goo blog サービス終了のお知らせ 

さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

要塞博物館2

2018年10月24日 | ロシア



要塞博物館の続きです。そういえば、ここはいつもの係員のおばちゃんがついてくる
こともなく、入り口のお兄ちゃんがいただけのワンオペでした。



こんなのが無造作にゴロンと置いてありました。



さて楽しい写真シリーズ。帽子が中華系みたいですね。中国は、いまだにこの極東の
地域を「ロシアにとられた」と不満です。ロシアにとっては、こちらの海岸線を確保
しておくことは大変重要でした。ここらはロシア、中国、日本との間で領土争いがずっと
続いているわけですが、そもそもどこにも属さない少数民族が狩りや漁業でのんびりと
暮らしていたのですけれどね。



つい100年くらい前までには、実に寂しい場所だったのですが、この右に見られるような
豪華な建物がどーんと建って、ワラワラと開発されたわけですね。



右から読む「ルテホルラトンセ」と書いてありますが、その下にはロシア語。諸外国が
ひしめきあっていた様子を象徴しているようです。



「金角湾に外国船」と書いてあります(つづりが間違っているけれど)。
函館に似ているな。



150年前くらいのウラジオストク。



んでこういう要塞が造られたと。



これがまさに今の場所というわけですね。ちょっと前のソ連時代には、こんなところに
俺が立ってるなんて想像もできませんでしたねー。



「1855年、下田でロシアと日本の間で平和友好条約が結ばれた」と書いてあります。
そのときには、サハリンの北がロシアで、南が日本のものになり、択捉や国後のクリル
諸島(いわゆる北方四島)は日本のものとする、と確認されたそうです。



左 時代は下り、1905年のポーツマス条約でも、樺太の南半分と北方四島は
  日本に帰すと確認。
右 1945年の大英帝国、ソビエト連邦、アメリカ合衆国によるヤルタ会議では、
  南サハリン、クリル諸島(北方四島)はソビエト連邦に属すると確認された。

というわけで、日本は「北方四島を返せ」というのは現在相手にされてないわけです。
「もともとこっちのものだったもん!」は正確にいうと、「一時期こっちのものだった
ことがある」ということですね。でもロシアは「ヤルタ会議が最後の協定だ」という。
日本はヤルタ会議に出てないから納得できんなあ。

中国は「釣魚群島(尖閣諸島)を返せ!もともとこっちのものだったもん!」と
言います。台湾も「釣魚台列嶼
を返せ!」と言っているわけですが、どちらも「一時期
こっちのものだったことがある」ということでしょう。でも日本は「サンフランシスコ
平和条約が最後の協定だ」といって取り合うつもりはありません。中国や台湾は
サンフランシスコ平和条約に出てないから納得できんなあ。

「もともと」なんて言い方はどうも説得力がない。もともとは人が住んでなかったし、
あっちの人が住んだりこっちの人がやってきたり。そもそも大国の人間ではない原住民が
いたんでしょうし。原住民グループが「もともと俺らのもんだ」って言いだしたら?

悲しい現実は、領土って強い国が実力でふんぞり返っているんですよねェ。実力行使で
長い間いれば、もう誰も文句を言えなくなってしまうもの。中国が「返せ!」と言ったら、
日本政府は「もう戦後ずっと日本だったんだから」と答えたことがあります。そうしたら
すぐさまロシアが北方領土のことを念頭に「そうだよね!」と言いました(笑)。


要塞博物館1

2018年10月23日 | ロシア



ウラジオストクの港に面した要塞博物館は、かつて本物の要塞として使われていた
場所にあります。



こんなのが本当にドンパチやっていたわけですね。



いろんな種類の大砲が並んでいました。おそらくは時代によって変化していったの
でしょう。



お隣にできた建物、こんなのを向けられていたら嫌ですねー。文句はこないのか?



上を向いているやつは、飛行機を狙うものかしら?上から爆弾落とされたらたまり
ませんが、勝負になったのでしょうか。



また戦車ですー。今回の旅ではだいぶ見たな。



こんなんで狙って撃ったのでしょうが、同時に狙われてもいたわけです。砲弾が
飛んできて、吹っ飛んで死ぬわけでしょう? やだねーーー!



さて、もと要塞は、いま展示室。平和になってありがたいことです。



でっかい砲弾、飛んできて爆発すれば、そりゃー死ぬな。



時間が有り余っているので、ぐっしょり濡れた靴でひとつずつじっくり見ました。



波打ったナイフは何を切るため?むかしこんなナイフを何本も飲み込む「びっくりマン
ショー」を見たことがあります~。右上、ちょっと切れちゃってるけど、拳につける
メリケンサック。左端にはヌンチャク。戦争にこんな肉弾戦があったの?



