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さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

乗り鉄・只見線の旅はじまる

2023年12月20日 | 東北シリーズ


早朝のバスタ新宿。タイトルで「乗り鉄」と書いてあるのに高速バス? そうです。
私の旅は、車はほぼ使わず、基本は鉄道。しかたなく路線バス。たまに飛行機。
できるだけ使わない新幹線、まず乗らないのが高速バスなのですが、今回はそれで
スタート。

いつもの各駅停車で会津若松まで行くと遠いので、途中那須の北温泉に泊まろうと
思ったら、なんとひとりでは受けつけなくなっているではないか!あの温泉は
大好きだったので実に残念。コロナ禍があけて強気になってしまったのか。

というわけで調べてみると、なんと高速バスが会津若松までたったの3100円!
乗り換えもなく座ってるだけで着いてしまうので、今回はそれにしたのです。


旅のメインは昨年開通した只見線。会津若松から終点の小出まで全部乗ります。
とっても長いし、一度に乗ってしまうのはもったいないので途中会津宮下温泉に一泊。
只見線は恐ろしく本数が少なく、終点の小出(魚沼)に到着するのは暗くなってから
なので、何もなさそうだけれどそこに一泊。寂れた酒場ぐらいはあるだろう。
そこから上越線に乗って戻ってくるわけですが、途中の吾妻線にも乗ってみたい。
せっかくなので渋川から終点の大前までコンプリートしたいと思ったが、これも強烈に
本数が少なく、もしそこまで行ったら10分後の折り返しに乗らないと戻ってこられない
ではないか。というわけで吾妻線は途中の小野上温泉まで行って、そこの温泉に入って
戻ってくることにしました。で、前橋で宿泊。そこからは上毛電鉄を終点まで全部
乗って桐生に行きます。帰りは両毛線に乗って帰ってくるという、今回はローカル線
乗り鉄の旅の予定となりました。


バスの乗るときはだいたい左右2席のひとつずつ、窓際関がほぼ埋まりました。出発
すると新宿の飲み屋、高田馬場の酒場、池袋の居酒屋と、俺がよく行く店を順番に
通過して行くではないか(^益^)w そしてちらほらと停車しては乗客がパラパラと
乗り混んできて、おじさんたちはぴったり2席に並んで座ることになる。

来るな来るな俺の隣り~。来るならきれいな女の人ぉ~~、と心の中で祈りをあげる。

よくコレ、飛行機に長時間乗るときにやりますよね。祈りが通じることはなく、まず
図体のデカくてむさいおっさんが来たりするものですが。。。今回俺の隣りには誰も
来ませんでした♪ 幸先良いスタート (=゜益゜):;*.’:;


バスは高速を快調に北上しました。高速道路のインター付近にはどこにもラブラブ
ホテル♪ いいなあ


郡山から西に向かうと磐梯山が見えます。JRの線路とほぼ同じコース。これを見ると
会津に向かっているんだなあと思います。


山を越えるといきなり会津の盆地が開けてきます。もうまもなくだ。


本を読んだり寝たりしていたら、5時間の旅もそれほど長くは感じなかったぞ。


いつもの宿に向かう途中にある若松食堂で昼食タイム。


ソースカツ丼はこちらの名物です。ビールが旨い。


会津若松にはこういう蔵の建物がたくさん残っています。不動産のサイトを見た
けれど、売りに出ているのはとても少ないんです。


市役所はなにやら工事中。この歴史ある建物を壊してしまうんじゃないだろうな?
夜に酒場で聞いたら、どうやら増築をするようです。


「宮泉」の酒蔵。これよりは「末広」、それよりは「寫樂」か「飛露喜」だなあ^^
会津の酒はすばらしい品揃え。夜はいつもの盃爛処でたくさん飲むぞー。


前回は1月に来ました。もう毎年のように来ているので、ほとんど観光名所を訪れる
ことはなくなりましたが、鶴ヶ城だけは見に来なければね。


中国語を話す団体がいくつか来ていました。香港や台湾かもしれません。どっちも
吸収されそうになっていますが。それにしてもウクライナといいガザといい、暴力に
よる侵攻があちこちで起こっている今の世の中、嫌ですねえ。とりあえず平和が
保たれていて酒飲み旅行なんぞをしている私ですが、ありがたいことですw
100年ほど前に、力によって侵攻した北海道や沖縄のことを忘れてはいけませんが。


