とかちシニアネット・何か探し隊 !

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夏の夜空を彩る花火大会

2008年09月26日 | フォト
会  

夏の夜空を彩る風物詩『花火大会』が今年も 十勝管内各地で開催されました。道内最大規模を誇る 地元新聞社十勝毎日新聞社主催 『勝毎花火大会』を始めとして、北海道新聞社主催『道新花火大会』、地元の芽室商工夏祭り『花火大会』、幕別町でも猿別川河川敷において打ち上げられました その他にも 広尾町、大樹町、本別町、清水町(メイプルゴルフ場)、等々各町村で開催されております。  十勝の空は秋へと季節は進み、色艶やかな 紅葉に装いは変り、大雪山系の高い山には初雪の便りも聞こえて来ましたが、真夏の夜空を今一度再現してみます。

8月13日開催『勝毎花火大会』↓



7月27日開催『芽室商工夏祭り花火大会』↓



8月30日開催『道新花火大会』↓




単発花火  クリックしてください↓

違った花火もあります

 



















例年 花火見物と言えば蒸し暑い夏の夜空に 夕涼みを兼ねて浴衣姿に団扇を煽りながら出かける姿を連想しますが、今夏は道内各地 日中の気温こそ夏日の温度になり暑さは感じましたが、夕方から夜にかけては 気温も下がり涼しく 肌寒い程で、どこの会場でも上着を一枚上に纏っての見学でした。






   

十勝開拓の恩人達

2008年09月12日 | 会員の旅行
十勝に関わった人達や道路・建物及び遺跡など


十勝開拓の恩人達というテーマで調べています。今回、某金融機関主催のツアーに参加して
来ました。その中で十勝の開拓に関係のある道路や人物 ・遺跡などについて知ることが出来
ました。ツアーで紹介された一部分ですが、それらについて紹介します。
尚、資料などを参考にさせて頂きました。 お礼もうしあげます。


十勝の開拓当時の道路や遺跡・記念碑など

五郎右ェ門隧道重蔵トンネル


タニイソトンネル近藤重蔵山道入り口


これらのトンネルは広尾側から見て黄金道路のルベシベツとタンネンの間のあります。タニイソ
トンネルの左側に重藏トンネル、さらに左側に五郎右ェ門隧道があります。
五郎ェ門隧道は二本あります。トンネルの内部には手で掘ったノミ跡が分かります。
国道の右側の山側には、1778年(寛政10)近藤重藏がアイヌ数十人を使って約十キロを切り
開いたという道路への入り口を示す 標柱があります。北海道で最初に人の力で開いた道路と云わ
れているそうです。 五郎ェ門隧道を見学するときは漁師さんの家の前を通るので挨拶をして通して
貰って下さい。


仙台藩トカチ陣屋跡と看板

仙台藩トカチ陣屋跡看板仙台藩トカチ陣屋跡


これらは広尾小学校の敷地内にあります。江戸時代の1855年(安政2年)蝦夷地を警護するため
に十勝には仙台藩が割り当てられました。陣屋とは小規模の城だそうです。土塁などの一部が残っ
ています。

生花苗神社
生花苗神社生花苗神社内部

依田勉三が牧場を開いたところが大樹町の生花です。ここに勉三ゆかりの神社があります。

晩成公園
晩成公園入り口依田勉三住居跡

晩成公園は依田勉三の経営した牧場跡です。この牧場を作るにあたって現地を案内してくれた人が
佐藤嘉兵衛です。ここにはサイロ跡や依田勉三の住居跡があります。現在ここにある建物は平成元
年10月(財)文化財建造物保存技術協会の指導により復元されたものといいます。


佐藤嘉兵衛駅逓所跡
佐藤嘉兵衛駅逓所跡晩成海岸のハマナス

佐藤嘉兵衛は依田勉三が生花苗に当縁(とうべり)牧場を開く前に勇洞に来ていた人で、旅舎や
郵便局及び駅逓所を置いていました。


二宮尊親の墓碑
二宮尊親の墓碑(正面側)二宮尊親の墓碑(裏側)

二宮尊親は二宮尊徳の孫で、明治30年(1897)に今の豊頃町牛首別の開拓に当たった人です。
尊徳の報徳思想のもとに設立された興復社を率いて入植しました。尊親は開拓する農民に土地を
配当し、一定の期限内に開墾し、報徳金を完納した農民には土地の所有権を譲りました。自作農
の誕生です。尚、二宮尊親の墓碑は豊頃町二宮地区にあります。
二宮尊親の所へは依田勉三や陸別の関 寛斎らも訪れています。


二宮神社と尊親の住居跡
報徳二宮神社二宮尊親住居跡

報徳二宮神社は尊親が二宮尊徳の遙拝場として建てたそうです。大正6年(1717)に完成しました。
尚、報徳二宮神社は豊頃町二宮地区にあります。
尊親は開拓が成功した明治41年に郷里の福島県に帰りました。豊頃の茂岩市街には尊親が住ん
でいた住居跡があります。尊親はここから毎日十キロの道を歩いたりして事務所まで通ったといいま
す。