goo blog サービス終了のお知らせ 

黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

由良信濃守源成重公家臣 (桐生亦次郎親綱家臣および諸家家臣団・その3)

2025-04-11 21:14:57 | 桐生老談記の世界

今日はひめちゃんとタバサねーちゃんは、お外のお部屋で(サークル)で過ごします。

焼き芋でお昼御飯を済ませてまもなく、ひめちゃんが落ち着かなくなりました

東の方に大きな黒雲がやって来ます

また「アタチ挟まってまふ」のひめちゃんになると大変なので、早々と室内犬です。

夕方少し雨が降りましたけど、雷雨にはなりませんでした

 

2020年4月の獅子丸です

実家に帰って10ヶ月、うれしいときはうれしい顔、不満なときは不満顔、自分の気持ちを遠慮なく表現しています

 

 

桐生亦次郎親綱家臣および諸家家臣団・その3

 

由良信濃守源成重公家臣

横瀬勘九郎    藤生紀伊守    金谷因幡守    金谷丹波守    大沢下総守

林伊賀守     木村伊豆守    丸橋越後守    林越中守     岡田石見守

唐沢出羽守    懸播磨守     益田伊勢守    長山伊賀守    南佐渡守

 

井上出羽守   小金井四郎左衛門  鳥山浄仙     小金井十郎兵衛   江田平蔵

田中庄兵衛   里見七之助     小金井采女    堀口彦五郎     村田左京

篠瀬藤九郎   畑六之輔      細谷善九郎    鳥山主膳      市野井佐兵衛

堀口彦助    尾内修理      金井田伝吉郎   矢場主計      園田彦七郎

引田善八郎   萩原弥吉郎     松木重蔵     浜田内匠助     斉藤織之助

渥見又兵衛   安藤治郎介     長嶋外記     松井半之丞     中根内蔵之助

外嶋源三郎   寺嶋小兵衛     小林虎之介    板橋外市郎     小泉左京

柴山大介    嶋田久五郎     堀越茂左衛門   瀧野辰之介     宮地市三郎

高山平六    坂庭市之介     木戸市十郎    鈴木源之丞     大木内匠之介

根岸彦五郎   藤沼源右衛門    矢場内匠之介   大宝寺勘太郎    生方隼人

青山新介    中瀬小介      渥美源三郎    国定玄蕃      高木内藏介

高木清三郎   広瀬長藏      矢田修理之介   林又重郎      久保田金三

江口兵庫之介  沼尻喜太郎     久永図書     清水三郎左衛門   野村源七郎

内田左門    川上民部      小川彦十郎    松原勘解由     荒上(山)兵部

設楽新八郎   野々山九郎兵衞   金井田左右衛門  小林左近      外山源之蒸

藤田監物    森田左京      金井宗十郎    片山治兵衞     金井新蔵

山田吉十郎   堀越十郎左衛門   亀岡伝八郎    大塚半蔵      戸田半六郞

栗谷五郎八   大嶋喜三郎     田部伊左衛門   梅田半九郎     寺嶋三右衛門

飯田七郎    長谷川由右衛門   天笠甚太郎    須藤重蔵      長澤半十郎

根岸三弥    松田學露      古戸平七郎    林左京     

 

 

 

由良氏の家臣団は95名です。

あれ、「由良信濃守源成重公家臣」と、由良成重(成繁)には、公が付いてます

桐生氏は、「桐生亦次郎親綱家臣」と、呼び捨てです

『桐生老談記』ですけど、桐生の殿様は桐生又次郎親綱と呼び捨てです

由良氏が桐生を支配した期間はさほど長くはなかったけれど、善政をしたと評価されているようです

 

でも、このメンバーの中に実家の本家のご先祖様や毛呂権蔵家のご先祖様がいません

数年前に、舟田善昌館跡の毛呂家を訪問しました。

実家の名字を名乗ると、途端に打ち解けてくれて、色々な話をしてくれました。

400年の子機を経ても、同じ由良家中の意識が生きていたのです

このメンバー、ちょっと疑問符の家臣団です。

 

