民謡 2006.8月~総集編民謡ブログ

吉岡 都の民謡Weblog 「民謡は心のふるさとです。」

民謡 吉岡都

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<お知らせ>

商店会寺子屋「茨木童子」10月7日(木) NHK総合テレビ「ニューステラス関西」(18時10分から) をご覧くださいね。ニュースにdaughterと私登場します。同日、読売新聞より同内容で取材されました。「10月25日放送 4:30 - 5:00 NHK総合 「NHKニュースおはよう日本」 (特集) 後継者不足などから商店街に増えてきた空き店舗を現代版の寺子屋にし、街全体を活性化させようという取り組みを、大阪府茨木市の商店街が行っている。1時間500円で、算数や国語の指導をしているという。」 ttp://datazoo.jp/w/%E5%90%89%E5%B2%A1%E9%83%BD/4565767  

越中民謡の宝典

2014-10-29 | 民謡ライブラリー

民謡とは、四季の農耕の祈りの唄であったが、今後とも人間の続く限り、唄い続けて我々と共に歩むものである



 

 

庶民がはぐくんできた各地の民謡は、言うまでもなく、貴重な文化遺産です。

本書は、富山県に伝承されている250余種目の古楽・民謡及び主なわらべ唄50余曲を採録・採譜した“越中民謡の宝典”です。


https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/0d/ed8f0d57c5c90ce37d378fef9781d557.jpg?random=be00055485abec0a25ec1cb9964ea448







 越中おわら歌詞

仇やおろかで そわれるならば

神にご苦労は オワラ かけやせぬ


おわら踊りに 笠着てござれ

忍ぶ夜道は オワラ 月明かり




  字余り

隅田川 清き流れの私の心

濁らすのも そなたの オワラ 胸のうち


ままになるなら 京の三十三間堂の

仏の数ほど 手代や番頭をたくさん置いて

そして三万三千三百三十三軒ほど

支店を設けて オワラ 暮らしたい




  五文字冠り

井田川の 水で仕上げたあの糸のつや

元は山家の オワラ 姫小繭





  長囃し

三千世界の 松の木ゃ枯れても

あんたと添わなきゃ 娑婆へ出たかいがない




民謡ブログの読書感想文

2014-10-14 | 民謡ライブラリー


越中おわらの歌詞

 

 親の意見と 茄子の花は

   千に一つも オワラ 仇はない

 

 

 

北陸銀行本店前。中教院前通り。

昔、路面電車が走っていました。

 

お祭りのとき親戚の家で皆集まり「民謡で始まり民謡で終わる」ことが、

他県より比較的多いと思います。  祭りが盛んな土地柄でもありますね。

イベント以外の普段の日常においても、民謡が自然に生活に溶け込んでいたような気がします。

小学校の運動会の団体競技では「といちんさ(節)」を生徒全員で踊り、中学の運動会では、

「越中おわら節」を先生方や生徒の親御さんも参加し、おわらの「輪踊り」を致しました。

 

 

市内各地の小学校で毎年開催されていた音楽会のプログラムの一部です。

 

日本語      中国語

 

 

富山(越中)には素晴らしい民謡がたくさんあります。

富山県の「呉東」では、

魚津市の「布施谷節

新川地方の「新川古代神」、「新川松坂

黒部市の「せり込み蝶六」「しばんば」など..まだまだ~。

 

富山(越中)民謡の魅力は書ききれないほどで、

地域が変わればテンポ良し、哀愁漂う、風情民情豊か、と曲調のバリエーションが豊富。

わたしの、民謡ライブラリーの中で、大好きな民謡に入ってます。

全国各地の民謡も幼少時から聴き、唄い踊り弾いてるので、お気に入りがたくさん有ります。



 

 

富山県「呉西」の南砺市(吉岡家のルーツが現・南砺市)。

 五箇山の麦屋節

こきりこ

 

帆柱起し祝い唄のワンシーン

米国の友人がピンクレディーみたいだって...-(

 

 

昭和51年(1976年)頃は民謡スケージュール帳がビッシリ(いい時代ね)。

 

いやあ~、忙し過ぎて記憶にないですねえ。

 

 

縮小画像はクリックで拡大表示します。


 

この画像記事の文面に記載の桜木町の料亭とは、「海老亭」の本館かもしれませんね。

当時演芸のかけもちが多くて記憶が曖昧ですが、週に3回は海老亭さんに行っていたかな。

 

 

 

 

北日本民謡舞踊連合大会水橋大会と、キンカンこども全国大会の当時のビデオ(1978年・S53年)

 

 

 

 「ソーラン節」(北海道の民謡)

 

秋田県の民謡「長者の山」の踊り。 

 

あわせて民謡踊りの記事もどうぞ。

 

 

☆私「五箇山」にお嫁にいく筈なのでした(結納も式場も手配済み)が、

 申し訳ありません。都は名の如く都会型人間でした。時効になったお話です★

五箇山豆腐」は大好きで今でも食しています。

 

 

