ゴールデンウイークの「昭和の日」を前に、新聞(勝毎・道新)に紹介された「私設博物館」“昭和ナツカシ館”に行ってきました。
展示品は、参納弘義館長が約40年にわたり、帯広・十勝で昭和時代 実際に使用されていたものを、郷土を愛する思いにかられ個人的に収集した物だそうです。“昭和30年代帯広・十勝物語”その数、数千点。
自分が懐かしく思い出される部分を中心にご紹介します。
建物は、帯広・十勝の田舎風景、牧歌のロマン、牛舎をイメージして建てられた。
とかち・帯広空港にもあるサイロが描かれ、その前には牛乳缶が置かれている。
東北の田舎育ちの自分には、初めて見る帯広・十勝の田舎風景でした。勿論 牛乳缶は知らなかった。
ゴム靴」
こんな立派な「ゴム靴」は、履いた記憶がありません。
自分が履いた「ゴム靴」は、ゴム長靴の上の部分が破れたら、上の部分を切り取って履いていました。
汗をかくと、足が「ゴム靴」の中でズルズルすべるので、ボロ布や新聞紙を敷きました。
物のない苦しくても楽しい昭和20年代の記憶です。
昭和30年代の、真空管の「白黒テレビ」です。
プロレスの、力道山の空手チョップを見せてもらいに、町内の電気屋さんの茶の間で、10人位の子供達の中の一人として正座して観戦した記憶が甦ります。
アナウンサーの声は正常に聞こえますが、画面は殆ど吹雪状でした。
それでも歓声をあげて観ていました。
昭和30年代の娯楽の王様は、何と云っても「映画」でした。
映画が終わって映画館から出る時は、その映画の主役の気分でした。滑稽な姿想像あれ!!
帯広酒造の「亀の露」直売所には大変お世話になりました。懐かしい以外の言葉はありません。
何時から開店していたのか分かりませんが、正午前から飲んだ記憶があります。
枡酒・コップ酒を受皿に溢れるまで注いでくれました。受皿の分は、「得」した気分でした。
特に寒い冬は、味の浸み込んだ「おでん」で飲む酒は絶品でした。
何と云っても勘定の安いのが、1番でした。
帯広には昭和30年代、小川醸造場があり「晃邦」と云う銘酒でした。
ここも直売所があり大変お世話になりました。
独身時代、年に一度は生まれ故郷に帰省する時必ず利用した「駅弁のお茶」。懐かしい!これを見ていると、20年以上も行って
いない“ふるさと”の記憶が甦る。
♪♬ うさぎ追いし・・・・・・・・・
「天花粉」何処のお家にも有った「天花粉」。夏の行水・風呂あがり・おむつ替え・・・子供時代お世話になりました。“気持ちよかったなぁ・・”
通称「ドロップ缶」高嶺の花だった!!味も、駄菓子のドロップとは格段の違い。“美味かったなぁ・・”
「学生帽」 左は帯広柏葉高校、右は帯広第4中学校の、昭和30年代の物です。
「霜降りの学童服」
裕福なお家の子供が着ていました。高嶺の花だった!!眺めていました・・・・・・
「セーラー服」裕福なお家の子供が着ていました。眺めていました・・・
①壁掛け式もありました。ハンドルを回すと、「チリーン・チリーン・チリーン・・・」
「○○番 お願いします」
②形は今の物と変わりませんが、まだハンドルを回して呼び出す形式。
③ダイヤル形式に変わりました。
④③時代の公衆電話です。
昭和30年代後半は進歩のスピードが速かった!!ような、記憶があります。
立った姿勢で、左手で玉を入れ、右手でハンドルを弾いて玉を打つ。
パチンコには苦い思い出があります。
休日に、開店から閉店まで遊んだら、次の日右手首が、ボンボンに腫れあがりました。
12時間も玉を弾いていた無理が原因。2~3日で治りましたが、ビックリ!!
