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さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

ハバロフスク ホテルのバーはディープだぜ

2018年10月14日 | ロシア



ハバロフスク最後の晩である。ホテルの最上階がバーになっているので、行ってみよう
ではないか。中国、韓国の団体客はどこに行ってもうるさい。外なら避ければよいが、
ホテルのフロアで騒ぐので、部屋にいても大声が鳴り響く。幸いやつらは酒をあまり
飲まない(日本人もそうかもしれんが^^;)。バーなんかには全然来ないはずだ。



ドアはあいかわらずロシア風で素っ気なく、中の雰囲気はまったくわからない。
「ニューヨーク」だってさ。「ナイト・クラブ・バラエティーショー」「カラオケ」
「DJ」?なんかにぎやかそうだな。




開けてみると、あ~ら派手。アメリカンである。フィリピン・パブみたいだ。入り口には
無表情スキンヘッドこわもてのお兄さんが立っており(のちにDJ担当だとわかる)、アイ
コンタクトで入店する。派手な照明、ズンダカズンダカにぎやかな音楽で満たされた
広い空間。真ん中にダンス・ステージがあり、それを囲むように数人掛けのソファーが
並んでいる。俺はひとりなので、手前のカウンターに座った。




スタッフはデカいおっさんバーテンダーと、若くてきれいなお嬢さんのふたりらしい。
置いてあったメニューを見ると、酒はいろいろあるようだがロシア語がまるっきり読め
ない。バーテンダーがロシア語で話しかけてくるが、まったくお互いわからない。
「英語メニューはないのか」と英語で聞いたら、「ビールか、ウォッカか」とぎりぎり
通じる言葉が出てきたので、「ウィスキー」と答える。後ろにたくさんの酒が並んでおり、
当然何にするかワラワラ聞いてくるわけだが、「ジンビーム、シーバス?」とわかる
単語が出たのでシーバスと答え、「コーラと割るか、水と割るか」などと聞いてくる
ので、ストレートにしてもらい水も頼んだ。

ようやく濃い酒にありつけてリラックス、という時間はせいぜい10分くらいだったか。
少々目の座った極東少数民族系のおっさんがぴったりと俺の横に来た。ズラリ並んだ
カウンターには俺一人しか座っていないのに、俺の横の椅子をどかして、立ってぴったり
密着ときたもんだ。超至近距離から細い目で睨みつけるようにドスの聞いた声で話し
かけてくる。からんでいる雰囲気は伝わってくるのだが、ロシア語なので全然わから
ない。これってピンチ?

俺のグラスを指さして何やら言うので、「ウィスキーだよ」と答えると、「俺はウォー
ター!」と聞こえたのだが、あとでウォッカのボトルが出てきたので、「ウォッカ!」
だったのね。何やら全くわからないロシア語をまくしたてるので、しかたなく「ぜんぜん
わからねーんだよォ」と日本語を話す。こういうときはしどろもどろの英語を話すより、
ストレートに日本語を話すほうが雰囲気で伝わるのである。ほとんど通じないのに、
ワラワラ話す。ウェイターを見ると緊張した雰囲気はないし、ウェイトレスは俺と目が
合うと苦笑いをしたので、どうやら危害を加えられる心配はなく、ただの酔っぱらい
らしい。自分を指さして「ナントカ!」と名前を言っているようだ。俺の名前も聞くので
教えてやるが、その後そのやりとりを10回くらいすることになる。



酔っ払いのおっさんはDJの部屋にも入って行ってからむ。ソファーに座っている客にも
からむし、カラオケでがなり声もあげる。そしてカウンターに戻ってきて、まーた俺に
からむ。「ハバロフスクと新潟は友好都市だぞ」なんてのはなんとかわかり、「俺は
アルコホリック」というのはバーテンダーの助けを借りて理解した。そのうち
「ウォッカ飲め!」と言い出し、ウェイトレスに俺のためのグラスを要求。ウェイ
トレスは大きなグラスとショットグラスを俺に見せるので、もちろん小さいほうを
指さしたら酔っ払いは「ダメだ!デカいの!」とお決まりの流れ。さっきのウィスキー
は1フィンガーにしておいて、「あとでウォッカを飲むかな♪」と思っていたのだから、
ま~願ったりかなったりなんですが、酔っ払いはどぼどぼと注ぐので3フィンガーに
なりました。水のボトルをもらっておいてよかった。