富山(越中)の民謡呉西」編では「福光めでた」「夜高節」も、好きです。

そして、郷土の伝統芸能では新年の「福光もちつき太鼓」が恒例行事で、楽しみのひとつでした。

 

郷土の民謡はもちろん、「日本の民謡」は、心のふるさとですね。

 

 

 

 

親戚・家族がお好みの「鱒の寿し」。

富山市の諏訪川原七軒町丸の内辺りが「鱒の寿し屋さんのメッカ」です。

我が家と親戚は、諏訪川原の「関野屋」さん(漢字表記の方)が好きです。

関野さんは諏訪川原の吉岡治療所の患者さんで親しみもありますね。

「関野屋」さんの寿しのお味は「至妙」。

 

 

 

 

高岡市の民謡「弥栄節」 やっがえー♪

 

 

八尾「風の盆」越中おわら節

母と泉。

 

この八尾の町のお寺さんが着替え所と休憩所。

越中八尾「風の盆」、毎年行ってましたね。

おわらの町流しでは唄う順番が決められてないので(私たちの団体だけ?)

複数の方と唄が重なるのです。民謡日本一のひとみさんとよく泉がダブってツイン合唱状態に..。

調子は男女ともに「一尺8寸」。おわらは原則一息(ひといき)

五文字冠り字余りも一息。

 

私の現在の八尾の胡弓の師匠の師匠のお宅に毎年お世話になり、ありがとうございました。

 ※父の弟が「八尾」の水谷に居住(約50年)しておりますが、工業団地方面なので八尾の町が遠いのです。

 

 

 

 

民謡ブログの読書感想文をいただき、

書いてくださった友人の承諾を得られましたのでご紹介致します。

 

 「民謡のことよくわかんないけど、「新川古代神」が一番好きです あのテンポがいいね。

 幼少の頃、祭りの時、親戚のおじさんたちが酒のんで、よく歌っておられました

 あと、父親の車の中に全国の民謡のカセットがあってよく 聞いてました
 みやこさんの言うとおり、富山の民謡は一番いいって思った記憶があります

 おわら、こきりこのような哀愁ある曲よりも、新川古代神、麦屋節のような

 テンポのよい民謡がすきだなあ」


 

新川古代神 ヤッタリートッタリ♪


 

読書感想文の内容から同郷の友人とわかりますよね。

民謡を知らなくてもこんな素晴らしい民謡論が書けるなんてすご~いです。


 



私たちが住んでいた所の写真。

友人の文面と写真から故郷の四季折々の風景が目に浮かんできました。

(東京、大阪へと行く前までの我が家では最も短い期間のわび住まい)

ありがとうございました。(此処portal確認OK)。

すっかり忘れていた人ですが・・思い出しました。Inoue-S君の降臨で。

 

 

別件

ある方が(昔から、普段会話してない間柄)、

私に投げかけた言葉

The grass is always greener on the other side of the fence.

引用が間違ってます(笑)

私は自分の歩んできた道程と現状に満足しています。

あなたの親御さんの発言にはびっくりしましたけど、、

(現在私の両親が他界しており引き合いに・・・出せないですが。)

 

 

東京での内弟子の後、

学校を出さしてもらい(親の強い要望で)、

人並みに社会生活を営み(バイトや会社勤め(正社員)など)、

若いうちに結婚ができ(相手の強い要請で?^^;)

そして諦めかけてた頃、奇跡的に子が授かり、

趣味の「民謡」ができて(子ども(たち)に未来へ繋ぐ架け橋になり得たらと)、

本当に「幸せ」だと思います。

皆様に心より感謝。

 

 ・・念の為に。自意識過剰ではなくて、いつの世も現状に不満があると前進しないので・・・。


 

この記事は少し前に記述しましたが全文が消えてしまい、

記事のタイトルも書き忘れ思い出しながら再投稿しました。

最近顕著に物忘れがひどくなり、

そして体に表れてきまして...。

自分なりに気丈夫に振舞っていても、身内の不幸はこたえますねぇ。。

また、新しい環境に忙殺され、なにかと頭痛の種であります。

しっかりしなくちゃいけないですね。

焦らずがんばりましょう~ワタシ☆ 

富山の女性はその昔(1918年)米騒動を、

起こしたので、とてもたくましいのです・・・(ヘンな文の流れ)。

なので?本来は私メンタルとても強いのですよ。

でも病弱やね、自分う~ん..私も娘も未熟児で免疫を高める母乳で育ってないからかしらん?まぁ関係ないでしょうけどネ。

 

 

ところで、やはりサーバーが重くなるのです、朝または昼にアクセスすると..。&.(..

