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『女神は二度微笑む』スジョイ・ゴーシュ監督インタビュー① 

2018年04月25日 | ボリウッド
 2012年のアジアフォーカス・福岡国際映画祭で、『カハーニー/物語』というタイトルで日本初上映された極上サスペンス。
 それから3年後、『女神は二度微笑む』(以下『女神』)と改題しての劇場公開に際して、スジョイ・ゴーシュ監督来日の有無を宣伝会社に問いあわせた。予定はないが書面を介しての取材は可能とのことだったので、14年12月に質問項目を送り、翌年1月に回答を受けとった。
 そのごく一部を『週刊金曜日』で紹介したが、大部分は未発表のままになった。ひとつには、同時期に発生した“イスラーム国”による日本人人質殺害事件のあおりで、紙幅が取りにくかったためである。

 『女神』はDVD化もされているが、アクセスしやすいNETFLIXにラインナップされているせいか、最近あらためて注目されているようだ。
 鑑賞後にだれもが思うのは「このような驚愕のプロットを考えたつくり手はどんな人なのか」ということではないだろうか。取材者と被取材者のキャッチボールであるべきインタビュー本来のかたちではないが、そうした観客への参考という意味でも、当時の回答をまとめ直した。

 ゴーシュ監督は1966年、西ベンガル州都で『女神』の舞台でもあるコルカタ生まれ。13歳で英国に移住し、英国マンチェスター大学で工学士号と経営学修士号を取得。99年まで、英国本拠の国際通信社ロイターに勤務していた。 

――日本初上映時にレビューを書かせていただいております。ベンガルのペーソスに満ち満ちていながら、国際的な観客にも強くアピールする作品として、たいへん楽しませていただきました。
 どうもありがとうございます。

――英国で学位を取ったのちロイターで働いていたそうですが、映画界へ転身したのはなぜですか。映画づくりはどのように学んだのでしょうか。
 私は典型的なミドルクラスの出身です。良い教育を受け、良い仕事に就いて家庭をもつのがまともな人生だという価値観のなかで育ちました。じっさい、ある時点まではそういう生き方をしていたのです。養うべき家族をかかえて、そのための収入を得なければなりませんでしたから。
 それでもいつも頭にあったのは、ものを書くこと、映画の脚本を書くことへの興味でした。とはいえ専門教育を受けられる資金も、時間的余裕もありませんから、脚本の書き方の概説書を買って独学しながら試作を始めました。のちに『Jhankaar Beats〈ジャンカール・ビート〉』(2003・日本未公開、注1)として結実することになる最初の脚本を仕上げるまでに、2年ぐらいかかりました。

 試しに友人たちに読んでもらうと、みなおもしろがって、映画化できるよう頑張ってみるべきだと言うのです。
 かれらの助言にしたがって仕事を辞め、プロデューサーを探しはじめました。映画界とはまったく縁がなかったので、それはたいへんでしたね。やはり2年以上は費やしました。しかも次には監督のなり手がいない。それで自分でやるしかなかったのです。映画制作の参考書を何冊か読み、あとは現場で学ぶというかんじでした。

 映画づくりを学ぶうえで非常に参考になったのは、サタジット・レイ監督の作品です。
 ストーリーテリングの技術や、メッセージの効果的な伝え方、そのためにはどのような設定を基本に据えるべきか。
 もしくは、同じ素材を違ったかたちで表現するにはどうしたらいいのか。フィルムメーカーは、愛情・憎しみ・嫉妬・尊敬・崇拝・困惑など人間が共有する情動の連なりを、いかに描きだすかに腐心するのがなりわいですからね。
※注1 『ラガーン』によって、テーマ選びの呪縛的慣行から解放された新進監督たちが、とくに2000年代前半にこぞって発表した、オフビート映画の1作という位置づけ。アーミル・カーンやシャー・ルク・カーンの相手役で知られた女優ジュヒー・チャーウラーが、その演技力に再注目された作品でもあり、マルチプレックス(日本でいうシネコン)の勃興も手伝ってヒットした。

――ベンガル語映画やヒンディ語映画で描かれるコルカタをずいぶん見てきましたが、『女神』のそれほど、いきいきと魅力的に映しだされた例は記憶にありません。
 主人公のヴィディヤを想いながら帰路につく警部補ラナを乗せたトラム(路面電車)がわたるハウラー橋の、ゴールデン・ゲート・ブリッジさながらの輝き。あるいは、英国からの独立運動のプロテストソングとして、つとに有名なタゴールの『エクラ・チョロ・レ』が、スタイリッシュなポップスやロックにアレンジされていることには感激しました。

 どんな街や村、あるいは国家でも、その地の性格を決定づけるのは、そこで暮らす人びとである。そういう信念のようなものを、私はもっているんですね。
 私にとって、コルカタにどんな人びとが暮らしているのかを伝えることには、とても大事な意味がありました。地元の人間として、コルカタの裏も表も知りつくしています。ですから、地元出身ではない監督より有利だったとは思います。
 半面、地元の観客には、新しいスタイルで描くコルカタを見てほしかったのです。見慣れたハウラー橋にしても、長年聴きなじんだタゴールソングにしても、いままで見たこと・聴いたことがないようなものを提示したい。その点はかなり意識しました。

――監督はウットム・クマール(注2)の熱心なファンだそうですね。また『女神』にはサタジット・レイ作品へのオマージュがたくさんあるようです。そのひとつが、レイ監督がウットムにアテ書きした『Nayak〈ヒーロー〉』(1966・日本未公開)とのことですが、具体的に説明していただけますか。
 『Nayak』は、ヒーロー(注・主演クラスのスター男優、あるいはその男優が演じるキャラクター)についての映画です。ヒーローはスクリーンでは無敵の存在。けれど、それを実生活のシークエンスで表現するにはどうしたらいいでしょう。
 『Nayak』にこういうシーンがあります。父親が幼い娘にオレンジスカッシュのビンを開けてやろうとしています。けれど蓋が固くて、何回やっても開けられない。そこへウットム・クマールが現われ、一瞬で蓋を開けてやるのです。その行為は、少女にとってヒーローそのものに映ります。

 『女神』では物語の展開上、ヴィディヤへの関心を、警部補ラナにもたせる必要がありました。そのためには、ヴィディヤに何をさせればいいでしょうか。
 序盤でラナが、職場に導入されたPCシステムに手こずっているくだりがあります。何度やってもエラー表示が出てしまう。そこに居合わせるのが夫の捜索願いを出しにきたヴィディヤです。彼女はソフトウェア・エンジニアですから、システムの不調を即座に直してやります。瞬時にラナは、彼女への敬意をもつようになるのです。
※注2 Mahanayak(モハナヨク、「ヒーローの中のヒーロー」の意)といまなお敬愛される、ベンガル語映画史上、不朽かつ不世出のスーパースター。とりわけ1950年代から60年代にかけてのベンガル語映画黄金時代を担った主演作には、ヒンディ語映画にリメイクされたものが少なくない。

〔参考文献〕
境分万純:ボリウッド最前線 極上のサスペンス 『カハーニー/物語』
『週刊金曜日』2012年8月31日号(909号)
境分万純:物事のウラを見る眼を養える本格サスペンス 『女神は二度微笑む』
『週刊金曜日』2015年3月6日号(1030号)

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