元ブログFC2では、家臣団は写真で失礼させてもらいました。

黒柴ひめブログは、画像の容量がほぼ限界です。

入力するしかない

人名をコツコツ入力するって、けっこうしんどい

あせらずゆっくり頑張ります

 

 

初稿  FC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」  2020.05.21

改稿  2025.04.11

 

(つづく)

  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桐生亦(又)次郎親綱家臣および諸家家臣団・その2

2025-04-07 14:31:12 | 桐生老談記の世界

桜の季節になりました

4月4日、ひめちゃんとタバサねーちゃんは、満開の鹿の川沼にお出かけしてきました。

 

2019年4月の、ひめちゃんとタバサねーちゃんです

 

 

6年前、みんな若かった

獅子丸は、まだ実家に帰っていません。

 

 

 

桐生亦(又)次郎親綱家臣および諸家家臣団・その2

 

桐生勢新田へ降参人

悪(阿久)沢能登守    松島式部太夫    東宮修理    高草木右京    犬目山城守

神梅右京    平佐大和守    田村(沢)加賀守    和久丸佐渡守    瀧川伊賀守

高瀬丹後守                         右十一人外に数十人有り

 

細川内膳正家臣桐生へ降参の人十二騎

村岡右近之助    八木伝七郎    根津采女   奥布木宮内    畑山庄兵衛

稲鍋庄兵衛     小宮山一学    細淵金弥   松井金五郎    新藤弥平

小川出雲      小川随見

 

佐野より桐生親綱へ付け家老

山崎出雲守    津布久常陸之介

 

 

 

菱の細川家から桐生市に寝返った12騎を本文中の桐生代々の事、付けたり、細川滅亡の事・その 6(誠は家老右京盗み取りて、売買の沙汰あり)で確認です。

 

桐生代々の事、付けたり、細川滅亡の事・その 6(誠は家老右京盗み取りて、売買の沙汰あり)

時に細川の家中、公方軍役には八十二騎なり。

小川出雲、其の子随見、八木伝七郎、奥布木宮内、根津采女、村岡右近、細淵金弥、畠山庄兵衛、松井金吾、稲垣彦兵衛、新藤弥兵衛、小宮山一学、これ細川の十二騎なり。

此の外軽率ども二十人ばかり桐生に隨身す。

されば細川小家なれども、公方軍役に十二騎なり。

また、細川にさまざまの家の宝あり。住吉、隈の、諏訪、宇都ノ宮、北野八幡、高尾、八王子、鞍馬、津嶋これ十二社の神系図あり。聖徳太子自鋳奉る黄金一寸八分多聞天、阿満国の小脇差、国綱の小長刀、細川の系図に添えて桐の箱にこめて秘蔵せしに、此の度破れ見えず。

向かいたる諸士にかくしたる由と常陸之介讒言に依って、さまざま吟味あれども更に出ず。甚だ過役として、其の人々を半地せらるるこそ無法なり。

誠は家老右京盗み取りて、売買の沙汰あり。所々にて買い取り寺社の宝物となるこそ分明なり。



若干の違いはありますけど、写し間違いや勘違いを考えると、ほぼ同じです

ただしその後に「此の外軽率ども二十人ばかり桐生に隨身す。(此の外の軽率ども二十人ばかり桐生氏に寝返りました)とあります。

カウントされない身分の低いものもいたようです。


細川内膳は、名馬小雀を桐生氏に渡さずに、攻め滅ぼされたと云います。

この話は『桐生老談記』にのみにある話だとか


郵便局の隣に、小雀を祀った小雀観音があります。

細川内膳の物語・総集編(名馬小雀と八条殿)


もとは菱支所のあたりにあったけれど、道路の拡張で、現在地に移ったということです。

菱カルタもあります



「小雀は主君の後を追って舌をかんで死んだ」とあります


細川家の滅亡では、裏切り者が目立ちます
戦国時代の価値観だと、自己の利益優先の行動をとるという選択肢も普通にあったようですね
小雀が舌をかみ切って主人の後を追ったというのは、江戸時代の価値観でしょう。

 

 

初稿  2019.09.24  FC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」

改稿  2025.04.07

 

 

(つづく)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桐生亦(又)次郎親綱家臣および諸家家臣団・その1