顔をくっつけんばかりにいろいろ俺に話しかけていたおっさん、急に「俺は踊る」と
言い出して、「まじすか」と思っているうちにダンスフロアで体をくねくねと踊りだした。
戻ってきて、またいろいろ話し、マイクを突き付けて「歌え」と言ってきたり、ま~た
俺のグラスになみなみとウォッカを注ぐ(俺がボトル半分だよ!)。何を言っているか
わからないうちに、そやつは帰って行った。バーテンダーはほぼ片言の英語で、「寝る
のに部屋に戻った」「アル中」「ヤクーツク人」「2時頃にまた来る」「デヤモンド」
(どうやらダイヤモンドを扱う商人で、金持ちらしい。自分では独身と言っているのは
わかった)などと説明し、迷惑顔をしていた。


とんだハプニングだったが、ようやく静かになった。とりあえず奢ってくれた酒は全部
飲み干す。酒に強くて助かったな~。飲め飲め言われたときに全然飲まないと雰囲気が
悪くなるからね。



頭上の画面では、音楽に合わせて美しいお嬢さんがくねくね踊っています。なんか
ほとんど下着姿です。日本のカラオケでも、微妙な一般人セクシー映像がありますが、
ロシア女性の質は高いぞ(日本のB~C級の女性たちも私は好きなんですが)。
下着どころか、ヲパーイもポロンと出る!うっそ。また出るかとじっと見ていると、たまに
また出る。何度でも出る。ううむ、ロシアよ♪



そのうちウェイトレスのお嬢さんが歌を歌ったり、米国人のグループがダンスをしたり
チューをしたりしていた。最後に韓国人グループがやってきた。バーテンダーは俺を
指さして「お前日本人、いいやつ。韓国人、やなやつ」と言う。気持ちはわかる。
正確に言うと、「団体海外旅行をしている中国人や韓国人のふるまいには不愉快になる
可能性が高い」ということなんでしょうが、高度成長期に社員旅行で東南アジアに
行った日本人とか、バブル時代にヨーロッパへ卒業旅行で行った日本人学生だって
どんなもんだったかねェ。まあいまのところ、日本人は全般的に海外では好感を持た
れているので、そういう評判は大切にしたいものです。


レストラン アムール

2018年10月13日 | ロシア



さて博物館を見物したあとは、ホテルに向かいますが、昼飯を食いっぱぐれているので
どこかで早めに(といってもまもなく18時なのだが)夕食にするかと考える。
ここはレーニン通りで、閑静な雰囲気。おばちゃんやおばーさんが、このように店を
出していたりします。ほのぼのしてますねェ。



夕方になり、少し涼しくなってきたよ。連日30度で日差しは強い!



ホテル・アムールに入っている「レストラン・アムール」は評判のレストラン。
もちろんAmur川のアムールで、私が専門にしているAmourではありません(^益^;



おおお、モダンで高級感溢れるではないか。大丈夫、「ルーブル安だ」と言いきかせ^^;



これはね、サーモンとカニの前菜。出てきたときには、おっ!と思うよねー。



ホレ、一番下がサーモン。その上に、カニのほぐし身。贅沢でしょお~~。
食欲旺盛な女性と一緒なら、次々に旨そうなもんを注文して、ビールを飲んだあとは
ワインを1本開けるんだけどなぁ~。そ~です、あ・な・た、来てくれればなあ~^^



さすが高級レストラン、パンもモノが違うぜ。



これはね、ベーコンの下に、水餃子っつーかワンタンみたいなものがあるでしょう?
これが一応ロシアの伝統料理なんですよ。そして左右にあるのがキノコのソース。
これが旨いの!ソースの上にあるのが、香ばしい焦がしネギ。あひぃ~~~!



