昨日はこのタカノフーズさん(茨城県小美玉市)の「おかめ納豆」シリーズの「国産大粒」を刻んだ生玉葱をかけて食べました。
今回は何となく食べ応えのある納豆を夕方に食べたいと思ったのと正価が確か2個パックで\145と高めなのですが近所のよく行くスーパーマーケットでなんと\108にまで割引されていたのも購入した理由です(笑)。
食べてみるとやはり原料が1糎強ある大豆だけあってねっとりと食べ応えがある印象を受けます。
最近のマイブームはドイツのRieslingやその系統の交配品種の白ワインを飲んだ後の〆にこういう粒が大きめの納豆をメカブや海蘊といったインスタントの海藻のスープに入れた即席の納豆汁を食べる事です。程々に満腹感を覚えられて余計に食べたくなくなるのが健康にもいいだろうと思いハマッています(爆)。
今回は何となく食べ応えのある納豆を夕方に食べたいと思ったのと正価が確か2個パックで\145と高めなのですが近所のよく行くスーパーマーケットでなんと\108にまで割引されていたのも購入した理由です(笑)。
食べてみるとやはり原料が1糎強ある大豆だけあってねっとりと食べ応えがある印象を受けます。
最近のマイブームはドイツのRieslingやその系統の交配品種の白ワインを飲んだ後の〆にこういう粒が大きめの納豆をメカブや海蘊といったインスタントの海藻のスープに入れた即席の納豆汁を食べる事です。程々に満腹感を覚えられて余計に食べたくなくなるのが健康にもいいだろうと思いハマッています(爆)。
「満腹感を覚えられて」 ― どうしても水稲のジャポニカ米の食事はこの腹持ち感覚に結びつきます。ぶっかけ飯が美味いところです。
但しワインとの相性を考えるときに、この満足感とそれに合った食事の両方を叶えるのは難しいです。この満足感には糖の分解も係わっていると思います。
謂わばこれは、「強い酸と残糖を落としたリースリング」と「この食生活習慣」が合わない主原因です。米自体は醤油ほどに問題にはなりませんが、糖分解に重きを置いた「甘みをくちゃくちゃ」させる日本の食習慣ではどうしてもワインにも甘みが欲しくなるのですね。
フランスの赤ワインが、酸味もありませんが甘みが無くても日本で人気があるのは、やはり牛肉などの米の甘みをそれ程必要としないどちらかと言えばバタ臭い食事に合うからなんですね。
リースリングと、日本の食生活 ― これは日本食という意味ではない ― が合わない所以です。逆に醤油の使用などを控えれば出汁での煮物や白ゴマ味噌などにもリースリングは合わせられます。しかしこうした素朴な味は現代の日本の食生活には今や皆無で、また「現在の白米中心の食生活」は嘗ての伝統的な日本の食生活には無かったものと想像します。
特にモーゼルのトロッケンなどはただ酸っぱいだけのもありますしね。
こういう物で楽しみたいのでザールやナーヘのリープリッヒなワインに僕は惹かれてしまうのかもしれません。
「モーゼルのトロッケンなどはただ酸っぱい」で具体的に意味するものは不明ですが、恐らく酸が奇麗に分解されていない荒い酢酸のようなワインで、むしろそういうものはナーへなどに多いと思います。
要はバランスで、酸が多く、糖比重が低ければ、低いアルコールと残糖でバランスを取るのがモーゼル・ザール・ルヴァーのやり方でしょう。そのなかで辛口で成功しているのはほんの僅かな例しかないです。
しかし同じように残糖を多くした甘口でも水臭くなく、テロワーを反映させながら高品質なのは同じようにごく一部しかないですね。
「ザールやナーヘのリープリッヒなワインに僕は惹かれてしまう」ような一種のアジア的な甘酸っぱさ味覚で ― 日本食文化は決してそうしたものだけではありません ―、こういう飲み方をしていると、素材の味や酸の肌理の細かさとか本当のリースリングの質の良さが分からずに一生を終えてしまうのです。
リースリングより多様性のある品種はありませんしね。
なるほど世界各地でリースリング栽培が試みられていて、そうした状況でなぜドイツのリースリングは特別であるのか、またそうでなければいけないのかを考察することと、その味を吟味することが愛好家の目標でしょう。
ただたんにご当地の珍しい特産品を漁るだけのような選択や、「試供品の収集」ならば、なにも高級なドイツのリースリングなどを飲む必要がないと何時も申し上げている通りです。その意味でリースリングのワイン自体には多様性などありません。美味いか不味いか、高品質が劣悪品かの二種類しかありませんよ。
僕の好きなアメリカのジャズミュージシャンでデュークエリントンという人がいるのですが彼が「この世に音楽は2種類しかない。いいか悪いかだ。」という名言を残していたのを思い出しました。