2025-04-01 09:38:49 | 桐生老談記の世界

冷たい雨の朝です

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、雨止みを狙ってそこらまでのお散歩です。

余りの寒さに、タバサねーちゃんはまた服を着てます

今日は一日室内犬です。

 

2020年4月の黒柴家族です。

お散歩コースに、桜が咲いています

今では、この桜は切り倒されてしまいました

七海ママは、末っ子達と昼散歩を楽しんでます

獅子丸は、道ばたのアブラナを食べてます。

獅子丸の影響を受け、てひめちゃんも道ばたのアブラナを食べるようになりました

もちろん茹でたアブラナも大好きです。

 

 

 

『桐生老談記』の本文のあとに、桐生家とその周辺の家臣団の名簿があります。
もしかしたら、この老談記の読者にとって、一番の関心はこの名簿だったかもしれません


桐生亦(又)次郎親綱家臣

桐生山城守    同 讃岐守    同 又兵衛    同 源三郎    同 彦三郎

同 小七郎    同 彦右衛門   同 源左衛門   谷右京之進    茂木馬之介

荒井主税之介   荒巻式部     同  新蔵    大谷勘解由左衛門  岩下織部

岩水彦太郎    常見隠岐之守   飯塚又五郎    籾山太郎左衛門   須藤帯刀

伴田久六郎    福田権三郎    箱島牛之助    森下作弥      佐下橋右京之介

風間将監     江原与右衛門   下山監物     鹿貫将監      津久井左京

片山重蔵     下山縫殿之介   中里若狭之守   彦部加賀守     斎藤丹後守

福島出雲守    峯岸志摩守    野田日向守    関口尾張守     小泉豊前守

伊藤右京     書上勘四郎    宮寺左近     稲垣源四郎     不瀬島勘解由

内田兵庫     堀越内蔵之介   木村縫殿之介   野村彦次郎     須永八郎

石原石見守    長井弥市     近藤源内     大津弁之助     加藤勘左衛門

栗原主計     薗田彦六郎    小林太郎助    平源三郎      土田左門 

八次金弥     馬見田新八郎   高橋弥市郎    村上弥太郎     内田馬之助

布目弥次郎    水沼道仙     藍原左近     小泉豊前守     野口源四郞

稲垣主膳     清水磯右衛門   寺田万之助    上泉伊勢守     岩間平吉

川上主計     矢野太郎左衛門  岩見地半弥    中嶋藤助      上泉戸左衛門

岩下外記     根本半弥     丹羽頼母之介   木嶋沖之助     野中松之助

高野与市郎    森下長左衛門

 

 

 

本当かな?

第一印象です。

上泉伊勢守・上泉戸左衛門がいます。

上泉が名字の地だとすると、前橋市上泉町です。

ちょっと離れてます。

上泉は、新陰流の始祖・上泉伊勢守の故郷です。

桐生氏に仕えたという事はなさそうです

 

名字+ミドルネーム+ファーストネームと統一されているのではなく、「名字+ミドルネーム」と「名字+ファーストネーム」が混同されている感じです

山上氏家臣団の名簿と比べると、ちょっと不統一の感じがします

新里には、中世に上野国山上にいた山上氏家臣団の一覧なるものが残されています

「我が家は新里に700年もいる古いウチなんだ」と狂喜乱舞している人もいます

でも、専門家の先生によると、これは近世の創作です。

そして、「名字は当時ここらにいた人の名字、ミドルネームはそこらにいた人の名前でしょう」とのことです。

 

それに、桐生氏は実は佐野氏である事が分かったのは近年です

普通に考えれば、家臣団はもっと不明でしょう

やはり、実際に付近に住んでいる人の姓名が元になるのでしょう。

専門家の先生によると、「武士でなくとも、普通は名字を持ってた。使わなかっただけだそうです。」

 

 

 

 

初稿  2020.05.21

改稿  2025.04.01

 

 

(つづく)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

魚鱗につらね、鶴翼に開き(家綱討ち死に前裏の事、付けたり、家中友軍の事 ・その 2)

2025-03-26 20:13:18 | 桐生老談記の世界

晴れて暖かい一日でした

でも風が強い

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、昼間はテラスの自分のお部屋(サークル)で過ごしました。

