ベツレヘムの家畜小屋発

グレグレ耶蘇・桜泉のブログです。

私の十字架~桜泉の独り言

2011年10月30日 | グレ耶蘇生活
桜泉、今、ある決断をしつつある。詳細は言えない。あとでトラブルになっては面倒なので。
ただ、我が行く道を見つけたり!とだけ言いたい。
その瞬間、部屋の西日がさーっと差して、これは我が内からなる思いだけではない、主の肯きを見たのだと、そんな気がした。

我がライフワーク、幼い頃より、どうしても胸から離れぬことがある。
これからは、それに従って生きていく気持ちが湧き上がってきた。

ただ、それは桜泉の背負う十字架と切り離せないことでもあると思った。
いくらイエス様が十字架にかかって下さって全部担ってくれたと言われても、それでも到底許されるとは思えない、許されてはならないと自ら思う、自分の十字架があるのだ。
(ただ、イエス様と出会うことで、今は、十字架の木の片方をイエス様が持って、片方を自分で持っているという気持ちがしている。)

まずは自分の頭の蠅をひとしきり追い終えたら、残りの人生を、我がライフワークに費やそう。
生きていく上で助けを必要としている人の隣人(となりびと)であろう。
特に、助けを必要としている全ての子どもたちと親たちと、共に在れる生き方をしよう。

我、ここに立つ。主よ、助け給え――。

先生たちへのエールと協働

2011年10月30日 | 幼子は身も心も健やかに(育児)
土曜日、Jくんのはいる小学校の説明会に行ってきました。
ここは校舎から富士を仰ぐ代りに(桜泉が通った学校は、みんな校歌に富士山が入っていましたよ・・・湘南地域でしたからね)新宿の摩天楼を仰ぐ場所。
従って、各学年1クラス、全校児童100余名の、まるで田舎の山の学校のような所です。

第二次ベビーブーマーとして、芋洗いのような環境下、受験戦争なんて言葉もまだ生きていた時代に学童期と思春期を送った桜泉から見たら、ぽかーんと言うか、びっくりと言うか、まさにタイムマシーンで未来に来たのだなと言うような、隔世の感のある、そんな印象です。
子どもたちは、大変丁寧に、先生方に教え導かれ、地域ぐるみで育てていこうという気概が感じられました。

ただ、校長先生が元気がなさそうな人なのが気になりました。
私が知っている校長先生のイメージは、威厳と慈愛とパワーに満ちている人なんですが・・・。
現代の、まして東京都の教育行政事情から言って、実に辛い立場にある、まるで中間管理職みたいな、とんだお役目なのではないでしょうか・・・そう察しました。

でも、それでも、迎えてくれた先生方の、一生懸命な気持ちは伝わってきました。

桜泉は言いたい。

教師の質は、落ちていません。

いやむしろ、7~80年代の教師の中にとんでもない奴らがいくらでもいました。(その代りすごい奴らもいっぱいいました。)婆に話を聞けば、昭和20年代30年代の教師なんか、やっぱりひどいのがいっぱいいたようです。もちろん立派な先生もいたようです。
現代も同じだと思います。
中にはアレな人がいても、多くの先生は、子どもを教え導く仕事に、ちゃんと熱心に取り組んでいるし、取り組む気持ちや資質を持っているはずです。
いや、これだけ学校教育を取り巻く環境が激変し、厳しくなっているのに、それでも踏ん張っているのですから、どうして質が落ちたと言えましょうや。

もうすぐ小学生の親となるに当たって、日本の先生方にエールを送ります。そして、親として、先生方、学校と、力を合わせて、子どもたちの未来を育てていきましょうと、声を大にして言いたいです。

(ま、何せ主に80年代に初等中等教育を受けた世代なんでね、先公なんてのは基本大嫌いなんですよ、桜泉は。その桜泉をして、今の教育現場の大変さと混乱を思うと、まずはエールを送らずにいられないのです。)