あ~うまかった~。みなさん、え?と思った方もいるでしょう。さっきの夕食、なんか
あまり酒飲んでないんじゃ?と。今日は、帰ってからバーに行く予定なので、酒は
控え目にしておいたんですぅ~。



スパソ・プレオブラジェンスキー大聖堂です。書くの大変だったから、読んでみてね^^



「栄光広場」の「永遠の火」です。ソビエト連邦の栄光ですな。あー、もうすっかり
過去の「歴史」になったんですねェ。


ハバロフスク歴史博物館2

2018年10月12日 | ロシア



歴史博物館、ここからは戦争シリーズ。こんな極東の田舎だってのに、日本だって
攻めてきましたからね。。。



鉄兜ね~。なにせ鉄の弾が飛んでくるんですから。ロシア人、戦争に行きたくなかったら
広い広いシベリアの奥地に逃げて行くって手はなかったのかしら。俺なら人殺しに参加
するよりは、そちらにしますねェ。



こんなんでパーン!と撃たれて死んじゃうんですよー。ヤダー。



日本語だー。「日本人を助けるためにやってきた」って書いてありますね。うっひっひ。
難癖つけて軍事介入するときは、必ず使います「同朋を守るため」ね~。



こんなの持って行けば、「正義のため」って気持ちになったのかしら。



こんなんが空からおっこってきて、吹っ飛ばされるんだよ。無差別殺人。
落とした奴は、吹っ飛ばされた奴の顔も見ない。だからできるんですよね。



女性たちが軍事工場で働いています。戦争になれば、どこの国も総動員。



ロシアは領土が広いから、あっちとこっちとでドンパチやったら大変でしょうね。



戦地から家族に手紙を書くわけです。日本のもさんざん読んで涙させられましたが、
お互い様ですね。いまならさ、メールで送信。それを翻訳機能を使って、お互いの
国で自由閲覧できるようにしたらどうだろう。やる気が失せていいんじゃないかあ?



線路を敷いてますね。シベリア鉄道は1万キロ。私もガタゴトずっと走っていて、外の
景色が流れてゆくのをずっと見ていました。夜になり、朝になり、線路はずっと続いて
います。その1メートル1メートルを作っていくのに、どれだけ大変だったんだろう、
って思いましたねェ。
ところで左のバス、いいよね!



極東ですから、お隣さんの国との友好エリアもありました。横には韓国、中国の展示も
ありました。そちらと張り合うわけじゃないけれど、もちっと豪勢にできないかな。。。



日本語の「字集」が展示されていました。「腰巻」(`・ω・´)!



3世代っていいね~。お嫁さんが入ってくる場合は大変でしょうけれど。


ハバロフスク歴史博物館

2018年10月11日 | ロシア



ハバロフスクは坂の多い街。この並木道などは、もともと川が流れていたそうです。川が
並行して何本も流れていて、その間のところが丘になっている。横に切って断面図に
すると、ずっと上がったり下がったりの波になるわけです。なので横に移動すると常に
上がったり下がったり。縦に移動すると、ずっと低い所か高い所、とにかくずっと平ら
になるわけだ。

私はアムール川の遊覧船を降りたあと、この並木道にそって北東へ向かいました。
3㎞ほど歩けば歴史博物館があるのです。バスに乗るという手もありましたが、まだ
見たことのないところは自分の足で歩きたい。



横を見ると、こんなふうに坂。上がったり下がったりなら、路面電車やトロリーバスが
いいかなあ。



しばらくすると、ディナモ公園に入ってきました。とても広い公園で、子供遊園地もあって
にぎやかでした。



何か記念植樹で、日本語が書かれています。



あ~、青森県とハバロフスクは友好協定を結んでいるんですかい~。



さて街はずれにあるので見つけるのに少し苦労しましたが、ようやく博物館に到着。
例によって他に見物客は全然おらず、係員のおばちゃんたちはとても暇そう。そして
しっかり「写真撮影代」を取られました。



入り口のところでアムールスキー伯爵がお出迎え。しかし鎖をつけられていると、なんか
捕まっている人みたいじゃないかあ?



