Runrun日記

最近読んだ本ー胡蝶の夢

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今年は暖かだと皆さん云われます。私はそれなりに寒いです 
今日は、墓参りに行ってきました。お墓の有る公園には、白梅、紅梅。やはり春はそこまで来ているようです。



◆ 最近読んだ本 ◆

高田郁さんの『あい永遠に在り』を読んでから、関寛斎の事が気になりこの本を読みだしました。関寛斎はこの本の副主人公らしい。??
主人公は、松本良順。それと良順の弟子の伊之助という事らしい。??

司馬遼太郎 著作 『胡蝶の夢』 新潮文庫

違った! この本の主人公は、幕末の医学に係った人達、幕末の風景だった。

松本良順(天保3年・1832年~明治40年・1907年)は、寛斎が学んだ佐倉の医療塾「順天堂」の塾長・佐藤泰然の次男。幕府奥医師の松本良甫の養子となっていたが、安政4年・1857年、オランダの医師ポンペが長崎に来ると聞き、矢も楯もたまらず長崎に出向き、ポンペの弟子になります。ポンペは長崎海軍伝習所の第二次派遣教官団の医官。良順はポンペに協力、奔走し医学伝習所を作ります。

島倉伊之助(天保10年・1839年~明治12年・1879年)は佐渡生まれ。記憶力が抜群だが社会性、コミュニケーション能力が全くなく自分勝手。いや病的だから、今でいえば発達障害だったかもしれない。13歳の時、江戸へ出て、良順の弟子となり、長崎に出てポンペの元で言語を天才的に習得します。語学力抜群!通訳をして学生を助けます。しかし、何せ社会性がなく、皆から嫌われ、ポンペから追放されます。

関寛斎(文政13年・1830年~大正元年・1912年)は、『あい永遠に在り』で読んだ通りの人。長崎でポンペに学びます。

彼らが此処でポンペから習ったのは、医学と共にオランダの新教徒らしい身分差別のない社会だったらしい。物語の前半は、この長崎医学伝習所の話ですね。司馬遼太郎さんの作品らしく、話はあちこちに飛んで行きます。面白いというか、煩わしいというか (笑)

文久2年・1862年、ポンペが長崎を去り帰国してしまうと、良順も江戸に戻り医学所(東京大学医学部の前身)の頭取となって教育にあたります。将軍侍医などを務め、将軍徳川家茂の最後をみとります。近藤勇などとも親交を持ちます。伊之助は、佐渡に引っ込みます。寛斎は、徳島藩の藩医になっています。

慶応4年(明治元年)・1868年、戊辰戦争が始まると、良順は江戸から脱走して会津に走り幕軍の軍医として治療に当たります。徳島藩の藩医をしていた関寛斎は、官軍に呼ばれ官軍の軍医となります。会津で、良順は幕軍、寛斎は官軍の軍医になるのですね。
伊之助は横浜に出ます。明治政府は、最初に薩摩藩を支援したイギリスの医師から医学を得ようとしますが、すぐドイツ医学に変わって行ったようです。天才・伊之助は英語もドイツ語もマスターしていたのでここでも通訳として重宝されます。30歳すぎて伊之助はやっと社会性を得たようです(笑)

司馬遼太郎さんはこの小説で、身分制度が崩れたことにより、封建社会が崩壊したと云っています。良順は、えたと呼ばれるの身分回復に務めます。寛斎は貧乏人からは治療費を取らなかった。ポンペからの影響は大きかったのでしょう。

この小説には、非常に多くの人達が出てきました。政治家や医者。幕末の風景です。あまり飛び過ぎて私には難しかった。
ここに書いた三人の人間性が興味深かった。
寛斎は、明治になってから徳島の町医となって過ごしますが、73歳過ぎてから、北海道・陸別の開拓に乗り出します。82歳で自殺してしまいます。なぜ? この小説では、息子との経営方針の違いで・・のように書かれていましたが・・・
寛斎のような蓄財を求めない生き方は、家族から理解されなかったのかも知れませんね。

この小説のお気に入り度:★★☆☆☆

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