10月20日 「近代化遺産の日」 帯広市内に展示保存中の 十勝鉄道の蒸気機関車の車内が1日限り一般に公開されました。
「とてっぽ」と愛称で呼ばれた蒸気機関車、布製の椅子や 木製の床 レトロな雰囲気の内部です。 10時から3時まで 昔を知る人が懐かしそうに また鉄道ファンも次から次と訪れていました。
機関車は十勝鉄道から 帯広市に寄贈され 帯広市指定文化財指定を受けました。
昔乗った記憶がある人は 当時はとても力強く大きい機関車だと思っていたが 今車内を見ると何と小さなものだったか分かると話していました。
木製の客車はマッチ箱と言われ 確かに幅も狭く 天井にも手が届きそうでした。
レールの幅も 今のJRと比べてもはるかに狭い。
18人乗りの客車、冬 だるまストーブを付けた時期は 椅子を外し定員16名、立ったままの人もいて車内はいつもいっぱいで、中に入り切れず、外のデッキにも乗っていたとのことです。
機関車の煙で 顔が黒くなっていたと聞きました。
十勝鉄道については 語り切れないエピソードがいっぱいあると 訪れた昔を知る人がいくつか話してくれました。
* どの駅でも 兵隊に行く人何人かを皆で見送ったこと、また戦死した人を皆で迎えたこともあったのだとも。
* 元芽室町長のTさん、マラソン選手でとても走るのが早く 汽車がカーブで坂道を登る時 スピードが落ちると汽車から飛び降り、初めは並行して走っているがそのうち Tさんが機関車を追い抜き どんどん先を行ったこと。
機関車に乗っている人達が囃し立てながら面白おかしく見ていたとのことで その光景が思い浮かべることが出来そうです。
* 汽車が走っているうち途中で止まり どうしたのかと思って見たら 石炭を燃やし蒸気を出す水が不足し、川の水をホースで汲み上げて補給していたのだと。
時速20キロですから 飛び降り 飛び乗りもあったそうで 駅手前で飛び降りて歩いていたこと何度か。
それでも ケガをする人も 無賃乗車する人いなかった。
車内に電球がひとつ取り付けられていましたが 多分電気はつかなかったはず 夜は真っ暗だったそうです。
動かなくなった機関車を皆で押したこともあった。
今、とてっぽ通りと名付けられた小路に 大きな役目を終えた機関車が 普段はひっそりとたたずんでいます。
何人かのとてっぽに関わる昔話を聞き 時代を共有した懐かしい思いの一日でした。
※ とてっぽ通りは 十勝鉄道の私鉄線路でした。ビート輸送を目的に設立された鉄道でしたが、地域の人たちには欠かすことの出来ない交通機関でした。