むかしの生活シリーズ。一度あのサモワールでお茶を飲んでみたいね。



こりゃだいぶ優雅な生活のおうちですな。



例によって他は誰もおらず、係員のおばちゃんがなんとなく距離をもって見ています。



やかん、ランプ、水差しと郷愁を誘う品々。


アムール川の遊覧船に

2018年10月10日 | ロシア



でっかい博物館をじっくり見たあと、ふらりと街を散歩。ウスペンスキー教会は、まるで
遊園地のなかの建物のようです。



この歪み具合が素敵^^; しかし、この薄いトタン屋根の造りで、マイナス40度の
冬は大丈夫なのか?



ここを降りてゆくと、アムール川のほとり。しかし、この先は階段が工事中で、また
登ってこなければならなかったのでした。暑いからうんざり。しかし連日30度だよ!



さて遊覧船がありました。1時間余りの乗船で、それほど高くもないので乗ってみました。
この船、岸辺に来ると「ズサッ!」とそのまま陸に乗り上げて停船します。いいのか?



1時間ごとに出るらしい。しばらく待っていると、満員になりました。となりの少年、
でっかいハンバーガーをもしゃもしゃ食べていました。おかーさん、太っているんだから
食べ物を気遣ってやったほうがいいんじゃないか~と思いましたが、そのおかーさんも
太っていました。。。

満席になったので、ひとりで来ていたロシア人のおばさんが俺の前の席を「空いてる?」
と聞いて座ってきました。こちら東洋人だし、言葉が全然通じないので最初は距離を
置いた感じでしたが、そのうち「私の写真を撮って!」と頼んできて、身振り手振りの
やりとりを続けているうち、だんだん打ち解けてきました。



ご覧の通り、バイカル湖とは大違いで、水は汚い。これだけ大きな流れが全部茶色く
なっているって、どんだけ汚しているのー。まあ距離もすごく長いんですけどね。



どれくらい長いかって、主流はモンゴルから、中国を通ってきます(中国では黒竜江と
呼ばれています)。ハバロフスクは主流と南からの支流が合流するところ、だから
広いんですね。すべてを合わせれば、稚内から鹿児島よりも長い。それじゃあ最初は
透き通っていても、下流になれば汚れてきますよねえ。



けっこう建設中の建物がありました。都会に人が集まってきているのかもしれません。



30分ほど上流に進むと、シベリア鉄道で通過してきた長い鉄橋にやってきました。
アムール川はすごく広いので、橋の長いこと。

冬には全部氷結して、上を歩けるそうです。対岸まで歩いていくのは距離が長くて
すごく大変だとか。



遊覧船って、どこで乗ってもみんな上機嫌で和気あいあいとしていますよね。
ところで、団体になるとすごくうるさい中国人と韓国人がいません。どうやらやつらは
常に団体なので、貸し切りの船に乗るようです。



ご覧の通り、この橋は上段が車道、下段が線路になっています。向かいに座った
おばちゃんはこっちを向いているので、「ほら、電車が通ってるよ!」と教えてやり
ました。孝行息子みたいだな^^;



あの山の上あたりは、高級別荘地になっているようです。



こんなでっかい煙突、見たことないよー。ビルの40~50階くらいかぁ?よく見ると、
梯子がついていました。それ登るの?登る人がいるからあるんだよね!?シェー!



向こう側に見えているのが私の滞在しているホテル。こっちを向いていたので、どこかの
窓が私の部屋でしょう。翌日にこの川のほとりを散歩したのですが、暑い!



右に立って川を見ているのがアムールスキー伯爵。こいつの名前をとってアムール川、と
なったのだな、と思ったでしょ?

ちゃいまんねん^^; このお方の名前は、ニコライ・ムラヴィヨフ=アムールスキー。
最後の「アムールスキー」は、「アムールの」という意味のあだ名なのです。



ああっと、ウスペンスキー教会は、川から見ると正面なんだ!

船を降りるとき、相席になったおばちゃんは、簡単な挨拶だけではなく、なんかロシア語で
だいぶいろいろ俺に話しました。全然わからないのにー。でも、なんか打ち解けて、
親しみをこめた言葉だったのは雰囲気で伝わりましたよ。