・」から始まる文章を追加しました(アンサー記事)。
2011-09-12 22:00:00