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桜子でーす

日々の感想や思いついた事柄を写真や文章に表しました。ビジュアルに表現出来ると嬉しいな!

終戦or敗戦

2015年08月19日 | 日記・エッセイ・コラム
8月15日(土)

終戦記念日。
考え方を変えれば『敗戦記念日』とも呼べる。
日本は米国を始めとした連合国に負けたのだから、そう呼んだとしても仕方がない。
私にとっては、どちらでもないが、過去のことを思うと、やはり『敗戦』の方が当てはまるような気がする。

とにかく、私が生まれた年(1931年)から始まって以来、戦争とは縁が切れなかったのだから、考えると仕方がないかな?と思う。
どこへ行っても『国策』であり『少国民』であり、更には『欲しがりません。勝つまでは』であった。

今年は終戦後70年経ったということで、急に一体何事があったのか何も知らない人たちへ理解してもらおうとばかりに秘話なるものが続々出てきた。

当時の辛い経験を持つ人たちが高齢に達し、今まで語ろうとしなかった話を、敢えて伝えようという思いに立ったのだ。
本当は、こんな悲惨な思い出は、そう簡単に語れるものではない。
出来ることなら、そっとしておきたい気持ちにもなる。
しかし、国会で安保に関する法案を力関係で通過させようと、多くの国民の反対を押し切って行おうとする態度に対しては、戦争の悲惨さをしっかり伝えたいという気持ちにもなったであろう。

毎年、この時期になると、繰り返し、自分の経験を少しでも伝えたい思いで、ブログに書いてきた私は、もう、いいかなとさえ思うようになった。
それ程に、今年の戦争の話題は多かった。

戦争で大きな犠牲を受けたのは、謝罪を求める国々にあるというが、私たち日本人へも謝罪を求めたい。
命を亡くし、財産をなくし、残虐な戦災や攻撃に命を失い、家族を亡くしたことに対して、誰に謝罪や補償を求められるのだろう。
ほとんど、何も無いのが事実である。
もっと、楽しかるべき青春や命、大切な財産、知識.、未来……が享受出来たであろうに。

戦争で亡くなった人々の霊を祀るのも当然である。
その事を言うならば、アメリカでは戦死者の墓地へ外国からの訪問者を案内して参詣させている。
そして、終戦を迎えた直後に多くの犠牲者を出したソ連の残虐な行為も忘れられない。

それは勝利者と称する国の勝手さと言いたい。

これ以上、うっとうしい8月が続かない世の中であってほしいものだ。

歩け歩け、元気を出して

2015年08月16日 | 日記・エッセイ・コラム
8月14日(金)

リハビリも間が空くと、なんだか久しぶりに出かけているような気がする。
今日は、あまり日射しが強くないようなので、帰りはバス停まで歩くことにした。

こんな日に限って、駐車スペースには余裕がある。
少しばかり、残念だ。

今日の先生は新しい人だった。
色々と姿勢を矯正する方法を教えてくださった、

福岡の学校から来た実習生が一人、EIさんに配属されている。
治療中、隣のベッドから声がかかってきた。
「僕のこと、覚えていますか?」と真面目な顔をして聞く。
「勿論、覚えているわよ」
入院中の思い出の中に、彼とは、なんとなく楽しんだ思い出が残っている。
ちょっと、ふざけながらも親しんだ彼との行動、それが楽しみだった。
治療に当たってくれたのは1~2回きりだったが、印象深い思い出だ。

帰りの道は、暑い季節には日陰がなくて、大変きつい。
でも、頑張ってバス停まで歩いた。
何時もより、ちょっときつかったが、我ながら頑張ったと思う。
今日は盆休みなので、道路は空いていた、

午後、近所のスーパーへサンドイッチ用のマスタードを買いに行く。
店の中も盆休みの所為か、客が少ない。

今日も、暑~い一日になった。

なんて事?

