2013/1/27(sun)
本日より新しい企画を立ち上げます。
その名も『イソジンの今日の言葉』です。
毎日いろいろな著名人の言葉を紹介し、イソジンさんの視点でコメントをさせていただくというものです。
さて、栄えある第1回は、イソジンさんが尊敬して止まない坂本龍馬大先生の言葉です。
「人間はなんのために生きちょるか知っちょるか?
事をなすためじゃ。ただし、事をなすにあたっては、
人の真似をしちゃいかん。」
この言葉をはじめて知ったのは、大学1年のときです。
「龍馬が行く」という小説の中に出てくる言葉ですが、とても感銘を受けたことを覚えています。
有名無名にかかわらず、人生の中で何かしらの「成果」を残すことが生きることであるということですね。
でも、その成果を残すにも猿真似ではなく、誰もがやったことのない方法、オリジナリティを大切にということですね。
ここがとっても難しいことなのです。
二番煎じではいけないということです。
最近、友達と話しをするときにいろいろと気付かされたり身につまされたりすることが多くあります。
時には厳しい意見だってあります。でも、それがなければいつまでたっても今のままなのです。
気付きを与えてくれているというありがたみよりも口うるさく言われてるなと思っているだけではお終いなのです。
過去に何度かそのような場面に出くわした経験がありますが、その時は仕事が絡んでいることが多かったので、結局は受け流すという術を身につけることで残念な結果になってしまっていたのです。
しかし、これが仕事とまったくの関係ないプライベートの場面だとどうでしょうか。
ある意味自由な場であるため、目を瞑りたければ目を瞑ってそこから逃げてしまえばすべてから解放されます。
でも、本当にそれでいいのでしょうか?
ここでの気付きとしては、仕事でもないプライベートの空間でどうしてそういうことを言ってくれるのかということです。
言うほうにとっては(0と言わないまでも)何のもメリットもありません。なぜなら、そこに利害関係はまったくといっていいほどないからです。
これが仕事の空間だとどうでしょうか?
言っているほうにもデメリットが発生するため、口うるさく言うのです。何度も何度も繰り返し言って相手を軌道修正させます。
それによって仕事を円滑に進められるようにするのです。
そう考えると不思議に思えます。
でも、そこまでして言ってくれているという事に悪い気はしません。
そうすると、言われている身としても少しは耳を傾けるようになります。そして、入ってくる情報が真っ当なことであればさらに受け入れ態勢を整えようとします。
さらに、もういい加減その様な状況から脱却しなくてはという思いが少しでもあるからこそ這い上がろうと努力するのです。
しかし、それが本心からなのか言われているから見せかけでなのかというところに真価が問われます。
ある意味これは神様から与えられた最後のチャンスと思って取り組まなくてはならないのです。
小さなことからではありますが、取り組むことを決め、明日からではなく今日からスタートします。
遅まきながら一歩一歩階段を上がって行き、いつかは目標に到達できるよう頑張っていく所存です。
昨日見たとあるブログに感化されたところもあります。ある意味真似とも取れますが、マネでもいいのでまずは「始める事」、「定着させる事」が重要なのです。
そして徐々にそれをオリジナリティのあるものにしていけばいいのです。
どこで見られているかわかりません。
常に緊張感をもって最低限決めた内容に取り組んでいくこと。まずはここから初めて行きます。
「向こう側」へ行かなくてはならないのです。自分のためにも。
長々と語ってしまいましたが、これから変わろうとしているイソジンさんに注目してください。
これから先、いろいろなことが待っているでしょう。それらを乗り越えて成長しているのか、何も変わらないままなのか、このチャンス、生かすも殺すも自分次第なのです。
ある意味歩兵なのです。前に進むことしかできないからです。