桜子でーす

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レイテ島に思う

2013年11月09日 | 日記・エッセイ・コラム
11月9日(土)

確か、天気は上々になる筈だったが、何と、どんよりとして如何にも冷え冷えと言った感じ。
ニュースに依ると、台風30号はフィリピンを直撃したと言う。


特にレイテ島は多大な被害と犠牲者を出したと言う。
マニラに住んでいた私はレイテ島へも出張した経験がある。
首都のあるルソン島や旅行者が好むセブ島、回教とキリスト教が入り交じった文化を持つミンダナオ島等とは異なった雰囲気を持った島である。


太平洋戦争のとき、ダグラス・マッカーサーが日本軍に追いつめられた際『I shall return』の言葉を残してフィリピンを去った。
その、記念の像が海を背景にして池の中に副官たちを従えた姿で立っている。
「あら?海を背中にしている」と言ったものだ。

戦いが激しくなると、日本軍(8万4千人)はレイテの各地で玉砕した。それぞれの出身地の隊で遺家族が建てた慰霊碑が彼方此方、祖国日本へ向かって立っている。(大岡昇平氏の『レイテ戦記』がある)

私と同行者は、激しい闘いの中で散っていった人達がどの様な気持だったかを偲びながら祈った。
訪れる村には、日本軍の残したものが記念館に保存されている。
これも、日本人として涙なしには見られない。


私達が訪れた日本の会社は、サトウキビから調味料の素を取り出す工場だった。
日本から派遣された人達のための立派な宿舎とプールがあったが、夕陽の沈む時刻は遠く離れた日本が偲ばれて、そこにいる事が出来ないと、皆が会社にいる話を聞いた。

丘の上から見える海と夕餉の煙が棚引くニッパ椰子の中の家々は、かつての壮絶な闘いが忘れられた様に平和そのものだった。


あの島が!と思うと、如何に台風の激しい襲撃に遭う事の多いフィリピンであっても、どうか、被害がより少なくあって欲しいと願う。











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