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黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

インド紀行 4(初めての仏教寺院・竹林精舎)

2020-02-20 19:33:34 | インド紀行

ひめちゃんは獅子丸と、堀之内を北に出て、お散歩しました。

今朝の赤城山は、なんとなく春めいてやさしそうでした

ふたりは、都合で昼散歩も一緒でした。

寒いけど、春の足音がしてます

馬酔木(あせび)も咲き始めました。

昔、「馬酔木の森に...」という歌がありました。

この馬酔木の木は、もう20歳は過ぎていると思います。

馬酔木の森になるには、はるかな時間がかかりそうです。

 

 

 

ナーランダ大学跡の後に(七葉窟を遠望してから)目指したのが、竹林精舎(ちくりんしょうじゃ)です。

竹林精舎は、仏教で初めて建設された寺院だそうです。

初期の竹林精舎は、雨期に出家者が移住するための掘っ立て小屋だったといいます。

釈迦は、雨期には竹林精舎にいたといいます。

 

物売りのおじさんもいます。

インドの観光地は、どこもこんな人がいます。

片言の日本語も聞こえます

 

ゲイトをくぐると、別世界です

日本で見かける竹と種類が違うようです

 

大きな池が見えます。

整備中のようです。

 

どこからともなく現れて、同行する犬です。

しばらく同行しました

 

池の周りを廻るように進みます。

大きな仏様が出現しました

新しいのでしょうか?

こちらは、あまり人がお参りしていませんでした。

 

向こう岸は沐浴場のような感じです。

 

今度は金色の仏様です。

こちらは、みなさん靴を脱いで礼拝してます。

 

池にはアヒルがいます。

 

堂宇かな?

金色の仏像が安置されていました。

 

このあたりは、王舎城(ラージギール)で、古代マガダ国の都だったそうです。

竹林精舎は、お釈迦様の説法に感激したビンビサーラ王が竹林園を寄進し、同じく感激したカランダ長者が精舎を建立したということです。

この地で有力な帰依者を得たことが、仏教の発展につながったそうです。

 

 

このあと、「王舎城(ラージギール)の悲劇」として有名な、ビンビサーラ王の牢獄に向かいました。

グレーの牛がいる

インド国旗をなびかせて、乗り合い馬車です

ビンビサーラ王の牢獄の後、釈迦が冬は多く留まったという霊鷲山(りょうじゅせん)に向かいます

 

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インド紀行 3 (『今昔物語集』にもあるビンビサーラ王の牢獄)

2020-02-19 21:48:29 | インド紀行

夕方、ひめちゃんは小次郎パパと、東の牧場の方にお散歩しました。

ヤギさんいるかな?

最初はどこにいるかわかりませんでしたけど、通りに面したフンスのすぐそばにいました。

鼻を突き出して、ご挨拶です

 

ひめちゃんたちは、さらに上のシブヤ沼を目指します。

ここは、たしかかつては鯉の養殖をしていたと思います。

赤城山がなんとなく春めいています

ここには、カモがよくいます。

画面に入りきらないくらい、たくさんのカモがいました

 

帰りがけに、塀の上で、のんびりくつろぐ猫を見かけました。

インドでは、屋外で猫を見かけることはありませんでした。

 

 

添乗員さんの旅のレポートによると、ナーランダ大学跡の次に、七葉窟を遠望して、ビンビサーラ王の牢屋を訪ねてます。

写真を整理してみると、どうもナーランダ大学跡の次に七葉窟、その次に竹林精舎に行ってます。

お忙しいので、落ちてしまったのでしょう。

盛りだくさんの日程、ありがとうございます

竹林精舎は次回に、今日は、七葉窟を遠望とビンビサーラ王の牢獄です。

 

ナーランダ大学跡から竹林精舎をめざします。

途中、七葉窟を遠望です。

七葉窟とは、「釈迦の弟子アーナンダをはじめ約500人が集まり仏教を体系的に文書として記録した第一結集が行われた」所だそうです。

通り過ぎて行くのは、馬車だったと思います。

それなりの史跡なのでしょう。

登るのは大変そうです。

普通に犬がいます。

ここは写真を撮っただけでした。

 

その後、竹林精舎を見学です。

報告は次回に

 

 

竹林精舎の後、霊鷲山(りょうじゅせん)に向かう途中、ビンビサーラ王の牢獄に立ち寄りました。

添乗員さんの旅のレポートによると、

ビンビサーラ王が息子のアジャセ王子に投獄された牢屋をおまけでご覧頂きました。王妃が面会時に体に塗ったはちみつで栄養を取りました。

 

ここが牢獄の跡だと云います。

 

ところで、ビンビサーラ王ってどんな人?

