goo blog サービス終了のお知らせ 

黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

上飛駒の城へ忍び寄せけり(長尾方彦間責め勢揃えの事 ・ その 3)

2025-02-23 20:03:32 | 桐生老談記の世界

風の冷たい寒い日が続いています

でも、ひめちゃんはしっかりお散歩に出ます。

アブラナが少し伸びてきて食べられるようになりました。

今日の夕ご飯には、ゆでたアブラナが付きました

ひめちゃんもタバサねーちゃんも完食です

 

2021年3月、アブラナ大好ききょうだいのアーカイブです

ひめちゃんは、獅子丸から生のアブラナが食べられることを教わりました

タバサねーちゃんが、生のアブラナを食べることはありません。

でも、ゆでたアブラナは残さずたいらげます

 

 

 

長尾方彦間責め勢揃えの事 ・ その 3

則長また仰せられけるは、

「もっともなれども、それはいにしえ摂州渡辺にて梶原が義経を諍(いさか)いし迷路の軍法に似たり。則長いまだ敵に向かはざる先に、味方城の要害を致すこと、小児に具足の支度をするに似たり。左様の逃げ道の軍法、用いるに足らざるなり。急に勢を揃えて、田浦坂の寄居に籠め置き、短兵旧に取り掛けて夜討ちして取りひしがん事なんとかあらん。」と。

仰せに依り、白石既に着到致し、白石豊後大将として、荒居、大沼、市川、久米、岡田、関口、小菅、湯沢、小柴、小林、三俣、丸山、川田、久保、名在る人々十四人以上は、百三十騎、田浦坂の寄居に酉の刻ばかりに催し、上飛駒の城へ忍び寄せけり。


ちょっとわかりにくい表現が続きます
荒いあらすじです

則長は言いました。
「敵を攻撃する前に要害の準備をするなんて、子どもに具足をつけるようなものだ。そんな逃げの軍(いくさ)はダメだ。急いで軍勢を整えて、田浦坂の寄居に籠め置いて、一挙に夜討ちして上飛駒の城を取ってしまおう。」」と。
白石は総大将として、荒居、大沼、市川、久米、岡田、関口、小菅、湯沢、小柴、小林、三俣、丸山、川田、久保の名のある人々は人々十四人、その他、百三十騎、田浦坂の寄居に酉の刻(午後6時前後)ごろに集合して、上飛駒の城へ忍び寄りました。



長尾則長(顕長)は、上飛駒の城を一挙に取っちゃおうとしています
飛駒は、上飛駒と下飛駒があるんですね。
上飛駒はどこら辺か?


須花のちょっと先、彦澗川の上流に根古屋森林公園があります。
その後ろの山が要谷山(ようがいさん)です。
ここら辺を想定しているようです

 

色々検索すると、上彦馬村は寛永10年(1633)に近江彦根藩領となりそのまま幕末にいたって、旧田沼町彦馬及び桐生市梅田町4丁目・5丁目だそうです。

桐生の本町通りを北上し、梅田湖を渡って、皆沢八幡宮を左に見て、県道66線をひたすら下ると、根古屋森林の少し下に出ます

皆沢八幡宮は、桐生市梅田超4丁目です


この県道66号線初めて通った時は、こんな恐ろしい道はないとい難儀に感じました
でも、桐生から足利を通らずに、田沼・佐野に行ける大切な道なのです

残念ながら、根古屋森林には行っていません。
目的地が唐沢城だったり、須花だったりなので、右折して下ってます。
そのうちに左折して、根古屋森林と要谷山の方に行ってみましょう

追記  まだ行けてません

 

 

 

初稿  2020.04.23

改稿  2025.02.23

 

( 長尾方彦間責め勢揃えの事 ・終 )

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宗綱程の短気の大将、片時も待ち居るまじ(長尾方彦間責め勢揃えの事・その2)

2025-02-20 11:44:54 | 桐生老談記の世界

寒い寒い朝です

ひめちゃんは赤柴の超老犬・プーちゃんの前を通って、堀之内の西を歩いてきました。

プーちゃんは朝日を浴びて、元気にひめちゃんに呼びかけます

この冬も、生き抜けそうだね

 

