萩原朔太郎さんの詩集を読んでいます。
詩とは、寂しさとか悲しみしか書けないものだろうか。
「ちくま日本文学 萩原朔太郎」 筑摩書房
『みちゆき』 ありあけのうすあかりは 硝子戸に指のあとつめたく ほの白くゆく山の端は みづがねのごとくにしめやかなれど まだ旅人のねむりさめやらねば つかれたる電灯のためいきばかりこちたしや あまたるきニスのにほひも そこはかとなきはまきたばこの煙さへ 夜汽車にてあれたる舌には侘しきを いかばかり人妻は身にひきつめて嘆くらむ まだ山科は過ぎずや 空気まくらの口金をゆるめて そつと息をぬいてみる女ごゝろ ふと二人悲しさに身をすりよせ しのゝめちかき汽車の窓より外を眺むれば ところもしらぬ山里に さも白く咲きて居たるをだまきの花 |
『みちゆき』は、この本の最初に出て来た詩です。
人妻との駆け落ちなのでしょうか? 朔太郎さんは、明治19年の前橋生まれなので、これは明治時代の夜汽車。山科とあるので東海道線で京都に逃避行? オダマキの花とあるので季節は初夏の頃?
私の勝手な妄想です
『昨日にまさる恋しさの』 昨日にまさる恋しさの 湧きくる如く高まるを 忍びてこらへ何時までか 悩みに生くるものならむ。 もとより君はかぐはしく 阿艶に匂へる花なれば わが世に一つ残されし 生死の果の情熱の 恋さへそれと知らざらむ。 空しく君を望み見て 百たび胸を焦すより 死なば死ねかし感情の かくも苦しき日の暮れを 鉄路の道に迷ひ来て 破れむまでに嘆くかな 破れむまでに嘆くかな。 ――朗吟調小曲―― |
私には、こういった気持ちは理解できません。初恋はもっと淡いものだったし、次なる恋はもっと現実的だった。
『家庭』 古き家の中に坐りて 互に默しつつ語り合へり。 仇敵に非ず 債鬼に非ず 「見よ! われは汝の妻 死ぬるとも尚離れざるべし。」 眼は意地悪しく 復讐に燃え 憎憎しげに刺し貫ぬく。 古き家の中に坐りて 脱るべき術もあらじかし。 |
切実ですなぁ・・・
この詩集のお気に入り度:★★★☆☆