古代インドに栄えたマガダ国(現在のビハール州辺り)の王。在位は紀元前6世紀頃、または5世紀頃。彼の治世にマガダ国はその勢力を大きく拡大した。彼は釈迦の教えを聞き仏教に帰依したと伝えられる。仏典に寄れば釈迦より5歳年少であったという。(ウィキペディア)

釈迦と同時代に生きた人なのですね

なぜ、息子に牢獄に押し込められたのでしょう。

 

いろいろ検索してみると、なんと『今昔物語集』にも登場しているといいます

ところが『今昔物語集』は膨大な分量の説話集で、かの有名な古典文学大系や古典文学集成は、本朝(日本)の部分しか扱っていません

図書館でいろいろ探してみると、少しだけ天竺(インド)・震旦(中国)の話を扱っている本がありました

市古貞次・小田切進編 日本の文学 古典編 22『今昔物語集 上』 (ほるぷ出版 昭和62年)です。

その中に、この牢獄の話がありました。

阿闍世王(あじゃせおう)、父ノ王ヲ殺セル語(こと)   巻3第27
今ハ昔、天竺ニ阿闍世王、提婆達多(だいばだつた)ト得意、智音(ちいん)ニシテ、互イニ云フ事ヲ、皆金口(こんく)ノ誠言ト信ズ。調達(てうだつ)、其の気色(けしき)ヲ見テ、世王ニ語リテ云ハク、「君ハ父ノ大王ヲ殺して新王ト成レ。我レハ仏ヲ殺シテ新仏ト成らん。」
阿闍世王、提婆達多ガ教ヘヲ信ジテ、父の頻婆沙羅王(びんばしゃらおう)ヲ捕ヘテ、幽(はる)カニ人離レタル所ニ、七重ノ強キ室ヲ造リテ、其ノ内ニ籠メ置キテ、堅固ニ戸ヲ閉ジテ、善ク門ヲ守ル人ヲ設ケテ、誡(いまし)めて云ハク、「努々(ゆめゆめ)、人ヲ通ハス事無カレ」ト。

ほかにも説はあるようですけど、『今昔物語集』では、釈迦のいとこにそそのかされたのです

ことの真偽はともかく、約1000年前に、遠く離れた日本で、この牢獄の出来事が記録されていたということに、ビックリです

 

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インド紀行 2(玄奘三蔵の旅の目的地・ナーランダ大学)

2020-02-18 21:06:15 | インド紀行

今日はひめちゃんのお誕生日です

いつのまにか8歳になりました。

世間ではシニアですけど、むーはうすでは1番若手です

夕方は、小次郎パパとお散歩に出ました。

最近ちょっとふっくらしてきたかな?

帰りに、1ヶ所だけあるひめちゃんちの畑に寄りました。

アブラナが摘めそうです。

みんなの晩ご飯に付けよう。

ひめちゃんも首を突っ込んでます。

少しちぎってやると、かじってます。

獅子丸はやたらと道ばたのアブラナをかじりたがりますけど、ひめちゃんはシカトとしていました。

本当は好きなんだ

もっとちょうだい

晩ご飯には、みんなにゆでたアブラナがつきました

 

 

 

ナーランダ大学跡に到着しました。

添乗員さんの書いてくれた旅の記録によると、

ナーランダ仏教大学跡

5世紀に建設され、12世紀にイスラム教徒に破壊されるまで仏教の一大センターでした。中国の唐の玄奘三蔵が国禁を犯しても来たかった場所です。最も多い時で、学生1万人教授1500人がいたと言われています。

 

横を見ると、おやインド犬です。

 

インドの犬は基本的に野良犬だそうです

穏やかそうですけど、気を付けなければなりません

 

入り口をくぐります。

 

よく覚えていませんけど、現地ガイドさんの説明があったと思います。

実はガイドのクマルさんは、有名なガイドさんのようです。

日本のTVにも度々出演したとか

 

この先は、確かに堂宇があったのだろうと思われる空間になってます。

 

左の方に進みます。

 

TEMPLE no 03 とあります。

いくつもの寺があったのですね

この廻りをウロウロです。

除虫菊かな?

遺跡の雰囲気に似合うやわらかな色です

おや、ここにも犬、しかも子犬です

親子でここに住んでいるのでしょう。

黄色いのはマリーゴールドですね

 

振り返って見ると、反対側にも遺構がいっぱいです。

人々が集まってます。

巡礼の人々かな?

その傍らに、自然に犬が寝そべってます

 

 

時間の都合でもどります。

本当はとっても広いようです。

まだ発掘されていない部分もかなりありそうとか。

途中また、クマルさんの説明がありました。

また何の説明か忘れましたけど。

しっかりその場でメモを取らないといけませんね。

反省です

 

付近にあった説明板だと思います。

僧院 No1

まあ、TEMPUL no 1 ということかな?

