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「宝塚」あれこれ

2007年04月08日 | Weblog
【宝塚音楽学校】

・予科・本科合わせて2年制の宝塚歌劇団生の養成学校
・学校教育法上は兵庫県認可の各種学校
・阪急電鉄の出資で設立
・設置者は学校法人宝塚音楽学校
・所在地:兵庫県宝塚市武庫川町1番1号



●授業時間:午前9時~午後5時(予科生は、授業開始前の掃除が日課)通常、昼間は実技中心の授業、夜は個人レッスンに励む。

・声楽・バレエ・日舞など、劇団で必要な事柄について、みっちりレッスンが組まれている。

・その他の授業は、モダンダンス・タップダンス・演劇、琴・三味線・ピアノ・茶道・狂言・英会話…などがある。

・「社会でも家庭でも敬愛される」人間形成を第一にしているため、礼儀作法やしつけには、特に厳しい。お辞儀の仕方は、実際に自衛隊から講師を招聘して、指導を受けている。

・モットー‥「清く 正しく 美しく」



●沿革

・1913(大正2)年7月 小林一三が宝塚音楽学校の前身、「宝塚唱歌隊」が発足させる。
・1913(大正2)年12月 宝塚少女歌劇養成会と改めた。
・1914(大正3)年 少女歌劇団となり宝塚新温泉で初演。
・1939(昭和14)年 宝塚音楽学校と宝塚歌劇団が分離。



●入学試験:毎年3月末~4月上旬に行われる。

・競争倍率‥毎年、定員50名に対し1000名前後の受験者がある。競争率は、だいたい20倍前後というのが、ここ何10年の平均である。
・「東の東大、西の宝塚」と称されるほどの難関で、82期生は史上最高の48.2倍であった。

・応募資格
1.容姿端麗で、宝塚歌劇団の舞台人に適する者
2.義務教育終了~高校卒業までの年齢(15歳~18歳)の女子

・面接‥舞台人に適した容姿、言語、動作、態度等であるか否かについて審査する。

・声楽‥課題曲(願書と共に配布、数曲中より1曲を選ぶ)の歌唱ほか、第2次試験では新曲視唱、コールユーブンゲン(五度音程)もある。

・バレエ‥クラシックバレエを基本としてアレンジした出題で、本科生が模範演技を見せる。体の柔軟性、リズム感、運動神経も審査対象になる。

・一次試験‥一次試験が、東京試験場にて2日間、宝塚試験場にて3日間、行われる。東京・宝塚のどちらで受験するかは、本人の希望による。

・実際に受験する日は1日のみで、音楽学校から送られてくる受験票に明記されている。その1日で、「バレエ」「声楽」「面接」の試験を受ける。

・一次試験が終わってすぐに、一次試験の合格者発表がある。

・二次試験‥一次試験合格者は、最終面接を含む二次試験へと進む。実技の「バレエ」「声楽」で1日、「最終面接」で1日。

・二次試験は、宝塚音楽学校であり、東京で一次試験を受験し合格した人は、宝塚まで行かなければならない。

・受験の翌日には、合格発表がある。



●宝塚音楽学校の授業料

・入学納入金:48万円
・授業料:月額4万円 (2年間 96万円)
・修学旅行積立金:月額2万円 (2年間 40万円)
・入寮費:月額7,000円



●宝塚音楽学校の服装
・グレーの制帽に、赤いリボンタイ。

・入学生(予科生)は、毛先まで堅く編み込まれた、三つ編みのおさげ髪。

・胸もとの校章にある「TMS」は、「タカラヅカ・ミュージック・スクール」の頭文字。

・白の三つ折りソックスを着用する。



●宝塚音楽学校入学後

・1年目は「予科」、2年目は「本科」と呼ばれ、ほとんどの生徒は寮での集団生活になる。

・2年生(本科)の文化祭が、芸名でのお披露目であり、この時に「男役でいくか、娘役でいくか」を決める。だいたい身長164cmを境にして分かれるとされ、舞台上の性別は「身長だけで決まってしまう」とも言われる。