このほかに展示されているものは、昭和の神器「テレビ」・「冷蔵庫」・「洗濯機」は勿論、日本の小さな昭和の「オルゴール」約700種類、「ポーターブル蓄音器」・「時計」・「人形・玩具」・「レコード」、帯広・十勝に関する「書籍」、“平凡” “明星”などの「雑誌」などなど・・・・・・
自分が特に懐かしかったのは、○●青果食品会社・△▲水産株式会社などの「前掛け」、
帯広町時代の、■◆合名会社などの「ソロバン」、昭和の帯広・十勝に関する「写真」、ブリキの「看板」などです。
オルゴール・電気製品など展示品の多くは今でも実動できる物で、お願いをすると館長が親切に説明しながら、オルゴールを聞かせてくれたり、テレビを見せてくれます。
懐かしいオルゴールの音色・プレゼントをしてくれた彼氏を思い出す!!テレビの画面・・・
倉庫にはまだまだ、収集品・市民からの寄贈品が沢山あるので、展示替えも随時行っているそうです。
自分にとって、昭和20年代から昭和30年代までを懐かしく記憶を甦させていただけた、小さいけれど、立派な「私設博物館」でした。昭和のパワーに感謝・感謝!!
「私設博物館」“昭和ナツカシ館”
「私設博物館」“昭和ナツカシ館”の
URL http://nttbj.itp.ne.jp/0155249070/
歴史遺産に出会う旅
イスタンブール
ブルーモスク
巨大ドームのスケールの大きなイスラム教寺院。
トルコ帝国の栄華を誇った17世紀の初めに、スルタン・アフメットによって建てられ、オスマン・トルコ建築の極みと言われるそうです。
アヤ・ソフィア
印象的な外観のビザンチン建築の大聖堂。
直径約30m、高さ54mの巨大ドームが中央にそびえ立つビザンチン建築の大聖堂。
ローマ時代にキリスト教会として建てられました。
カッパドキア
ギョレメ谷
ゼルベ
カッパヂキアを代表する奇観のキノコ岩が連なる地域。
とてもユニークな奇岩です。
古くはキリスト教の修道士などが住んでいたが、
今は野外博物館となっている。
エフェソス
エフェソス都市遺跡
トルコでも指折りの古代遺跡群で左の遺跡は120万冊の蔵書を誇ったといわれるケルスス図書館。
ベルガマ(ベルガモン)
紀元前3世紀にこの地に築かれたベルガモン王国の遺跡。
トロイ
トロイといえば、ホメロスの叙情詩イーリアスに書かれた
「トロイ戦争」の舞台として有名。
大きな木馬が伝説の世界さながらに旅する人達を見下ろしていました。
遺跡・歴史的遺産を彩る植物アルバム
帯広の森は何処にありますかと聞かれますが、帯広駅よりかなり離れています。
国際センターアクセスマップ←クリック
私も一度施設を見学した事があります。その時は前もって見学を申し込んでいましたので施設の中を説明してくださいました。
今回は一人気ままに見学して紹介します。これより先は入れないとの事、ホテルの方ですが残念です、
国際交流の楽しさもあります。
玄関口 「森の交流館・十勝」
JICA帯広国際センターは静かなたたずまいであります
国際センター駐車場公園側(西20条南6丁目)宮本遺跡であります
宮本遺跡 1983~85年に宅地造成(12,593㎡)、1993・94年に国際交流センター建設に伴う
発掘調査(12,390㎡)縄文時代前期後半(約5千年前)を主体とする遺跡で、住居跡や落し
穴などの遺構や、8万5千点の土器や石器などの遺物が出土。宮本遺跡後地に国際センター
とは知りませんでしたが、帯広市区城で59ヵ所、十勝管内では1千ヵ所以上あります。
フリーライター
読売新聞社から電話が来た。簡単なルポ記事を書いてほしい、という。まてよ、四月一日だからナ・・・まゆつばで聞くと、「バイトになりますヨ・・・」(悪くないナ)。
あちこちの温泉を巡って入浴し、その感想文を六百字程度に纏めてもらいたい。全道版の毎週金曜日、「湯けむり巡り」というコーナーがあって、道内の四人執筆者で、交互に書いてください。
だんだん具体的な話になってきた。文章を書くことに異論はないが、ちょっぴり不安も蠢く。
「ケータイもっていますか」「持っていません」
「ファックスありますか」「ありません」
