龍の声

龍の声は、天の声

◎吉田松陰先生語録26、27、28、29、30

2023-01-27 07:08:51 | 日本

◎吉田松陰先生語録26

「初一念(しょいちねん)名利の為に初めたる学問は、進めば進む 程其(そ)の弊(へい)著(あら)われ、博学宏詞(こうし)を以て是を粉飾すと云えども、遂に是れを掩(おお)うこと能わず。大事に臨み進退拠(よりどこ ろ)を失い、節義を欠き勢利に屈し、醜態云うに忍びざるに至る。」

初志を名誉や利益で始めた学問は、進めば進むほど、その弊害がはっきり現れる。どんなに広い知識や、多くの言葉で飾ったとしても、この弊害をかくし通すことはできない。そして大事に臨んだ時、自分の判断力を失い、節義を欠 き、権力や利益に屈して、人間としてこの上なく見苦しいことになる。
松陰先生が26歳の時、牢屋で始めた「孟子」の講義録である、「講孟余話」の滕文公下に出てくる言葉です。


◎吉田松陰先生語録27

「知は行(こう)の本(もと)なり。行は知の実(じつ)たり。」

知識は行動の本(もと)である。正しい行動は深い知識や理解によって実現するものである。
松陰先生が26歳の時、牢屋で始めた「孟子」の講義録である、「講孟余話」の離婁上に出てくる言葉です。


◎吉田松陰先生語録28

「凡(およ)そ学をなすの要は己(おの)が為にするあり。己が為にするは君子の学なり。人の為にするは小人の学なり。」

学問をする上で大切なことは、自分を磨き自分を高めることにある。自分のためにする学問は、しっかりした人間を志(こころざ)す人の学である。人にほめられるためにする学問は、とるに足らない人の学である。
松陰先生が26歳の時、牢屋で始めた「孟子」の講義録である、「講孟余話」の離婁上に出てくる言葉です。


◎吉田松陰先生語録29

「養の一字最も心を付けて看(み)るべし」

「養」の一字を最も深く味わってみるべきである。
松陰先生が26歳の時、牢屋で始めた「孟子」の講義録である、「講孟余話」の離婁下に出てくる言葉です。
「孟子集註」に「養とは涵育薫陶(かんいくくんとう)して其の自ら化するをまつを謂うなり」と書かれています。松陰先生はこの語録の後に、「涵 はひたすなり、綿を水にてひたす意なり。育は小児を乳にてそだつる意なり。薫は香をふすべ込むなり。陶は土器をかまどにて焼き堅むるなり。」と続け、人を 養うためにこの4点を大切にして、じっくりと自立していくのを待つことであるとおっしゃっています。


◎吉田松陰先生語録30

「仁(じん)とは人なり。人に非(あら)ざれば仁なし、禽獣(きんじゅう)是(こ)れなり。仁なければ人に非ず、禽獣に近き是なり。必ずや仁と人と相合するを待ちて道と云(い)うべし。」

仁とは人間にそなわった人を思いやる心である。鳥や獣には仁がない。仁がなければ人間ではなく、鳥や獣に近いものになってしまう。従って、仁がそなわった人間としての行動こそが人の道ということができる。
松陰先生が27歳の時、「講孟余話」の尽心下に出てくる言葉です。