●宝塚音楽学校卒業後

・音楽学校を卒業すると歌劇団に入団するが、学校の成績が入団時にも付いて回る。新入団者の「序列」は、卒業時の成績であり、これが様々なリストなどで公開されている。



●2003年度よりのカリキュラム改革
・高校未卒業者のために向陽台高校と連携した高校修学(高卒資格取得)サポート制度(希望者のみ)がスタートした。



【宝塚歌劇団】

・阪急電鉄の創始者小林一三が1913年に結成した宝塚唱歌隊が前身。1940年に現在の宝塚歌劇団に改称した。

・翌年1914年、少女歌劇団となり宝塚新温泉で初演。初演演目は桃太郎を題材した『ドンブラコ』

・専用劇場である兵庫県宝塚市の「宝塚大劇場」と、東京都千代田区の「東京宝塚劇場」において公演を行っている。

・一般には「宝塚歌劇」を「タカラヅカ」や「ヅカ」、宝塚歌劇の団員を「タカラジェンヌ」(パリジェンヌのもじりで、団員たちは「宝塚乙女」と自称)、宝塚歌劇のファンは「ヅカファン」呼ばれる。

・宝塚音楽学校と一体だったときのなごりで団員は「生徒」、稽古場は「教室」、演出家は「先生」などと呼ばれている。

・1974(昭和49)年「ベルサイユのばら」初演、大ヒット
当時テレビに押されて低迷傾向だった宝塚歌劇の中興作品となった。これをきっかけに宝塚ファンが急増する。

・生徒は、5つの組(花、月、雪、星、宙)と、専科に分けられており、各組がそれぞれ公演を行い、必要に応じて専科に所属する生徒がこれに参加する。各組には組長・副組長がいる。

・中日劇場公演は毎年2月に行われており、トップスターが主演。中日劇場は前年の大劇場公演の演目を行うことが多い。

・宝塚歌劇団には公式のファンクラブが存在しないため、『宝塚友の会』という劇団側の公式の後援会や、『会』と呼ばれる生徒個人に対する私設ファンクラブ(劇団は非公認の団体)に入会するなどして各々が応援している。



【宝塚歌劇団卒業生】(一部)

・乙羽信子   娘役 26期 1937年入団~1950年退団
・越路吹雪   男役 26期 1937年~1951年
・淡島千景   娘役 28期 1939年~1950年
・新珠三千代   娘役   1943年~1955年
・八千草薫   娘役 34期 1947年~1957年

・寿美花代   男役 35期 1948年~1963年 夫は高島忠夫
・有馬稲子   娘役 36期 1949年~1953年
・朝丘雪路 月組 娘役 39期 1952年~1955年 夫は津川雅彦
・浜木綿子   娘役 40期 1953年~1961年 息子は香川照之
・那智わたる   男役 40期 1953年~1968年

・扇千景     41期 1954年~1958年
・加茂さくら   娘役 42期 1955年~1971年
・鳳蘭 専科 男役 50期 1964年~1979年
・汀夏子 雪組 男役 50期 1964年~1980年
・安奈淳 花組 男役 51期 1965年~1978年

・松あきら 花組 男役 52期 1966年~1982年
・ 道成ゆた佳     52期 1966年~1968年 NHKおかあさんといっしょ八代目歌のお姉さん
・夏川るみ     56期 1970年~1970年 退団後は歌手・小柳ルミ子として活躍
・大地真央 月組 男役 59期 1973年~1985年 元夫は松平健
・黒木瞳 月組 娘役 67期 1981年~1985年

・一路真輝 雪組 男役 68期 1982年~1996年 夫は内野聖陽
・天海祐希 月組 男役 73期 1987年~1995年
・ 白城あやか 星組 娘役 74期 1988年~1997年 夫は中山秀征



【男子研究生】

・宝塚歌劇団の創始者・小林一三は、男女共演の“国民劇”を創造しようとしていた。

・構想の実現へ向け、1945年に「男子研究生」第1期生が歌劇団に特設された男子部に入団。以来加入は4回を数えた。しかし、女子生徒やファンの反発などもあって、男子部は大劇場での本公演舞台に立つことなく、1954年に解散…。

・戦後、男性を募集した時期があった。1945年に「男子研究生」第1期生が男子部に入団。以来4回の応募があり、合格した25人は女子生徒とともにレッスンに励んだ。


参考にしたHP
http://www.nikkansports.com/entertainment/p-et-tp0-20061103-111990.html
ウィキペディア(Wikipedia)ほか