2015年08月16日 | 日記・エッセイ・コラム
8月13日(木)

久しぶりに大森駅方面へ行く。
う~ん!私って、運転技術がすごい消極的になっている。

とにかく、怖がっているのだ。
今まで、他人以上に積極的だったのに、何という変わりよう。
恥ずかしいという他はない。
ハンドルをしっかりと握るのは良いが、操作は鈍いときている。

せめて都内だけでも走らせることが出来れば良いと考え始めた。
駅ビルの駐車場は空いていた、盆休みの所為か?

まず、踊り子号の切符を買いに行く。今日のような日でも、購入者は多く行列を作っている。
これで、伊東宿泊は決定した。
その後、銀行へ。銀行へ行くのも少しばかり歩かなければならないので厳しい。
何もかも、不都合なことが起こりがちとは、全く不便になったものだ。

車の中で、姉に叱られる。
「もっと、速く走らせたら?」
「それが出来ないの~」
「何故?」と言ったような具合で…

我ながら情けない。しかし、無事帰宅出来たのだから、まあ、良いか!

高齢者、高齢者とばかりに言わないでよ

2015年08月12日 | 日記・エッセイ・コラム
8月12日(水)

曇りがちの日。
それでも、蒸し暑い。

最近の話題で、高齢者の熱中症の問題が多い。
高齢者の仲間である私は気になって仕方がない。
おかげさまで、一日中、クーラーのお世話になっている自分は、どちらかと言うと、冷え込んでしまっている。
ひざかけのお世話になりながらテレビを見る。
すっかり、雪女だ。心もかな?

これも良くないと反省しきり。
以前は「クーラーはあまりかけないように」と言われた時代があった。
それなのに、今年の夏はクーラーは夜も使うようにとの助言さえある。
思えば、最近のクーラーの機能はよく出来ているらしい。

まあ、自分で判断して、スイッチを入れたり止めたり、賢く?操作することだろう。

それにしても、何かあると「高齢者、高齢者は…」と言われるのは嫌だねぇ!
気分が悪いよ。

部屋から道を眺めていると、歩いている人にお年寄りが多いのに驚く。
私も、他人が見れば、よろよろ歩くおばあちゃんだ。
だから、お年寄りの気持ちはよく分かる。
あの人だって、つい最近までは颯爽としていたのじゃないの?
私と同じように……

オリンピックの話題は毎日絶えない。
その中に、国立競技場近くの都営住宅が立ち退きを迫られていると聞いた。
今日になって、気がついた。
あの場所は静かな地域だったと…
そして買い物などには便利だったと思う。

今更、80歳を過ぎた高齢の方々が移転を余儀なくされるとは、あまりに酷すぎる。
その後に、スポーツ関係の建設が始まるとはひどい話。

高齢の身になって環境が変わるのは、あまりに酷すぎる。
このような計画をした人達は、自分は歳をとらないと思っているのかな?
情けない無慈悲な話だ。

やる氣を……

2015年08月12日 | 日記・エッセイ・コラム
8月11日(火)

寝転びながらブログのチェック。
何と不精な!

残念ながら、今の私は畳の上ではまともに座れない。すぐ、ひっくり返ってしまうのだ。
開いたパソコンを膝に置くことも出来ない。

最近書いたブログを読む。
なんと、表現がおかしい箇所が多すぎると気づいた。
今までの私には無かったような文字の打ち間違いなど、呆れる程だ。

こうして、度々、反省するというか言い訳が続出する。
気がついたら、直ぐ訂正する作業をしたのだが、この頃はどうでもいいとさえ思うようになった。
こんな事では、前向きになると宣言した誰かさん?の言葉には意味が無い。

もう一度、考え直そう。
時間はたっぷりあるのだもの。

暫くカメラとも御無沙汰をしてしまった。
やる気を出さなくては……


* http://blog.goo.ne.jp/admin/newentry?fid=newentry&iid=637fdd3b34ce466722491a7cf20b7471#

点数で言えば?