「パソコンでメール送れますか」「はい、出来ます」
「今は、ファクッスもお安くなりましたがネ」
一週間後、正式に採用の通知が来た。
「講座番号を教えてください。入金しますので・・・」
「アノ、ファックス買います。給付金が入りますし」
実は、このところ趣味仲間や親友から、ファックスの必要性を説かれていたのである。「秋さんに電話しようと思っても、留守電にしてはいないし、ファックスもないので、大変に困る・・・・」
私に連絡が取れないので、困ることがあるらしい。
Y記者に言われたときに、即、ファクス導入を覚悟した次第。
「最初なので、早めに記事を書いて見せて下さい」
早速、芽室町の川北温泉を訪問し、原稿を書いた。面白がってその日に送信したら、翌日、電話が来た。
遠慮気味の声ながら、要点の指摘は厳しい。
「まず、お湯の感想が少ない。創業以来の年月を明確に。山脈と連峰の使い分けはよろしくない・・・・」
結局、OKが出たのは、ファクスの遣り取りが五回目になっていた。たかが、六百字の原稿なのにてこずった。新聞記事特有のセオリーがあって、随筆のような訳には行かない。
ファックスの購入は、定額給付金で間に合ったが、元を取るのは容易でないだろう。
でも、天下の「読売」に寄稿できるのだ。肩書は、フリーライターにされてしまう。温泉にのんびり入れるようになるのは、いつのことやら。全道各地の三人のライターに負けないような記事を書きたいもの。
さて、次はどこの温泉に出かけようか。
(平成二十一年五月十五日)
歴史と文化に出会う旅。トルコ旅行をされた会員の方から貴重なお土産の写真をいただきましたので紹介いたします
イスタンブール
アジアとヨーロッパにまたがって東西文明の接点になっているトルコ最大の都市。
ブルーモスク
巨大ドームのスケールの大きなイスラム教寺院。
トルコ帝国の栄華を誇った17世紀の初めに、スルタン・アフメットによって建てられ、オスマン・トルコ建築の極みと言われるそうです。
アヤ・ソフィア
印象的な外観のビザンチン建築の大聖堂。
直径約30m、高さ54mの巨大ドームが中央にそびえ立つビザンチン建築の大聖堂。
ローマ時代にキリスト教会として建てられました。
カッパドキア
エルジェス山の火山活動で堆積した溶岩や火山灰が長い年月をかけて侵食されてできた奇岩群はまさに圧巻です。
ギョレメ谷
このあたりには4世紀頃からキリスト教徒が住みはじめ、岩の中に数多くの洞窟教会を造って、信仰を守り続けた。現在はそれらは野外博物館として公開されています。
また、「巨大な奇岩がゴロゴロしているのに、これらを使わない手はない。」そう考えたギョレメに住んでいた昔の人たち。
そこで、巨大奇岩に洞窟を掘り、そこで快適に暮らした。
現在では、それは「洞窟ペンション」と変身しているそうです。
トルコならではのペンションです。
ゼルベ
カッパヂキアを代表する奇観のキノコ岩が連なる地域。
とてもユニークな奇岩です。
古くはキリスト教の修道士などが住んでいたが、
今は野外博物館となっている。
エフェソス
エフェソスは セルチュクにある古代遺跡。ギリシャ時代には小アジア最大の都市として君臨していた。
エフェソス都市遺跡
トルコでも指折りの古代遺跡群で左の遺跡は120万冊の蔵書を誇ったといわれるケルスス図書館。
ベルガマ(ベルガモン)
紀元前3世紀にこの地に築かれたベルガモン王国の遺跡。
トロイ
トロイといえば、ホメロスの叙情詩イーリアスに書かれた
「トロイ戦争」の舞台として有名。
大きな木馬が伝説の世界さながらに旅する人達を見下ろしていました。
遺跡・歴史的遺産を彩る植物アルバム
トルコの画像や感動のおみやげをいただき、そのお裾分けをさせていただきました。
トルコには多くの歴史遺産が残っているのですね。
旅の感動をお伝えできてよかったです。
トルコ
帯広の森は何処にありますかと聞かれますが、帯広駅よりかなり離れています。
国際センターアクセスマップ←クリック
私も一度施設を見学した事があります。その時は前もって見学を申し込んでいましたので施設の中を説明してくださいました。