演技派女優のひめちゃんは、最初はブルブル震えます。

おかあさんがどうしてもおうち犬させてくれないとわかるまで震えます。

見事な演技派女優です

 

2020年5月の黒柴家族です。

ひめちゃんは、まだ演技派女優開眼前です。

獅子丸は実家に帰って11ヶ月です。

パパもママもいて、賑やかな黒柴家族でした

 

 

 

 

家綱討ち死に前裏の事、付けたり、家中友軍の事  続きです。


去る程に家中、主の行衛を見失い互いにせんかたなく、同二日の暮れ時に、越中が宿所へ立ち寄りて、声高に云う、「御辺は足利に縁者ありけるは、長尾方と一味して、主の御出馬を留め、敵を城の辺りに防ぎ置きたかりしを、君ご存じありて、かんどう仰せられける談、御かんどうなるとも、家老の身として主の先途、見届け申さん事、是れ逆心にうたがいなし」と、口々に呼ばわり、時を作りて乱れ入る。

越中少しもさわがず、元心明らかなれば、「君の御行衛知らずなりは追い腹切って、冥途の御供にと思い宛、汝等も後にせん道連れよ」と、「扨(さて)も眼前の主の敵討ち居ずして、忠義を勤むる家老を討たとは、うろたえ者の名、世の常の人にふれけるなり。喧嘩にまけて妻子を討つにことならず。主君の敵は汝等なりと、出て物見せん」というままに、三十余人、魚鱗につらね、突いてかかれば、心得たりと二百余人、鶴翼に開き引き包み、殊に正月二日夜闇の事なれば、手先まかせの闇打声をしるべにおつまへり。

川十文字に破る巴の如く押し廻り、火花を散らして切結ぶ。その内に風上より火をかけ、その上、越中を初めて良等ども大半討たれ、手負い、死者数知れず。

越中も今は是れ迄鳴りと火中に飛び込み、腹切ってほのおにこけて失せにけり。

折節風はげしく大火におよび、いらざる火事を求めて、火中町に至る迄類火あるこそあわれなり。

その後、越後より虎房を宗綱と改名して、家督相続せられたり。

 


あらすじです。


家中は主君の行方を見失ってどうしようもなく、二日の夕方大貫越中守の宿所にやって来ました。


そして、「あなたは足利に親戚があるから長尾とつるんで、御主君の御出馬を留めたのだ。家老の身として、たとえ勘当されても、主君の行方を見届けるべきだ。そうしないのは、逆心を抱いているということだ。」と、みんなで叫んで、鬨の声をあげて乱入した。


越中守は少しもさわがず、「御主君が行方不明になってしまったので、追い腹を切ろうと思っていたところだ。おまえらも道連れせよ。」と云い、また、「目の前の主君の敵を討たずして、忠義の家老を討とうなんて、うろたえ者だと世間に自分たちでいっているのだぞ。御主君の敵はお前達だ。」


激しい戦になりけが人や死者がたくさん出ました。
そのうちに火が風上よりかけられました。
越中守も今はこれまでと、火中に飛び込み切腹して果てました。
折からの強風にあおられて、火は街中にまで燃え広がってしまいました。

その後、越後から虎房を迎えて、宗綱と改名して家督を相続させました。

 



本文は、ここまでです
ああ長かった
やっと終点にたどり着きます
このあと、家臣団の名簿があります。
そのあと、後書きで終になります。
あと2~3回かな?
もう少しだけ『桐生老談記』にお付き合いくださいませ


何という結末でしょう
宗綱が見つからないのは、大貫越中守のせいと攻めてきたのです
これでは、この家中はうまくいくはずなどありません。

「その後、越後から虎房を迎えて、宗綱と改名して家督を相続させました。」、こんなことありましたっけ?