2015年08月10日 | 日記・エッセイ・コラム
8月10日(月)

曇り時々晴れの天気も、昼頃に強い雨が降った。
天気予報によれば、東京と北海道のみが傘の印が付いていた。

暑さは変わらない。いや、むしろ蒸し暑さがたまらない。
もう、残暑に入るとか聞いた。


最近、無性にカレーが食べたくてたまらなかった。
簡単な料理なのだから、何時でも、万人に作れるのではないかと思う。

ところが、この料理、簡単とは言えないのではないか?と、思われだした。
なかなか奥深いものがあるようだ。
本格的には、色々な食材を使うと聞いた。

正直に言うと、私はカレーを作ったことは殆ど無い。
姉の得意料理だったと、思い出す。
彼女のカレーを当然のように食べていたのだ。

考えると、唾が出そうな状態で、自分で作ることにした。
「私、カレーの作り方がよくわからないわ」
「エ~ッ!」
リハビリの最中に話すと呆れたように驚かれた。
そう、この料理は子供だって出来る定番のはずなのにである。


スーパーで豚ヒレ肉を買って来た。
いつも、肉売り場で牛、豚、鳥と、どれを買おうかしら?
と迷っていたのだ。

昨日はカレー作りに取り組む。
兎に角、色んな物を使い込んだ。

「どう?」
「匂いより、味がいいわ」と返事が返ってきた。
なんとか合格したのだ。

実は、衝動買いをしたオレンジママレードも入れ込んでしまった。
カレーって、色々な食材を使えると聞いていたからだ。

甘くなったカレー、これもカレーに違いない。
今度はマシなものを作ろう!
オレンジママレードとイチゴジャムを使った事は内緒にしようっと……

ナガサキ/原爆許すまじ!

2015年08月10日 | 日記・エッセイ・コラム
8月9日(日)

この暑~い夏は何時まで続くのだろう?

最近は、夕方5時を過ぎてから買い物へ行く事にしている。
歩くことは大切だから、杖をつきながら近所のスーパーへ向かう。
レジの女性が「仲良しでいいですね」と言う。
「いやァ、何時も喧嘩ですよ」と私達。
「それがいいんですよ」と、顔なじみになった、その人は笑い顔で言う。

今日は『長崎の原爆の日』
真っ白な折り鶴二羽が象徴的。
静かな鐘の音が鳴り響いて、祈りが捧げられた。
ヒロシマに続いて三日後、ナガサキは米国の原子爆弾攻撃を受けた。
なんと言う残酷な仕打ちだろう!
心ある外国人は、この二つの都市の悲劇を身に沁みて、二度と核兵器の使用をしてはならないと感じているそうだ。
しかし、米国ではどうなんだろう?アメリカ人はどう思っているのだろうか?

日本でも
戦後70年、広島も長崎も8月にならなければ気付かない現実があるようだ。
さて8月15日については果たしてどうだろうかと、気になる。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

昨日と、水曜日、紫陽花の花を切り取った。
紫の美しかった花々も、茶色く枯れてくると気になる。
しかし、体の動きが鈍っている私には花の整理は大変な作業である。
それでもやらなければ、誰に頼ることも出来ない。

玄関の側の花は100個近い数である。姉が切り取った花を袋に詰めてくれた。
そして、裏口の紫陽花を昨日片付けた。

通りかかった女性が声をかけてきた。
「この花、ドライフラワーにするといいですよ」
「もう、私はいいですよ。よろしかったらどうぞ!」と答える。
後でもらって帰ると言う女性のためにレジ袋にまとめて塀に下げておいた。
今日もそのままになっている。どうしたのかな?

