8月15日(土)
終戦記念日。
考え方を変えれば『敗戦記念日』とも呼べる。
日本は米国を始めとした連合国に負けたのだから、そう呼んだとしても仕方がない。
私にとっては、どちらでもないが、過去のことを思うと、やはり『敗戦』の方が当てはまるような気がする。
とにかく、私が生まれた年(1931年)から始まって以来、戦争とは縁が切れなかったのだから、考えると仕方がないかな?と思う。
どこへ行っても『国策』であり『少国民』であり、更には『欲しがりません。勝つまでは』であった。
今年は終戦後70年経ったということで、急に一体何事があったのか何も知らない人たちへ理解してもらおうとばかりに秘話なるものが続々出てきた。
当時の辛い経験を持つ人たちが高齢に達し、今まで語ろうとしなかった話を、敢えて伝えようという思いに立ったのだ。
本当は、こんな悲惨な思い出は、そう簡単に語れるものではない。
出来ることなら、そっとしておきたい気持ちにもなる。
しかし、国会で安保に関する法案を力関係で通過させようと、多くの国民の反対を押し切って行おうとする態度に対しては、戦争の悲惨さをしっかり伝えたいという気持ちにもなったであろう。
毎年、この時期になると、繰り返し、自分の経験を少しでも伝えたい思いで、ブログに書いてきた私は、もう、いいかなとさえ思うようになった。
それ程に、今年の戦争の話題は多かった。
戦争で大きな犠牲を受けたのは、謝罪を求める国々にあるというが、私たち日本人へも謝罪を求めたい。
命を亡くし、財産をなくし、残虐な戦災や攻撃に命を失い、家族を亡くしたことに対して、誰に謝罪や補償を求められるのだろう。
ほとんど、何も無いのが事実である。
もっと、楽しかるべき青春や命、大切な財産、知識.、未来……が享受出来たであろうに。
戦争で亡くなった人々の霊を祀るのも当然である。
その事を言うならば、アメリカでは戦死者の墓地へ外国からの訪問者を案内して参詣させている。
そして、終戦を迎えた直後に多くの犠牲者を出したソ連の残虐な行為も忘れられない。
それは勝利者と称する国の勝手さと言いたい。
これ以上、うっとうしい8月が続かない世の中であってほしいものだ。
終戦記念日。
考え方を変えれば『敗戦記念日』とも呼べる。
日本は米国を始めとした連合国に負けたのだから、そう呼んだとしても仕方がない。
私にとっては、どちらでもないが、過去のことを思うと、やはり『敗戦』の方が当てはまるような気がする。
とにかく、私が生まれた年(1931年)から始まって以来、戦争とは縁が切れなかったのだから、考えると仕方がないかな?と思う。
どこへ行っても『国策』であり『少国民』であり、更には『欲しがりません。勝つまでは』であった。
今年は終戦後70年経ったということで、急に一体何事があったのか何も知らない人たちへ理解してもらおうとばかりに秘話なるものが続々出てきた。
当時の辛い経験を持つ人たちが高齢に達し、今まで語ろうとしなかった話を、敢えて伝えようという思いに立ったのだ。
本当は、こんな悲惨な思い出は、そう簡単に語れるものではない。
出来ることなら、そっとしておきたい気持ちにもなる。
しかし、国会で安保に関する法案を力関係で通過させようと、多くの国民の反対を押し切って行おうとする態度に対しては、戦争の悲惨さをしっかり伝えたいという気持ちにもなったであろう。
毎年、この時期になると、繰り返し、自分の経験を少しでも伝えたい思いで、ブログに書いてきた私は、もう、いいかなとさえ思うようになった。
それ程に、今年の戦争の話題は多かった。
戦争で大きな犠牲を受けたのは、謝罪を求める国々にあるというが、私たち日本人へも謝罪を求めたい。
命を亡くし、財産をなくし、残虐な戦災や攻撃に命を失い、家族を亡くしたことに対して、誰に謝罪や補償を求められるのだろう。
ほとんど、何も無いのが事実である。
もっと、楽しかるべき青春や命、大切な財産、知識.、未来……が享受出来たであろうに。
戦争で亡くなった人々の霊を祀るのも当然である。
その事を言うならば、アメリカでは戦死者の墓地へ外国からの訪問者を案内して参詣させている。
そして、終戦を迎えた直後に多くの犠牲者を出したソ連の残虐な行為も忘れられない。
それは勝利者と称する国の勝手さと言いたい。
これ以上、うっとうしい8月が続かない世の中であってほしいものだ。