【宝塚音楽学校】
・予科・本科合わせて2年制の宝塚歌劇団生の養成学校
・学校教育法上は兵庫県認可の各種学校
・阪急電鉄の出資で設立
・設置者は学校法人宝塚音楽学校
・所在地:兵庫県宝塚市武庫川町1番1号
●授業時間:午前9時~午後5時(予科生は、授業開始前の掃除が日課)通常、昼間は実技中心の授業、夜は個人レッスンに励む。
・声楽・バレエ・日舞など、劇団で必要な事柄について、みっちりレッスンが組まれている。
・その他の授業は、モダンダンス・タップダンス・演劇、琴・三味線・ピアノ・茶道・狂言・英会話…などがある。
・「社会でも家庭でも敬愛される」人間形成を第一にしているため、礼儀作法やしつけには、特に厳しい。お辞儀の仕方は、実際に自衛隊から講師を招聘して、指導を受けている。
・モットー‥「清く 正しく 美しく」
●沿革
・1913(大正2)年7月 小林一三が宝塚音楽学校の前身、「宝塚唱歌隊」が発足させる。
・1913(大正2)年12月 宝塚少女歌劇養成会と改めた。
・1914(大正3)年 少女歌劇団となり宝塚新温泉で初演。
・1939(昭和14)年 宝塚音楽学校と宝塚歌劇団が分離。
●入学試験:毎年3月末~4月上旬に行われる。
・競争倍率‥毎年、定員50名に対し1000名前後の受験者がある。競争率は、だいたい20倍前後というのが、ここ何10年の平均である。
・「東の東大、西の宝塚」と称されるほどの難関で、82期生は史上最高の48.2倍であった。
・応募資格
1.容姿端麗で、宝塚歌劇団の舞台人に適する者
2.義務教育終了~高校卒業までの年齢(15歳~18歳)の女子
・面接‥舞台人に適した容姿、言語、動作、態度等であるか否かについて審査する。
・声楽‥課題曲(願書と共に配布、数曲中より1曲を選ぶ)の歌唱ほか、第2次試験では新曲視唱、コールユーブンゲン(五度音程)もある。
・バレエ‥クラシックバレエを基本としてアレンジした出題で、本科生が模範演技を見せる。体の柔軟性、リズム感、運動神経も審査対象になる。
・一次試験‥一次試験が、東京試験場にて2日間、宝塚試験場にて3日間、行われる。東京・宝塚のどちらで受験するかは、本人の希望による。
・実際に受験する日は1日のみで、音楽学校から送られてくる受験票に明記されている。その1日で、「バレエ」「声楽」「面接」の試験を受ける。
・一次試験が終わってすぐに、一次試験の合格者発表がある。
・二次試験‥一次試験合格者は、最終面接を含む二次試験へと進む。実技の「バレエ」「声楽」で1日、「最終面接」で1日。
・二次試験は、宝塚音楽学校であり、東京で一次試験を受験し合格した人は、宝塚まで行かなければならない。
・受験の翌日には、合格発表がある。
●宝塚音楽学校の授業料
・入学納入金:48万円
・授業料:月額4万円 (2年間 96万円)
・修学旅行積立金:月額2万円 (2年間 40万円)
・入寮費:月額7,000円
●宝塚音楽学校の服装
・グレーの制帽に、赤いリボンタイ。
・入学生(予科生)は、毛先まで堅く編み込まれた、三つ編みのおさげ髪。
・胸もとの校章にある「TMS」は、「タカラヅカ・ミュージック・スクール」の頭文字。
・白の三つ折りソックスを着用する。
●宝塚音楽学校入学後
・1年目は「予科」、2年目は「本科」と呼ばれ、ほとんどの生徒は寮での集団生活になる。
・2年生(本科)の文化祭が、芸名でのお披露目であり、この時に「男役でいくか、娘役でいくか」を決める。だいたい身長164cmを境にして分かれるとされ、舞台上の性別は「身長だけで決まってしまう」とも言われる。
●宝塚音楽学校卒業後
・音楽学校を卒業すると歌劇団に入団するが、学校の成績が入団時にも付いて回る。新入団者の「序列」は、卒業時の成績であり、これが様々なリストなどで公開されている。
●2003年度よりのカリキュラム改革
・高校未卒業者のために向陽台高校と連携した高校修学(高卒資格取得)サポート制度(希望者のみ)がスタートした。