まもなく雪に閉ざされて、寒くて凍りついた季節がやってきます。


お城を見たあとは、早めにホテル入ってのんびり。夜の酒にそなえました。


川島芳子やら工女宿やら

2023年11月11日 | 東北シリーズ


突然「シベリア抑留展示コーナー」がありました。


当時の服。着てたのはどんな人だったのかな。。。


もちろん生きて戻ってこられた人が持ち帰ったのでしょうw


「男装の麗人」川島芳子のコーナーもありました。清朝の王女様です。なぜここに
展示されているのか、、、話は長くなりますが。。。

松本藩士の川島良顕の長男・川島浪速(生まれたときに、父親が長州征討のために
大阪に出陣中だったからそんな名前になったそうです。いかがなものかとw)は、
明治時代になってありがちですが、東京外国語学校に入学して中国語を学びました。
エリートですから、日清戦争になると陸軍通訳官として従軍。義和団の乱でも派遣軍に
加わり、まあボロボロになった中国の支配階級となって、北京警務学堂の学長になります。
そこで清朝の皇族と近づきになり、辛亥革命で清朝が滅亡すると、粛親王を北京から
旅順に脱出させたりするのです。それで粛親王と義兄弟の契りを交わし、その王女を
養女としてもらい受け、この写真の川島芳子と名付けるのでした。

芳子さんは最初東京に住んでいましたが、一家は松本の浅間温泉に移住したので、
彼女は松本高等女学校に通学します。自宅からは馬に乗って通学したり、陸軍の少尉と
恋仲になったりしたんだって^^;

しかし17歳の時にピストル自殺未遂。そのあと「女を捨てる」と宣言して断髪、男装を
するようになりました。それが新聞に載って話題になり、「男装の麗人」と呼ばれる
ようになってアイドルのようにファンが増えたとか。


女を捨てる宣言から2年後、蒙古族将軍の次男と結婚するが3年ほどで離婚。上海に
渡って駐在武官の田中少佐と交際。そいつの諜報活動に関わることになったとか。
つまりスパイになったそうなのです。しかしそれのかなりの部分が謎のまま。

芳子さんは「東洋のマタ・ハリ」とか「満州のジャンヌ・ダルク」などと呼ばれて
マスコミの寵児となり、ラジオ番組に出演してレコードも出したのです。しかし
関東軍の満州国での悪事や日本の対中政策を批判したりして(まっとうだったのですね)
軍部に監視されたりしました。

天津が日本軍に占領されると、当地で料亭の女将をしたとか。李香蘭とも仲がよかった
そうです。(李香蘭って、10年ほど前まで生きてたんですね!)

戦後、芳子さんは「国賊」「売国奴」として中国国民党軍に逮捕されて銃殺になり
ました。実に波乱に満ちた人生を送ったのですね。


注目を浴びたにもかかわらず謎も多い生涯でしたから、さまざまなメディアで
取り上げられ、ドラマや映画になったり本になったり。。。


さて最後に「工女宿 宝来屋」の建物です。江戸時代後期、野麦街道に建てられた
宿屋です。その街道は飛騨高山と松本を結んでいるので、諏訪や岡谷の製糸工場に
向かう工女たちが宿泊したのです。


なかなか大きな屋敷ですが、多い時には100人の工女が泊ったそうです。そんなときは
すんごくうるさかったとか。大教室の女子学生って感じか、いや修学旅行の女子高生
ってところでしょうね。


