ベツレヘムの家畜小屋発

グレグレ耶蘇・桜泉のブログです。

今度この教会行きたい

2011年11月17日 | 幼子は身も心も健やかに(育児)
昨日、雑誌「MOE」の増刊として新創刊された「こどもMOE」を買ってきました。
(あー、最初「Moe」「こどもmoe」って打ってたよ。癖だね癖。目録規則なんざ半年で脳内から流れちゃったと思っていたのに。)

特集はリサガス(リサとガスパールシリーズ、Gaspard et Lisaのこと)、そして、きかんしゃトーマス!

案の定、保育園から戻ったJくんゆーくんは目ざとく見つけて奪い合いながら読んでいました。

さてさてその中で、桜泉もびっくりし感動したのが、トーマスの原作者、ウィルバート・オードリー牧師終焉の地、イギリスはストラウドにあるロッドバラ教会。
戯れる子どもたちの足元に、トーマスとオードリー牧師が描かれた、美しいステンドグラスがあるというのです。

これを見た子供たちが何と言うか、桜泉は聞かなくてもわかっていました。
ゆーくんが言いました。
「こんど、このきょうかい、いきたい!」

ゆーくん、教会って言えば地下鉄乗ってすぐ行けるものだと思ってるでしょう…。

Jくんが、じゃあどうやって行くのというので、「まずね、新宿から成田エクスプレスで成田空港に行って、成田からヒースロー空港に十何時間のフライトをしてね、降りたら電車か車で何時間も行くんだよ」。
海外旅行経験のないうちの子どもたちは「ぽかーん」としていました。

でも実は桜泉も…行きたい!
トーマスと一緒にお祈りしたい!
これまた実は海外旅行経験のない桜泉が、行きたい国があるとしたらまずはイギリス、そのほかフランス、ドイツ、スウェーデンなどのヨーロッパ諸国と、あとはブータン(今国王夫妻がいらしてますね)。
(なんなんだろうこの英国ファンぶりは…。)

いつか、オックスフォード大にでも留学したJくんかゆーくんに招かれて、老母が訪ねていく旅をするのも、いいかなーなんて妄想に入ってしまいました。

親だけで育てるよりも

2011年11月17日 | 幼子は身も心も健やかに(育児)
去年でしたか、爺とJくんが花園神社の酉の市に行って、Jくん「何でみんな箱に向かってお金投げてるの?」発言があったのは。
先日、ゆーくんに絵本を読み聞かせていたら、「坊様」という言葉が出てきて、僧侶の絵も出てきたのに、ゆーくんは「ぼうたま(ぼうさま)って何?」とご質問。
そういやこの子が直近に法事に参加したのは、もう2年前、覚えているわけがない。曽祖母の葬儀には参列せずだったし。
別に、潔癖に遠ざけているつもりはさらさらないけれど、グレても耶蘇夫婦、積極的に寺社に連れていくことはない。(近所の明治神宮に行くのは、「Memorial Park of Emperor Mutsuhito」で遊んでいるという位置づけなんで…。実際めったに本殿には近寄らない。)
桜泉夫婦のグレ耶蘇としての教育方針はこれだが、しかし、これでは一般的な日本人の文化風習信仰のことを知らないままになってしまう恐れがある。
下町文化と鎌倉の寺院に親しむ一般的日本人な婆と、本願寺系のお寺にはそれなりに敬意を示す一般的日本人の爺と、どうやら仏教徒アイデンティティを持つ科学者である一階爺という、両親とは異なる信仰・カルチャーを持った祖父母に囲まれて、これから二人の子供たちも自然にそういう世界のことも知り、理解していくだろう。

ところで、我が家では、子どもたちに、桜泉夫婦から飴を買い与えることはほとんど皆無といってよい。
窒息事故を恐れる(自分が子供のころそうなりかけたので)桜泉と、虫歯を警戒するパパガスの、暗黙の了解によるものである。
でも、気がつけば、知り合いのおばさまや、祖父母から、時々飴を貰っているし、保育園でも、お散歩時の栄養補給にしばしば頂くらしい。
ゆーくんとチョコレート(=鼻血)、Jくんと夜間の飲料水(=おねしょ)みたいに、体質・疾病上の理由から、勝手に与えてほしくないものはあるけれど、それ以外のおやつを頂いてくるのは、黙認している。

二つの事柄には共通点があると思う。
親権者たる両親の教育方針という大きな枠があり、一応その中に二人の子どもたちはいるけれど、子どもたちには「抜け穴」が用意されていて、外の世界も知ることができるということだ。
両親の教育方針が三食のご飯なら、それ以外の大人から受ける影響や物はおやつのようなもの。

子育ては、できるだけ、両親だけで抱え込まずに、祖父母や親戚や知人や地域などを巻き込んで、立体的な状況で、できるのがいいと、つくづく思っている。子どもも、抜け道逃げ道、親の知らないわくわくワールドがあってこそ、親という港を母港に帰ってくるし、そこから出たり入ったりして冒険をして、だんだん世界を広げ、育って、やがて巣立っていくのではないだろうか。