2020年2月、獅子丸が実家に帰って8ヶ月の頃の黒柴家族です。

 

この2月は、常広寺のインドツアーに参加しました

少しだけインドの犬たちです

各自が自由に生きているようでした。

まれにヒモで引かれている子もいました。

 

 

 

長尾方彦間責め勢揃えの事・その2

白石承まわりて曰く、「されば新田より桐生を乞い給いしより以来、新田、足利に対しては佐野殿これを承まわりなば、立腹は必定なり。この度また飛駒落城に及びなば、宗綱(佐野領主)程の短気の大将、片時も待ち居るまじ。唯、雷の落ちるが如く、出陣は必定なり。先達って桐生、小俣、新田に御内談なる所に、味方を集め、城の要害を拵え(こしらえ)、その以後思し召し立ち給えば、是れ敵を居かから討ち戦いするもの、はかり事と存じ候」と、礼儀を正して言上す。



この部分は、よく意味が分かりません
この作者は、自分だけ分かって、話を続けてしまう傾向があります
事情を知らない者には、何が何だかわからないということがよくあります



まあ、おおざっぱなあらすじです

(足利城主・長尾則長は、12月29日に白石豊後を呼んで、明日がチャンスだから飛駒の城を夜討ちにしようと提案しました。)
白石豊後は、「飛駒が落城すれば、佐野宗綱がすぐに出陣してくるでしょう。桐生や新田や小俣とも連携して、十分準備をしてから出陣するのがよいでしょう。」と、言上しました。

 


足利側でも、戦いの準備をしていたということになりますね
現在は、足利から佐野へは、須花トンネルを抜けていきます


須花トンネルは、明治のトンネル・昭和のトンネル・大正のトンネルと3本並んであります。
左側の明治のトンネルは、なんと手掘だと言います

明かりの向こうが足利なのです

真ん中の昭和のトンネルが、現在使用されています
昭和のトンネルの向こうが、大正のトンネルです。


その大正トンネルの上に、佐野宗綱討ち死の地があります。



天正13年(1585)正月、佐野宗綱は足利の長尾顕長(則長)と戦うために出陣して、ここで討ち死したといいます。

(訪問は2017年の1月です

 

 

初稿  2020.05.01   FC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」

改稿  2025.02.20

 

 

(つづく)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

飛駒の城を夜討ちして(長尾方彦間責め勢揃えの事 ・ その 1)

2025-02-15 20:06:25 | 桐生老談記の世界

暖かい一日でした

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、大室公園にお出かけです。

今日は北側の駐車場に入り、小二子古墳の廻りを歩いて来ました。

タバちゃんを見ている、赤柴を連れたおばさんがいます

「こんにちは

「自分で歩いてるね うちにも18才まで生きた黒柴がいたんだよ

「それはすごい タバちゃんも、頑張ろうね そちらは男の子ですか?」 

「女の子だよ。」

「じゃあダメだ

その子はひめちゃんに「ワンワン、アタチの方が強いんだぞ

「何言ってるのよ

「バイバイ

 

2021年2月の黒柴家族です。

小次郎パパも獅子丸もいます。

東の牧場には、ヤギさん家族がいました。

ひめちゃんと獅子丸は、よくヤギさん家族に会いに行ってました

 

 

 

 

 

『桐生老談記』 手に汗にぎるわくわくした場面もなく、長い期読んでます
意味不明の表現にも泣かされます
でも、あと少しです。
残りは佐野宗綱関連の話がいくつか、宗綱の死で本編は終わります。
あとは、家臣団の名簿です。
もう少し、お付き合い願います



飛駒の城を夜討ちして(長尾方彦間責め勢揃えの事 ・ その 1)

去る程に、其の頃足利の城主は、長尾下野守則長と申しけるは、新田城主由良信濃守成重公の御舎弟、足利に入られて、長尾の御名跡を続かせ給う。

頃は天正十一年(1583)の極月(12月)二十九日に、御家臣白石豊後を召され仰せられけるは、「先年より下彦間は、当家の領地たれども、上彦間は佐野の支配なり。ねがわくは当家の一領になさんと、多年の望みなりしに、この度よき時節到来せり。その頃上彦間の城主小野兵部之介、大病気におかされ、家中数日かん病に疲れ、城内油断多かるべし、幸い明日は元日の儀式を調えんと、人の気づかざるこそ幸い、宵、密かに勢を催し、飛駒の城を夜討ちして、多年の恨みを達せん」と仰せられければ、


