癌患者の8割は最後まで病気と闘いつつ、死を意識せずに普段通りに過ごしたいと考え
医師や看護師は、将来の病状の変化や余命を知って死に備えることを重視する
…という東大の調査が発表された。
記事 (http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090114-OYT1T00778.htm) によると
医療者の回答は、自身が患者になった場合のことのようにも読み取れる。
私も、余命宣告ってなんだろう?と思う。
そもそも人は誰でもいつか死ぬが、その日に備えてカウントダウンして生きる人はいない。
日々を生きているうちに寿命が尽きて終わるのだ。
それは病気になった人でも変わらない筈だ。
医師は客観的に病気(の経過と結果)を俯瞰する。
何度も悲しい経験を経て最善だと思うことを言うのだろう。それは正しい判断かもしれない。
でも誰にとっても自分の死は未体験で一度きりだ。前回も次もない。人生も、闘病も然り。
もちろん暮らし方は変わるだろう。病気に合わせた暮らし方になるだろうし
そのために必要な情報を告知する必要はあっても
何ヶ月とか何年とか、言う必要があるのだろうか。
そんなに正確でもないことを知って、何かいいことあるだろうか。
(責任上引継ぎがあるとか必要な場合もあるとは思う)
病気も健康もどちらも同じ自分の体で、病気は自分の一部であって全部ではないのに、
ある日突然発射台に乗せられてカウントダウンが始まるなんて。
積極的治療と緩和治療の間にラインを引くのもどうかと思う。
医療者にとって、病気と闘うということは「治療する」という意味だろう。
でも患者にとっては、病気を持った状態で生きるという意味を持つ。
生きてる時は夢を見れる方がいい。闘いの中ならなおさら。
実現の可能性なんか誰も聞いてない。
最新の画像[もっと見る]
-
“VIVA Hysteria” 初DVDだよ全員集合♪ 11年前
-
電子書籍版マリアージュ配信中です。 11年前
-
脱稿! 11年前
-
新作配信のお知らせ 12年前
-
最終話配信中♪ 12年前
-
近況 12年前
-
オヤジズム3月号配信中 12年前
-
表紙 13年前
-
OYAJISM 1月号表紙 13年前
-
散歩 13年前
当然ながら、がん細胞も自分の体の一部で闘病というのも何かへんです。
私としては、仲良くがんと共生できればと思っています。
ここまで生きてきますと、余り怖いものはなく、死に様は生き様につながるわけで、じっくりと先に逝った人たちを観察させてもらっています。
今、私は戦前戦後の大昔の日本映画に親しんでいます。
当時の死生観がとっても参考になります。
戦前の「人情紙風船」「一番美しく」等々
そこには、きっちりとした日本人が描かれてい
ますから・・・。
駄文失礼致しました。
それではおやすみなさい。
免疫の話ですが。精神的には共生してるって言えるくらい気楽に構えることが、免疫を助けることになるそうです。
ここの記事は、ある40歳代のがん患者のことを思って書きました。その人は積極的治療が何もできないまま、告知から2ヵ月でホスピス入院となりました。