いとゆうの読書日記

本の感想を中心に、日々の雑感、その他をつづります。

原発のウソ    小出裕章 著

2011年07月12日 | その他
東日本を襲った大震災、そして福島の原発事故から4ヶ月が経ちました。原発事故の方は未だに収束の兆しが見えたとは言い難い状況です。福島の事故以来、多くの事故関連の記事を読んできましたが、一体何をどのように信用していいのか・・・後になって実はこうでしたということが多すぎるのです。

地震の専門家、原発の専門家、建築工学の専門家、経済の専門家、等々・・・それぞれの見解をつなぎ合わせるととてもちぐはぐな解釈になってしまうのです。そして相変わらず混迷するばかりの政局の行方・・・・・。

そんな毎日の中で偶然目にしたこの本を読んで、「やはり、これだ!」と思いました。

<脱原発>

原発に関しては私はずっと以前から反対でした。でも誰かに聞かれたら、「私は反対。」と言う程度でした。

32年前のスリーマイル島や25年前のチェルノブイリの原発事故のとき、私は日本から一万キロ以上離れたところで生活し、これら二つのニュースのほとんどを最初は英語で見ました。今思えばおかしな報道もあったかもしれませんが、その危険性について、人々は大変敏感でした。その当時の日本の報道は、後で見ましたが、どれも「遠い外国の事故」という印象でした。チェルノブイリの事故ですら半年後には人々の記憶からすっかり遠ざかっているようでした。日本の原子力発電は安全なもの、日本の産業を支える大切なものとされ、一部の反対意見は抹殺されているような勢いなのが気になりました。


この「原発のウソ」はあまり原子力発電や放射能についての知識のない人でもとてもわかりやすく解説されていると思います。放射能は目に見えないものだけに厄介ですが、今一般向けのテレビなどで報道されているヨウ素やセシウムだけでなく、もっと有毒なストロンチウムやプルトニウムのことを考えるととんでもない未来が見えてしまいます。今の状態だけでも私たちの世代だけでは到底解決できない負の遺産を子孫に残してしまいました。


さて話は横道に反れますが、先日佐賀県の玄海原発運転再開の問題で賛成意見の3割が九州電力の関係者のもので「やらせ」であったと報道されていました。このような福島の事故に遭いながらも安全よりおカネで動こうとする政治や電力会社、その他の大企業の体質が少しだけ明るみに出たってことなのでしょうね。先月、東京電力(その他の電力会社も似たり寄ったりですが・・)株主総会で株主提案された脱原発提案は否決されました。

こんな地震国に54基もの原発を作ったのは誰でしょう?
安全よりもやっぱりおカネに目がくらんだ人間たちが、反対する人々を排除する形で作り上げてきたのです。政治家と企業です。でも、その政治家を選んだのは私たちなのです。

菅首相の不信任案が提出された時、友人の一人が「そんなに駄目な首相なの?」と聞きました。その時私は「だれがやってもかわらないような気がするけど・・・」と答えたのですが・・・。不信任案が否決されて、ちょっとは政治家たちのばかなにらみ合いは収まるのかと
思ったらますます混迷するばかり・・・。

でも・・・最近ちょっと考え方が変わりました。菅首相が浜岡原発を止めることを決断したことに始まって、今回の玄海原発のストレステストの提案を思うと・・・首相の脱原発の方向性が見えてきたような気がしてきました。なんだか菅首相が一貫性がなくてわかりにくいのも反体制派総理の隠れ蓑なのでしょうか。のらりくらりと見えても実はその心は脱原発・・・???

ただ、はっきりしていることはたとえ脱原発方針をとったとしても、原発というのは火力発電所のように止めておしまいということにはならず、その後ずっと燃料の冷却や使用済みの燃料の管理に大変な額の経費がかかります。欲の深い人々がそんなことを簡単に受け入れるはずがありません。あまりストレートに脱原発を進めると後の処理のおカネがついてきませんからねえ~。

震災後しばらくして偶然テレビで見たのですが、「3月11日以前戻ることができたらどんなにいいだろう。」と話し始めた原子力安全委員会のM委員長の会見を腹立たしく思った人は多いかと思います。そんなこと被災者だって同じなのです!!

実は菅首相はどんなにみんなに(おカネで動く政治家や大企業に)嫌われてもホントは脱原発へ引っ張っていこうと粘ってのことなら、現在、生活に困る人は確かにたくさん出てくるかもしれないけれど私たちの子孫のことを考えたら、徹底的にブチ壊していただいたほうがよいのではないかと思うようになりました。

私が子供のころ、地球の人口は30億人でした。今は70億人です。
私が子供のころ、家にエアコンはありませんでした。当時は木造の平屋建てでした。夜は蚊取り線香を焚いたり、蚊帳を吊ったりしていました。テレビや冷蔵庫も小さなものでした。
多少の浮き沈みは見たものの、高度成長時代で人々の生活がどんどん豊かになっていく様子を見て育ちました。

エネルギーの大量消費の時代を迎えて、便利で物があふれている時代に育った子供たちは豊かなエネルギー消費が当たり前です。私たちも私たちの親の世代も便利な生活の恩恵を受けています。
でもそのエネルギー消費を支えるために人間は原子力発電というとてつもなく危険なものを作ってしまいました。

この本はそんな現在の生活を見直し、自分自身の意識を変えるための第一歩としてはとてもわかりやすく解説されているいい本だと思いました。


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