サーバーが重いのは高岡の会社からの模様。 高岡 うちのFCの社長が高岡でした(汗)

 

銅器、漆器、アルミ、万葉の里の高岡

 

 (高岡市(と氷見が重複しますが)イコール 藤子不二雄先生(忍者ハットリくん)、

風吹ジュンさん、山田辰夫さん、涼風真世さん、朝ドラ元ヒロインの加納みゆきさん

らが、咄嗟に脳裏に浮かぶ「富山県人的思考?頭あたま」の私)。

 

 

そして高岡といえば、

幼少時から親戚と家族で、毎年GWは二上山方面にドライブと筍料理を堪能してました。

西田(さいだ)のたけのこ」、これからですね、いい季節。楽しみです。

 

 

(^^;)

 

家族で福野(現・南砺市)の高瀬神社に参拝しましょう~ね。

私達の、ご先祖様の、産土神社です。

 ※母のドレス、高岡市の老舗洋装店にてオーダーメイド

「木彫りの里」井波にも行きたいな。井波の名水巡りもいいですね。

後、「庄川温泉」でのんびり。

大昔からうちのGW地元エンジョイ・コースです(「富山ローカルの休日「呉西」編」コース)。

 

 

3年前より、寂しくなりましたが、、

私がよくなったら、子どもにいろんな所へ連れていってあげたいと思います。

両親が私たち姉妹に愛情をそそいでくれたことに感謝。

・・・身となり糧に、支えになっています。

 

 

 海外旅行もいいですが、

(市海外派遣団の経験、結婚後のLA生活で得るものが大きかったです)

自然の恵みが存分に繁り栄え、お祭りも郷土色豊かで生粋富山県人の私の自慢の故郷です。

 

山菜採りは私は慣れておりますが、

有峰音川線沿いの麓付近にうちの患者さんで山菜採りのプロ(明治生まれ)のご婦人とよく行きました。)

娘はアカンでしょうね、虫を見たらパニック。けたたましいくらいの絶叫の嵐。コンクリートジャングル?の大阪でさえも。

いえいえ~、虫なんか、、すぐ慣れますからっ。 て、実は私も虫は(ヘビはもっと苦手)苦手なんです。。。

                                                                                                                       

 

 

民謡日和 吉岡 都の民謡Weblog(2006.8月~総集編民謡ブログ


南砺平高等学校 郷土芸能部

2014-10-03 | 民謡ライブラリー

 平高等学校郷土芸能部 こきりこ・ささら踊り

 


民謡はその土地の風土、民情の香りがするもの

南砺平高等学校郷土芸能部は、

その地の息吹が感じられる本来の民謡のすがたではなかろうかと思います。

 

『息吹

・息を吐くこと。呼吸。

・生気や活気のあること。


記事「民謡は心で唄う」、加筆しました。

 

 

南砺平高等学校郷土芸能部第38回全国高等学校総合文化祭・(いばらき総文2014)郷土芸能部門の伝承芸能部門において

最優秀賞である文部科学大臣賞を受賞しました。部員48名です。 平地域上梨地区の「こきりこ館で、受賞報告会を行いました。

  ※富山県立南砺平(なんとたいら)高等学校


 

拙ブログのエントリー

郷土芸能部 八尾高校郷土芸能部 も、あわせてご覧くださいね。

 


民謡の祖

2014-10-03 | 民謡ライブラリー

民謡とは、四季の農耕の祈りの唄であったが、今後とも人間の続く限り、唄い続けて我々と共に歩むものである



カテゴリー民謡ライブラリー にて、越中三民謡
「越中おわら節」と「こきりこ節・筑子唄」を投稿していなかったですね。
  ~麦屋節は投稿。


この三曲は私にとって大切な民謡で、ふるさと富山が誇る民謡であり
地元の宝の民謡という認識が、今現在も強く根付いています。

「越中おわら節」「麦屋節」 そして、「こきりこ」も 本当にすばらしい民謡です。


こきりこ・筑子」は、本最古の民謡といわれています。





こきりこ」 情緒があり、つくづく良い民謡と感じております。
五箇山の風情や民情が心に沁み渡り、地元の「音」は誠に崇高。



五箇山民謡の「といちんさ(節)」と「お小夜節」も、

「こきりこ」と双璧を成す良い民謡です。



 

こきりこ節を唄っている「よしおか姉妹」。 おそらく「呉羽ハイツ」で。

日本民謡大賞  で、民謡日本一(越中おわら節)、栄冠の座に輝かれた鈴木実さん、

なぜだか、太鼓(鳴り物)と司会を。

 


日本民謡大賞とは

  日本民謡大賞(にほんみんようたいしょう)は、1978年から1992年まで毎年10月に日本テレビ系列で放映された特別番組。

  正式名称は「輝け!第○○回 日本民謡大賞」。毎回生放送であった。   wikiより

 

 

 

今では想像し難い民謡のポジション、当時の民謡界では珍しくないことでして、よくありました。


 


「♪ハァ~姉も良いけど~妹に~」 飴売り唄の歌詞は今も姉妹のテーマソングです。(飴売り唄・秋田県の民謡)

 


「お小夜節」は 過去記事 “民謡の祖” で投稿しましたが、

投稿のタイミングが、全国紙の朝刊とブッキング(偶然)。 シンクロニシティ

       

 1枚目と2枚目の画像

舞台(1976年始め頃・昭和51年)で、「こきりこ節」と「花笠音頭」「ソーラン節」の三味線を弾かせていただきました私たち姉妹。

最上段の画像(舞台の画像)は、幼くてまだ足が床にとどいてないですね。