あらすじです。

その頃足利の城主は、長尾下野守則長です。
新田城主由良信濃守成重公の弟で、足利に養子に入って長尾の御名跡を継ぎました。
天正11年(1583)の12月29日に、彼は家臣の白石豊後を呼び出して言いました。
「先年から下彦間は当家の領地だけれども、上彦間は佐野家が支配している。当家の領地にしたいものだ。長年の望みだったけれどチャンス到来だ。ちょうど上彦間の城主・小野兵部之介は大病で、家中は看病に疲れて、城内は油断しているだろう。幸い明日は元日の準備で忙しいだろうから、飛駒の城を夜討ちして、多年の恨みを晴らそうとおっしゃったので、

 



あれ、一般的には佐野宗綱が元日に戦を仕掛けたんですよね。
足利側(長尾則長)が、元日に仕掛けるような書き出しです

それに、足利長尾氏に養子に入った由良成繁(成重)の弟は、顕長(あきなが)でしたよね

領地にしたいという「望み」が、いつの間にか「恨み」になってます

この戦いの舞台・須花(すばな)は何度も行きました。

須花(すばな)


ここは足利領と佐野領の境目だったのです。

 

 

初稿  2020.04.17

改稿  2025.02.15

 

 

(つづく)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

膳城兵火の事、付けたり、渋川勢帰陣の事

2025-02-10 17:19:29 | 桐生老談記の世界

一昨日降った雪は、だいたい溶けています。

でも日陰には残っていて、注意が必要です。

赤城おろしがきつい寒い一日です

近所にキツネが出没するとの話を聞きました

カバ丸をさらっていこうとしたのは、もしかしたらキツネかも

カバ丸は獅子くんの大切なお友達、土に帰って一緒に眠るのです。

キツネさん、邪魔しないでね

 

2020年2月の黒柴家族です

雪の朝の写真がありません

雪は降らなかったかも

 

 

 


膳城兵火の事、付けたり、渋川勢帰陣の事

去る程に、渋川の一旗は其の日、午の刻ばかりに膳の城に取り懸かり、鯨波のどっと作りけり。

されども城中しずまり、何の音もせず。

さて城内を見渡せば、空虚になり、「察するにこの城無勢なれば、越後勢と一所なるとまくりきりにせん、はかりごとなるべし。女渕の城に押し寄せん」と既に評定ある所に、

女渕の城代より、萩田はさる二十一日に直ちに越後へ帰国の由、告げ来たり。

しからば寄せ手の者も手持ちを失い、膳の城に火を駆けて、さんざんに焼き払い、無益の陣を引きにけり。


あらすじです。

渋川家中は、その日の午の刻(12時ごろ)に膳城にたどり着き、鬨の声をあげました。
しかし、城中は静まりかえっています。
「城が空であるのは、越後勢と一緒になっての作戦らしい。女渕の城に押し寄せよう。」と作戦会議をしていたところに、女渕の城代から使者がきました。
「萩田備後守は、(小俣から敗走した翌日)21日に越後に帰国しました。」と告げてきたのです。
小俣勢は膳城に火をかけて焼き払って、引き上げていきました。



膳城の落城は、あっけないものでした
城主・膳備中守の最後も具体的には描かれていません。
もう少し、具体的な描写がほしいところです。


女渕城の位置付けも曖昧ですね
膳城主・膳備中守は、上杉謙信の家来萩田備後守に従って、小俣城を攻めたのです。
なのに、奥方と嫡男は三河の徳川家康を頼って落ちて行ってます

作者の思考がちょっと混乱しているようです
それにしても、膳城と別城一郭といわれる山上城については、何の記述もありません
山上城は、江戸時代の桐生では、無名だったのでしょう

 

初稿  2020.04.14

改稿  2025.02.10

 

 

