磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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【写真絵本】柿の木

2010年09月01日 | 読書日記など
『柿の木』
    宮崎学・著/偕成社2006年

表紙の季節によって変化する柿の木をおった大人の写真絵本といっていいかもしれない。
解説文も文化的で、意味あるものだと強く思いました……。



表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「……この柿の木は、はじめは一本だった。
それが、樹齢四○年目ごろに、根本から新芽が出て二本になった。その後も成長しつづけ、こんにちの形になったという。葉を落として丘にたたずんでいるその姿は、とても絵になり、どうして、このような姿になったのだろうかと、ふしぎに思ってしまう。」

甘い実。下「」引用。

「柿の木の種類は、「西久保」。こんにちほど食料事情が豊かではなかったので、甘い実をつけるこの種類は貴重品だった。その西久保柿は、幸枝さんが六~七歳のころから甘い実をつけはじめたらしい。-略-この柿の木は二○○六年現在、八○年ほど生きてきたといっていいだろう。」

「甘柿」も「渋柿」も……。下「」引用。

「-略-大正から昭和のはじめにかけて、柿は甘柿も渋柿も、当時の生活には大切なものだった。甘柿は生食用に、渋柿は干柿として売られ、寒村の農家に貴重な現金収入をもたらしたからである。実はことごとく加工され、塾してしまったものはニワトリの餌にまで使われた。」

加工……。下「」引用。

「また、落下した甘柿の実はカメにいれ、発酵させて「食酢」をつくった。この酢は酸味と甘味に富んでいて、酢飯に最高だつたという。そして、渋柿の青い実からは「渋柿」がつくられた。「渋柿」は防腐と殺菌効果があり、この地の主産業であったカイコの繭づくりの籠網や敷き紙に塗布されて使われた。さに、「渋柿」は農作業に使う縄などにも堅牢性を高めるために用いられたという。」

「干柿」が大切で、「甘柿」は貴重品。下「」引用。

「当時、この地域では、糖分が多すぎるために干柿に加工することがむずかしい甘柿ではなく、換金効果のある干柿用の渋柿栽培が主流であった。渋柿はいたるところにあっても、甘柿はめずらしく、まさに貴重品。よって甘柿である「西久保」が、秋のおとずれを告げる味覚となって、集落の人々に親しまれていたのである。こうした柿の木とのふれあいは、おばあさかんから子どもへ、そして孫へと継がれていった。」

この形になったのは……。下「」引用。

「柿の木は細い枝に登ると折れやすい。そのため、たわわに実った柿を枝ごと切りとっては地上におろし、収穫しなければならなかった。とくに高いところの実は甘く、枝を切り落とさざるをえなかった。そんなくりかえしが、長い年月の間にこうした形をつくったのにちがいない。この形に整えようとして枝を切ったのではなく、偶然にこうなっていったのが面白い。人との長い時間の共生が、このように、芸術性豊かな姿を生みだしたのである。」







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