掛川城を見物してから、また街に戻ってきました。「旅館 桃源郷」? こんな素晴らしい
ネーミングの宿があるなら、ビジネスホテルじゃなくてこっちにするべきだったなあー。
あとで調べてみると、昭和な食堂が併設されているし、部屋は古びた和室。ううむ。
次回はこっちにするぞー。
「衣料センター」って名前が昭和でいいなあ。
駅に向かって歩いてゆくと、おお、お母さんが赤ちゃんと抱っこ。ほほえましいねェ。
ム、よく見ると、胸の質感がリアルでおじさんはついじっと見てしまふ。
いかん!ゲージツなんだから、劣情を持ってはいけないんだ。人妻だし!
こっちは人妻じゃねーが、おっさんが若いお嬢さんに劣情を持ってはいけません!
スカス、なんでシャツだけで下をはいてねーの?なんでシャツの下をちょっとつまむの?
パンツはいてる??? のぞいたらダメだよね? あれ? 地区日浮いてるよ?!
シャツひっぱるもんだから浮いちゃってるの? ウエスト、こんなに体のライン出る
ものか? しぇー。
うわっ! ついに裸きたか?
よく見たら着てるよコレ。足首までの服だよ。なんでここまでぴっちりなの?すごく
薄くて柔らかい生地で、それを濡らしたの?それで肌にはりついて、地区日は見えるわ
屁祖ははっきりわかるわ、その下は。。。この凝った設定は、もはや全裸よりえっち!
ゲージツは、ここまでやるの?公道の真ん中に置くの?掛川の役人、ホメてつかわす!
そしてついに一糸まとわぬ。。。 (=゜益゜):;*.’:;
スミマセン。もうこれはアップにしません。ブログが閉鎖になってしまいます。
駅に近づくにつれてだんだん大胆になってゆく。こっ この次わ。。。?
(*´д`*)~
なぜだあー!!! そんとくぅううう! 役所に怒鳴りこんだろかあ!!!
というわけで、昼間の劣情がおさまったところで夜の酒。「酒楽」。
驚いたことに、早い時間なのにほぼ満席!いつも俺がスタートする5時過ぎぐらいなら
ガラガラなはずなのに、あとでわかりましたがここは14時からやってるんだって。
どおりでみなさんもう酔っ払ってるのかー。4人掛けのテーブルで、隅にひとつだけ
空いていたのでなんとか座ることができました。この店は、みんな相席。
近年は高齢化が進んでいて、じーさんたちは7時くらいに寝たりするんだから、
居酒屋はこうやって早くに開けるべきですねー。
さすがに魚は素晴らしい旨さ。しかも安いし。だから満員なんだなー。右のマグロは
とろける美味しさ。う~ん、海が目の前だし、、、なんて思うわけですが、このマグロが
とれたのは南アフリカ沿岸だそうで。地球の反対側だよ。すぐそこの太平洋じゃないんだよ。
だったら東京でも同じじゃねえのか?なんでここで食べるのは安くて旨いんだ??
左のカツオもねっとりして、気仙沼や高知で食べたのを思い出す。東京のデパートで
買ったものとは味が違います。
酒は久留米の「庭のうぐいす」。「久留米」ってこのあたりなのか?と思いましたが、
福岡の久留米でした。この近所には「横須賀」なんて地名があり、久留米も似たような
名前があるんだなあ、と思いきや。。。地酒にしたかったのに。でも旨かったぞー。
さてひとりで相席なもんだから、自然と人の会話を聞くことになる。隣のサラリーマン
二人組は、一流企業の社員で、ひとりは宮城県からこの度転勤でやってきた人で、もう
ひとりは長年掛川で働いている人。その人もよそから来た人で、海外出張を何年も
した経験があるとか。大企業は大変だなー。しかし新しくこの地に迎えた人に地元の
説明をしてくれるもんだから聞いてて興味深かったし、サラリーマンにありがちな
会社の不満やら同僚や上司の悪口じゃないので楽しかった。「掛川はいいよ」ってさ^^
一方でもうひとりのじーさん。掛川の話を聞いていたら、自分は高校野球の後援会長
なんだとか、これこれの役員もやっているんだとかの自慢話をしはじめる残念系。
ひとりで来ている向かいの俺が「すごいですねェ!」とかの相槌を期待されているのは
わかりましたが、まったく関心もないので酒を飲み続けたのでした。それとは別に、
店員のお嬢さんも感じがいいし、地元民で和気あいあいの、とってもいい店でした。
おお、満月の夜じゃねえか。寂しい商店街を、2軒目を探して彷徨う。
