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桜子でーす

日々の感想や思いついた事柄を写真や文章に表しました。ビジュアルに表現出来ると嬉しいな!

モノのインターネット

2017年01月09日 | 日記・エッセイ・コラム
1月9日(月)成人の日

昨年末から今日までの休みの日の多い事!
私の場合は冬休みがあったから、同じ事かな⁈

でも、交通機関の目覚しい発達とは言え、数日の旅をする人も増えた。
いいニュースもあるが、無茶なニュースもあって、落ち着いては見られない。

よくハワイへは行ったなぁ!勿論、年末年始は少し、避けて。
なつかしい!行ってみたいね!と話題になる。
ハワイは高齢者への配慮が行き届いていたから、行こうと思えば行けるねと、やや、希望が出てくる。
やっぱり無理かぁ!国内も、いや、近所さえ無理なんだもの。
これを克服しなくては…
国内の『なんとか列車旅行』も利用出来ない。

今日は頑張ろうと、久しぶりに向かったパソコンだが、考えていた事は、もう、忘れてしまった。
頭の良い事!呆れてしまう。

そうそう、今日のNHKテレビで『IoT』の事をはっきり覚えた。
なんて、略語が多すぎるのだろう。
Internet of Things(モノのインターネット)と言うそうだ。
2020年頃には大きく普及しているとの事で、良さそうだけど、でも、便利そうで大変ね。
ついていけるかな?

いくら新しいものが好きな私だって、無理かもしれない。
第一、家族も多少は覚えてくれないと大変だし…
私も、もう、いささかマイ電話機にはお手上げになっている。

桜子様専用の可愛いロボットが欲しいよ1

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

<成人式の後で聞いた言葉>

日本の未来は?の質問にこたえて新成人たちの声は頼もしい。

「僕たちで明るくする!」でした。

大変でした!賀状の返事

2017年01月09日 | 日記・エッセイ・コラム
1月6日(金)

6日、年賀状書きはやっと最後に近づきつつある。(8日にやっと終わった)

しかし、その残り数枚が、なかなか進まない。
もう、疲れ切っている上に、新年の挨拶以外に、年賀状を送って下さった方々一人一人に、言葉を書くからだ。
いい加減にしなさいよ!と、心の中では言う。
然し、折角送って下さった方の思い出をたどりながら、どうしても描きたくなる。
それも、文字の列が曲がり左肩が下がってくるという、見た目にも良くない有様。

やっと、書き上げても、すぐ近くのポストまでが、私の足を阻む。
きついんだ!

汚い見苦しい賀状を驚いているのだろう?私は?
と、思いつつ、矢張り、書くのをやめない。


今回の賀状の中にも、来年からは『年賀状お断り』の挨拶があった。
それが出来ればどんなに助かる事だろう!
でも、まだ、私には出来そうもない!
『出来そうもない』と言うのも、私の独りよがりかな⁈

まだ、返事書きが残っている。
独りよがりとは言え、本当にきつい。
長い時間で、足が腫れ上がってしまうのだもの。

でも、止められない!
あちこち、あの人この人の思い出があり過ぎるのだもの!
大切にしなければ………

乱れた賀状で、ごめんなさい。

今年初めてのお茶の水

2017年01月09日 | 日記・エッセイ・コラム
1月5日(木)

正月があけて直ぐに『お茶の水』へ行く。

何時もはなかなか拾えないタクシーが、直ぐに見つかった。
お茶の水までの道は、珍しく空いていたので、予定時刻より早く到着した。

最初にレントゲン室へ行く。
足が揺らめいて、技師の人二人が色々と手伝ってくれた。情けない話。
「もう、ここへも来れないわね」と弱音が出る。
しっかりしなくては、年賀状で『心』を大事にしたいなどと書いた事が嘘になりそうだ。

N先生の話によると「あなたは年齢よりも確りしているから大丈夫、首も腰の骨も付いているから安心しなさい」と言われた。
しかし、私はまともにこれを納得出来ない。事実、足がボーリングのピンみたいになっているからだ。
外科で、色々と質問や悩みを訴えて、S先生から教えていただいた。
最も、信頼出来るのはS先生。
先生がいらっしゃるから、毎月、一度は来たくなる。

今日は、今年最初の日なので、病院は割合と空いていた。
ヨロヨロ歩きの私より、もっとひどい人がいる。
大抵は、付き添いがいるが、一人で来ている人もいる。
だから、私も弱音を吐くのはよそうと、改めて思う。


帰りに、何時も通りに銀座松屋へ行く。これが、きついけれど、唯一の楽しみ。
地階の店で買い物をして8階へ行く前に、長い間、行かなかった、お気に入りのパン店に寄る。

行きつけのレストランでは、混んでいて、待ち時間が必要だった。
何時も通りの料理を注文をする。

外国人の旅行者の一団が入ってきた。
見ていると、順番待ちではなくて、入れ替わり立ち替わりの状態で座席に座って、食事を注文するので、店の人たちも応対に大変だった。

日頃は、静かでお洒落な雰囲気を持つこの店も台無しだし、他の客が迷惑するし、他の客へのサービスも届かない。

私達が、食事を終えて、席を立った時に気がついたのは、大人しいと思った幼児が床にゴミや食べ物を辺り一面に散らかしていた。
最近、外国人旅行者が目立って多くなったが、中には、マナーの問題も多く抱えている事を痛感する。
『観光国日本』も対応策を考えなければ……

二人とも、すっかり疲れてしまった。
久しぶりに買って来た浅野屋のパンはやっぱり美味しかったが、珍らしい物や美味しい物を食べたくても、もう、なかなか何か所も出かけたり、買い物をするのは厳しい。
カワイそうだね!

凄いぞ!三連勝

2017年01月08日 | 日記・エッセイ・コラム
1月3日(月)

今日は箱根駅伝復路の日だ。つまり決勝。
今朝の順次スタートは、テレビでしっかり見た。
スポーツの中で、必ず見るのはこの駅伝だけだ。(オリンピック以来、他のスポーツも見るようになった)

ドライブでは箱根は一番の思い出コースだ。
国道一号線はカーブの多い道。そして、緩そうに見える箱根新道は、道幅が広いが難コース。

カーブが多くてきつい坂道の一号線は箱根の自然を楽しめるコース、つまり『駅伝コース』の方がお気に入りで、よく『駅伝』に思いを走らせながらクルマを進めたものだ。

箱根の山道を暗闇の中でライトを上向きにして、『箱根山』を歌いながら一人で運転した事もある。その時は運動会の後、家族の待つ仙石原の宿へ単独行動をした。
まだ高速道路もなかったから、東海道を夕方、港区から一気に駅伝コースの東海道を走らせたのを思い出す。
『若さ』は『こわさ知らず』と、今更のように思う。

パソコンを開いてみた。
コメントが入っている。
今、先頭を走っている青山学院の先輩のMさんからだった。
今、首位…だそうだ。二位を争っている大学は妹さんの母校らしい。
後で、三位になったのかな?(それなら、弟の母校)

まあ、いいでしょう!家族で、母校の甲乙争うのもご愛嬌。
東京の家庭には、こういった家族も多いのだろう。

選手は鶴見を過ぎて、ついに東京へ入る。
何時もは応援に行く『京浜急行・平和島駅』を探す。
都心は、しばらく行かないと、街の様子や道路までが変化すると気がつく。

一位は青山学院大学。三年続きの快挙だ。
しかし、ここまで優れた成績を修めた選手達のフアイトと実力は大したものだと驚き始めた。
監督さんは大したもの!指導力に感心する。

箱根駅伝が終わって、初めて、今年が明けたように思える。




箱根駅伝ですよ!

2017年01月02日 | 日記・エッセイ・コラム
1月2日(月)

なんと、今日は振替休日なんだってね!
郵便局も怠け者になったものだと、気がついた。(皮肉かな?)
お陰で、年賀状(一枚も書いていません)を日延ばし出来ると、無精者の私はホッとする。

ところで、今日は恒例の箱根駅伝。
長い間、熱心なフアンだった私が、今年は何の関心もわかなくなった。
まさに突然である。
理由は『足』

でも、テレビでスタートの様子を観ようと7時前から待機した。
ひどいね!7時はとうに過ぎているけど、宣伝ばかり。
面倒になってテレビから離れたら、なんと8時スタートだった。これは私がうかつなのかな?

兎に角、何でも面倒になってしまったのだ。
洗濯機にかけても(今日は正月二日目だから感心出来ないと、思いつつ、乾燥機能も入れた)
小一時間かかって見に行くと、なんとまあ!動いていない。
蛇口を開けるのを忘れていたのだ!
何と言う事!私ってボケている!一時間以上も損をしてしまった!
仕方がないから、取り敢えず洗浄のみ。
今日は天気が良いけれど、ちょっと、外に干すのが気になる。(ここが昔風なのかな?)

もう、やめようかと思ったが『甘煮』を作ることにした。
矢っ張り、昔、母が炊いた甘煮の味が忘れられない。その後は、私が炊いていたが、矢っ張り、正月には、これがなくてはね。
美味しかったよ!母を懐かしく思い出す。
しかし、今年は、父母の写真にも、あまり敬意を表していない親不孝者だ。
母が作った正月料理のあれこれを思い出す。ヤッパリ、あの頃の新年の御重や大皿料理を懐かしく思い出す。
まあ、今年は少しずつ何回にも分けて、料理をしていこう。

姉が年賀状を書き出した。
疲れて、ごろりと眠っていた私は、目が覚めた時には、もう『1月2日』はとうに過ぎたと思い込んでいた。
シャワーに入ろう!なんて寝ぼけたことを!
兎に角、ひどい!着替えまで用意して……
まだ、3時だよ!

近所のスーパーへ行こうと思っていたが、もう、やめた。
これから、心を入れ替えて年賀状を書くぞ!
でも、足が腫れ上がりそうだけど、我慢我慢!

ちょっと、コンビニへ行ってみようかな?

新しい年、ブログをしっかり書くと決めた!

2017年01月01日 | 日記・エッセイ・コラム
2017年1月1日(日)

平成29年いや、私にとっては親しみやすい2017年を、ついに迎えた。

『昨年はあれほど夢中だったブログを随分サボったものだった』
書く気は何時もあったのだけど、書く時間が足りなかった。
特に、一昨年に続く二年続きの入院は、Macとも十分に触れる機会がなかったのだ。
更に、昨年の病院では遂にIphonすら電力がなくなって、半月を手持ち無沙汰で過ごす日々が続いてしまった。

今、考えると、人間、日頃の暮らしを離れると、どうしようもなく生活や考え方に言いようのない変化が生じてくるのだと気がついた。
それも、私の場合はプラスの方向ではなく言いようのないマイナスへ向かっていたのだ。

なんとかしなくてはと思いながら、今度は体の方が耐える力がすごく衰えてきたと、切実に考える。
人間、歩けない事がどんなに厳しい事か、今では一番の悩みとなっている。
歩いた後は疲れが厳しい。『歩く事が大切』と何時も言われているが、歩けば歩く程に痛みが激しくなるのが日常のようになっている。
いや、そうか!
その苦しみを乗り越える事が大切なんだなと一方の私は自分に呟く。

まあ、こんな日常を過ごして昨年は過ぎてしまった。
もう一つの悩みは、耳がかなり遠くなった事だ。
聞こえないから、姉との会話もいい加減になったり、お互いが不機嫌になる原因を作っている。
補聴器は立派な物があるのだけど、矢張り、便利ではあっても何時でも役に立つわけではない。
便利であっても、余りに小さいので、時々、行方不明になるのだから大変。
相当に高価な機器なので青くなっている。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

<桜子より皆さまへ>
正月早々、不景気な言い訳になりました。この事をご理解願って、年賀状にブログの事を書いて下さった皆さんにお知らせしておきます。
コメントが余りに少ないので、余程、つまらないブログなんだと思っていましたが、嬉しかったです。
お暇な時にブログにコメントを送ってくださると、もっと、張り切るのですが……
今年は、頑張って書き続けますので、よろしくお願いします。

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* 早速、今日の事をブログにします。

2017年、遂に年が明けた。
でも、何時もの私と可成り変わっている。

何よりも、新しい年を迎える、つまり威儀を正してえ迎えようとする気持ちや態度がすっかり消えてしまったのだ。
今までの私は、少し頑固過ぎるくらいに『新年』に対する考えや準備などにこだわっていた。
先ず、新しい年に敬意を払って行う『新しい物』の準備も疎かにしなかった。
それがどうだっていいや!という態度で、生活の中に物凄くはびこっている。
まさに、驚きの変わりよう。
その事を、自分では『体が言う事をきかないのだから仕方が無い』と決めてかかっている。
実際に座って作業が出来ないのだ。更に、立っていたり椅子に腰掛けても無理とくる。
怠け者の私にとって、それは都合がよいとは言え、余りにも、だらしの無い有様である。

今年は何とかしなくてはと思うが『思う事』と『やる事』の差の激しさは健康な人には理解出来ないだろう。
出来るだけ食べたい物は作ると決めているが、残念ながら、一つの料理が仕上がると、もう、腰に響く。
「いたい、痛い!」と椅子に座り込む。
「私はもっと、きつい」と言われると、これは大変辛い。
何故なら、お互いに体の具合が良く無いのだし、それに相手は私より四歳も年上なのだから……
我慢しようっと!!と、密かに思う。

こんな事で、正月早々から、おかしな空気が……流れた。しかし………
新しい年を迎える心構えを、決して変えてはいけませんぞ!桜子よ!
今年はもっと、穏やかに暮らさなくては!と、今朝、大人気も無い言動を取った自分を恥じる。
いや、恥じったって良いんだよ。
もっと、人に気を遣わなくては……

そうそう、私は自分がタルんでいる事をしみじみと感じた。
今朝、目が覚めたのは5時過ぎ。
昨日は年賀状の印刷で大変だった。
その後『紅白歌合戦』
あれはつまらないね!
若者は新しい歌で??ベテランと称する歌手は古い歌で…NHK何を考えているのか分からん!
そうするうちに、寝る時刻は2時を過ぎてしまった。
テレビでは、天皇陛下のご退位の事で議論していた。

目が覚めた。何時もだったら、多少、早過ぎてもシャワーを使っている。
でも、ニュースで年寄りの入浴は危険と言っ報じている。
シャワーを浴びて足湯をするのだから大丈夫と思ったが、寒いから止めにする事にした。
もう少し寝ようっと!

今度、目が覚めたら、なんと8時をとうに過ぎている。
今朝は印刷機を片付けて、うま煮を炊くつもりだった。
それに正月に必ず梅干しを焼いたお茶を私が準備をするのだが、それも省いてしまった。ついでに、乾杯用のワインも…
ひたすら『大根なます』を作るのみ。
部屋は、昨日の年賀状印作業の跡が散らかったままの有様だ。

さあ、これが終わったら、年賀状書きだ!頑張らなくては………ネ!! 

寝ぼけ

2016年12月13日 | 日記・エッセイ・コラム
12月13日(その2)

最近、二階へ上がると何もしないうちに直ぐ眠ってしまう。
目が覚めると、それからが大変。昨日と今日の区別がつかなくなるのだ。
大体、もう日が過ぎたと思っても、まだ、本当の今日。つまり未だ未だ日が経っていないのである。
なんたるボケよう!

今さっきもやってしまった!
朝だ!私は着替えもせずにごろ寝をしていたんだと、ショックしきり!
ところが、時刻を調べても、まだ午後。それも前日。どうなっているんだ!と,言う事になる。
まだ、夕飯も食べていないよ!(なんたるボケよう!)である。

午後、近所のスーパーへ行く。
何時もより少しばかり安い物もある。白菜と大根を無理やりリュックに詰め込んで背負った。
私の背中は左へ傾いているので、リュックの紐が上手くかからない。
僅かな道のりでも、家に着くまでが大変だが頑張る。

スーパーへ行く前に郵便局へ寄った。
15日から年賀状の受付があるそうだ。
これだけの量。とても、書けそうにない。
最近、恐れているのはまともに机に向かって座れない事。つまり、文字が書けない事である。何かと、情けない事態が起こりつつあるのだ。

いろいろな問題を抱えている。 
なんとかしなくてはと思いながら、取り敢えず葉書を買った。
沢山買ったのだ!
大変だけど、頑張りましょうよ!!





冬が始まる

2016年12月13日 | 日記・エッセイ・コラム
12月8日(木)

暖かい日、それも春を思わせる日があると思えば、急に寒~い日がやってくる、そんな日替わり天候の続くこの頃である。
なんだか、春を待つ庭の木々もすでに新しい目を一日につけ始めた。
我が家の桃の木には、毎日、いく種類かの小鳥が飛んできて、枝に器用にぶら下がったり飛び交ったりしている。
庭を汚してくれる恐れもあるが、こうやって、安心して異なった小鳥たちの交流の場になっているのを見るのも楽しい。

空を見ると、どこまでも澄み切った青空が心地よい。
良い天気なので、近所のス-パーへ出かけることにした。
家の横道をバス通りへ向かうと、以前は簡単だった道のりも、今の私の足では厳しいことになる。
それでも頑張って歩いていると、急に北風の寒さを感じる。何故だろう?
やっと気が付いた。急に寒さを感じる場所は道の両側に背の高い家が建っている。
繁華街の様な高層ビルでなくても、この辺りでは背の高いビルとマンションが、この狭い路の両側に建っているのだ。
なるほど、これもビル風!と何だかおかしくなった。まあ、これも我慢しましょう。それより、さっさと歩けばいいんじゃないの!と、自分に言う。

駅ビルへ行くことにした。
最近は、バスではなくタクシーに乗ることにしている。これは必要悪。
今日の目的は、久しぶりに寿司を食べる事とクリスマスカードを買いに行く事だ。
久しぶりに握ってもらった寿司は、先ず、光り物。これだけはやめられない。その代わり、マグロは食べない。残念ながら五皿も食べると、もう、ギブアップ!


寿司に満足して、次は丸善へ…
カードをゆっくり見るには、私の足は言う事を聞いてくれない。だから、可愛いクリスマスツリーのデザインの付いたカードを選んだ。それも二袋。
家へ帰ってから気がついた。
バカだね!私!封筒だけしか入っていない。それも一袋に四枚ずつ。合わせて八枚。
本当におっちょこちょい!
中身は別売りと気がついた。もう、並んだり歩き回るのが我慢出来なかった所為だ。
今までお得意?と思っていたデザインもやる気がしない。
結局、折角送ってくれたHI君へのカードも遅くなりそう。

でも、いいや!
相変わらずの『おっちょこちょい』の本領発揮だ。
ブログを書くのも遅くなってしまった。

東京の初雪

2016年12月06日 | 日記・エッセイ・コラム
11月24日(木)

今日は『御茶ノ水』へ行く日でした。
昨夜からの雨で、それがみぞれへ変わっていきます。
大森は,何時も暖かいので、さほどに大変だと思いませんでしたが、それでも何となくみぞれらしい雨が降っていました。

いつも通りにシャワーにかかって、さて、今日の予定は満足に果たせるかと話し合いました。
予約をしているので、こういった出来事が起こると、迷ってしまいます。
しかし、今は雪になっていないから大丈夫と思ったら、とんでもない目に遭いそうです。

何よりも、自分の足の具合を考えて、キャンセルをすることにしました。
九時から受付と言うので、何度も電話をかけましたが、考えることは皆さん同じで、やっとかかったのは一時間ほど後でした。

東京の大雪と言えば、何度か経験がありますが、渋谷の坂道で歩くのに苦労したことがあります。
丁度、クラス会の集まりでS小学校まで皆で歩きました。
坂道と言えば、すぐ、思い出します。
もう一つは、日曜日に仕事のために職場へ行った時のことです。
車で行った私は、雪がどんどん積もるのを見て、急いで帰らなければと思いました。
しかし、雪は思わぬ速さでつもっていきます。
坂道を避けて山手通りに出た私はガソリンスタンドでチエーンを求めようとしましたが、既に遅く売り切れです。
国道へ出てからはタイヤの後を伝うように走らせました。
何よりも、家の前の一方通行道路の雪が最大の隘路でした。
日頃、大雪の怖さを知らない都会の人間にとって、歩く事さえ到底無理だという事に気がつくのは遅すぎたといった具合です。

初雪宣言とは言え、東京は殆ど雪が消えてしまい幸いでした。しかし、北海道を始めとして何時も冬将軍に見舞われる地方では、これからが、益々、大変で、厳しい事でしょう。
雪が降る毎に、あの滋賀県の田舎を思い出します。


キャンセルは不可能だったけれど、病院側も諦めていた事でしょう。
結局、次の週に入れ替えてもらいましたが、患者の多い整形外科の場合は年を越して1月5日にしました。
まあ、忙しい事です。




ガンバレ!冬仕度

2016年11月24日 | 日記・エッセイ・コラム
11月18日(金)

勤労感謝の日まで、随分とサボってしまいました。
それ程、何もなかったかと言うと、そうでも無いのです。
今日こそは書こうと、何度も思ったのですが、最近の怠け癖は中々治りません。

実は、ほとんど一年間出掛けていない富士山の家の事が気になっていたのです。
とにかく、冬が本格的に来るまでに行かなければならないと、凄く気にしていました。

やっと、重い腰を上げて,十八日、金曜日から四泊する事にしました。
四泊といっても、瞬く間です。
とにかく、昨年の十二月以来ですから、特に今年の異常気象はあちこちに湿気が溜まっていて大変でした。
一番の原因は、私が大事な季節に入院を二ヶ月もした事が災いしたのです。
歳のせいで、足腰の具合が一層酷くなったためです。
なかなか、出掛ける勇気がでません。

考えてみると、そうやって山梨まで行くことを避けていたのです。
やっと『水止め』という、冬の準備をしなければならないと否応無しの事情に迫られました。

いつも通りに高速バスに乗って行くことにしました。
こういう時に自家用車を使えないのが大変ですが、もう、辞めた私には無理な話です。
空港発のバスは途中で『品川駅東口』で乗る事が出来ます。
羽田空港よりは便利かと思い『品川駅東口』を選びました。

なんと、この乗り場が駅から遠いのには驚きました。
一時間以上も早く行きましたが、駅構内では、まだ早過ぎて弁当を買うことも出来ません。
仕方なく、バス乗車口の近くで、うどんを食べましたが、品川駅東口は私の記憶からはすっかり変わって,店もたくさんあります。
また、高層ビルが立ち並んでいて、以前は殺風景な雰囲気だった街が驚くばかりの発展です。



大分、待ってバスが空港から来ました。
驚いたのは車内はびっしり、しかも、殆どが、座席に一人がけです。
やっぱり、羽田空港まで行った方がよかったと思いました。
いろいろ経験してみるものですね。

バスは一気に『河口湖駅』まで行きました。
今日は、富士山が綺麗です。
そんな景色もアッと言う間で、まあ!ドライバーの運転技術は大したものです。

駅からは、シャトルバスが使えます。
コンビニで買い物をして家へ…
近所は皆、人気がなくひっそりとしています。
一合目の景色はまさに秋。やっぱり富士山!
自慢したくなるような景色が続きます。
木々の紅葉や木の実の彩りが素敵でした。

しかし、それからが、大変。
早速、ヒーターを一杯に稼働させて、今晩、寝られるようにします。
さて、明日の仕事は?
腰の痛む二人にとっては、大変です。
頑張らなければ……

90歳の仁川会っていいな!

2016年11月09日 | 日記・エッセイ・コラム
11月9日(水)

えらくスピードが出てきた。
スピードと言っても、車では無い。
ブログを書く気が起こってきたのだ。
それも今日の分は終わって、次の日にかかっている。なんと、気の早い事。

「そうだ!あの事を書こう!」
早速、Macを開いて打ち込めば良いのに、つい、サボってしまう。
記憶力の衰退?
何時も眠たがりの私には、パソコンだけが、私の目をぱっちりさせる力があるはずなのに~

さて、今日は『明日のため』に、何を書こうか?
そうそう、今日の昼間は、私一人のお留守番だった。
姉は仁川時代の同期、と言っても、仁中と仁女の集まり、つまり、仁川の中学校と女学校の生徒だった人たちの集まりの食事会に出かけている。
 
このグループで感心するのは、メンバーは少なくなった今でも、七・八人の人たちが年に数回の集まりを持っている事だ。
かつて姉達は、九州を始めとして関東まで広い地域にわたって、毎年、会を行っていたが、歳をとってからはだんだん、広がりが狭まったようである。

東京の集まりでは、姉も再び、参加する事になった。
会員は、既に九十歳になった人と八十九歳の集まりである。

姉は「きつい」と言いながらも、今日もお土産のチョコレートを持って出かけて行った。
彼女のカバンは確かにPRADAの品物。先日、韓国の大騒ぎに出てきた『PRADA』と同じだと、変なところに気がついた。
「富士山の家にはPRADAの靴があるよ」と私。一回、履いただけで痛くて、そのまま、しまってある。

夕方、帰宅した姉に様子を聞いてみた。
結構、話が弾んだらしい。

私には、残念ながら、そういう友達はいない。
今までは何人かいた友達も、既に音沙汰が無い。
大体、年に一度の年賀状では友達とは言えない付き合いだ。
時々、電話をかけてくる大学時代の友達も今年は年賀状が来なかった。もっとも、私自身が音沙汰無しで済ませているのだから文句は言えない。
「友達なんて……」と強がりを言っても、矢張り、時々、気になる。

そうした中で、一人だけ、未だに、度々、それもかなりのスピードでハガキを何枚も送ってくる友達がいる。
千さんは彦根時代の友達である。
戦後、彼女は朝鮮から引揚げてきた友達で、米原から汽車通学をしていた者同士が自然に仲良くなっていったうちの一人である。

ところで、八十歳を越すと、友達も、益々、少なくなる。
千さんは体のあちこちが悪くて、既にホームに入っているが、結構、気の向くような暮らしをしているらしい。
時々、ハガキが来るが、最近はその回数が可成りのスピードで増えてきた。

その理由は、私が返事を出さない事が原因しているらしい。
なぜ『書か無い』かというと、私の足がいう事を聞かず、ハガキを買いに郵便局まで行くのが厳しいからである。
そして、それ以上に大きな理由は、彼女の手紙が『自分のこと』ばかりに終始して、しかも、具合の悪い話ばかりで文章が埋まっているからである。

度々『これでもかこれでもか』と似たような文面がくると、もう、憂鬱で出す気がしなくなった。
気分が悪くなるばかりで、もう、返事を書くのは止めようと思う程になった。
(それに、肝心の買い置きのハガキが無いし…)

つい、二、三日前に、やっと前向きな文面の彼女のハガキが届いた。
しかし、それも、彼女自身の事ばかりが書かれている。

なぜ、私が返事を書かななかったかと率直に伝えようと考えた。

今日は足だけでなく、腰にまでむくみが来ている。辛いけれど、買い物に行くついでに、郵便局でハガキを買ってきた。

夕方、返事を待ちかねた彼女からの電話があった。
私がどうしているか気にして電話をしたと言う。

「あんな、便りをよこすなんて嫌だわ」と答える。
自分自身の事ばかり書いて、しかも、全文が体の調子のが悪い事ばかり書くなんて、どうかと思うと、はっきり言った。
お互いに歳をとっているから、あちこち、具合が悪いのは仕方が無いけれど、相手の気持ちを考えて欲しいと……

悪い足で、郵便局まで行くのはキツイけれど、今日はハガキを十枚買ってきたと伝えた。
「ごめんなさい」という彼女の声で電話を切ったが、一方的な会話だったと思う。
今晩は眠れた夢を見るかな?千さん?
言い過ぎたかな?また、私は友達を減らしてしまった。凄く意地悪なワ・タ・シ!!

電話の一部始終を聞いていた姉は笑っていた。
歳をとったら、互いに気持ちの良い話で通したいものだ。

今日、集まりを催した人達は、また、三月に会合をするそうだ。
ちょっと、羨ましくなった。
そうだ!町田のOさんに手紙を書こう。そのためにも、ハガキと切手を買ったのだもの。

局で「年賀状、如何ですか?と聞かれた。
「今年中に必要になればね」と言うと、「そんなぁ!」と女性の局員が笑った。
まだ、年賀状まで、考える余裕が無いなぁ!

もう、年賀状の季節到来か!大変だー!

* ハガキを書きたくない理由は、文字忘れと文字が乱雑で曲がってしまうのが気になるからだ。


久しぶりのおでんですよ〜

2016年11月08日 | 日記・エッセイ・コラム
11月8日(火)

野菜の高騰は、なかなかなおらない。
スーパーのレジに並ぶ人のカゴを見ても、必要最限度の青物しか入っていない。
今年の天候の変化の激しさが原因しているとは言え、なんともため息の出る事である。

最近、目立つのは小袋に入れた刻み野菜の売り場。
じいっと眺めて、やおらカゴに入れる人が増えてきた。
私はそうしてまで買おうとは思わない。綺麗に処理して、そのまま食べられる様だが、やはり、何となく嫌なのだ。
そういう神経質な考え方は、外食の場合を考えると矛盾しているのだが。

ここのところ、おでんが食べたくてたまらなかった。
コンビニのおでんを見ると、ますます、食べたくなる。
でも、残念ながら、私は自分で煮たおでんが食べたいのだ。
それも、特に大根と小芋が…特に。
野菜払底の時には、大根さえ姿を見せなかった。
と、言う訳で、おでんとは長いお別れだった。

最近、エスカレーターの脇に大根が並べられているのを発見。
何時もより細いけれど、食べられそうな大根である。
早速、おでん種を買って、大根を手に入れる。

大きい鍋を用意して、おでん種の説明書き通りに種類を入れる。
前もって茹でた大根を入れ、更にもっと増やしたい種を入れる。
適当な小芋はなかったので、少しばかり気になるが次の機会には入れる事にしよう。
何時もより細い大根は、結構、食べられた。
やはり、おでんは日本の味ですね。

若い頃、たまに、屋台のおでんを食べた事がある。
家庭では使わない物も具材にすると、結構、美味しく感じられた。
また、新橋の有名なおでん専門店では、マグロとネギを挟んだ串が美味しくて注文したものだ。
そうそう、銀座の裏通りの小料理屋を、時々、覗くと、馴染みになった女将さんが「もう少し待ってね。大根を入れたばかりだから、まだ、味がしみていないの」と言われた。

お酒はあまり飲まなかったが、そうした経験が、私の味作りの元になっている。
だから、おでん種についている既成の出し汁はあまり好きではない。
勿論、’おでん種も一つずつ選ぶ事にしている。

先日、近所の大型スーパーへ出かけて、太い大根を見つけた。
重くて荷物になるけど、これを見逃す訳にはいかない。
野菜払底の今日、何と言う幸運。
よーし!これを使って、おでんだけでなく、いろいろ作ってみよう!

やっと手に入れた太い大根に、夢は弾む(なんと言うおおげさな!喜びよう!)

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昨夜、あの大根を使って、大根なますを作った。
なんとなく歯触りが固い。
やはり、しばらく売らずに、取っておいた大根かな?だから、大根特有の水気払底か?

それとも、包丁の切れ味が良くない所為か??
若しかして、私の技術の所為かな?

「この前の細い大根の方が美味しかったよ」と言われた。
矢っ張り、私の所為じゃあァ、無いんだと思うんだけどね_
今年の野菜って、どこまで、消費者をがっかりさせるの??


サンドイッチ作ろう

2016年11月07日 | 日記・エッセイ・コラム
11月7日(月)

一昨日の夕方だった。
「綺麗な三日月よ!」
姉に言われて、南の空を見上げた。
急に冬らしくなった夜空にきりっとした鎌のような月が出ている。
人間って、贅沢なもので、暑ければ「アツ~イ!」気温が下がれば大げさに身を震わせてしまうなどと身勝手な行動をとる。

私はどうも、冬の寒さが苦手である。
子供の頃は、石炭ストーブが真っ赤にならないと起き出さなかった。
学校の朝会でジンジン手がかじかむ程の寒さをこらえるのが辛かった。
思えば、当時は戦時中だったから『少国民』としては我慢する事の辛さを経験するしかなかった。

さて、思い出はもう良いとして、今日7日は『立冬』
いよいよ冬の始まりである。
やれやれ、最近は、夜中に目がさめるし、早朝にシャワーにかかる生活が始まっている。
寒くて寒くてたまらなくても、思い切ってシャワーだけは欠かさない事にしている。

今朝は買い置きの食パンでサンドイッチを作る事にした。
最初は、卵、ハム、魚のフレークを使って三種類のサンドイッチを作ろうと思ったが、結局、卵が多過ぎたので二組作る事にする。
結局、魚は中止。後の二組もハムにする。

最近は、台所に立つのも厳しくなった。足だけでなく、腰がグラグラする。
「きつい、きつい!」と言えば、「私の方がもっときつい!」と姉。
確かに、彼女は四歳上だから、仕方がないかなと思って黙っている事にした。

以前、S先生に話をしたら「それは無理だよ。もう、きつい事はやらないで、出来た食べ物を買って来なさい」と言われた。

先生のおっしゃる通りである。自分に合った生活というものがあるのだ。
夏の二ヶ月の入院生活で、私の体は、ものの考え方や暮らし方を大きく変えてしまった。
何時も、暇さえあれば、居眠りをしている。
かつて…
「うちの主人は眠ってばかりいるんですよ」と、私に話しかけた老夫人がいた。
見ると、ご主人は何処でも眠くなるらしい。有名な会社の社長さんだと聞いていたんだけど…
その時の私は十分に、夫人の言葉を受けとめる事が出来なかった。
随分、不遜な考え方だったと、今にして思う。

本当は、もっと違った料理も作りたいが、立っていられなくなる程、足がふらふらする。
『作りたい料理』に夢があるんだけどなぁ!
腫れ上がった足を見ながら、食いしん坊の私は諦めるしかないのだろうか?

結局、サンドイッチとトマトピューレを使ったスープらしき物を作った。
出来上がったサンドイッチも、全部は消化出来ない。
残念ながら喉に詰まるからである。情けない話!
食べられないからと、姉に分けてあげた。
この頃は、喉元を通る食物に苦労しているので、味覚も怪しくなった。

女性の起用に思う

2016年11月01日 | 日記・エッセイ・コラム
11月1日(月)

いよいよ11月である。
未だに私は10月と11月の境い目を気にしている。
困った事だ。いささか、呆けているのかな?
いい加減にせい!

11月を迎えると、急に寒い冬を強く感じ始める。
11月にも、世の中では様々な催しがあると言うのに、どれ一つ、今の私には当てはまらないからだろうか。
なんとなく、そのままひと月が経って、12月を迎えそうな気がするのだ。

ところで、ここ僅かばかりの間に、いろいろな事が起こった。
国外に目を向けると、韓国の大統領の事件。
アジアでは、韓国にいち早く女性大統領が現れて、この国もなかなかやるじゃないのと思ったが、大変な暴露が現れるらしい。

元々、現大統領の姿勢は日本に対して冷たくあやふやだったから、私には、そう言う気持ちでしか彼女を見る事が出来なかったのである。
様々な国際的な会談の際も、彼女は特別扱いに大事にされていたが、今回の事件を聞いて『なーんだ!これで国の代表?』と思うしかない。

最近の女性については『女性の起用』をモットーにしたいと言う総理大臣の考えで、その比率は未だ少ないが女性大の任用が行われつつある。
しかし、私に言わせれば、その人数はもっと増えてもいいし、彼女達の適材適所を慎重に選ぶべきだと思う。
大勢の大臣のうち、僅か四人の女性閣僚が選ばれたが、その遂行すべき任務を十分に理解して責任を果たしているかという疑問がおびただしく感じられる。

最近、最も、疑問に思ったのは『防衛大臣』
体格の良し悪しは別としたいが、その答弁たるや不信感そのもの。彼女が何故、この職に選ばれたかと信じ難いものがあった。
最近の写真では、彼女が部下?と並んで写真を撮っているが、何故、緊急を要するような現地で、笑顔を見せているのだと思いたくなる。
家族を置いて、最も危険を感じられる状況の異国にあって、厳しい労働と命の危険の境い目で働く自衛隊員の努力を目にするたびに、気になって仕方がない。
どうか、任期が済むまで、全員が無事帰還できるように祈ってやまない。

日本は70年来、非武装国であった。
国会で返事一つが、自分自身から発せられないと明らかに感じられる女性大臣の言動をどうしても批判したくなる。
政府が彼女をこの役職に就けた事自体が無責任である。
男女の差をつけるべきでないのは当然であるが、それぞれの性差や人柄について慎重に適材適所を任命すべきとしみじみ思っている。

ある人は言う。「男性は皆、この役職から逃げたのよ!それを女性に回したのだ」と……
それなら、どうするの?
彼女だけの責任ではあるまい。まさに人身御供か!!

韓国大統領の問題どころじゃない。肝心なのは自国の事である。
最近のテレビは『アスリート、アスリート』とか『オリンピックの施設問題』……『金メダル』ばかりを狙っている…
しかし、確か、オリンピックは『参加する事に意義あり』だった筈ね!と、言いたくなった!
もっとも、いじましいのは『食べ物歩き』にどこのスタジオでも、朝から『大口を開けて朝から味見をする出演者』
ところで、サンクスギビングデーの意味を知っているの?若い者達よ!
楽しむのはいいけれど、カボチャカボチャでいいのかなぁ?

ああ、そんな国になったのか???? 日本は!
恥ずかしいよ!


考えてみると、これらの問題は今だけではない。
私が仕事に関わっていた時代にもあった問題だ。

死にたくなる程、辛い事がたくさんあった。
職場の屋上から飛び降りたいと思った事もあった。しかし、
『死んではいけない!』と、決して負けなかった自分がいた。
絶対に同じ任務を持つ男性達に伍していけると、自分では思ったもの。
それだけに厳しかったけれどなあ……

自分で切り拓く気概はあった。

今でも、当時の様々な事が怒りを持って思い出される。
なんで、あのような問題の多かった職場が、私の最後の任務地として当てられたのか?と……

問題の多い職場を私に配置した室長が、自身は気楽な職場へ移動できた事を自慢げに、その様子をのんきそうに電話してきた彼の言葉を未だに忘れられない。
私は、すかさず、そのような彼に対して、激しく厳しい感想を述べた事を今でも昨日のように思い出す。
彼は、言葉が一言も出なかったようである。
「いい気味!」と、少しばかり、私はスッとした。


この秋、10月10日には周年行事の記念式典があった。
今まで、絶対に口に出さなかった言葉が、つい、出てしまった。
心につっかえていたものが、出てしまったので、会場の皆が驚いただろう。
『ゴメン!』
一番、驚いたのは、勿論、自分に違いないけれど……

やはり、あの最後の職場の出来事が許せずに、未だに好きにはなれない自分の心の激しさに呆れるばかりだ。

たるみ過ぎです

2016年10月31日 | 日記・エッセイ・コラム
10月31日(月)

なるほど『にしむくさむらい』か!
子供の頃、覚えた月の日数。
昔の人は、よく考えたものだ。
こんなに重宝な言葉はない。
小の月は2、4、6、9、11になる。
11は士(士)として覚える。

こんな便利な覚え方を、今もやっているのかな?
最近、新しい言葉、それは私の様な年代の者には、理解しがたいものが多いが、これほど、具体的な言葉の表現は少ない。

ふと、気がついたのは、今日が『10月31日』である事。
最近は全てが自分中心にしか回っていない様な気がする。
「足が痛い!足が動かない!」などと、悲観的な言葉で、自分の生活が進んでいる事に気づいて、遅まきながら、ゾッとする。

さて、今日は31日だった。まだ、10月なんだね。いささか、ほっとする。
ところで、何にホッとしているの?

身の回りの乱雑さを片づける事が出来ない自分に、毎日の様に言い聞かせているが『明日あり…』で日が暮れる。

『明日ありと思う心の仇桜夜半に嵐の吹かぬものかは』は、親鸞上人が9歳の時に仏門へ入られる前夜に詠まれた和歌である。
私は何時もこの言葉をモットーにしてきた。

しかし、今は、全てがだらりとしたままである。そして出来ない事全てを足の所為にしているのだ。
時々、気付いても、つい「体がきついんだものねー無理よ〜」と甘えの方が先行する。

ところで、これ程、月、日数の取り違えでも、何も気にしなくなったのは何故だろう?
面倒な事は、全部、避けようとしている。

ブログにはつまらない事を書くんじゃないのに……ネ!!
ガンバレ!桜子!