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日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

連休3日目。避難訓練行事に参加。

2018-11-25 20:55:32 | 私の雑感あれこれ
朝の8時30分から、某委員会のメンバーとして、災害時の避難訓練の炊き出しブースに参加しました。

終わったのは12時だったのですが、結構疲れて、午後はぐたっとして過ごしました。
時間があっても、体が重くて、なんにもする気になれない自分に、イヤダな~の気持ちでいっぱい。

出かける前は、庭に出て、ワスレナグサの移植などの庭仕事ができたのに、、、、。

大鍋2つで、非常用のご飯を作りました。

日本赤十字社仕様のビニール袋に0.5合の無洗米と適量のお水を入れたものを350個作り、熱湯で40分。
炊飯器がなくても、ビニール袋でご飯が炊ける、という非常食の作り方の訓練です。

小さな口(直径7センチぐらい)の袋に、お米を入れるのは手間が掛かります。
何とか手際よくできないかと、考えました。
お隣の豚汁を作るブースで、まな板用に洗って開いた牛乳パックがあるのが見えたので、1枚いただいて、簡便な漏斗状にして、ガムテープで固定した。
これだとさっさかとお米を注入できます。

袋にお米を入れた後、お水を指定の分量入れないといけません。
誰かが、当日配布されたお茶のペットボトルを半分に切って、漏斗状にしていました(お米を袋に入れるために工夫したのですが、濡れているのでうまくいかなかった)。
それの半分に切ったペットボトル容器2つにメモリ(しるし)をつけて、蛇口から必要分のお水を計り置くということをしました。
協力者は他人数で、皆さん協力的です。

みんなでの流れ作業。速やかに350個のビニール袋ができました。

大なべの湯が沸き、小さな米袋の投入です。

炊き上がるまでの時間は40分!と責任者はおっしゃいますが、じっとそばで待っているわけではありません。
何分に投入して、40分後が何分なのか、紙にメモして表示しておいたほうが、共通理解になると思いました。
で、手元にあった紙の裏紙に、それぞれの鍋の、投入時間、出来上がり時間、入れた数を書き込めるような表を即時に書いて、鍋の近くの長机にガムテープで張り付けました。

実際は、まだ入る、まだ入る、と追加したりして、理想通りとはいきませんでしたが、メモを見たら、40分後がわかる、ということは便利だったと、自分的には思っています。

このメモがないと、40分後がいつなのからからず、イライラと何度も試しに袋を開いてみることになったと思います。

大勢の参加者に配布して、余ったのを1つお持ち帰りになったのですが、自宅に帰ってから、どどっと疲れが出で、そこが我ながら嫌になっているところです。
このすぐに疲れてしまう体力のなさ、何とかしないといけません。
昨日の山頂のお城行きでもロープウエーを下りてからの7,8分の石段で心臓パクパクでした。
先週、特定健診の結果で、「心臓付近の動脈が動脈硬化を起こしていて、すでに石灰化しています」と言われたことを思い出しながら、倒れないように、心臓を思いながら、石段をのぼり、天守閣の階段を昇ったのでした。


今の気にかかっていること。

お医者さんが「心臓付近の動脈が動脈硬化を起こしていて、すでに石灰化しています」とサラサラ口にされたので、私はびっくり。
えっ!と、驚いた私は、もう少し詳しく聞きたくもなります。
「これは、検診の結果をお知らせしているので、、、」「検診の報告をしているだけですから」と2回ほど同じ返答。内容への深入りはなし。というかやんわり拒絶。これって、どうしたらいいのだろう。町の検診だから、お医者さんへの収入は低額だろうし、治療を求められているのではない、に徹しているのでしょう。
所見としては「要注意」のところにチェックがあったから、このまま様子見でいいのだろうか。
私の脳裏には、レントゲンに写った細くて白い弧状の筋が去来する。









連休2日目。岐阜城に向かう。

2018-11-25 20:45:37 | 旅行・休養
グーグルアプリで検索すると、自宅から目的地まで1時間10分ほど。
さくっと行ける、と思ったのですが、カーナビのルートがいつもと違う高速道路をナビしたこともあり、ちょっと余計目に時間がかかりました。
でも、やはり自家用車はラク。

車からも金華山の頂上のお城が見えてくる。
眺望抜群だろうけれど、天守閣までの道筋は大変だったろうな~と思う。
岐阜公園のそばにロープウェーの乗り場がある。ロープウェー利用して天守閣に向かった。

ロープウェーを降りてからさらに、8分ほどの石段の登りがある。


天守閣からの眺め。
川は長良川です。


織田信長(1567から1576年まで居城としていた)らの住居はふもとにあって、今は岐阜公園となっている、とのこと。

岐阜公園の一隅にある資料館にも立ち寄る。

信長が楽市楽座の御触れを出したのは、この岐阜の町だったのだという思いを新たに、展示物を見て回る。

明治政府となった時の太政官のお触れ「定」の高札の展示もしてあったけれど、全国一斉に行き渡ったのではなく、岐阜の町に高札が立ったのは明治4年になってからだったと。

情報伝達は隔世の感、ですね。

今は、即手元のスマホにニュースが届く時代になっているのですから。










この3連休 1日目

2018-11-25 20:27:06 | 私の雑感あれこれ
東北地震の被災地の方の講演を聞く。
町の企画のひとつ。某委員会の委員としての参加。
毎月の例会、高齢者宅の訪問、配布物の仕事、行事への参加、そんな中のひとつとして、町の企画行事。

被災地の役所の方の体験談。
地震が起きた瞬間が会議中だったとかで、その後も対策に奔走されていた話。
とすると、私たちがテレビ画面を通してみていた津波の状況は、リアルタイムでご存知なかった、ということです。

手元に配布されたレジュメには、地震後、時系列でなされた対応が書かれている。
マスコミが役所の情報を収集しようと押し寄せるので、自分たちの仕事が進められなくて、対応を断ったと。
さぞかしの混乱だったと思う。
で、私たちがテレビ画像を見ている、ということは、マスコミのヘリコプターが飛んでいたのです。
なんで、ヘリコプターが押し寄せてくる津波の映像を上から写すだけで、避難を呼びかけないのだろう、そんなことを思いながら、忸怩たる気持ちでした。

全てのエリアにヘリコプターが飛んでいたのではないかもしれないけれど、押しかけるマスコミに、住民の避難のアナウンスをお願いできなかったのか、そんなことをお聞きしたかったのですが、質問は1つだけ受けます、なんて担当者がおっしゃるので、消化不良で終わりました。

この手の講話は、質問タイムが大事だと思うのですが、多分、質問は出なくて、天使のお通り状態にしたくない主催者の配慮なのか、端折られることが多々あります。苦笑