長~い鉄砲。相当遠くから狙撃したわけですね。見えないところから「ターン!」w



よくもまあ、こんな鉄の塊が飛んでいくもんだー。


洪水状態のウラジオストク

2018年10月22日 | ロシア



土砂降りの雨の中、意を決して「要塞博物館」へ向かう。まあ少しぐらい濡れようが、
ホテルの狭くてせわしないフロントで数時間座っているよりは、歩いていたほうが
まだ気が紛れるというもの。それにしても、イルクーツクでもそうだったが、ロシアの
街は水はけが悪い。あちこち水たまりだらけ。坂の多い街なので、道路が川のように
水が流れていたり、低い所では大きな水たまりとなっている。



すごい水たまりでしょ。ロシアの運転はやさしいので、歩行者がいるとかなり注意し、
減速して水がはねないようにしてくれます。
それにしても水たまりをよけて歩くので、あっちいったりこっちへ行ったり。



しかし、ここでついに立ち往生。もう迂回するルートがないのである。



こうなると、もうしかたありません。足首まで浸かってグッチュグッチュいいながら
通りを渡る。ダメだ、こりゃ。



もう波が出来ています。サンダルでも持ってくればよかったなあ。



聖タチアナ教会。ロシア正教の教会は、どこも遊園地の建物みたいだねェ。



さてこうなると、もう「川」だね。このあたりでは、通行人が呆然とためらっていました。
俺も写真を撮ったり、5分くらいどうしようかと考えました。しかしどうせもう足首まで
水に浸かって歩いてきたんだし、ここまできて引き返すのも癪だし、行くしかないと決心。

歩き出すと、これが結構深い。なんとひざまでくるところがありました。グッチュグッチュ
ではなく、もうジュッポンジュッポン!という感じでしたよ。



そしてガイドブックと地図をたよりにやってきたのに、「要塞博物館」が全然見つから
ない。これだけ苦労して歩いてきて、そのまま帰りたくはない。しかしぐるぐる回っても
ないじゃないかっ!しばらく歩き回ってあきらめかけ、ご覧のところにやってきた。
右には海鮮レストランの看板、奥には水族館の看板が出ている。こうなりゃ子供向けの
水族館にでも入るか?

階段を上がったら小さなチケット売り場があり、ヒマそうな係員のお兄さんにとりあえず
「要塞博物館を探しているのだが・・・」と話しかけたら、「ここだよ」というそっけない
答え。えええ!数年前のガイドブックに書いてある入り口の場所が変わったのは文句を
いいません。しかし、何か看板くらい入り口に書いておいてもいいんじゃないか?
もう一度この画像を見てください
。右にでっかいレストランの看板、そして奥には
水族館って書いた看板だし、「要塞博物館」って、何にもないからわかるわけないでしょ!


シベリア鉄道はウラジオストクに

2018年10月21日 | ロシア



上で寝ているロシア青年たちの強烈な体臭と、隣のオヤジのいびきに悩まされつつも、
俺は列車の揺れにウトウトとしていたら、明け方になって車両係員に起こされた。
いや、起こしたのは上階の青年二人組だったのだが、ドアを入ってきて青年たちを
起こすので、こちらも起こされたのである。

青年たちは、聞けば終点のウラジオストクではなく、手前の駅で降りるらしい。すると
配られた朝飯を食べるのに、上のベッドでは不自由なので、俺がベッドを片付けて、
下の席でテーブルを使えと譲ってやった。隣のおやじはイビキをかいて起きる気配はない。



2人が食べている間に、俺は遠慮して通路に立っていたが、青年が「詰めて座りなよ」と
言ってくれたので、片方の椅子に3人で座り、英語は通じないので身振り手振りを交えて
少し話をした。二人とも筋肉モリモリで、「UFC」(米国の格闘技団体)のTシャツを
着ているもんだから、「まさか選手なの?」とパンチのジェスチャーをして聞いたら
違うという話で笑いとなった。夜が明ける頃、青年たちは何かロシア語で別れの言葉を
発し、笑顔で手をあげて降りて行きました。旅というのはいつも思いがけない出会いと、
ちょっとせつない別れの連続です。



