この作家の名前は新聞の書籍広告で目にしたような気がするだけで、まったく読んだこともなく、知らない作家さんです。
週末の新聞で取り上げられていたので、新記事を読んで、それでは1冊と、読み始めました。
そういえば、今年の春に、古地図を片手に東京めぐり、とかのウオーキングツアーに参加したとき、参加者のどなたかが待ち時間に読んでいらっしゃいました。
江戸期の深川話に興味のある方だったのですね。
いくつかのストーリーで構成されているのですが、2つを読み終わったところ。
新地、とか、日雇取り、など、子どものころに耳にした単語、そういえば聞くこともなくなった言葉を思い起こしました。
私の住んでいた町内のその隣の町内のその先を曲がったところに、シンチ(新地)と呼ばれるところがありました。
メンキョチ(免許地)といういい方もありました。もうひとつ神田町とも。
シンチもメンキョチも耳から覚えた言葉なので、そのまま、「メンキョチで遊ぼう」なんて言っていたものです。
オトナになってから、それは芸者さんなどの商売を認められたところだから「免許地」だったのだと、判りました。
検番というところがあって、昼間、開け放たれた窓から、三味線の音が聞こえていたものです。
あれは検番だから、芸者さんが練習している、それ以上に不思議にも思いませんでした。
ヒヨウトリは明治の中頃生まれの祖母から聞いた言葉かもしれません。日雇いで働く人のことだとは分かりましたが、こんな字面だと、この本で納得。
この祖母は、マッチのことをトウツケンと言っていました。「燈点けん」です。マッチが超貴重品だったころの名残の名称なのでしょう。
黄色のことを「オコン」=黄金からきているのでしょうか。
ミドリという表現はなくて、緑も青もまとめて、「青」でした。
当然和服の時代の人ですから、私たちの日常では出てこない言葉も。
覚えているのは、縞の幅がランダムな縞柄の反物を「めくら縞」と言っていました。今だと禁止用語でしょうか。
深川の木戸番小屋の笑兵衛とお捨夫婦の周りに起きる出来事の世界をのぞかせてもらう、そんな気分での読書です。
食べ物にも事欠く貧がいかに身近にあったか、です。
その時代から200年ほどで今ですから、すごい変化ですね。
飢えが原因で亡くなる人がいると、それは事件であり、それを見逃した役所(お上)の責任が問われるのですから。
週末の新聞で取り上げられていたので、新記事を読んで、それでは1冊と、読み始めました。
そういえば、今年の春に、古地図を片手に東京めぐり、とかのウオーキングツアーに参加したとき、参加者のどなたかが待ち時間に読んでいらっしゃいました。
江戸期の深川話に興味のある方だったのですね。
いくつかのストーリーで構成されているのですが、2つを読み終わったところ。
新地、とか、日雇取り、など、子どものころに耳にした単語、そういえば聞くこともなくなった言葉を思い起こしました。
私の住んでいた町内のその隣の町内のその先を曲がったところに、シンチ(新地)と呼ばれるところがありました。
メンキョチ(免許地)といういい方もありました。もうひとつ神田町とも。
シンチもメンキョチも耳から覚えた言葉なので、そのまま、「メンキョチで遊ぼう」なんて言っていたものです。
オトナになってから、それは芸者さんなどの商売を認められたところだから「免許地」だったのだと、判りました。
検番というところがあって、昼間、開け放たれた窓から、三味線の音が聞こえていたものです。
あれは検番だから、芸者さんが練習している、それ以上に不思議にも思いませんでした。
ヒヨウトリは明治の中頃生まれの祖母から聞いた言葉かもしれません。日雇いで働く人のことだとは分かりましたが、こんな字面だと、この本で納得。
この祖母は、マッチのことをトウツケンと言っていました。「燈点けん」です。マッチが超貴重品だったころの名残の名称なのでしょう。
黄色のことを「オコン」=黄金からきているのでしょうか。
ミドリという表現はなくて、緑も青もまとめて、「青」でした。
当然和服の時代の人ですから、私たちの日常では出てこない言葉も。
覚えているのは、縞の幅がランダムな縞柄の反物を「めくら縞」と言っていました。今だと禁止用語でしょうか。
深川の木戸番小屋の笑兵衛とお捨夫婦の周りに起きる出来事の世界をのぞかせてもらう、そんな気分での読書です。
食べ物にも事欠く貧がいかに身近にあったか、です。
その時代から200年ほどで今ですから、すごい変化ですね。
飢えが原因で亡くなる人がいると、それは事件であり、それを見逃した役所(お上)の責任が問われるのですから。