花壇の草はぼうぼうだ。
でも、もう無理。諦めよう。


甲子園

2015年08月09日 | 日記・エッセイ・コラム
8月8日(土)

いったい、何時まで続くこの暑さ。
甲子園の野球が気になる。若さに溢れた試合だ。

プロ野球は、それほど気にならないし、まともに見る気もない。
ただ、どう言う訳か、以前からDeNAを応援している。
理由にはなんの根拠も無い程だが、横浜へ行った時にあの大きなスタジアムを見て気になったのだ。

巨人は好きではない。選手というよりスター級を集め過ぎるのね。
それに、かつては阪神を応援していた。きっと、滋賀県に住んでいたからだろう。

高校野球は面白い。
まだ仕事をしていた頃は、毎日のように勉強をしていた。
熱い半日を論文書きで大変だった。その後には管理職試験が控えていた。
汗をかいている暇はなかったのだ。
そのような時に甲子園で汗を流しながら奮闘する球児たちの事を思うと、自分とっても励みになったのだ。

暑い夏は厳しいものだったが、汗を流す事も忘れるような真剣さだった。
隣の席でK先生が机を揺り動かしながら論文を書いていた事を思い出す。
「うるさかったなぁ!隣の私は机が揺れて迷惑だったよ」本人にも伝えた。
しかし、彼は、もう、この世にはいない。今年の正月に亡くなった。
いい人だったなぁ!同期で一番の仲良しだったのに…

今はもう、何もやる気が起こらない。
夏になると、いろいろな思いが湧いてくる。

親切とお節介

2015年08月09日 | 日記・エッセイ・コラム
8月7日(金)

朝早くに目覚める。
11時からのリハビリの予約がある。
何時も通りにシャワーにかかる。

何だか、気分がすごく悪い。
それも、胃の辺りだが、いつも、腰が曲がっているので、姿勢が響くらしい。
それでも、もしかして熱中症?と疑いたくなる。

「食べ過ぎよ!」と言われた。
そう!確かにむやみに食べて、じっと座っている最近の自分を思う。

今日はタクシーで出かけることにした。ついでに、帰りも乗って帰るつもりで家を出る。
反対側の車線は空のタクシーがよく通るが、それでも乗りたい時には乗れない。
仕方がないから、信号のそばに立っていた。
「どうしたの?」と知らない女性が声をかけてきた。

「ここで乗ることは出来ないから、こっちへ」と何回も言う。彼女の親切心は分かっているが、余りにうるさいので、つい私は叫んでしまった。
「ウルサーイ!」
それでも私を掴まんばかりに「ここはダメ!」という。
やっと、タクシーが停まっているのに、まだお節介をやく。
『うるさい!!』
ドアを閉める前に、私は彼女に「ゴメンネ!」と言った。
タクシーの運転手さんはクスクス笑いだす。

考えてみると、私は近所の人をほとんど知らない。
でも、あの人の顔は見たような気がする。
あちらは私のことを知っているのかもしれない。いや、私が杖をついてヨロヨロしていたので声をかけてきたのかも知れない。

イヤァ!歳はとりたくないよ!
私の身には、人の情けを受けるには、まだ、抵抗がある。それは自立心というか意地というか。

上辺だけでは他人の事情を判断出来ないことが沢山あるのだ。
悪いけれど、時には親切はお節介になる。
朝から、とんだ日になった!


今日は久しぶりに院長先生にお会い出来た。
色々とお話をする。最後に握手をして下さった。温かい手だった。

EIさんにタクシーを呼んでもらう。親切な青年だ。
昼はタクシーをなかなか呼び出せない。自分で電話をかけてみて、やっと来てもらえた。

相変らず、言いようのない程の暑さだ。
これでは動きは取れない。
午前中に、勇ましく怒鳴ったものな1
「えっ!珍しいですね!」とEIさんが笑った。
「あの時が、日頃の私のメッキが剥がれたのだわ」と、返事をする。
澄ました顔で……

70年前の私の記憶の一部

2015年08月09日 | 日記・エッセイ・コラム
8月6日(木)

一日中、広島の話題が続く。
今まで、話された事のなかった話題も続出。
確かに、現在84歳の人は、当時の中学校や女学校の二年生だった。
私と同じ歳だ。否応なしにあの暑い夏の日を思い出す。
学校から帰宅した際、親から聞いた恐ろしい爆弾がB29によって広島に落とされたことを。