さていよいよ掛川城の天守閣に登ってみよう。新しくてきれいな感じですよね。この
掛川城は、1854年の大地震で倒壊してしまい、その後ずっと廃城となっていましたが、
平成6年になって再建されたんだって。つまり新築したばっかりなのです。
例によって狭くて急な階段を、息を切らして上まで登ってきました。江戸時代には、
俺くらい全国のお城の天守閣に登ったやつはいないだろう。ついでに世界中のお城や
宮廷、よほど偉い人じゃないと入れない場所に行ったり、様々な景色を見たやつも
いまい。まだまだ続くぞ、さきち・のひとり旅。
天守閣では、十代らしき若いお嬢さんの説明の録音が延々リピートされていました。
「長い階段をご苦労様でした」から始まる。「東に見えるは・・・」から景色の解説が
始まって東西南北に見える建物などの説明があり、最後に「それではごゆっくりお楽しみ
ください」と終わる。終わるとすぐに「長い階段をご苦労様でした♪」とまた始まる。
何周か聞かされました~。かわいい声じゃないと怒るぞ。
南の駅方面。新幹線が通り過ぎてゆきました。
西方面。
こちらは東~。
さっき見た大日本報徳社が見えました。
その奥には「竹の丸」が見えるぞ。
2階の窓からこっちを見たなあ。バルコニーも見える。その上にあるステンドグラスは、
外から見たらよくわかりませんね。
「あ、俺がいる!」なんて、村上春樹の小説にありましたね。昔の恋人と楽しげにして
いる自分の姿が見えたらどうだろう?
さっきお城を見た場所を再掲します。いま俺はあの天守閣にいるとー。
天守閣の入場券には、こちら「城郭御殿」の入場も込みになっていました。御殿とは、
藩の儀式や公式対面といった式典の場所になったり、藩主の公邸だったり、政務をつか
さどる役所の機能も果たしていたそうです。
それにしても、屋根のなだらかな曲線、そして破風の美しいこと!
さすが役所、立派な書院造です。こちらは安政の東海大地震のあと、すぐに再建された
ものです。江戸時代も19世紀になると、戦ではもっとも大事になる天守閣の必要性はあまり
なくなり、役所のほうはすぐに再建する必要があったのでしょうね。
御書院上の間。城主の対面所だそうです。左の床の間は畳敷き。右の違い棚は高度な
美的感覚を感じます。シンプルな緊張感。
あまりにも威厳があり過ぎて、生活の場には使えないよねえ。とても立っていられません。
座ることを前提とした場なのですね。
すごい部屋数で、中央には中庭があります。素晴らしい。
ふええ。天守閣と御殿をセットで見る構成になっているのはよく考えてあります。
密度の濃い見学ですぞ。
大日本報徳社のすぐ裏には、掛川城の郭(くるわ)、「竹の丸」があるので、お城の前に
こちらを見物することにしました。
郭とは、お城の一部なのですが、本丸の守りを固める位置にあり、家老などの重臣の
屋敷として使われていたそうです。お城に住むより、こっちのほうが落ち着いていて
よさそうですねえ。
庭は枯山水で、回遊式になっています。「庭を見るだけでも料金とるよ」って書いて
ありました^^; この障子、下半分が動いて開くようになっています。
素晴らしいデザインに見とれてしまいます。匠の仕事ですねー。
ここはね、離れの建物がすごいんです。2階に上がる階段には工夫された明り取り。
階段とトイレの内部が明るくなるように設計されているのです。
外から見ると、こうなっているのです。
桐の板に鳳凰のすかし彫り。さらに、この壁紙をご覧ください。葛布(かっぷ)といいます。
「葛の蔓を煮て水に晒し、発酵させたのちに繊維を取りだし、これを績んで葛糸にしたもの」
だそうです。上流階級の喪服などに使われた高級品。掛川のものが有名で、葛布問屋「松屋」
はお金に困った掛川藩に金子を用立てていたそうです。というわけで、この超豪華なお屋敷
は、松本家のものだったんだってさ。
この離れは大正時代に造られたもので、貴賓室はこのようにとってもモダン。右の窓の
形。左の窓に取り付けられたステンドグラス。そして西洋式のバルコニーときたもんだ。
現在の建築基準では強度が足りないため、ここには出られません。
ここからはお城が見えます。
樹齢200年を超える杉の一枚板が使われているそうです。さあお値段は?
