2008/3/22(sat)
ついに東京で桜の開花宣言が出されましたね。
今日は、雲ひとつない天気のポカポカ陽気でした
このごろ雨が続いていただけに気持ちのいいほどの日本晴れでした
今日はお墓参りに行ってきました。
年に3回のイベントですが、イソジンさんにとっては毎度ながらドライブをかねたイベントとなっております
帰宅後は祖母の見舞いで病院へ行ってきました。
病院にてちょいとショッキングな出来事がありました。
今回は1ヵ月半ぶりに祖母と面会したのですが、面会に行って開口一番祖母から「あんた誰?」という台詞でした
まぁ、ず~っと病院暮らしが続き、しかも1ヶ月以上顔を合わせていないため、記憶から遠のいてしまったのでしょう
最初はショックでしたが、今の祖母の置かれている状況からすると仕方ないな~と自分に言い聞かせました
でも、母親が何とか説明をしているうちに思い出したらしく、結果オーライトいくところでしたが・・・思い出した記憶がまだイソジンさんが学生時代のものらしく、「学校行ってるの?」なんて言葉が出てきました。
まぁ、この歳になれば最近の記憶よりも昔の記憶のほうが鮮明に残るといわれているので、仕方ないとこれまた自分に言い聞かせました
今後も実家へ帰るたびに祖母に顔を合わせて、何とか忘れられないようにしなければと改めて思いました。
夕食後、イソジンさんの住処へと帰ろうと思っていたのですが、毎月恒例の映画鑑賞へ行きたいという思いもあったので、帰り際に映画鑑賞しながら帰ってきました。
今回見た作品は『犬と私の10の約束』です。
とても心温まる人間と動物の物語でした。
ちなみに、イソジンさんは犬を飼ったことがありません。
なぜ飼ったことがないのか考えてみたのですが、特に理由が思い浮かびません。強いてあげるのであれば、めんどくさがったのが原因のように思えます
人間誰しもあって当たり前と思っているものが、ある日突然、未来永劫続くものではないと気付くときがきます。
生きとし生けるものには必ずいつか“別れ”のときがやってきます。
しかし、いつもいつも一緒にいるというのは難しいもので、所謂「我慢」というものが必要なときもありますし、それができないときもあります。
はじめは一緒に仲良くしていたとしても、あるとき他のものの優先度が上がり、そちらへ目が行ってしまうことがあり、もうひとつの優先度が下がってしまうことがあります。
そうすると、仲良くしているはずのものがちょっと悪い言い方をすると「邪魔」に思ってしまう場合があります。
しかし、あるときふと仲良くしていた頃の記憶が蘇り、優先度が下がってしまったが、やっぱり仲良くしていたほうが大切だったと気付くときがきます。
しかし、皮肉にもそうなったときはもう手遅れなんていう場合があります。
ずいぶんと遠まわしな表現になってしまいましたが、子が親に対する気持ちと一緒じゃないかと思う気もします。
小さいころは親が生活の大部分を占めているが、成長につれて友達とのつながりが深くなり、親が「うざったく」なるものです。一例で言うと反抗期です。
しかし、それを過ぎて大人になっていくと親のありがたみがわかるようになり、今までの恩を返そうと孝行し始めます。
しかし、その頃には親もだいぶ年をとり思うように身体が動かなくなったり、諺にもありますが「孝行したいときに親はなし」なんてことになる場合も考えられます。
最近、縁起でもないことですが、イソジンさんは親に対してこういう思いを持つようになっています。
今はすごく元気ですが、ちょっとでも体調が悪いなどと耳にすると実家まで飛んで帰りたくなる衝動に駆られます。
でも、いざ会ってみるとたいしたことがなかったりして、軽く文句を垂れたりします
ちょっと長々と語ってしまいましたが、結局「できるときにできることをする」ということですね。
思いっきり当たり前のことじゃんという突っ込みは大歓迎です。
それでは、明日も有意義な休みにしましょう~
