さてさて湯浅で甚風呂のおばちゃんが「海南に行ったら漆塗りだわね」と言っていた
ので、「紀州漆器伝統産業会館 うるわし館」というのを地図で発見したから来てみた。
なぬなぬ、「日本一のお盆の産地」か?
むむ、一階は売り場だ。買い物客のおばちゃんがひとつ手にとったら、足がポコッと
とれて転がってしまい、おばちゃんが押し殺した声で「ぎゃっ!」と言っていました^^;
2階が展示室。いろいろ立派な品が並んでいました。
なかなか立派です。しかし去年の暮れに輪島塗りを博物館で見て、あまりの素晴らしさに
クラクラするほどだったので、それに比べても仕方がないんですが、あまり長く時間を
過ごすほどではなかった。。。
こんなのも立派な日本家屋に住めればほしくなるのかもしれんがなあ^^;
こういう品とつりあうような生活様式じゃないからな。。。
さて漆器見学にはいささか拍子抜けして、海南の町歩きを続ける。ここは「のこぎり
の歯状の家並み」というのが特徴らしい。町角のあった地図を見てやってきた。
たしかに道路に面して家がまっすぐではなく、やや斜めに建っている。
四角い建物が横並びではなく、少しずつずれて並んでいるわけね。どうも太陽光線に
向かってのことではないらしい。江戸時代に埋め立てをした際、長方形ではなく、
平行四辺形の区割りになってしまい、そのためにこういう形式になったとか。
ま、ここも通過すればおしまいで、さらにわりと小さいエリアだったので、すぐに
見物は終わる。夜の酒まで時間が余りそうw
「黒牛茶屋」と地図にあったので、茶屋でしばらく時間をつぶせるか?と思ったら、
むむ、ここは和歌山の酒「黒牛」の酒造ではないか。
「温故伝承館」というのは俺の好きな郷土博物館系かと思っていたら、向かいにある
黒牛酒造の酒造り資料が並んでいるということらしい。しかも閉まってるしwww
というわけで、茶屋は酒屋さんでしたー。
たしかに「茶屋」?飲食コーナーがありましたが、だーれもいないで開店休業状態。
ショップのレジには係員がいましたが、ここは団体でも来ないとやらないのかもしれん。
ここでも時間を過ごすことが出来なかったw
一応一番上から2本、買って送ってもらいました。さすがに純米大吟醸は黒牛でも
飲んだことのない上品な旨さだった(^益^)b
しかしまいったな。居酒屋が開くのは17:30だったか。それまでどうしよう?
和歌山から南へ3駅の海南にやってきました。さてどんな町でしょうか。
おぅ、フランスベッド、なんか前時代的ですなあ。
むむ、野鳥、猪の肉、ジビエかぁ~。普段使いでみんな食べてるのかしら。
古い町並みの方向へ向かっていきますが、いきなりきたぞ、ナイス長屋。
路地裏にディープ感あふれる飲み屋。夜に来る予定ナリ(^益^)b
漆塗りの資料館(?)があるというので、住宅街を抜けてそちらへ向かっています。
お~自然崩壊でここまできたか。木枠の窓が素敵ですが、もう住むのは無理だなw
横から見たらこうだった。やはり廃屋か。。。
くねくねと狭い路地を進みます。
狭いところに大きな蔵があったぞ。
曲がったりつき当たったり、なかなか散歩に楽しいところですー。
あとで地図を見たら、わりとすぐに海につながっている水路でした。
お城から今度は大きな商店街に向かいます。その途中で、和歌山ラーメンの有名店が
あるので、そこで昼飯。
和歌山ラーメンはとんこつ醤油が基本なのかな。こいつはなかなか旨かったぞ。
しかし横に座った若いお嬢さんたち、ラーメンと餃子とナントカご飯だの、圧倒。
女性の大食いって素敵だと思います。大酒飲みもね^^
お城の丸の内から城下に至る大手通に、この「ぶらくり丁商店街」が発展しました。
狭い店がぎっしり並んでいたので、商人たちが商品をぶらくって(吊り下げての意)軒先を
飾っていたのが「ぶらくり丁」という名前の由来だそうです。
予想はしてたが、やはりかなりのシャッター街。
昭和の初期には大阪のミナミと肩を並べるほどで、人がぎっしりでまっすぐ歩けないくらい
だったとか。しかしひどい。午前中はこのあたりで過ごそうと思っていたのだが、ただ
まっすぐ歩いて通過するだけだ。
大きな商店街が6つあるらしい。しかし。。。
ううむ。例によって「中心市街地活性化計画」なんてやってるらしいが、ムリムリ。
ばーちゃんの自転車がスイスイと走ってゆきました。
まず駅から2㎞も離れている。そしてこういうところには車でアクセスしにくい。
いまはみーんな郊外の巨大ショッピングモールに行ってしまいます。そういうところは
人がうじゃうじゃ。やたらにブランド衣料品店が多くて、見たことあるような割高な
飲食店ばかりなんですけどね。
これは百貨店か?デパートも最初は個人商店の敵だ、と言われましたが、それもいまは
衰退の一途。郊外のショッピングモールもいつかは過去のものとなるのでしょう。
個人商店のほうが会話のやりとりもあって人情味があると言われたりもするけれど、
それはそれで鬱陶しいと思われることもある。若者などは、プライバシーがダダ漏れ
になるよりも、見知らぬ人に機械的に相手をされるほうがいいと思ったりするだろう。
ひきこもりやいろいろ干渉されたくない人たちは、コンビニみたいなところが唯一
ほっとできるところだったりするからなあ。田舎ではコンビニ店員も近所のおばちゃん
だったりしてダメか?だから巨大ショッピングモールのほうがいい?
官製の計画はまずうまくいかないでしょう。この巨大な死に体はどうなっていくのかな。
おっと、過去の遺物がまだ生き残っているぞ。ちょっとやりたい気にもなりましたが。
いつも不思議に思うのだが、こういうところの2階には人が住んでいるのか?
閉店してどうやって暮らしているのだろう?
時間をつぶす選択肢がないので、少し早めによその町に移動することにしよう。。。
さて「おもてなし忍者」の勧めに従い、和歌山城内を巡りませう。
おじーさんが早歩きで運動をしていました。コースがきっちりと決まっているらしく、
まわりに誰もいない広い所なのに、私のすぐ目の前を通過して少し先で折り返して、
また通過して歩き去って行きました。
「御橋廊下」というそうです。このあと「わかやま歴史館」で見たビデオの説明により
ますと、平和な時代にはお城で文化的なお楽しみが次々と催され、それに参加する
ために、城外の人たちがひんぱんにお城に行き来したものだから、人にあまり見えない
ように堀を渡るためにこれが造られたとか。
これが立派な造りなんです。靴を脱いで歩かせてもらえます。
橋の窓から外を見た。
「紅葉渓庭園」(もみじだに)というそうです。
風流好きの殿様だったんだな。
観光案内所の上にある歴史展示室も見物しました。ビデオは和歌山の歴史関係と、
お城の歴史関係、たっぷり2本見させて頂きました。
これが紀州徳川家に伝わる「獅子紐印」(ししちゅういん)という宝物で、右下の
ハンコが左の下のところにすっぽり入り、それが真ん中の獅子の股座のところに
すっぽり入るという構造だ。計8つの印面があるというわけです。数えて味噌^^
和歌山の朝を迎え、朝食は喫茶店でのモーニングセット。こういうのが一番いいなあ。
駅前からバスに乗って、朝一番で和歌山城へ。
お城があるところでは、とりあえず敬意を払って行きませんとね^^
きれいにカットされた石垣。
だんだんこうなってきました。造られた時代が違うのかな?
さあて入城。
こりゃ新しい造りだな。
例によって周りにちらほらいるのは中国人ばっかり。写真を撮るのに、両手をあげて
片足をあげてポーズをとったりしております。他の人が画像に入るのをとても嫌がる
ので、ポーズをとっている間にはそこを通れないww
こういう展示物はさらりと見て、天守閣へ行かねば。
お~、コンクリートじゃなくて、木造の家が並んでいる景色を見てみたいが。
こちらは海方面。
アップにして見ませう。
北のほうには工場群が。これはこれでいい景色だ。
お城から降りてきたら、なんと黒装束の忍者が待っておりました。人差し指をもう
片方の手で握って忍者風のお辞儀をなさる。こちらもお辞儀を返す。そうすると
忍者風のお辞儀アゲインw
近くで見ると、おじいさん忍者。忍者風の御挨拶とお城の見どころを説明してくれて、
最後に「写真を撮りましょう」と言ってくれました。ま、そういうわけで珍しく
私の写真を載せることになりました(^益^)w