和歌山、夜の出動タイム。向かうは駅裏の有名店、「タダや」じゃなくて「多田屋」。
駅から横に入った商店街の近くらしいが。。。
むむ?ちらほらと酒場はあるが?(ちなみにスマホがあれば、迷わず地図を見ながら
まっすぐ行けます。歩きスマホしている人、よくいますよね。俺は画面を見て歩く
より、知らない街をあちこち眺めて放浪したい派w)
おうおう、目立ってるじゃねーかー。まさにワンダーランド。
ここは朝の9時から夜までぶっ通しでやっているらしい。昼飲みに来るのもいいなあ、と
思ったりもしますが、明日の昼間はよその町をぶらつく予定なので。。。
大箱ですごく賑やか。ほぼ満席で、数人のおばちゃんたちがカウンターのなかで
絶え間なく動き回っています。
お燗はコップ酒。まずはホタテの串焼きでスタート(^益^)b
まわり一面に料理と酒の短冊がかかっているので、見渡すのも大変なくらいだ。
「地鶏 タラコ 手羽 ギョサ」って、、、おそらくは「餃子」なんでしょうが、
あれで一品なのかどうかを質問。どうやら手羽先にタラコを入れたやつと、餃子の具を
入れたやつがあるらしい。
お忙しいところを質問してしまったので、餃子入りを注文した。
和歌山の地酒がいろいろあるが、それはみんな冷やだそうだ。というわけで順番に
試し、刺身3種盛りを注文する。さすがに鮮度抜群で旨かったぞー。
大きなコの字のカウンターに座っているのだが、この店はじっくり飲むより、どんどん
注文してバクバク食べて、早々に帰ってゆく客が多い。んでおばちゃんたちはものすごく
忙しい。
しばらくすると、横に小学生低学年くらいの少年を連れた中国人夫婦が座った。少年は
音を立ててスマホのゲームに夢中。俺の見た限り、中国人とイタリア人は子供を叱らず
ひどく甘やかすな~w 公共の場所で騒いだりしますが、親も周りも笑顔で見ています。
すぐに少年は座ったまま熟睡。料理が次々に来るので、お父っつあんは一生懸命起こして
食べさせていました。幼い子供の外国旅行は疲れるだろうよなあ~。
〆にイワシのつみれ汁。五臓六腑に染みわたる旨さだよ!
今日も飲んだ~。「もう一軒!」と行きたいところでしたが、昨夜は3軒目までいって
ヘロヘロになったので、今晩は少しセーブしておくかなーとやめておいたのでした。
駅の近くには場末のスナックなんかもなさそうだしな。。。
湯浅から和歌山までは、海岸線をくねくねと列車は進みます。こんな大きな工場も
ちらほら。ウルトラマンの怪獣なんかがこういうところを暴れたねェ。
オイルとかガスが入っているのかしら。手前の白い球、上まで階段があるので
登らせてほしいなあ~。
こんな高~い煙突を立てるとき、働いている人たちは大変だっただろうなあ~。
俺、こんなとこ登ったら腰が抜けそう。。。
こういう写真って、関心ない人にはぜ~んぜん面白くないか?俺けっこう好きだけどー。
「工場萌え女子」とか聞いたことないけどなw
こちらの人たちは、この煙突がふるさとの原風景になっているのでしょう。
さあて、和歌山駅に到着しました。
駅から10分ほど歩いたところにある、「かつや」さんに宿泊です。なんか味わいある
でしょ^^
和室を予約しておきました。やっぱり俺は、畳が好き♪ でも和室だと風呂やトイレ、
水回りは共同。それがちょっと難点でしたが、でもやっぱり畳♪
オーナーの旦那さんは、誠実できっちりしたタイプ。奥さんのほうは、シャイで
はにかんだ笑顔を見せてくれます。なんかナイスな家族経営です。
風呂屋? 江戸時代から昭和まで営業していた銭湯だそうです。資料館だというので
入ってみました。
入り口はこっちか。たしかに銭湯のようだぞ。
おおお、古い湯舟。手前のは深くて、立ち湯だったそうです。ここで係員のおばさまが
登場。ご挨拶をして、中の案内をしてくれました。
裏の火を焚くところ。
奥に行けば、住居エリアです。古い調度品が置かれていて、資料館になっているのです。
おやおや、古いテレビやラヂオだ。初期のテレビは高級品で、高度成長期に入る頃、