今回は一人気ままに見学して紹介します。これより先は入れないとの事、ホテルの方ですが残念です、
国際交流の楽しさもあります。
玄関口 「森の交流館・十勝」
場所です |
国際センターの入り口であります。中に入りますと受付カウンターがあります。 |
此処の施設では、開発途上国から、研修員の皆さんが 快適で充実した研修生活が過ごすのに必要な設備が整え られています。 | 最大50名の研修員が宿泊できます。誰でも泊まれます |
図書資料室もあり一般貸し出しもしています 図書資料室 |
図書資料室は、地域の皆さんにも開放しています。教材を調べたり、静かに勉強している人がいます。 また青年海外協力隊 国際交流ボランティア活動など世界のことを調べるのには良いところです。 |
此処から先は申請して許可を貰わないと入れません。 | お願い説明がありました。 国際センターは技術研修員の受け入れ、国際協力に携わる方々には、宿泊をはじめ、施設を利用できます。 |
レストランの利用は時間制限があり昼食11時30分から 14時まで。宿泊する研修員の日々の生活の場として重要 な役割を担っています。地域に住む人達も利用できます | 白樺に囲まれたレストランテラスは外の空気を吸いながら食事もでき ます。奥に見えますのが宿泊のためのホテルになっています。 |
春のお茶会には研修員もお茶を頂き 日本の伝統を 体験していました。 | お茶室は 地域の人達も利用して交流会を開いています。 |
国際センター駐車場公園側(西20条南6丁目)宮本遺跡であります
宮本遺跡 1983~85年に宅地造成(12,593㎡)、1993・94年に国際交流センター建設に伴う
発掘調査(12,390㎡)縄文時代前期後半(約5千年前)を主体とする遺跡で、住居跡や落し
穴などの遺構や、8万5千点の土器や石器などの遺物が出土。宮本遺跡後地に国際センター
とは知りませんでしたが、帯広市区城で59ヵ所、十勝管内では1千ヵ所以上あります。
フリーライター
読売新聞社から電話が来た。簡単なルポ記事を書いてほしい、という。まてよ、四月一日だからナ・・・まゆつばで聞くと、「バイトになりますヨ・・・」(悪くないナ)。
あちこちの温泉を巡って入浴し、その感想文を六百字程度に纏めてもらいたい。全道版の毎週金曜日、「湯けむり巡り」というコーナーがあって、道内の四人執筆者で、交互に書いてください。
だんだん具体的な話になってきた。文章を書くことに異論はないが、ちょっぴり不安も蠢く。
「ケータイもっていますか」「持っていません」
「ファックスありますか」「ありません」
「パソコンでメール送れますか」「はい、出来ます」
「今は、ファクッスもお安くなりましたがネ」
一週間後、正式に採用の通知が来た。
「講座番号を教えてください。入金しますので・・・」
「アノ、ファックス買います。給付金が入りますし」
実は、このところ趣味仲間や親友から、ファックスの必要性を説かれていたのである。「秋さんに電話しようと思っても、留守電にしてはいないし、ファックスもないので、大変に困る・・・・」
私に連絡が取れないので、困ることがあるらしい。
Y記者に言われたときに、即、ファクス導入を覚悟した次第。
「最初なので、早めに記事を書いて見せて下さい」
早速、芽室町の川北温泉を訪問し、原稿を書いた。面白がってその日に送信したら、翌日、電話が来た。
遠慮気味の声ながら、要点の指摘は厳しい。
「まず、お湯の感想が少ない。創業以来の年月を明確に。山脈と連峰の使い分けはよろしくない・・・・」
結局、OKが出たのは、ファクスの遣り取りが五回目になっていた。たかが、六百字の原稿なのにてこずった。新聞記事特有のセオリーがあって、随筆のような訳には行かない。
ファックスの購入は、定額給付金で間に合ったが、元を取るのは容易でないだろう。
でも、天下の「読売」に寄稿できるのだ。肩書は、フリーライターにされてしまう。温泉にのんびり入れるようになるのは、いつのことやら。全道各地の三人のライターに負けないような記事を書きたいもの。
さて、次はどこの温泉に出かけようか。
(平成二十一年五月十五日)