なんだか恐ろしい爆弾のようだと聞いた。
それ以上は分からない。
毎日の様に、威勢の良い音楽が流れて、ラジオは現在の皇軍の成果を伝えるだけであった。
『少国民』である私は、それを信じ込んでいた。

8月6日は、暑い日だったなぁと記憶している。
夏休みに入っても、学校からは毎日の様に勤労奉仕やタコツボ掘りに駆り出されていた。
長い休みも、夢なんてない日が続く。

学校へ行っても、教室で兵隊さんの衣服のボタンホールを作ることに専念していた。
お陰で、ボタンホールは上手くなったが、出来れば、上級生が軍事工場でパラシュートなどを作る仕事をしていると聞いて、自分もそうしたいと思ったものだ。

とにかく、学校へ行って、正規の授業の他に勤労奉仕や郊外で畑をつくる仕事に携わっていた。
今、考えると、学生らしい勉学は簡略化されて、戦争へ戦争へと追いやられていたのだ。

食料も逼迫しつつあった。
それでも、内地で暮らす人々よりはましだったが、人間が食べるものではないような食料が配給されるようになり、食べる気が激減して情けなかった。

今は、もう二度と、このような思いをするには嫌だ!
ここで過去の思い出は書きたくない。

若かった日

2015年08月05日 | 日記・エッセイ・コラム
8月2日(日)

今、BS3で歌番組をやっている最中。
最近のNHKは高校の学生をバックに出演させている。
今晩は器楽を大掛かりに演奏するグループだ。

今の子供はいいね!
好きなことをやれるのだから…
やりたい事が制限されていた時代に育った者にとっては羨ましい限りだ。

あんな戦争があったから、才能をもっと活かせた筈の育ち盛りの子供も、余程でないと自分の願いを叶えられなかった。
それは時代の影響もあったし、親たちの世間に対する理解や価値観の仕方が異なった事もあったと思う。

だから、ある年代(高齢とも言える人たちの時代)にとっては、実に今の若い人たちが羨ましい。
時には理解しがたい彼らの自由とも思われるのだろう。


私もその時代につながっている人間である。
終戦の時には15歳だったから、戦後の恩恵にも多少は預かったと言える。
引揚者であっても、貧乏をしても、学校へだけは行かせてもらえたことを親に感謝している。

しかし、食べる事で精一杯の時代では、自分の望みや多分あったであろう才能を生かす事は、余程のチャンスが無い限り難しかった。
と、時には言いたくなる事もあるのだ。

それでも。あの過酷な時代を生き抜く事が出来た我々は、やはり運の良かった人間だったのだと思う。
お陰で、腰が曲がっても、耳が遠くなっても、時には体のあちこちが心配になっても、病気があっても……
生きていることに感謝している。

ところで……

若い頃に叶えられなかった事も、趣味として、今から試してもいいのではないかと思い始めた。
出来れば、世間に迷惑をかけずに、一人で生き抜く力や意思をしっかりと持つように努めたいと考える。

あの過酷な時代を経験し、通り抜けて行った強さを生かすのは『今』だ。
これからではなかろうかと、そう考える。

誰の所為でも責任でも無い。
前向きに考えた方が、もっと、もっと、幸せになれると思うようになった。




知られざる情報

2015年08月05日 | 日記・エッセイ・コラム
8月5日(水)

目が醒めたら6時過ぎだった。

昨夜はお気に入りのドラマも途中で寝てしまって何の事やら…?
更に目が覚めたら、戦後70年前の記録ものが始まった。

戦争中、捕虜となった日本兵の記録である。
私にとっては、見たくはない思いがあった。
しかし、矢張り気になる。


赤道直下の南方戦線に派遣された日本軍は、最後には飢えと傷病と敵軍の猛攻撃に遭い、戦死する憂き目に逢う。

その悲惨さはよく理解している。
しかし、それらは戦時下に於いては『名誉の戦死』『玉砕』などという言葉で言いくるまれていた。
だから、軍人が戦死する前に「天皇陛下万歳!」と叫ぶのだと教えられていたし、子供心にも信じていた。
本当は、どのような思いで死んでいったのだろうか。