( 膳城兵火の事、付けたり、渋川勢帰陣の事  終 )

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

内蔵を開き財宝を取り出し家中に残らず配分して(膳の一旗評定の事、付けたり、諸宝配分の事・その2)

2025-02-06 21:00:49 | 桐生老談記の世界

ひめちゃんは昨夜一晩中、体をなめたりかいたりしていました

これはまた皮膚炎が始まったかな

秋に皮膚炎で苦しんでいたタバサねーちゃんは、なんとか大丈夫のようです。

ひめちゃんとタバサねーちゃんの違いは、食物です。

タバサねーちゃんは、配られた食事とお散歩時のツブツブ(ドッグフード)だけです。

ひめちゃんは、現在ほぼ完全に自由な室内犬です。

基本的にはタバサねーちゃんと同じ食生活のはずですけど、人間の食べ物を与える老人がいるようです

要求する犬も悪いけど、人間の食べ物を与える人間はもっと悪い

あげないように気を付けてもらいましょう。

きつく注意しました。

七海ママもアレルギーに苦しんでいた時期がありました。

検査の結果いくつかのアレルギー物質が出ました。

その一つが小麦です。

たぶん、ひめちゃんも小麦アレルギーです。

パンやお菓子はだめです。

今日は無人スタンドで、新鮮なブロッコリーが手に入りました

ひめちゃんたちの夕食にも付きました

 

 

元記事の頃、2021年11月、朝散歩で、ひめちゃん&獅子丸&タバサねーちゃんは、膳城まで足を伸ばしました。

獅子丸くんもブロッコリーが大好きだったね

 

 

 

膳の一旗評定の事、付けたり、諸宝配分の事・その2 

これにより弾正、内蔵を開き財宝を取り出し家中に残らず配分して

「いかに方々、何方へなりとも仕え候て重ねて若君御旗揚げ給う節は、駆けり集まり御先途に立ち給え」と、ねんごろに申し談ず。

其の時若君を上座に直し、御盃を参らせければ、春松殿取り上げ、諸家中にくだされ御暇給えば、皆々袖をしぼりつつ、中にもこの程に付き置かれたる、おちや(守役)、めのと(乳の人)は名残を悲しみて伏しまろび、なげきけりこそ、ことわりなり。

かくて巳の下刻ばかりに、北の方と若君、鶴谷、斉藤、野村を召し連れ、数代の住居を後にみて三州にぞ落ち給う。

思えばあさましき有様なり。

 



あらすじです。


(弾正の「若君はひとまず三河に退くのがよい」という提案に、みんな納得したので)
弾正は内内蔵から財宝を取り出して、のこらず家中に分配しました。
そして、「みんな何処へでも仕官なされ。そして若君がお家再興の旗をあげるときは、一生懸命戦ってほしい。」と、心を込めて申し渡しました。
そして若君・春松殿を上座に据え、家中で別れの盃をかわしました。
みんな泣いたけれども、守役と乳母は、特に悲しがったのは、もっともなことでした。
こうして巳の下刻(午前11時すぎ)に、北の方と若君は、鶴谷、斉藤、野村を召し連れ、膳氏数代の住居を後にして、三州に落ち給ていかれました。
まことに嘆かわしいことでした。

 



膳城には、財宝があったんですね
分けてしまったんですね
後日のために埋蔵金にしておこうなんて、考えなかったのです
「とりあえずどっかの家中になって、若君が旗揚げするときは、馳せ参じてほしい。」、そんなこといわれても困りますね

戦国時代の敗者の家臣は、牢人といわれ、どちらかというと、嫌われたようです
そんなに簡単に再就職は無理です

「若君がお家再興の旗揚げ時は馳せ参じ」たら、再就職していても、仕事をなげださなければなりません。
それは、無理でしょう

若君とその母が、三河目指して落ちていきました。
お供していったのは、鶴谷、斉藤、野村でした。
普通は、乳母や守役は付いていきます。

三河と膳さんは、何の関係もありません
さて、弱りました

 

 

初稿  2020.04.11  FC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」

改稿  2025.02.06

 

 

( 膳の一旗評定の事、付けたり、諸宝配分の事  終 )

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする