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今こそ金次郎さん

2008年11月21日 | weblog

       
 ≪金次郎さんは市場を意識し、合理的に考える人だった≫
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   ずっと以前、小学校時代の校庭にあった、薪を背負った二宮金次郎さんの像。
何十年ぶりかに、二宮金次郎(尊徳)さんの像と出会う。
美生の金次郎さん前美生の金次郎さん後ろ


   「二宮金次郎さんは親孝行をして、寸暇を惜しんで勉強をして、のちに偉い人になりました」
そんな記憶がある。
   しかし、何をして偉くなったのか、有名な割には知らないことだらけだ。
二宮金次郎さんの生涯を、少し調べてみる。(勝手解釈につき、あしからず)

   まず、その人間としての偉大さに、圧倒される。
金次郎さんは、農民の出身だ。

   江戸末期の諸藩は、どこも借金まみれで、役人は税金をピンはねすることばかり考えて、
そのとばっちりが農民に行っていたそうだ。


   武士階級は彼の卓越した農村行政能力を高く評価した。
疲弊した農村へ派遣され、農民の人望を集め、短い年月で豊かな村へと変貌させたという。


金次郎さんの身上
   金次郎さんの伯父、万兵衛の口癖であり、信念は
「百姓には、むずかしい学問は、いらねえ。身を滅ぼす元になる。親父がよか見本じゃ」

しかし金次郎さんは、百姓であればこそ学問が必要と考えていた。

命じられるからでなく、自分から進んで、知恵のある働きをしたい。

働きながら、よく考えて新しい道を開き、将来、人を指導する立場になりたい。

駆け引き、知略は、戦場の兵士のみならず、農場復興の戦いにも必要と考える。


「二宮金次郎さんの報徳思想」

経済思想・経済学説のひとつ。

   経済と道徳の融和を訴え、私利私欲に走るのではなく社会に貢献すれば、
いずれ自らに還元されると説く。
                出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

報徳思想の中核「勤労・分度・推譲」とは

まず一生懸命働いて収入を得、収入の範囲内で生活しなさい。(分度)

分度とは、けちではない。分に応じた消費を意味する。

そして、働いて節約してお金を残して家族(子孫)や社会にもどしなさい。(推譲)

金次郎さんは、その仕法に副う徹底した節倹の実行を誓約させて融資した。

二宮金次郎と勝海舟と篤姫の関係

…二宮金次郎
天明7年(1787年) - 安政3年(1856年)

…篤姫
天保6年(1836年) - 明治16年(1883年)
   江戸幕府13代将軍徳川家定の御台所となった。
(2008年高視聴率NHK大河ドラマ「篤姫」)

…勝 海舟
文政6年(1823年)-明治32年(1899年)
   幕臣でありながら、徳川幕府の終焉を予見していた。神戸海軍操練所を設立し、坂本龍馬を育てた。
江戸城無血開城の立役者の一人である。
明治維新後も徳川家や旧幕臣のために尽力し、篤姫の生活を陰ながら支えた。


勝 海舟さん談

   二宮尊徳には、いちどあったが、至って正直な人だったヨ。
全体あんな時勢には、あんな人物が沢山出来るものだ。
時勢が人を作る例は、俺は確かに見たヨ。
                       氷川清話 勝海舟   講談社学術文書

   二宮金次郎さんと、幕末維新に活躍した勝海舟、そして篤姫がほぼ同じ時代に生きていたのだ。
三人に共通するのは、日本の礎を築いたことと、その時代の常識にとらわれていない所だ。

金次郎さんは
   骨太で背が高くガンコ、合理的な経営者で金融業、人の為に力を尽くした人。
二宮金次郎さんのことを調べてみると、金次郎さんの像は以前とはまったく違って見える。

金次郎さんの「報徳思想」 いまの日本こそ、かくあってほしいと願っているかもしれない。

   明治三十年、孫の二宮尊親は豊頃村へ開拓の為に移住。
豊頃村で生まれた尊親の四男、二宮四郎は、戦後富士山麓で「富士豊茂開拓農業協同組合」を発足。
この名は豊頃村字茂岩から豊と茂をとって命名。十勝には縁が深い。
過去の関連記事{十勝開拓の恩人達}


「金次郎さ~ん」 平成の日本はどうなるのー 「ねぇ金次郎さ~ん」
上帯広の金次郎さん




二宮金次郎 我が道は至誠にあり 堀 和久著
二宮金次郎はなぜ薪を背負っているのか? 猪瀬 直樹著
動く画像は(C)ぱたぱたアニメ館
金次郎さんの写真
・芽室町集団研修施設かっこう(旧美生小学校)
・旧上帯広小学校>








趣味の園芸 前編

2008年11月07日 | 暮らしの情報・見学


 




 8年前のある時、玉葱の生産王国北見に居住する友人から、趣味の園芸で何か農作物を栽培するのであれば玉葱を栽培して見ないか、その気であれば玉葱の苗は提供してやると勧められた。
 玉葱の栽培は全く無知であったが、根っから作物の栽培に興味のある心は大きく動かされ、早速新規作物栽培への挑戦が始まった。
 8年間、趣味の園芸として継続した玉葱栽培、作業の間に記入したメモと写真を頼りに、玉葱の播種から収穫までとして記録しました。     


玉葱の播種から収穫までの生育記録

  以降、小さい写真上で、クリックすると拡大写真が表示されます。ご覧下さい
 1・玉葱の種子(たね)

  玉葱の種子
種子は幅2mm~3mm 長さ3mm~4mm 厚さ1mmほどで固い皮に覆われた小さな黒い粒になっています。ネギ類の種子は大小ありますが、すべて同様な形をしています。

 玉葱のコーティング種子 
種子は小さくて変形しているため、播種するのに難しいので、小さな種子を1粒づつ5~6mmの円形にコーティング加工して利用する。



2・播種 (たねを蒔く) に必要な用具

突起板
育苗の床に1粒づつの種子を蒔く穴を作る板、ビート(甜菜)の播種に使われている板の枠を外して使用した。1枚で1400の播種する穴が出来る。


播種板
突起板で作られた穴にぺレット種子を1粒づつ蒔く用具、種子が入っている状態で板をスライドすると1度に700粒の種子が蒔ける


播種後の様子
突起板で作った穴に播種版で播種した状況。専業の玉葱耕作者はこんな作業はしません、農機具で移植出来るポットに機械で播種をしています。



3・播種後のハウス管理

播種後の配置
ハウスに播種した育苗床を発砲スチロールで囲んで、作業がし易いようにしてから、種子に覆土(土をかける)を平均にする。



 温度管理の2重トンネル 
覆土の後で温度管理のために2重トンネルにして、更に夜間はビニールシートで被覆をしています。(ハウス自体も2重ハウスにしている)


 温度管理 
ハウスと2重トンネルの中に温度計を設置して温度管理を大切にする。管理温度は最高気温30度以上、最低気温5度以下にならない様に注意している。

 4・発芽開始 

 発芽開始 
3月5日前後に通年の播種は完了、播種後2週間(14日)前後で発芽開始する。針金のような感じで玉葱とは思えない、長葱も同様で玉葱と見分けはつかない。


 発芽後1~2日の状態 
芽の先は折れたままの形で発芽し、次第に開かれながら徐々に真っ直ぐ伸びてきます。何とも幻想的な様子を知りました。


 発芽後5~7日 
殆んどの芽が開き始めました。発芽開始、この時期の苗芽は大変に弱く高温・低温障害を受けやすく、温度管理が一番大切な時です。

 5・育苗ハウスの生育

 ハウス生育初期 
発芽後10~15日、全体が青々と見えるようになりました。昼間は急に高温となる心配でトンネルのビニールは外し、夜間は被覆します。


 ハウス育苗1 
4月中旬、少々軟弱な苗であるが素人の苗つくり、まずまず満足だ。草取りもしたがまだ残っている、もう少し換気が必要かな・・・?


 ハウス生育2 
4月中旬、青々と良く育ってくれたが若干徒長(伸び過ぎ)気味だ、葉の先を15Cm位刈り取り、ハウスも開けて外気に慣らし、丈夫な苗に仕上げる事にする。

定植直前苗
4月下旬、葉の先の切除も終わり、丈夫な玉葱の苗は出来上がりました。(自己満足)後は定植(畑に移植する)を待つばかりになりました。


  『苗半作』= 苗の良否で作物栽培の収穫は半分決まると言う、農業用語があります。
 玉葱栽培の開始は、出来上がった苗を貰ってのスタートであった。2年目以降は苗作りにも挑戦、自宅の空き地に小さなハウスを作り育苗を開始、2年間は日陰での日照不足で満足な苗が出来ず、小さな玉葱の収穫に終わった。
 以降自宅での苗作りをあきらめ、専業農家のハウスの片隅を借用しての苗は、やや満足のいく苗作りとなって来たが、今年はチョットした油断で高温障害を受け貴重な苗の70%程が、枯死する憂き目に合う大変な経験をさせて頂き、今更に『苗半作』の大切さを知り、この厳しさを味わっている。