【宝塚歌劇団】
・阪急電鉄の創始者小林一三が1913年に結成した宝塚唱歌隊が前身。1940年に現在の宝塚歌劇団に改称した。
・翌年1914年、少女歌劇団となり宝塚新温泉で初演。初演演目は桃太郎を題材した『ドンブラコ』
・専用劇場である兵庫県宝塚市の「宝塚大劇場」と、東京都千代田区の「東京宝塚劇場」において公演を行っている。
・一般には「宝塚歌劇」を「タカラヅカ」や「ヅカ」、宝塚歌劇の団員を「タカラジェンヌ」(パリジェンヌのもじりで、団員たちは「宝塚乙女」と自称)、宝塚歌劇のファンは「ヅカファン」呼ばれる。
・宝塚音楽学校と一体だったときのなごりで団員は「生徒」、稽古場は「教室」、演出家は「先生」などと呼ばれている。
・1974(昭和49)年「ベルサイユのばら」初演、大ヒット
当時テレビに押されて低迷傾向だった宝塚歌劇の中興作品となった。これをきっかけに宝塚ファンが急増する。
・生徒は、5つの組(花、月、雪、星、宙)と、専科に分けられており、各組がそれぞれ公演を行い、必要に応じて専科に所属する生徒がこれに参加する。各組には組長・副組長がいる。
・中日劇場公演は毎年2月に行われており、トップスターが主演。中日劇場は前年の大劇場公演の演目を行うことが多い。
・宝塚歌劇団には公式のファンクラブが存在しないため、『宝塚友の会』という劇団側の公式の後援会や、『会』と呼ばれる生徒個人に対する私設ファンクラブ(劇団は非公認の団体)に入会するなどして各々が応援している。
【宝塚歌劇団卒業生】(一部)
・乙羽信子 娘役 26期 1937年入団~1950年退団
・越路吹雪 男役 26期 1937年~1951年
・淡島千景 娘役 28期 1939年~1950年
・新珠三千代 娘役 1943年~1955年
・八千草薫 娘役 34期 1947年~1957年
・寿美花代 男役 35期 1948年~1963年 夫は高島忠夫
・有馬稲子 娘役 36期 1949年~1953年
・朝丘雪路 月組 娘役 39期 1952年~1955年 夫は津川雅彦
・浜木綿子 娘役 40期 1953年~1961年 息子は香川照之
・那智わたる 男役 40期 1953年~1968年
・扇千景 41期 1954年~1958年
・加茂さくら 娘役 42期 1955年~1971年
・鳳蘭 専科 男役 50期 1964年~1979年
・汀夏子 雪組 男役 50期 1964年~1980年
・安奈淳 花組 男役 51期 1965年~1978年
・松あきら 花組 男役 52期 1966年~1982年
・ 道成ゆた佳 52期 1966年~1968年 NHKおかあさんといっしょ八代目歌のお姉さん
・夏川るみ 56期 1970年~1970年 退団後は歌手・小柳ルミ子として活躍
・大地真央 月組 男役 59期 1973年~1985年 元夫は松平健
・黒木瞳 月組 娘役 67期 1981年~1985年
・一路真輝 雪組 男役 68期 1982年~1996年 夫は内野聖陽
・天海祐希 月組 男役 73期 1987年~1995年
・ 白城あやか 星組 娘役 74期 1988年~1997年 夫は中山秀征
【男子研究生】
・宝塚歌劇団の創始者・小林一三は、男女共演の“国民劇”を創造しようとしていた。
・構想の実現へ向け、1945年に「男子研究生」第1期生が歌劇団に特設された男子部に入団。以来加入は4回を数えた。しかし、女子生徒やファンの反発などもあって、男子部は大劇場での本公演舞台に立つことなく、1954年に解散…。
・戦後、男性を募集した時期があった。1945年に「男子研究生」第1期生が男子部に入団。以来4回の応募があり、合格した25人は女子生徒とともにレッスンに励んだ。
参考にしたHP
http://www.nikkansports.com/entertainment/p-et-tp0-20061103-111990.html
ウィキペディア(Wikipedia)ほか