ようやく明るくなってきました。



外はどしゃぶりの雨になっていました。雨の中を犬がどうしたのかな。



アムールスキー湾が見えてくれば、ウラジオストクはもうすぐだ。



ウラジオストク駅は、船の出る港と連結しています。巨大マトリョーシカがありました。
まだ朝なのでほとんどの土産屋さんは開いていませんでしたが。。。



これは後日撮ったもの。マトリョーシカが開いて店になるんですねー。



さて雨はけっこう強く降っている。とりあえずホテルに荷物を置きに歩いていきますか。



ウラジオストクも坂の街だ。こんなふうに水がジャバジャバで歩きにくいこと。



ズボンの下半分はびっしょりで、靴の中もかなり水が入ってしまった。ホテルの部屋は
チェックインの15時まで入れないという。そしてまたもやWifiは使えない。どうする?
まだ朝だから、ゆっくり酒を飲むというのは無理だ。どしゃぶりの雨だから、博物館?
しかし、曜日の感覚がなくなっていたので確認してみたら、本日は月曜日。つまり
主だった美術館・博物館はすべて閉館日!ええええええ!あと6時間だよどーするよ。

エスプレッソを飲みながら、作戦を考える。どしゃぶりの雨で、歩くのは辛い。屋内系の
時間をつぶすようなところはほとんどない。作戦も何もねーよ。月曜にやっている
のがひとつあった。「要塞博物館」。ウラジオストクの湾に構えた要塞が博物館になり、
武器なんかを展示しているらしい。たいした大きさではない。さらに町はずれでだいぶ
歩く!気が進まないねえ。。。しかしホテルのフロントの前にある椅子に1時間も
座っていると、さすがにうんざりしてきて、あと5時間ここに座ってはいられないと
思い、ついに雨の中を外に出ようと決心したのであった。


ふたたびシベリア鉄道に乗る

2018年10月20日 | ロシア



ゆっくり昼飯も食べ、ビールも飲んでワインも飲んだが、シベリア鉄道に乗るのは
夜20時。博物館だのなんだの見るべきものは全部見てしまったので、アムール川の
ほとりでもぶらぶらするしかない。



しかしね、日差しは強いし、暑くてたまらん。シベリアだってのに、冬はマイナス何十度で
川は全部氷結するくせに、連日30度超え!なので座るのも日陰でないとたまらんのだが、
当然そういう木陰になっているようなところは人が座っており、灼熱のなかを彷徨うしか
ないのであった。



ここはホテルの窓から見えていた賑やかな遊園地。
まだ5時間以上あるので、暑そうだが「ひとり観覧車」でもやろうかと考える。しかし
別の場所でチケットを買わねばならず、そこには何人か並んでいたのでやめておいた。



遊園地を見物するのも飽きてしまい、しかたなくまだ2時間以上もあるけれど駅に
来てしまいました。



2階の待合所はこんな感じ。しばらく本でも読んでおりましたが、なんか落ち着かない。



で、ようやく出発まであと50分となり、プラットホームに出てきたところです。
チケットには俺の乗る車両番号が書いてありますが、それがどこなんだかわからない。



するとワンサカ中国人団体客がやってきました。ヤダー、うるさーい!!!



幸い、中国人の団体は隣のコンパートメントまで。まるで津波が足元までだった気分だ。

我が席までやってくると、俺のベッドは下。上の2つには、廊下に立っている若者2人。
それが、、、男の体臭、汗くさっ!!!!コンパートメントは狭い密室なので、これは
たまらん。ツンとくる強烈な匂いで一晩過ごすのかー。

下の隣にはおっさんが来た。やたらに濃い男部屋だ。イルクーツクから2泊3日で
同室だった3人家族はまだよかったということかー。こんな地獄に、もし女性がひとり
だったらどうなるんだ?

食堂車に逃げようかとも思ったが、なんとナイ!そおか、6泊7日のモスクワから来る
列車には食堂車があるのだが、ハバロフスク発ウラジオストク行きは夜の8時に出て
翌朝には到着してしまうので、食堂車がないんだ!ううう、そこでまたリラックスして
ビールでも飲むかと思っていたのに。。。

中国人グループからの騒音がわずかに聞こえてくるが、ドアを閉めてしまえば問題ない。
幸い上の若者2人は騒ぐわけでなし、隣のおっさんはすぐにベッドを準備して寝て
しまったので、俺も早々に横になり本を読み始めた。最初はすごい臭いにクラクラしたが、
化学物質の化粧品とは違って慣れてくるもんなんだなあ。列車の揺れに、早めに眠りに
落ちたのであった。