「戦艦大和」あれこれ

2007年04月08日 | Weblog
第二次世界大戦当時の日米英独の戦艦 あれこれ。
未収録艦は多数あります。


●日本
・戦艦大和
排水量:65,000トン 全長:263.0m 最大速度:27ノット(50km/h) 乗員:2,300名 主砲:46cm砲×9
1941年就役 1945年4月7日、米航空機の攻撃を受け、九州坊ノ岬沖90海里の地点で沈没

・戦艦長門
排水量:39,120トン 全長:215.8m 最大速力:26.5ノット 乗員:1,333名 主砲:41cm砲×8
1917年進水 1946年7月、ビキニ環礁で原爆標的艦となり沈没

・戦艦伊勢
排水量:29,990トン 全長:208.1m 最大速力:23ノット 乗員:1,360名 主砲:35.6cm砲×12
1917年就役 1944年、航空戦艦に改装 1945年7月、呉空襲により大破着底

・戦艦扶桑
排水量:29,330トン 全長:205.1m 最大速力:22.5ノット 乗員:1,193名 主砲:35.6cm砲×12
1915年就役 1944年10月、スリガオ海峡夜戦にて沈没

・戦艦金剛
(改装後)排水量:32,000トン 全長:222m 最大速力:30ノット 乗員:約1,300名 主砲:35.6cm砲×8
1913年巡洋戦艦として就役 1944年11月、米潜の雷撃を受け沈没



●アメリカ
・戦艦ミズーリ
排水量:48,500トン 全長:270.4m 最大速力:33ノット(61km/h) 乗員:1,851名 主砲:40.6cm砲×9
1944年就役 1945年9月2日、艦上で日本の降伏文書調印式を行う

・戦艦サウスダコタ
排水量:35,000トン 全長 207.36m 最大速力:27.8ノット 乗員:2,364名 主砲:40.6cm砲×9
1942年就役 太平洋戦争で戦う 1947年1月、予備役

・戦艦コロラド
排水量:32,500トン 全長:190.20m 最大速力:21ノット 乗員:1,080名 主砲:40.6cm砲×8
1923年就役 太平洋戦争で戦う 1947年1月、予備役

・戦艦アリゾナ
排水量:33,100トン 全長:185.32m 最大速力:21ノット 乗員:915名 主砲:35.6cm砲×12
1916年就役 1941年12月、真珠湾攻撃で沈没

・戦艦ネヴァダ
排水量:29,000トン 全長:177.70m 最大速力:20.5ノット 乗員:864名 主砲:35.6cm砲×10
1916年就役 真珠湾攻撃で沈没、その後引き揚げ 



●イギリス
・戦艦プリンス・オブ・ウェールズ
排水量:36,727t 全長:227.1m 最大速力:28ノット 乗員:1,521名 主砲:35.6cm砲×8
1941年就役 1941年12月、マレー沖海戦で沈没

・巡洋戦艦レパルス
排水量:38,200t 全長:242.0m 最大速力:28.3ノット 乗員:1,000名 主砲:38.1cm砲×6
1916年就役 1941年12月、マレー沖海戦で沈没

・巡洋戦艦フッド 
排水量:42,750t 全長:262,3m 最大速力:29.5ノット 乗員:1,341名 主砲:38.1cm砲×8
1920年就役 1941年5月、独艦ビスマルク追撃戦で沈没



●ドイツ
・戦艦ビスマルク
排水量:41,700t 全長:251m 最大速力:30.1ノット 乗員:2,092名 主砲:38.0cm砲×8
就役: 1940年8月 1941年5月、英艦と交戦し沈没

・戦艦ティルピッツ(ビスマルクの同型艦)
就役: 1941年2月 1944年11月、英航空機の攻撃を受け沈没

・巡洋戦艦シャルンホルスト
排水量:31,850t 全長:235.4m 最大速力:31.5ノット 乗員 1,669名 主砲:28.3cm砲×9
就役:1939年1月 1943年12月、英艦の攻撃を受け沈没

・装甲艦アトミラル・グラーフ・シュペー
排水量:12,100t 全長:186m 最大速:28.5ノット 乗員:1,150名 主砲:28.3cm砲×6
就役:1936年1月 1939年12月、英艦隊の封鎖にあいアルゼンチン・モンテビデオ港外で自沈