ここが1番最初に作られ、1番重要な所のようです。

 

 

玄奘三蔵(三蔵法師)の旅の最終目的地がここだったのです

ここが、天竺(てんじく)のナーランダ大学だったのです

(玄奘三蔵は)629年に陸路でインドに向かい645年に経典657部や仏像などを以て帰還。以後、翻訳作業で従来の誤りを正し、法相宗の開祖となった。またインドへの旅を『大唐西域記』として著した。(ウィキペディア)

『大唐西域記』、世界史の授業で習いました

玄奘三蔵の旅の目的地を訪問できたことは、大感激です

 

 

道の反対側にある博物館にも寄りました。

開門前で人間は門の前で待ちました。

犬は門の横から、遠慮無く入っていきます

写真撮影が禁止されていたので、残念ながら映像はありません。

素敵な仏像がいっぱいありました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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インド紀行 1 (古代マウリヤ国首都・パトナへ)

2020-02-17 21:29:27 | インド紀行

今朝は少しの先も見えない霧の中、ひめちゃんと獅子丸はお散歩出掛けました。

自転車の中学生も、目の前に突然出現しました。

堀之内を北に出て、岩神沼に着く頃には、霧も少し晴れてきました。

でも、まだ赤城山は全く姿を現しませんでした。

 

 

2月9日(日)、午前5時に常広寺に集合です。

今回は成田まで小型バスで往復です。

かなりスムーズに成田に到着しました。

折からみんなマスクをしています。

集合場所近くに待機していると、大きなダンボール箱を宅急便屋さんから受け取って、大きな袋に詰め替えているおばさんがいました

マスクです

大量のマスクを受け取っていたのです

 

11:20発のエア・インディアで、参加者20名と添乗員さんとデリーに向かいます。

約10時間のフライトです。

途中、同じツアーのおじさんが、「ヒマラヤが見えていますよ。こんなにきれいに見えたのは初めてです。」と教えてくれました

ちょうど真ん中の列でしたけど、見える窓側まで行かせてもらいます。

何人もの人が、そうして白いヒマラヤ山脈を確認しました

写真を取り損ねたのは残念ですけど、上の写真を見ると、雪をかぶった白いヒマラヤ山脈が思い出されます

 

現地時間の午後6時頃、デリーに到着です。

日本との時差は、-3.5時間ということで、時計を巻き戻します。

現地ガイドさんとも合流し、ホテルに向かいました。

ホテルでは、マリーゴールドのレイをかけてもらいました。

生花のマリーゴールドです

マリーゴールドは、インドで活躍している花のようです。

ホテルの夕食は水が出ません。

飲み物を注文しないと水も出さないとか。

バイキング形式の夕食でした。

おば(あ)さん達は、オレンジを水代わりに喉(のど)を潤しました

食事はおいしかったです。

 

翌朝は、5:00にモーニングコール、6:00出発です。

 

事前に、「朝6時にホテルを出て、午後8時にホテルに到着するツアーです」と、言われてはいましたけど

空には有明の月がありました

大きなお弁当の箱を持ちました。

 

さて、10日(月)はインド国内線にてパトナへ向かいます。

8:20発のエア・インディゴに搭乗です。

1時間少しのフライトだったと思います。

とにかく食べなければということで、機内で食べやすいサンドイッチなどをつまみます。

そのうちに、カップ麺にお湯を差して配るサービスが始まりました

所々に配っているのです

どうも予約して搭乗した人が対象のようです。

結局何も出ませんでした

 

空港で待っていたバスに乗り込みます。

このバスで釈迦の聖地を廻ります。

ここパトナは、古代マウリヤ国の首都だったそうです。

「マウリヤ国」って、どんな国?

ウィキペディアによれば、

(マウリヤ朝)

紀元前317年頃、チャンドラグプタによって建国された。アショーカ王の時に全盛期を迎え、南端部分を除くインド亜大陸全域を統一した。しかしアショーカ王の死後国花は分裂し、紀元2世紀初頭、シュンガ朝の勃興により滅亡した。

チャンドラグプタ、アショーカ王、世界史の授業で習いました。

そうだったんですか、彼らの活躍した場所だったのですね

まず目指すのは、ナーランダ大学跡です。

 

 

あれ、スマホを持ってる

 

歩きスマホをしてる

 

牛と三輪車にトラクターとりっぱな住宅と、なんとも表現のしようのない光景です

 

バイクの2人乗り、3人乗り

 

こぎれいな住宅もあります。

 

信号があります。

ついていない

よく見ると、赤かな?

ほこりにまみれすぎて、分からない

 

おや、紐付きの犬

よく見ると、鎖です。

この子は、つながれて飼われているようです

それにしても、このゴミ

みんな平気です

 

高層マンションかな?

昔ながらの丸太の橋かな?

 

建築資材に竹です

 

ゴミがなければ、いい雰囲気ですけど

 

田園風景です

 

菜の花とブロッコリーを栽培しています。

 

線路がどこまでも続いている?

 

麦畑かな?

 

小型のシラサギです。

旅行中、普通の大きさのサギには、逢いませんでした。

 

おトイレ休憩で寄ったホテルです。

みんな苦労して用を足しました

 

しばらく行くと、バスが止まって、お弁当が配られました。
中華風のおかずが小分けにたくさんありましたけど、なにせバスの車内、食べにくい

 

少し変わった風景になりました

橋にガードレールがないのは、かなり不安です

 

そうこうするうちに、ナーランダ大学跡に到着しました

あの三蔵法師がやって来た所です

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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