寒い寒い朝です
ひめちゃんは赤柴の超老犬・プーちゃんの前を通って、堀之内の西を歩いてきました。
プーちゃんは朝日を浴びて、元気にひめちゃんに呼びかけます
この冬も、生き抜けそうだね
2020年2月、獅子丸が実家に帰って8ヶ月の頃の黒柴家族です。
この2月は、常広寺のインドツアーに参加しました
少しだけインドの犬たちです
各自が自由に生きているようでした。
まれにヒモで引かれている子もいました。
長尾方彦間責め勢揃えの事・その2
白石承まわりて曰く、「されば新田より桐生を乞い給いしより以来、新田、足利に対しては佐野殿これを承まわりなば、立腹は必定なり。この度また飛駒落城に及びなば、宗綱(佐野領主)程の短気の大将、片時も待ち居るまじ。唯、雷の落ちるが如く、出陣は必定なり。先達って桐生、小俣、新田に御内談なる所に、味方を集め、城の要害を拵え(こしらえ)、その以後思し召し立ち給えば、是れ敵を居かから討ち戦いするもの、はかり事と存じ候」と、礼儀を正して言上す。
この部分は、よく意味が分かりません
この作者は、自分だけ分かって、話を続けてしまう傾向があります
事情を知らない者には、何が何だかわからないということがよくあります
まあ、おおざっぱなあらすじです
(足利城主・長尾則長は、12月29日に白石豊後を呼んで、明日がチャンスだから飛駒の城を夜討ちにしようと提案しました。)
白石豊後は、「飛駒が落城すれば、佐野宗綱がすぐに出陣してくるでしょう。桐生や新田や小俣とも連携して、十分準備をしてから出陣するのがよいでしょう。」と、言上しました。
足利側でも、戦いの準備をしていたということになりますね
現在は、足利から佐野へは、須花トンネルを抜けていきます
須花トンネルは、明治のトンネル・昭和のトンネル・大正のトンネルと3本並んであります。
左側の明治のトンネルは、なんと手掘だと言います
明かりの向こうが足利なのです
真ん中の昭和のトンネルが、現在使用されています
昭和のトンネルの向こうが、大正のトンネルです。
その大正トンネルの上に、佐野宗綱討ち死の地があります。
天正13年(1585)正月、佐野宗綱は足利の長尾顕長(則長)と戦うために出陣して、ここで討ち死したといいます。
(訪問は2017年の1月です)
初稿 2020.05.01 FC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」
改稿 2025.02.20
(つづく)