・予科・本科合わせて2年制の宝塚歌劇団生の養成学校
・学校教育法上は兵庫県認可の各種学校
・阪急電鉄の出資で設立
・設置者は学校法人宝塚音楽学校
・所在地:兵庫県宝塚市武庫川町1番1号
●授業時間:午前9時~午後5時(予科生は、授業開始前の掃除が日課)通常、昼間は実技中心の授業、夜は個人レッスンに励む。
・声楽・バレエ・日舞など、劇団で必要な事柄について、みっちりレッスンが組まれている。
・その他の授業は、モダンダンス・タップダンス・演劇、琴・三味線・ピアノ・茶道・狂言・英会話…などがある。
・「社会でも家庭でも敬愛される」人間形成を第一にしているため、礼儀作法やしつけには、特に厳しい。お辞儀の仕方は、実際に自衛隊から講師を招聘して、指導を受けている。
・モットー‥「清く 正しく 美しく」
●沿革
・1913(大正2)年7月 小林一三が宝塚音楽学校の前身、「宝塚唱歌隊」が発足させる。
・1913(大正2)年12月 宝塚少女歌劇養成会と改めた。
・1914(大正3)年 少女歌劇団となり宝塚新温泉で初演。
・1939(昭和14)年 宝塚音楽学校と宝塚歌劇団が分離。
●入学試験:毎年3月末~4月上旬に行われる。
・競争倍率‥毎年、定員50名に対し1000名前後の受験者がある。競争率は、だいたい20倍前後というのが、ここ何10年の平均である。
・「東の東大、西の宝塚」と称されるほどの難関で、82期生は史上最高の48.2倍であった。
・応募資格
1.容姿端麗で、宝塚歌劇団の舞台人に適する者
2.義務教育終了~高校卒業までの年齢(15歳~18歳)の女子
・面接‥舞台人に適した容姿、言語、動作、態度等であるか否かについて審査する。
・声楽‥課題曲(願書と共に配布、数曲中より1曲を選ぶ)の歌唱ほか、第2次試験では新曲視唱、コールユーブンゲン(五度音程)もある。
・バレエ‥クラシックバレエを基本としてアレンジした出題で、本科生が模範演技を見せる。体の柔軟性、リズム感、運動神経も審査対象になる。
・一次試験‥一次試験が、東京試験場にて2日間、宝塚試験場にて3日間、行われる。東京・宝塚のどちらで受験するかは、本人の希望による。
・実際に受験する日は1日のみで、音楽学校から送られてくる受験票に明記されている。その1日で、「バレエ」「声楽」「面接」の試験を受ける。
・一次試験が終わってすぐに、一次試験の合格者発表がある。
・二次試験‥一次試験合格者は、最終面接を含む二次試験へと進む。実技の「バレエ」「声楽」で1日、「最終面接」で1日。
・二次試験は、宝塚音楽学校であり、東京で一次試験を受験し合格した人は、宝塚まで行かなければならない。
・受験の翌日には、合格発表がある。
●宝塚音楽学校の授業料
・入学納入金:48万円
・授業料:月額4万円 (2年間 96万円)
・修学旅行積立金:月額2万円 (2年間 40万円)
・入寮費:月額7,000円
●宝塚音楽学校の服装
・グレーの制帽に、赤いリボンタイ。
・入学生(予科生)は、毛先まで堅く編み込まれた、三つ編みのおさげ髪。
・胸もとの校章にある「TMS」は、「タカラヅカ・ミュージック・スクール」の頭文字。
・白の三つ折りソックスを着用する。
●宝塚音楽学校入学後
・1年目は「予科」、2年目は「本科」と呼ばれ、ほとんどの生徒は寮での集団生活になる。
・2年生(本科)の文化祭が、芸名でのお披露目であり、この時に「男役でいくか、娘役でいくか」を決める。だいたい身長164cmを境にして分かれるとされ、舞台上の性別は「身長だけで決まってしまう」とも言われる。
●宝塚音楽学校卒業後
・音楽学校を卒業すると歌劇団に入団するが、学校の成績が入団時にも付いて回る。新入団者の「序列」は、卒業時の成績であり、これが様々なリストなどで公開されている。
●2003年度よりのカリキュラム改革
・高校未卒業者のために向陽台高校と連携した高校修学(高卒資格取得)サポート制度(希望者のみ)がスタートした。
