磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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安芸文学 49号 & 52号

2008年01月30日 | 読書日記など
『安芸文学 49号』
   岩崎清一郎・編/安芸文学同人会1983年

「原爆を考える二つのヒント」文沢隆一・著。
--二つのヒントで何がわかるのだろうか? 下「」引用。

「ヒントの一つは、原爆の破壊力が増大するにしたがって、原爆に対する認識もまた、量から質への転換をよぎなくされたということである。今日の核爆発物は、単なる兵器というかつての戦争の一手段としての役割から、国の運命を支配する国家の最高の権力にまで昇華している。それがいわゆる今日の核権力といわれるものの本質である。」

ここで昇華という言葉は適さないようにもボクには思えるが……。
もともと、国家権力によって作られたものですね。

人の希望や勇気になるものではなく、人が核から得られるのは恐怖と抑圧だろうとボクは思う。


ギリシヤ神話を持ち出してくる文沢。下「」引用。

「原子力の平和利用は人類が手に入れた第三の火であるといわれてきた。プロメテウスが天上の火を盗んで人間に与えたというギリシヤ神話は、まるで今日の核時代を予言してつくられたようによくできた話である。」

原爆投下は神の領域ではなく、人の領域で起きている話であり、神は出てこない。
天上に核などはないとボクは信じている……。

--ギリシア神話はお話であると思う。そんなことに強引に結びつけて教養あるという感じの人たちは多いが、ここから何の実利を得られるというのだろうか?

プロメテウスの火は人類に役立った……。
--原子力は悪魔から盗んだ火だろうといわれれば否定できない。
多くの人がそれで苦しみ、人の苦しみがわからぬ政治家や学者、企業家が核を讃美しているようにボクには思える……。



『安芸文学 52号』
   岩崎清一郎・編/安芸文学同人会1986年

「特集・再考「屍の街」
・「「屍の街」をめぐる二・三の考察」文沢隆一
・「鬼哭を聞く作家・大田洋子」好村冨士彦
・「大田洋子展日録」文沢隆一


「鬼哭を聞く作家・大田洋子」では、こんなことも書かれてある。下「」引用。

「ビキニの死の灰事件のときに「ざまを見ろ」という言葉を吐いてしまった。このことは、当時の日本の各地で大きなうねりとなりつつあった原水爆禁止運動を支えた民衆と真に結びつき、そこから新たなエネルギーを吸収することのできなかった知識人としての彼女の弱さの表われと一応言えよう。しかしそれよりも私たちは、彼女をそういう孤立に追いやった、当時の日本人の無関心と怠惰こそが、このような言葉を吐かしめた張本人なのだと考え直すべきではなかろうか。」


『原爆神話』などといわれるのも神話などではなく、嘘をつくりあげたということ。

--この科学の時代に神話などが現実に生まれるわけがないだろうとボクは思う。
もちろん、ファンタジー小説は生まれるだろうが……。

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核が廃止された時。
--未来の人たちが生き残り、過去を振り返る時。
--この時代の日本人がアメリカ人を神のように扱ったことに驚くことでしょう。
それも文化人といわれる人たちが、アメリカがいうことを鵜呑みしたことにあきれるでしょうね。

原爆で「平和」が生まれた?
--そんな馬鹿な?

大田洋子の言葉は、その時だけのものではないし、彼女を拒否してきた人たちに投げつけられた言葉だと思う。


「大田洋子展日録」では、洋子のよさは書かれていなかった。下「」引用。

「一九八二年(昭和五七年)七月二三日(金)午前九時、河村平和文化センター理事長、中川一枝(洋子の妹)氏によって、会場のテープカットがおこなわれる。RCC、HTVが取材。
 初日とあって、会を準備した人ち(岩崎・栗原・好村・志水・文沢)が全員そろって、会場の出来に、一同満足の様子。」

NHKの取材もあったようだ。

2006年にも大田洋子展があったようです。

くわしくはここをクリックしてください。









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