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十勝幕別町の「蝦夷文化考古館」へ

2008年03月07日 | 暮らしの情報・見学


全画像クリックで拡大画像になります。
 
この正面の建物がアイヌ文化の資料館「蝦夷文化考古館」です。(マップにリンクします。)
アイヌ語で幕別は{マクンベツ}「後ろにある川」の意味。 白人は{チロツトー}「鳥が多くいる沼」の意味。
アイヌの地名を見ただけでその場所がどのようになっているかわかるようになっています。きっと山菜を採ったり、猟をして生活をしていた昔のアイヌの人たちは知名を見ただけでどんなところかがわかったのでしょう。
故吉田菊太郎氏(明治29年生ー昭和40年1月、68歳で没)~{白人コタンのアイヌ指導者で昭和15年に北海道アイヌ文化保存会を組織して以来、先祖の残した文化財が散逸するのを恐れて文化財を蒐集してきた。これらの文化財を陳列・保存するためにこの館は市町村、各団体、各個人に協力を依頼し、管内・道内は勿論のこと、遠く東京方面にまで寄付等の協力を仰ぎ、当時の金額で総工費200万円で建設された。
 40年、吉田菊太郎氏の死去により遺族は故人の意思を尊重し、幕別町に寄付を申し出、昭和41年1月に建物も含めて寄付されました。}・・幕別町のパンフレット参照。

蝦夷考古館の左隣の建物は故吉田氏の自宅だそうです。

 この度、幕別町教育委員会のあたたかいご指導やご配慮をいただき、ブログ掲載にいたりました。感謝しながら報告をします。



訪ねたきっかけ~
私は十勝生まれの十勝育ちですが、祖父母や親戚たちは四国出身の農家です。私が物心ついた頃、近くにアイヌの方が住んでいらっしゃいました。大変質素に生活され、心優しく薬草のゲンノショウコを乾燥させて飲ませて下さいました。
 今思えば、控え目な方々と思っていましたが、言葉や習慣、文化が全く違う私たちに戸惑いを感じていたのかもしれません。
また、アイヌ文化や習慣が失われていく事を憂いていたのでしょうね。
当時、差別がなかったと言えば嘘になります。
 そして、いつの間にかお引越しをされたのです。「ここかな?」「あそこかな?」と今でも探そうとするのです。この幕別町の「白人(チロットー)コタンかな?」とも。この「蝦夷文化考古館」はとても気になる建物でした。
過日の地方新聞に本館が公開されていることと、活発にアイヌ文化の伝承活動をされていることが掲載されていました。そこで早速という訳です。




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 親切な管理人の方の案内で、まず出迎えてくれたのは、丸太を削って作った素朴な丸木舟 139年前のもので大変珍しいそうです。浦幌町十勝太で魚をとったり、渡し船に利用していました。












十勝川の渡し船に乗った気分で舟やカイを見ながら歩むとまず、目に止まったのは神々への祈りの道具です。北国に住む厳しいが、豊な自然の中で生活をしていたアイヌの人々は、動物、植物、山川、火、病気など全てを神様として信仰していました。神様のことをアイヌ語で「カムイ」いいます。イナフルは儀式にかぶる男性用の冠です。イナウは、ヤナギの木などを削ったもので、人間がお祈りした言葉を神様に伝えてくれると言われています。ですから、神様によって違う形をしていました。いつも人間の味方をしてくれる神様を大切にしていたのです。女性用守り紐は悪い神(魔除け)から守るためでしょう。











                            

漆器類は和人との交易によりアイヌ社会に浸透してきました。主に儀式の際に利用されました。また、宝物として価値を持ち、富の象徴とされていたそうです。



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食物と用具食用や薬用になる山菜を春から秋にかけて、たくさん採っていました。来年のために全部採り尽くすことはしませんでした。また、人間が食べられない部分は他の動物のために、山においておきます。
男性が木を彫った用具の「物入れ」や「水かき」は力強く感じます。女性が草で織った皿(ルサ)は細かい手作業です。ここに所蔵されている民具はほとんどが”製作者”や”保存者”がはっきりしていて、大変資料価値が高いそうです。





ゴザ(キナ)手カゴ(サラニプ)身近にある植物を使い、文様入りのゴザがたくさんありました。このようなゴザは主に儀礼に用いられました。また、アイヌの人々の重要な交易品でもあった。
手カゴはぶどうのつるの皮などで作り魚等を入れてました。 

 自然の恵みで人間が作ったものでも、道具には魂が宿ると考え、大切に扱っていたそうです。




狩りと用具
このような「かんじき」を履き、冬の山で猟をしたのでしょう。エゾシカやヒグマなどを。しかし、鮭を捕ったら、熊やキツネの食べる分は残したそうです。このようにアイヌの人々は動物たちとも譲り合って生活をしていたのですね。





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衣服に関する品々
着物が納めてある部屋です。
木の皮からとった糸で作った衣服・木綿の衣服には刺繍だけをつけた衣服・黒や紺色の細い布をはり付けて、その上に刺繍をした衣服があります。このように、模様がついている衣服は神様のお祭りや結婚式などの儀式用と思われます。
普段着はあまり模様がついていないようです。
 アイヌの女性にとって衣服を仕立てることは大変大切な仕事の一つだった。手で織り、刺繍した衣服を夫や、成長した息子に着せることは最高の喜びだと思います。安全や健康を願いながら仕立てた事が作品から感じました。代々母から娘へと受け継がれてきたのですね。



夏の靴 はブドウのつるで作ったわらじです。
冬の靴はサケの皮で作った靴を履きます。これだけでは、冷たそうです。きっと干した草を入れたのでしょうね。
冬の服動物皮の防寒着だったそうです。シカやクマの毛皮で作りました。










女性用の「首飾り」と
「マタンブシ」そして、大切に伝えられてきた楽器 「ムックリ」はひもを引いて弁を震わせ、口の中に音を響かせるようにして音を出します。


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 のれんには文様の刺繍がされ、今に伝えられています。
文様の左右が丸いのは「フクロウ」、尖った部分は魔除けと聞いた事があります。
愛する人のために着物の襟・袖口・裾に文様の刺繍をしたのでしょう。


我が家で愛用している、「筆入れ」はアイヌ刺繍の愛好会の方が作られたものです。
「ムックリ」は帯広百年記念館で買って、只今挑戦中です

本館を訪ねて”あのお引越しされた方々”にお会いできたような気持ちで満足致しました。
 天真爛漫に生活をしていたアイヌの人々に思いを馳せることができました。
そして、言葉や風俗習慣が和人化されていく苦労や前向きに子孫に伝えたい思いが伝わりました。


幕別町の蝦夷文化考古館へのリンクです。

                       

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