とにかく贅の限りを尽くしたお屋敷でしたー。
この角に飛び出しているの、なんだかわかりますか?
雨戸をしまうとき、この直角の部分を曲がって通過するんです。右からスルスルと移動して
きますね?ちょうど半分くらい雨戸が飛び出したとき、パタンと向きを変えて、それから
スルスルと左上のほうに移動させてゆき、2面にある雨戸が全部一か所にしまえるってわけ。
こちらは冀北学舎(きほくがくしゃ)。二宮尊徳から直接教えを受け、報徳社を創設した
岡田良一郎が自邸に開いた私塾に使われた建物。有名な学者、官僚、政治家を輩出した
そうです。そういう人たちは、一生懸命勉強して、高い志と能力を持っていたのでしょうね。
大講堂。報徳思想を普及する中心となった場所で、日本で初めて「公会堂」と呼ばれた
建物です。係員の方が説明してくれましたが、なんと今でも講演など会合が続いている
そうです。二宮尊徳の銅像も見守っていますね。
威厳のある雰囲気です。おっと、両サイドに銅像。
これがどちらとも二宮尊徳だ。右は年配になってから。
左は子供の頃のもの。子供の頃に両親を失い、それからは働きながらも勉強したとー。
ちょっと演台に立ってみました。ううむ。
報徳の教えには4つの柱があります。
1.至誠 すべてのものには美点・長所があり、お互い引き出し合うことが大事。
人間関係では正直に誠実に真心を持って。
私は酒とワインが好き。君は焼酎。それぞれ存分に楽しみましょう^^
2.勤労 何事にも一生懸命、勤勉に働け~。
酒は酔った勢いでなく、きちんと味わってたくさん飲もう!
3.分度 己をよくわきまえて行動せよ。
飲むと必ず「まだまだ」と思うのに、あとで必ず「飲み過ぎた」と思うよなあ。
4.推譲 与えたものよりも、もらったもののほうが多いもの。だから蓄えた
ものは人のために使え。
地元の肴を食べ、地酒を飲みましょう。それが酒の文化を豊かにするのです!
呼んで頂ければ、このような報徳の教えの演説ができるぞ。
2階に上がってみます。
なにやら伊藤博文が書いたものがあるらしいが、どれだかわかりませんでした。
建物が素晴らしいだけでなく、精神的な緊張感のみなぎった歴史を感じる場所でした。
掛川城です。美しいお城ですが、いまはこの奥にある大日本報徳社を先に見物。
報徳運動とは、江戸時代の末期から、二宮尊徳の教えをもとに困窮した農民生活を救う
ために始まった、実学の普及を目指したものです。その活動が盛んだったのは、ここ
掛川を中心とした遠州地方だったのです。
まずは事務所になっている仰徳学寮で見学料を払います。最初はどこで見学料を払うの
だろう?と思いつつ、ここのドアを開けたらわかったのです。こちらから探して払わ
ないと、黙って見られちゃうゾw ちなみに中にいた女性に払ったあと、この建物の
なかを見られるのかな、と思って入ろうとしたら、ここは見られないのでした^^;
この建物、有栖川宮邸の一部が移築されたものです。
二宮尊徳の像がありました。薪をしょっている子供の頃の姿があまりにも有名ですが、
これはジーさんになってからですね。
遠くから見たら刀を構えているのかな、と思いましたが、鋤でした。そうかあー。
いちおう帯刀していますが、尊徳先生だものなあー。
淡山翁記念報徳図書館です。昭和2年築だそうです。かっこいい!
こんなところに住むのが夢ですねー。いくらでも本を並べられるしなあ。
仰徳記念館。こちらも有栖川の宮廷だったものを移築したんだって。すごいなあ。
宮さんは、自宅でこんなところに住んでいるわけだ。
むかしはぐちゃぐちゃつまらんガラクタに囲まれていなかったんだなあ。しかしこんな
ところに住んでいたら、寝っ転がれないし、どうやってイチャイチャするんだろ?
なんだか落ち着かんだろね。。。
おうおう、立派な時計が現役で動いていたよ。
講堂のように広い部屋もありました。冬は寒そう^^;
おおお、折れる式の鍵。古い温泉宿にもわずかに残っていますね。