さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

帯広百年記念館 晩成社の歴史

2019年03月07日 | 北海道シリーズ



この日はまず帯広百年記念館へ向かった。駅から真っすぐの道を行けば、それは緑ヶ丘
公園の中にあります。広場には400人が座れるという長いベンチがありました。



おお、北海道に来たという気分になれる雪景色。



氷で何か作った跡がありました。「氷まつり」とかあったのかな?



なかなか散歩するにもいい所。リスが木の枝を伝っていました。よくまあ細い枝を
折らずに渡っていけるものと感心。



さて百年記念館。予想通り、見物客は他に誰もいなかった^^



シベリアと陸続きだった頃、北海道の地にはマンモスもいたそうです。



お土産にも買いましたが、左上の「マルセイバターサンド」にも使われている赤い包装紙
は見たことがありますよね?「帯広百年記念館」という名前は、のちのマルセイの前身で
ある開拓団体の「晩成社」が明治16年に創業してから、ちょうど百年目の昭和57年に
建てられたからそういう名前になったそうです。つまりその会社の記念館というわけか。



右の勉三さん、伊豆の出身で、19歳で上京してスコットランドの宣教師の英学塾に通い、
それから慶應義塾で学んで北海道開拓の夢を胸にする。仲間と一緒に伊豆から函館に行き、
そこから十勝までやってきて開拓を始めた。

冷害、イナゴの大群、ウサギやネズミ、鳥にやられて農業はなかなかうまくいかなかった。
羊や豚を飼育してハムを作ったり、じゃがいもの澱粉を研究したりしたがいずれも難航。
牛肉や木工品を販売したり、バター工場も作ったが、結局み~んな失敗!ううう。
しかしその失敗があっての今があるんですー。あの世で見てください、ベンゾーさん!



どれだけの努力の一生だったのでしょう。晩成社の最後は借金清算ですべてが0になり
ましたが、生き甲斐&やりがいはマックスの人生だったはずだぞ。



晩成社幹部の一人、渡辺勝は名古屋の出身で武士の子供ですが、勉三さんと同じ英学塾で
学んだ友人で、共に北海道開拓を行い、主に牧場経営に従事しました。奥さんのカネさんは
信州上田の出身で、こちらも武士の娘。廃藩置県が行われた時代ですから、武士は失業して
その子供たちは新たな道を探ったのですね。カネさんはミッション系の共立女学校の
英文科を出ています。

明治23年、北海道を探検していたイギリス人のランドーというやつが、ほとんど未開の地
でアイヌ民族の中に渡辺夫妻と出会い、その二人が英語を話すもんだから驚いた。その
様子は著書に残っているそうで、私は早速それを注文しました。楽しみ♪