一般庶民はローンを組んで買ったものだったという話をする。係の人は「映りが悪くて、
叩いたりして^^;」なんて笑っておりました。
昔話や、この町の歴史など、たっぷりおしゃべりを楽しみました。津波の話になった
とき、「はたよ食堂のおっちゃんがこぼしてましたよ」と言うと、「あら、あそこに
行きましたか^^」と笑う。予想通り、あのおっちゃんはこの町の有名人のようです。
はたよ食堂、おもちゃ博物館、そしてこの甚風呂で、今日は3連発で楽しい会話が
できました(^益^)w
中に入るは酒か醤油か。
こんな部屋に住めたらいいなーwww
さあて、そろそろ和歌山へ向かうかぁ。
お、これは熊野古道の立石道標。「すぐ熊野」って書いてあります。「すぐ着くよ」
じゃなくて、「真っすぐ」の「すぐ」だから、「このままこっちへ行け」ということ
ですね。
天保9年、1838年に立てられたそうです。熊野、伊勢、高野への参詣道を標示した
ものだと書いてあります。湯浅は古くから交通の要所で栄えたのですねェ。
「角長」という、慶応2年に建った醤油の仕込み蔵が昔から使用されている器具を
展示しています。無料^^
醤油は米と同じようになくてはならないものですよねー。それも濃くて旨いやつじゃ
ないといけません。スーパーの刺身パックに入っている小さな袋のやつじゃいかんのだ。
私の友人で、「エビフライには醤油なんですよ!」と力をこめて言うやつがいます。
「それわかる気がする。意外にソースよりよかったりするんだよね。でもコロッケは
ソースだろ?」と言うと、「いいえ!コロッケも醤油が合うんです!」と主張。
「なんだよ。まさかお好み焼きにも醤油なのか?」「当然です!」「それって、ただ
なんでも醤油なんじゃねーの?」と聞くと、笑ってました。最初からそう言えってのw
人がいません。なんだかドロボウにでも入ったような感じ^^ しかも昔の世界のw
番台にはだいたいうるさくて厳しく細かいおっちゃんがいるんだよねー。俺、ダメw
あの板を踏んで、ギーコギーコ水を汲むんだよね。
お?
覗いてみたら、こんな感じでした。150年を超える歴史のなかで、こんなかで隠れて
ちゅーしたやつは何人くらいいるだろうかな。
15人!
「奇数のわけないでしょ!」って思いましたか?スケベでもてる若旦那が、何人もの
使用人にやっちまったりすることもあるんですぅ~(^益^)w
どんな行程で使われたのかはわかりませんが、ぐりぐり回っているところを見て
みたいですなあ。
おもちゃ博物館を見たあとは、湯浅の町の中心地へ向かう。歴史を刻んだ建物が
並んでおります。
麹(こうじ)の製造販売店だそうです。明治11年の建築だって。格式を感じますのう。
「岡正」なんて屋号が出ていますが、なんの店かしら。ここ湯浅は醤油発祥の地で、
数多くの醤油の蔵があったそうですが。
山田川というそうです。この川のほとりに並んだ倉庫から、おそらくは船で味噌や
醤油が出て行ったのでしょう。
立派な町並みなのですが、まったく人と会いません。。
実にたくさん醤油醸造所がありますが、どれくらい稼働しているのだろう?
木格子が素晴らしい。右上の楕円形の窓は、虫籠窓(むしこまど)というそうです。
この形は木瓜(もっこう)型というもので、すごくおしゃれですよねー。
しかしどの家もしっかりメインテナンスされていて、廃墟めいたものは全然ない。
商売はしっかり続いているのかな。
たばこ屋さんに灰皿があったので、ひとり静かに一服 (-。-)y-゜゜゜
でもそんなときに限って近所のおばちゃんが通りかかるw
さすがみかんの里、こうやってあちこちで販売されていました。
紀州名産、金山寺味噌だって。ちと寄ってみたい気もしたが、味噌は旅の途中で
買ってしまっては重い。。。 酒は買うくせに^^;
金山寺味噌というのは、大豆や米、麦などいろいろとつぶつぶが入っているやつで、
調味料ではなく、そのものを酒の肴のように食べるやつです。これは鎌倉時代に
伝来したもので、この製造過程から醤油が生まれたそうです。19世紀の初めには、
ここには92軒も醤油屋があったんだってさ。