昨晩の記録に依ると、捕虜になって連合軍の取り調べを受けた人々も多かったとわかった。
戦闘中、軍人が最期を迎える時は自決を勧められ、決して敵の手に捕らわれないようにと言われてきた日本軍である。
捕虜になることは死に値する事で恥としなければならない。

このような時に捕虜となった人達は、敵軍によって様々な日本軍の事情や戦地で行われた行為について尋問されたそうだ。
ある人は外国語に堪能なために、更に詳しく説明を求められたらしい。
また、ある人は次の日に何故そのような行為が行われたか説明を聞くと言われ自決した人もいる。

その後、日本へ復員した人は、その後の人生で過去の事には一切触れなかったと遺族が語っている。

自ら望んで戦争へ行ったわけでもなく、当時の指導者の行為や考えに反発を覚えても、異論を唱えられなかった時代に生きてきた者にとっては、まさに悲劇そのものであった。

今、何度考えても、悲しく悲惨な時代だった。
もし、私が男で、もう少し年齢が上だったら、同じような思いをしていたのだ。
このような悲惨な時代を否応無しに過ごした者にとって、その後、平和な時代を迎える事が出来たのは幸運だったとしか言えない。

今も、過去の苦しみや悩みは絶対に触れたくない気分になる。
絶対に話したくない忌まわしい過去の歴史である。
敢えて、この悲惨な情報を番組として流したことは、平和な時代しか知らない現在の人たちに理解してもらい、平和の大切さを理解してもらう大事な情報だと思った。

つい、テレビを見てしまった。
朝、目覚めて、このショッキングな番組を、やはり見て良かったのかも知れないと思う。

問題が多過ぎるよ!

2015年08月05日 | 日記・エッセイ・コラム
8月4日(火)

相変わらずの猛暑。
夜になって、JR京浜東北線が不通になっている。架線の故障とか。
それどころか、沿線につながる東海道線や横須賀線を始め全てが運行中止となる騒ぎがあった。

五日間続きの酷暑に続いて車内に閉じ込められた人々は気の毒なことだった。
最近のJRはどうなっているんだと思う事が多くなった。
たるんでいるのかな?それとも、老化したのかな、いや、神経の使い過ぎかななどと考えてしまう。
そういえば、伊東へ出かける時も、行き来に遅延がよくあった。

東京オリンピックは 五年後の8月に行われるそうだと聞いて「大丈夫かな?」と思った。
実のところ、2020年は分かっていたが、開催時期については別に関心もなかった。
高齢者である自分にとっては『望みがある訳で無し』と、思っていたからだ。

最近はオリンピックの話題が多くなった。それも、問題続出。
どうして、そんなにお金をかけるの?国立競技場は簡素にしたら、どう?お金の無駄遣いだぞ!
それに、人の財布を当てにしないでよ。

エンブレムの発表があった日、テレビで見た私は「嫌いだなぁ!もっと違うデザインはないの?」とつぶやいたものだった。

委員会では盗作云々と言われても問題無しとの意見だそうだ。
本当にいいの?

ところで、デザインの世界では、類似するデザインが生まれがちだ。
特に、若い人は盗作とまではいかなくとも、デザインを考えている間に参考にする作品へ目が行くことがある。
それはそれで勉強になるから良いだろうが、最終的にはデザイナーの個性や目的や作品の狙いを確かにしたい。
それがデザイナーの自負心というものだ。

デザイン学校で学んだ私は、若い同級生たちの作品について気になる事が度々あったのを思い出す。

色々問題の多いスポーツの祭典が、これ以上、問題なしであって欲しいものだ。



疲れているね

2015年08月04日 | 日記・エッセイ・コラム
8月3日(月)