みんな一泊して翌日の朝4時には出発したそうです。そうすると握り飯を持たせ
なくてはならないので、宿屋の人はその準備に寝る暇もなかったとか。


さすがに風呂なんかは入らなかっただろうな。するとすんごい女臭かったと思われw


屋根裏部屋。ざっと見て回って、ここで100人ゆったらぎゅう詰めでしょうーw


この映画、むかし見て泣けましたねえ。。。 大竹しのぶ、似てないなwww


う、立派な部屋もありました。他ではぎゅう詰め、ここには偉い人がゆったり
だったのでしょう。。。


牛小屋もありましたw


ボンビーとはいえ、まだうら若い娘を働きに出すのは親も子も辛かったろう。。。


大間から函館への津軽海峡フェリー

2023年10月21日 | 東北シリーズ


バスは定刻通りに津軽海峡フェリー、大間の桟橋に到着しました。出航まで30分ない。
船に乗るのに、乗客名簿の用紙を書いてチケット売り場に並ぶ。すると乗船アナウンス
が入り、上の階に行くともう並んでいる乗客たちは乗り込み始めた。昼飯を食べる
時間は全くなし。売店もあったが、見ている余裕なし。まあ船内に何かあるだろうと
思って乗り込んだ。


大間から函館まで、本州最北端から北海道に船で渡るには90分。晴れていれば対岸が
見えますからね。チケットは当然一番安い2等。観光客はみんなデッキに出る。ただの
移動手段として使っている人たちは一斉に寝る。昼時なのに、見事にみんな寝る。


私は観光客なので、デッキに出ました。本州よ、さようなら~。しかし2等席の
デッキは一番後ろなので、でっかい煙突から出る黒い排気ガスが風によっては
吹いてきて油臭いぞw 1等や特等席の人たちは、前のいいとこに出られるのかな。
そんときに思った! 俺ひとりだと絶対に2等最安値の選択。だってたったの90分。
高い乗船券払うくらいならそれで酒を飲むってばさ。しかし、これがきれいな女性を
連れていたら!白百合の化身ですか、スミレの精ですか、という人との二人旅だったら、
それは排気ガスが流れてくるようなこんなところはまずいでしょう~~www
ま、というわけで俺は節約したお金で夜に酒を飲むぞ。


大間の岬です。最北端の先に小さな島があり、そこに灯台が立っています。


秋田から青森に来て、下北半島を最北端まで北上して、ついに本州からさようならです。


食堂はありませんでした。ううむ、鹿児島の桜島へのフェリーでは、乗船時間が
たったの15分なのにうどん屋があったよな。。。ちょうど昼時だってのに、1本しか
ないバスに乗ってきて到着したらすぐに乗船時間だってのに、食べるところがない。
しかたなく売店ともいえないようなカウンターにわずか並んでいたあんぱんと
チップスターを食べる。大間のマグロの寿司カウンターまでは期待してなかった
けどさーw


あんぱんを食ってまたデッキに出たら、函館山が見えました。


立待岬が見えます。右のほうにはうっすらと五稜郭タワーが。


この函館山の南側はアクセス不能の切り立った断崖。なのでぐるりと回っていく
ことはできません。


南西部は、船でしかいけないところです。バーアルトのマスターによれば、そこには
数軒の漁師をやって暮らしていた民家があったそうですが、廃村になっているとか。
打ち捨てられた民家が見えないかと探してみたけれど、見つかりませんでした。


この3月に、行けるところまで北側から行ってみましたよ。あの民家がとぎれる
あたりで通行止めになっているのです。


旧検疫所、いまはカフェになっている建物が見えました。散歩をしていて、立派な
建物があったから近づいてみたら、窓に何人も若者がこっちを向いて座っている
ので、あれ?と思ったらオサレなカフェにいたのですね。


そのときに撮った写真です。なんかオッサンが近づいてきて写真を撮るな、と
みなさん思ったことでしょう。。。あの窓にズラリと顔が並んでたのw


湾に入って行きます。私は函館山を見ると、いつも「星の王子様」に出てくる
象を飲み込んだ大きな蛇の絵を思い出します。


まもなく到着。


湾内の遊覧船に乗ると、この手前まで来て回って戻るんです。


おお、下が開いている高速船がとまっている。どこに行くんだろう?