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趣味の園芸 後編

2008年11月07日 | 暮らしの情報・見学


 



 6・定植 (畑に苗を移植する)

定植用苗
定植用の苗、ハウスで育苗した苗を抜き取り束にして畑に手植えで定植する。この写真は自家育苗初年度の不良苗、玉葱は小玉で不作失敗の年でした。(平成14年)


定植作業
5月上旬 ハウスで育苗した苗を抜き取り束にして、畑に手作業で定植する。専業農家の定植はすべて専用の移植機械作業で、今では見られ無い懐かしい手植え作業の光景です。(平成16年)



定植直後の圃場

5月上旬、チューリップが満開に咲き、芝桜と剣山が見える畑に弱々しい玉葱の苗が植えられました。(平成20年)

 7・畑での生育状況

 圃場生育1
6月中旬、玉葱は順調に生育しています。チュウリップの後に金魚草が植えられ美しい花が咲きました。 (平成17年)。


圃場生育2

6月下旬、そろそろ畦がふさがりそうです。この年は前年より生育状態は良く、収穫に期待した頃でした。 (平成18年)。


生育最盛期

7月下旬、畦は完全にふさがり生育は真っ盛りとなりました。金魚草も2回目の花が満開、後方にサルビアの赤い花が見えます。 (平成17年)。


玉ねぎ肥大期

↑上写真の根部、生育が進むにつれて根部は丸く太りはじめ、生育最盛期には全て玉葱の形となります。

8・収穫 

収穫直前の玉葱

8月中~下旬、畑での生育は終わり、殆んど萎れて玉葱が出来上がりです。株と株の間に玉葱が無いのは、根腐病等で欠株になった所です。(18年)


収穫開始

8月中~下旬、後方の玉葱はまだ青く20日位遅れる晩生の品種、右が収穫前の様子、左は抜き取って並べた玉葱、いよいよ楽しみの収穫です。 (平成17年)。


収穫自然乾燥

9月上~中旬、畑で抜いて広げた玉葱を10~15日自然乾燥させる。専業農家は抜取作業を省略、専用農機具で根を切ってから自然乾燥する。(平成18年)

 9・玉葱の最終調整作業

調整作業手伝いの友人

9月上~中旬、玉葱の自然乾燥が出来たら適度に集め、一個一個の葉と根を切り腐敗品は廃棄、製品の調整をしてミニコンテナに格納する。この年に育苗ハウスの場所を変更、苗も良くなり豊作の年になりました。(平成15年)


調整作業を手伝ってくれる甥の孫
猫の手も借りたい収穫作業、たまたま遊びに来ての手伝いはありがたい。専業農家はこの手作業を、自然乾燥後に専用の玉葱収穫機による省力化が図られ、人力での作業は見られない。



ネッド詰製品

2月下旬育苗ハウスの準備から始まり、播種から収穫まで幾多の作業を経て、待望の玉葱ががネットの袋に納まりました。

 趣味の園芸作物として、玉葱に挑戦し8年が経過しました。初年度は、玉葱専業耕作者の育成苗と玉葱は初めての土壌での好条件栽培であった事から、生育は良く病害虫の発生も少なく、初挑戦の作物として大成功であった。2年目以降、自家育苗によるハウス管理の苦労と失敗の積み重ね、連作障害による根腐その他病害の大発生・タマネギバエその他害虫の被害は大変なもので、玉葱は他農作物と比較すると病害虫に対しての抵抗は弱く、デリケートである事を知らされた。
 初年度の栽培で無農薬栽培も考えて見ましたが、2年目当初育苗の時点よりあえなくダウン、減農薬栽培に切り替え現在に至っている。
 収穫の良否等々紆余曲折であったが、趣味の園芸としての玉葱栽培が8年間楽しく継続出来た事の満足と、収穫した農産物を、親戚・友人・知人等々へお裾分けする事が出来、喜んで貰えたのは又格別である。
 来年早々に70歳を迎えるのを機会に、趣味の園芸も年齢に相応した体力の維持と健康づくりの範囲に縮小しつつ、玉葱を含めた楽しい農作物栽培を継続し、高齢者社会の一員として元気に過ごしたい。

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