江戸時代中期には、たくさんの通俗軍記物語が書かれたという事です。
語られたり、演じられたり、読まれたようです

「魚鱗につらね、鶴翼に開き」を検索すると、『前太平記』の一節がでてきました。
大貫越中守の最期の場面、『前太平記』の一節とよく似ています
平将門の最期の場面、7人の将門が「魚鱗につらね、鶴翼に開き」戦っています

『桐生老談記』の作者・高橋守行(1716~1766)は、『前太平記』の熱心な読者だったかもしれませんね

 

 

初稿  2020.05.18

改稿  2025.03.26



( 家綱討ち死に前裏の事、付けたり、家中友軍の事  終 )

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白狐一疋走り来り(家綱討ち死に前裏の事、付けたり、家中友軍の事 ・その 1)

2025-03-21 18:14:25 | 桐生老談記の世界

晴れて暖かい一日でした

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、昼間はお外のサークルで過ごしました。

昨日、ひめちゃんとタバサねーちゃんは、女淵城址に行ってきました。

早咲きの桜が咲き始めていました

 

2020年3月、タバサねーちゃんは、女淵城址に行きました

 

元気溌剌、熟女のタバサねーちゃんでした

 

 

 

 

『桐生老談記』 新しい章です。
家綱討ち死に前裏の事、付けたり、家中友軍の事・その1

去る程に、評定に云う、宗綱短気を起こして元朝に駆けだし給う時に、家老の大貫越中留めて云う、今日は元朝と云い、庚申の次の日、俗に言う大悪日の当たり候えば少し御延慮の旨申されければ、宗綱怒って、おろかなる敵に矢を打ちかけられ、悪日なれどもその場を免れ、後日に吉日を見て善の失い返す法やあらん、汝が様なる愚か者は、我が家には勘当なりと、つきはなしてで給う。

不思議や其の時、白狐一疋走り来り、道をさえ切り、或いは馬の尾に取り付き、馬は内に駆け入ること、三度なり。

斯くの如く、さまざまの不思議ありしを、短気に任せ押して出給いしが、はたして相なく失せ給うこそ、あさましけれ、寔(まこと)や宗綱のの給うも一理あり、また越中が云うも、全く其の日ばかり延引すにもあらず、心静かに勢を揃え、打ち立つべきとの心底なりしを、宗綱思慮なくしてかんげんを待ち得ず、かやうの主、才心のたかいの事、是一つの前後なりしが、一城の主たる身、軽々しく一人で出で失い給う事、さながら疋夫の振舞いと、悪名を浮世にまで流し給うぞ、はかなけれ。



題名の家綱は、宗綱の間違いでしょう
宗綱として、あらすじの確認です。

元日に、領主佐野宗綱は出陣しようとしました。
家老の大貫越中は、留めようとしていいます。
「今日は元日で、まして庚申の次の日で大悪日です。少しお待ちください。」
宗綱は怒り、「お前のようなおろか者は、我が家中から勘当する。」と云って出陣してしまいます。
その時不思議なことに、一匹の白狐が現れました。
狐は道を遮ったり、馬のシッポに取り付きました。
馬は三回も戻ってしまいました。
このような不思議なことがあったのを、宗綱は短気にまかせて出陣し、亡くなってしまいました。
宗綱の行為は、まことに匹夫(つまらない人間)の振る舞いでした。

 



家綱と宗綱を作者が間違えたのでしょうか
それとも、書き写していく中で、間違えたのでしょうか

まあ、元日に出陣したのは宗綱なので、宗綱で間違いないでしょう



庚申信仰は、江戸時代にはとても盛んでした。

人間の体内の三尸(さんし)が、天に昇って寿命を司る神にその人の過失を報告するのを防ぐ為に、庚申の夜は眠らないで夜を明かす「庚申待」が行われたのです。

三尸は人間が眠らなければ天に登れません。

したがって寿命を削られることもありません。

戦国時代には、どうだったのでしょう


天正11年(1583)の大晦日は、庚申の日だったのでしょうか?
天正12年(1584)は、甲申(こうしん、きのえさる)の年でした。
宗綱の討ち死にの一つの原因として、庚申の次の日で大悪日だったことがあげられています。



白狐が現れたんですね

なんと神の使い白狐が現れて、出陣を妨害したのです

白狐は、稲荷大明神のお使いで、江戸時代以降は、憑きもの落としや開運出世・商売繁盛の御利益があるとして庶民の信仰を集めていたそうです

 

 

 

 

初稿  2020.05.14  FC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」

改稿  2025.03.21

 


( つづく )

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする