桜泉、今、ある決断をしつつある。詳細は言えない。あとでトラブルになっては面倒なので。
ただ、我が行く道を見つけたり!とだけ言いたい。
その瞬間、部屋の西日がさーっと差して、これは我が内からなる思いだけではない、主の肯きを見たのだと、そんな気がした。
我がライフワーク、幼い頃より、どうしても胸から離れぬことがある。
これからは、それに従って生きていく気持ちが湧き上がってきた。
ただ、それは桜泉の背負う十字架と切り離せないことでもあると思った。
いくらイエス様が十字架にかかって下さって全部担ってくれたと言われても、それでも到底許されるとは思えない、許されてはならないと自ら思う、自分の十字架があるのだ。
(ただ、イエス様と出会うことで、今は、十字架の木の片方をイエス様が持って、片方を自分で持っているという気持ちがしている。)
まずは自分の頭の蠅をひとしきり追い終えたら、残りの人生を、我がライフワークに費やそう。
生きていく上で助けを必要としている人の隣人(となりびと)であろう。
特に、助けを必要としている全ての子どもたちと親たちと、共に在れる生き方をしよう。
我、ここに立つ。主よ、助け給え――。
ただ、我が行く道を見つけたり!とだけ言いたい。
その瞬間、部屋の西日がさーっと差して、これは我が内からなる思いだけではない、主の肯きを見たのだと、そんな気がした。
我がライフワーク、幼い頃より、どうしても胸から離れぬことがある。
これからは、それに従って生きていく気持ちが湧き上がってきた。
ただ、それは桜泉の背負う十字架と切り離せないことでもあると思った。
いくらイエス様が十字架にかかって下さって全部担ってくれたと言われても、それでも到底許されるとは思えない、許されてはならないと自ら思う、自分の十字架があるのだ。
(ただ、イエス様と出会うことで、今は、十字架の木の片方をイエス様が持って、片方を自分で持っているという気持ちがしている。)
まずは自分の頭の蠅をひとしきり追い終えたら、残りの人生を、我がライフワークに費やそう。
生きていく上で助けを必要としている人の隣人(となりびと)であろう。
特に、助けを必要としている全ての子どもたちと親たちと、共に在れる生き方をしよう。
我、ここに立つ。主よ、助け給え――。