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沖縄本土の旅

2007年04月06日 | 会員の旅行

はじめての沖縄です。気温マイナス3度の帯広空港を午前10時20分出発。午後3時半、那覇空港到着。気温は23度です。サクランボが生り、アサガオの花が可憐に咲いているではありませんか。
1、沖縄・美ら(ちゅら)海水族館。2、世界遺産めぐり。3、沖縄料理と癒し。4、南部戦跡を訪ねるの順に思い出を投稿させていただきます。よろしくお付き合いをお願いします。




美ら海シアターの幕が開くとそこは世界一のアクリルパネルを誇る大水槽「黒潮の海」でした。そのスケールに圧倒です。約80種類1万6000点の海の生き物が見られるんです。ジンベエザメが立てるのもこの水槽の大きさゆえです。
ジンベエザメは優しくて、魚たちにも、人間にも大人気者です。
魚たちも「サメさんの背中なら安心さ。」の様子です。
また、ジンベエザメとマンタの繁殖を目指した複数飼育は世界でも初めての試みだそうです。画像をクリックして動画も見てください。





①「イノーの生き物たち」(サンゴ礁に囲まれた浅い海)のタッチプールでは、実際にヒトデやナマコに触れる事ができ、大人気!子供たちも大喜びです。
②~④熱帯魚、サンゴの海の魚~カラフルで個性的な衣装をまとって泳いでいます。自然に近い状態で飼育しています。
③のピンクの衣装は{ハナゴイ}。④の黄色で蝶に似てるのは{トゲチョウチョウウオ}。


人気のイルカたちが登場する
イルカショー。


オキちゃん劇場・イルカスタジオではイルカたちが楽しいダンスや豪快なジャンプを披露してくれた
クリック

お口を見せてくれます。お話をします。そしてチューもします。癒してくれました。
島唄だって踊れます






首里城~←マップ創建年代は不明ですが琉球を統一した尚巴志の時代(1429年)にはすでに存在していたそうです。沖縄戦で消失したけれど、1992年に復元されました。現在は首里城跡として世界遺産にも登録されています。



首里城正殿~約450年間、琉球王国の中枢として機能しました。1階では政治が、2階では王家の行事が営まれました。日本と中国の建築様式をあわせ持っているが、琉球独自のスタイルも感じた。きらびやかな朱色に息をのむ。でも、あいにく曇っていました。晴れていたら、もっと朱色が映えていたかもしれません。正殿前のラインは身分ごとに並ぶお座席だそうです。



1,守礼門~赤煉瓦の2層式の門で16世紀に創建。2000円札にも登場。
2、歓会門~石造アーチが見事な城郭内への最初の門。両脇にはシーサーが鎮座し、玄関口を守っています。
3、瑞泉門~歓会門から続く石段を登りきった所にある第2の門です。
4、残念な事に沖縄戦と大学建設により破壊されたが、この風雨に耐えた城壁や石門は沖縄の歴史を見守ってきたのかもしれません。



斎場御地嶽(せーふぁうたき)~名前からお葬式の場所かな?と思ったが大違い。ナント!琉球最高の聖地とされ、現在も信仰の対象として人々の生活と深く関わっているのです。ですから 世界遺産です。


今帰仁城跡(なきじんじょうあと)~ 世界遺産。琉球王国の前、13世紀頃から築城され始めたといわれるが、いつ誰によって築かれたかなど不明なところが多いそうです。三山時代、沖縄本土北部を支配していた北山の本拠地で、その面積は首里城とほぼ同規模。万里の長城のような城壁と眺めが素晴らしいです。




「パイナップルもパパイヤも生ってるよ。」私には珍しい光景です。マンゴを育てる事はとても手間がかかるそうです。


やしの実、まさに果汁100%です。あっさりしています。お店では力強く割ってくれます。クリックしてね




古宇利島(こうりじま)から沖縄本土を眺める。海に架かる橋では最も長い(無料で渡る橋では。)風が爽やかで、白い砂浜や木陰で昼寝をしたくなります。


「やんばる道の駅」(水族館の近く)の定食です。沖縄県の魚をフライでいただきました。


那覇市にある、民謡、島唄を聴かせてくれる居酒屋さんの料理。「沖縄のお料理は美味しいですね。」すると地元の方は「北海道のジャガイモと昆布は最高ですよ。」とうれしい返事が



沖縄平和祈念堂~←マップ第二次世界大戦で最後の激戦場と化した沖縄。老幼婦女子を巻き込み、軍民あわせて20余万にのばる尊い人命を失いました。悲惨な戦争は2度と繰り返すまじーーと沖縄県民の悲痛な願いを込めて昭和53年に開堂されたのです。世界に平和を訴えるモニュメントです。


平和の礎(いしじ)~崖下にサンゴ礁の海が広がる景勝地。しかも平和祈念堂の向かいに、終戦50周年を記念して沖縄県が建設しました。国籍、軍人、非軍人を問わず沖縄戦で亡くなったすべての人々の氏名が刻まれた記念碑です。都道府県別に五十音でとても解りやすく刻まれています。私事になりますが伯父が戦死した地なんです。もちろん一度も会ったことは無い伯父さんですが名前をすぐみつける事ができました。伯父は爆弾をうけ悲惨な死を遂げたと聞いております。
孫達と花束、お線香をお供えしてきました。帯広に帰り母に報告すると88歳の母は「兄さんは喜んでいるだろう。」と何度々も私に言うのです。



 旧海軍軍事指令部壕~戦死した兵士を追悼する慰霊碑とひんやりと静まりかえっている壕内。
約4000人兵士が悲惨な死を遂げた。壕内には作戦室や司令部室などが当時のまま残されていた。
寝室は沢山の兵士なので立って寝たそうです。

 ひめゆりの塔~沖縄戦時、献身的に看護活動にあたった「ひめゆり学徒隊」の戦死者123名を祀った祈念碑。そして、資料館では、語り部の方々の証言が沖縄戦の実相を伝えて下さいました。

史上最悪の地上戦が繰り広げられたこの地域には、その傷跡が今も生々しく残っていました。悲劇の過去と正面から向き合い、命と平和の尊さを再確認できた旅でした。
旅の思い出をお付き合いくださり、ありがとう御座いました。

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