【宝塚歌劇団】
・阪急電鉄の創始者小林一三が1913年に結成した宝塚唱歌隊が前身。1940年に現在の宝塚歌劇団に改称した。
・翌年1914年、少女歌劇団となり宝塚新温泉で初演。初演演目は桃太郎を題材した『ドンブラコ』
・専用劇場である兵庫県宝塚市の「宝塚大劇場」と、東京都千代田区の「東京宝塚劇場」において公演を行っている。
・一般には「宝塚歌劇」を「タカラヅカ」や「ヅカ」、宝塚歌劇の団員を「タカラジェンヌ」(パリジェンヌのもじりで、団員たちは「宝塚乙女」と自称)、宝塚歌劇のファンは「ヅカファン」呼ばれる。
・宝塚音楽学校と一体だったときのなごりで団員は「生徒」、稽古場は「教室」、演出家は「先生」などと呼ばれている。
・1974(昭和49)年「ベルサイユのばら」初演、大ヒット
当時テレビに押されて低迷傾向だった宝塚歌劇の中興作品となった。これをきっかけに宝塚ファンが急増する。
・生徒は、5つの組(花、月、雪、星、宙)と、専科に分けられており、各組がそれぞれ公演を行い、必要に応じて専科に所属する生徒がこれに参加する。各組には組長・副組長がいる。
・中日劇場公演は毎年2月に行われており、トップスターが主演。中日劇場は前年の大劇場公演の演目を行うことが多い。
・宝塚歌劇団には公式のファンクラブが存在しないため、『宝塚友の会』という劇団側の公式の後援会や、『会』と呼ばれる生徒個人に対する私設ファンクラブ(劇団は非公認の団体)に入会するなどして各々が応援している。
【宝塚歌劇団卒業生】(一部)
・乙羽信子 娘役 26期 1937年入団~1950年退団
・越路吹雪 男役 26期 1937年~1951年
・淡島千景 娘役 28期 1939年~1950年
・新珠三千代 娘役 1943年~1955年
・八千草薫 娘役 34期 1947年~1957年
・寿美花代 男役 35期 1948年~1963年 夫は高島忠夫
・有馬稲子 娘役 36期 1949年~1953年
・朝丘雪路 月組 娘役 39期 1952年~1955年 夫は津川雅彦
・浜木綿子 娘役 40期 1953年~1961年 息子は香川照之
・那智わたる 男役 40期 1953年~1968年
・扇千景 41期 1954年~1958年
・加茂さくら 娘役 42期 1955年~1971年
・鳳蘭 専科 男役 50期 1964年~1979年
・汀夏子 雪組 男役 50期 1964年~1980年
・安奈淳 花組 男役 51期 1965年~1978年
・松あきら 花組 男役 52期 1966年~1982年
・ 道成ゆた佳 52期 1966年~1968年 NHKおかあさんといっしょ八代目歌のお姉さん
・夏川るみ 56期 1970年~1970年 退団後は歌手・小柳ルミ子として活躍
・大地真央 月組 男役 59期 1973年~1985年 元夫は松平健
・黒木瞳 月組 娘役 67期 1981年~1985年
・一路真輝 雪組 男役 68期 1982年~1996年 夫は内野聖陽
・天海祐希 月組 男役 73期 1987年~1995年
・ 白城あやか 星組 娘役 74期 1988年~1997年 夫は中山秀征
【男子研究生】
・宝塚歌劇団の創始者・小林一三は、男女共演の“国民劇”を創造しようとしていた。
・構想の実現へ向け、1945年に「男子研究生」第1期生が歌劇団に特設された男子部に入団。以来加入は4回を数えた。しかし、女子生徒やファンの反発などもあって、男子部は大劇場での本公演舞台に立つことなく、1954年に解散…。
・戦後、男性を募集した時期があった。1945年に「男子研究生」第1期生が男子部に入団。以来4回の応募があり、合格した25人は女子生徒とともにレッスンに励んだ。
参考にしたHP
http://www.nikkansports.com/entertainment/p-et-tp0-20061103-111990.html
ウィキペディア(Wikipedia)ほか