*排水量は基準 性能諸元データは原則、就役時当時のもの



【戦艦大和の特徴】

●46センチ主砲‥正式名称94式45口径46センチ砲

・当時世界最大の主砲

・射程距離は42km 水平線の彼方の敵艦を攻撃することができました。

・砲弾‥長さ:約2m、重さ:1.46t

・一発撃つのに使う火薬の量は440kg

・撃ちだされた砲弾は、時速2,808km(秒速780m)という速さで飛び出し、砲身の内側に刻まれたライフルにより、1分間に60回転しながら飛んでいきます。

・どんな砲身でも寿命があり、戦艦大和の主砲は1発撃つたびに砲身内に約3300気圧がかかるため、約200発で砲齢が尽きる計算でした。


●防御‥大和の艦体は舷側は厚さ41センチ、そして甲板は厚さ23センチ、砲塔は65センチという甲鉄で覆われ、20km先から打ち込まれる大和なみの砲弾や200キロ爆弾による急降下爆撃にも十分耐えられる防御能力でした。


●球状艦首‥大和は巨大戦艦ですが、全長に比較して幅が異常に広い。これは、巨大な主砲を装備するため、防御や安定性を追求した結果。幅が広ければ、当然速度が遅くなります。したがって、造波抵抗を軽減し、速力を増すための球状艦首(バルバス・バウ)となっています。


●大きさ‥長さ263メートルというと東京駅位の長さに匹敵。いわば鋼鉄製の東京駅が海に浮かんだようなものでした。


●居住区‥冷暖房完備・エレベーター付で当時の技術の粋を集めた装備がなされ、居住区は広く、兵員の寝起きに大抵の軍艦が釣床(ハンモック)を使用していたところを大和では寝台を使用していました。

・居住区一人当たりの床面積は3.2平方メートル。駆逐艦の3倍以上の広さ。

・したがって、他艦の乗組員からは「大和ホテル」、また同型艦の武蔵は「武蔵御殿」と呼ばれていました。


●建造予算‥建造与算が帝国議会を通過したのは昭和11年12月。実際の建造予算は1億4,287万円でしたが、計上予算はその8割の9,800万円とされました。

・大和の建造は軍極秘で帝国議会に対しても、排水量3万5千トン級の戦艦と架空の駆逐艦3隻と潜水艦1隻を建造するとして計上して予算要求されたものでした。


●艦内通信‥軍艦の艦内通信は、主に電話でした。戦艦大和は直通電話491本を有し、外部電話回線1本も装備されていました。

・艦内が広く、また防毒の観点から伝声管については146本と少なめで、他に空気伝送管も14本装備されていました。


●烹炊所‥戦艦大和の烹炊所は上甲板に設備され、6斗炊き蒸気釜6個、6斗炊き副食釜2個が設備されていました。

・1つの釜で500人分の炊飯が可能。

・栄養価は1人2800~3000カロリー 1日6合(米7:麦3) 野菜300g、肉180g、魚150gと決められていました。


●同型艦‥大和は、大和型戦艦の一番艦でネームシップ。同型艦としては、武蔵、信濃の二隻が建造され、信濃については、航空母艦に改造されました。



【超大和型戦艦】
・帝国海軍が大和型戦艦の次に計画した戦艦。計画のみであり、起工もされなかった。

・一説によると、艦名は「紀伊」「尾張」が予定されていたという。

基準排水量:64,000トン
全長:263.0メートル 全幅:38.9メートル
速度 27ノット 航続距離:16ノットで7,200カイリ
主砲:45口径51cm砲連装3基


【改大和型戦艦】
・アメリカが建造を開始した戦艦群に対抗するため計画された。データーは推定値。

基準排水量:64,000トン
全長:263.0メートル 全幅:38.9メートル
速度 27ノット 航続距離:16ノットで7,200カイリ
主砲:45口径(または50口径)46cm砲3連装3基



参考にしたHP
http://osaka.yomiuri.co.jp/katati/ka50411a.htm
http://www.biwa.ne.jp/~yamato/yamato.htm
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/3853/6yamato.htm
http://yamato.kure-city.jp/
ウィキペディア(Wikipedia)ほか