11時予約。
何だか久しぶりのような気がする。
相変わらず足腰が定まらない。こんな事でどうする。
ラッキー!珍しく、一台も駐車していない。

猛暑は朝から始まっている。
この暑さでは、化粧なんてやる気もしない。
朝、折角、洗った髪もぐしゃぐしゃになる程だ。これは午後からの話。


待合室の週刊誌を開いてみた。
ろくなことは書いていない。何時でも、そうなんだなぁ!
しかし、
リハビリに行くようになってからは、週刊誌と新聞は病院の備え付けを読むことにしている。
備え付けのスタンドからコーヒーを選んで飲むのも、お決まりの行動。

先週の山梨行きで、すっかり疲れ果てている私の目には、内容を読むと言うより、只、字面を追っている有様。


「こっていますね。腰が曲がっている」とEIさんに言われる。
残念ながら、自分でもよく解っている。

無事、帰宅。
久しぶりにお粥を食べた。
また、喉が詰まりそう。相当、疲労している。



昨夜は失敗に気がついた。
「また、忘れ物?」
先回の忘れ物は化粧ポーチ。
そして、今回はIphon用の充電に使うコード。

大変だ!電話が使えなくなる。
若しかしたら、部品はアップルでしか手に入らないかもしれない。

仕方がないので、パソコンから電源をとるしかないと気付く。

富士山から東京へ

2015年08月02日 | 日記・エッセイ・コラム
8月1日(土)

帰京する。
東京の家の前は、工事のために午後六時まで入れないと通知があった。

日曜日は避けて、土曜日ならまだ空いているだろうと相談した。

途中で、もう一度、ホテルの中華料理を食べてから東京へ帰ることにする。
12時着。飯店では、富士山の見える一番景色の良い席へ案内された。
富士山はどこへ行ったやら…である。

店が始まったばかりか、料理が出来てくるまでに時間がかかった。
土曜日なのに客が少ないようだ。

窓から見える場所では、ジェットコースターが大勢の客を乗せてスピードを上げている。
外にいれば、大きな歓声が聞こえるはずだが…ここでは静かなもの!

季節のメニューで冷やし蕎麦をとった。
姉は五目蕎麦、私は牛肉の冷やし蕎麦である。
精選された具は美味しく繊細だ。
とても、美味しかったが、蕎麦の量に目を丸くする。
ところで、ここの蕎麦は他所の店の蕎麦と違って細くて長~い。

食後、タピオカ入りの冷たいデザートとコーヒーをご馳走になる。
何時もだが、こんなにサービスをしていただいて申し訳ないと思うが、とても美味しかった。


いよいよ、東京へ向けて出発。
私の恐怖感はまだ治らない。
姉に叱られながら、ノソノソと車を走らせる。
自分でも、理解出来ないこの気持ち。情けなし!ひたすら、ハンドルを握る。

かつての私はスピード狂だったのに、本当に情けない話だ!
以前は、何台もの車を追い抜いて行ったのに、昔の姿は今、何処であある。

何台、いや数百台以上は越したと思う程のクルマに追い越された。
情けない!不甲斐ない!

カーブやトンネルや坂道にかかると、恐怖感が湧くのだから情けない。
随分、姉に怒られた!
「私を殺す気?」とまで…その気持ちはよく分かっているのだが…
ゴメンなさい!!分かっているのだけど、怖くて!!

都内に入ると、すっかり日が暮れてしまった。
最近は夜の運転はしていないので、尚、条件が悪い。

兎に角、無事、家へ着いた!
へとへとである。反省しきり!!
さて、これからの私はどうやって克服出来るかである。
暫く、考えてみよう。

しっかり休まないと!私の足はすっかりむくんでしまった。
熱い湯にかかっても、体も心も休まらない。
冷房を入れて寝ることにする。

八月の高速道路は、やはり『夏休み』で賑わっていた!
子供や学生に加えて、家族連れも目立つ、暑~い一日。こんな日がこれからも続くのだろう。