バスで最北端の大間へ

2023年10月20日 | 東北シリーズ


11時過ぎのバスに乗って、大間の岬に向かいます。これだと函館行きのフェリーに
ぴったり接続するのです。出航の30分前。少し大間の港町をぶらついたり昼飯を
食べたりもしたいなあと思ったのですが、その前のバスは3時間以上前で朝一番に
なってしまうのです。それもなあ。。。 バスは下北駅から数分でホテルの前を通過
するはずなのですが、最初っから10分以上の遅れ!フェリーにぎりぎりにならないか?


下北半島を北上し、津軽海峡に出ます。半分を過ぎたあたりでバスは時刻表通りの
運行になって、少しほっとしました。もう少し余裕を持った運行にしてくれんかw


半島の突端が見えてきましたぞ。


冬は厳しい寒さでしょうねェ。津軽海峡冬景色だもんなあ。


大間の港町に到着しました。マグロ獲ってるのかな。


おっ!「ここ本州最北端の地」って書いてあります。時間があれば、このあたりを
のんびり散歩したかったのだが。コレ、バスの右側に座っていたので見られました。
あっという間に通過したので、よく写真が撮れたもんです^^;


ちらほらと観光客がいました。カポーばっかりだ。まあそうだろうな。いいな。


恐山菩提寺 4 極楽浜

2023年10月18日 | 東北シリーズ


無間地獄だの賽の河原だの、ちとエグい(最近の若者は良い意味で使うとか?)
ところが続きましたが、「極楽浜」という目出度い名前のところにやってきました。
その名前にふさわしいきれいなところです。
とうちゃんとかあちゃん、一緒にいるかなー。


東日本大震災の供養塔が立っていました。


風車が並んで立てられており、クルクル回っています。むこうには大尽山(おお
つくしやま)。たまたまテレビをつけたとき、吉田類の「日本百低山」という
番組をやっており、タイムリーにもこの山を登っていました。ここから出発して、
そんなに高くはない山ですが、往復に数時間かかるので、この菩提寺の宿坊に
泊って朝から登る人がいるそうです。頂上からはこの菩提寺が見られてとてもいい
景色でした。


風車は死者を弔っているのでしょうね。


冬は雪の閉ざされるのでしょうが、景色の素晴らしい秘境ですね。


湯気がモウモウと立っているんですよ。


展望台があるというので、一応登ってみました。


こんな感じです。極楽浜のほうがきれいだよ^^;


暑いので「冷やしラーメン」なるものを注文。「冷やし中華」だといろいろ具がある
のだが、冷やしラーメンはただの「もり」なのねーw


というわけで町に戻ってきましたよ。バスステーションが「JR田名部駅」とあるので、
おそらくは廃線になったところ。線路跡がないか裏を見ましたが、もう跡形も
なくなっておりました。この路線は下北駅から津軽海峡に面した大畑までのローカル線。
それが本州北の最先端である大間まで伸びる計画があったそうですが、結局実現せず、
「幻の大間線」と呼ばれたそうです。


まだホテルに戻るのは早いので、喫茶店でチョコレートパフェを食べました^^


「むつ来さまい館」などという施設があるので、いちおう入ってみる。


お祭りで使うものかな?


床にはエリアマップが。 それだけ。 別に観光客向けの施設じゃないのか。


お、むかしの百貨店ではないか。いまや絶滅危惧種。調べてみると、大正時代に
松木呉服店が始めた青森で初めての百貨店だったそうです。入ってみると、一階
だけの運営らしく、フードコートがありましたが人はほとんどいなくてガランと
していました。。。


というわけで、夜の酒。昨夜の「さいはて居酒屋下北物語」に行ったらお休み!!!
少し歩き回ったが、「ぶらりと気楽に立ち寄って」「のんびりゆったりくつろいで」
なんて書いてある店に入ってみた。

一品目の串焼きが出てくるまで30分以上待ちました。その間にビールが1本なくなり
ました。二品目のこの「イカの陶板ゴロ焼き」は1時間近く待ちました。料理人が
ひとりだしなあー。「のんびりゆったり」かw

イカはとてもおいしかったですよ。でもなかなか来ないから、最初の2品注文だけで
終わり。そしたら「4000円!」。メニューに値段が書いてあるので、明らかに高すぎる。
久々に嫌な気分になって、この日はこれで終わりとしました。これも無間地獄w