長崎港から約17kmの外洋に、端島(通称軍艦島)という小さな島があります。
これはもともと岩礁に過ぎないものだったですが、明治から昭和初期の時代に埋め立てが行われ、南北320m、東西120mの立派な島になったものです。
なぜこんなに埋め立てが行われたかというと、石炭が出たからなのです。グラバー園で有名になっているスコットランド出身のグラバーさんが、その開発の発端の仕事をしたそうです。
その後開発を三菱の岩崎弥太郎が引き受け、この島からざくざく出る良質の石炭は近代化が進む日本の鉄鋼業に利用され、三菱財閥は大躍進を遂げることになるのです。
炭鉱が盛んになったこの島には炭鉱夫とその家族が移り住み、日本初の鉄筋コンクリートの集合住宅がびっしりと建てられ、最盛期は5000人以上がこの小さな空間に暮らしていたそうです。その人口密度たるや当時の東京特別区の10倍近く。世界一だったと思われます。
そこには住宅のほか、小中学校、様々な店、炭鉱だけに巨大な公衆浴場、病院、寺(墓だけはなかった)、映画館、床屋、パチンコ屋から雀荘、スナックまでありました。つまりこの小さな島が、ひとつの独立した街だったのです。
そして危険の伴う炭鉱の仕事は当然高い収入を得られますので、この島はとても豊かだったのです。なんとテレビジョンの普及率が10%程度だった頃、この島では100%だったとか。
しかし1960年代になりますと、エネルギーは石炭から石油へと移り変わり、炭鉱は閉鎖されて1974年にはこの島からすべての人が出てゆきました。つまり巨大な廃墟となったのです。
その廃墟が、2009年から見物客に公開されるようになりました。というわけで、行ってきたんですよ~。
軍艦島クルーズは、「ブラック・ダイヤモンド号(=もちろん石炭のことです)」に乗って、まず端島のお隣にある高島に上陸し、そこにある資料館を訪れます。案内人の熱のこもった説明もなかなかのもの。この模型を見ればおわかりの通り、海に浮かぶ小さな島から地中深く深く掘り進んで石炭を採掘したのでした。
「軍艦島」とはよく言ったもの。太平洋戦争のとき、敵が軍艦と間違えて攻撃をしてしまったという逸話が残っています。