ついに東京で桜の開花宣言が出されましたね。
今日は、雲ひとつない天気のポカポカ陽気でした
このごろ雨が続いていただけに気持ちのいいほどの日本晴れでした
今日はお墓参りに行ってきました。
年に3回のイベントですが、イソジンさんにとっては毎度ながらドライブをかねたイベントとなっております
帰宅後は祖母の見舞いで病院へ行ってきました。
病院にてちょいとショッキングな出来事がありました。
今回は1ヵ月半ぶりに祖母と面会したのですが、面会に行って開口一番祖母から「あんた誰?」という台詞でした
まぁ、ず~っと病院暮らしが続き、しかも1ヶ月以上顔を合わせていないため、記憶から遠のいてしまったのでしょう
最初はショックでしたが、今の祖母の置かれている状況からすると仕方ないな~と自分に言い聞かせました
でも、母親が何とか説明をしているうちに思い出したらしく、結果オーライトいくところでしたが・・・思い出した記憶がまだイソジンさんが学生時代のものらしく、「学校行ってるの?」なんて言葉が出てきました。
まぁ、この歳になれば最近の記憶よりも昔の記憶のほうが鮮明に残るといわれているので、仕方ないとこれまた自分に言い聞かせました
今後も実家へ帰るたびに祖母に顔を合わせて、何とか忘れられないようにしなければと改めて思いました。
夕食後、イソジンさんの住処へと帰ろうと思っていたのですが、毎月恒例の映画鑑賞へ行きたいという思いもあったので、帰り際に映画鑑賞しながら帰ってきました。
今回見た作品は『犬と私の10の約束』です。
とても心温まる人間と動物の物語でした。
ちなみに、イソジンさんは犬を飼ったことがありません。
なぜ飼ったことがないのか考えてみたのですが、特に理由が思い浮かびません。強いてあげるのであれば、めんどくさがったのが原因のように思えます
人間誰しもあって当たり前と思っているものが、ある日突然、未来永劫続くものではないと気付くときがきます。
生きとし生けるものには必ずいつか“別れ”のときがやってきます。
しかし、いつもいつも一緒にいるというのは難しいもので、所謂「我慢」というものが必要なときもありますし、それができないときもあります。
はじめは一緒に仲良くしていたとしても、あるとき他のものの優先度が上がり、そちらへ目が行ってしまうことがあり、もうひとつの優先度が下がってしまうことがあります。
そうすると、仲良くしているはずのものがちょっと悪い言い方をすると「邪魔」に思ってしまう場合があります。
しかし、あるときふと仲良くしていた頃の記憶が蘇り、優先度が下がってしまったが、やっぱり仲良くしていたほうが大切だったと気付くときがきます。
しかし、皮肉にもそうなったときはもう手遅れなんていう場合があります。
ずいぶんと遠まわしな表現になってしまいましたが、子が親に対する気持ちと一緒じゃないかと思う気もします。
小さいころは親が生活の大部分を占めているが、成長につれて友達とのつながりが深くなり、親が「うざったく」なるものです。一例で言うと反抗期です。
しかし、それを過ぎて大人になっていくと親のありがたみがわかるようになり、今までの恩を返そうと孝行し始めます。
しかし、その頃には親もだいぶ年をとり思うように身体が動かなくなったり、諺にもありますが「孝行したいときに親はなし」なんてことになる場合も考えられます。
最近、縁起でもないことですが、イソジンさんは親に対してこういう思いを持つようになっています。
今はすごく元気ですが、ちょっとでも体調が悪いなどと耳にすると実家まで飛んで帰りたくなる衝動に駆られます。
でも、いざ会ってみるとたいしたことがなかったりして、軽く文句を垂れたりします
ちょっと長々と語ってしまいましたが、結局「できるときにできることをする」ということですね。
思いっきり当たり前のことじゃんという突っ込みは大歓迎です。
それでは、明日も有意義な休みにしましょう~