いとゆうの読書日記

本の感想を中心に、日々の雑感、その他をつづります。

彷徨の季節の中で  辻井喬 著

2015年03月10日 | 小説
梅の花が見ごろになりました。暖かい日が続いたかと思うと、冷たい風が吹いて寒くなったり、急に雨が降ったりしながら、それでもしっかり膨らんできた桜のつぼみを見ると開花が待ち遠しい気持になります。

さて今回は辻井喬氏の「彷徨の季節の中で」です。辻井氏は元セゾングループ代表の堤清二氏です。実はつい最近まで私は辻井氏と堤氏が同一人物であることを知りませんでした。経営者堤清二氏の方はずっと以前から認識していたのですが、辻井氏の本を読んだことがなかったので、わかりませんでした。

これは辻井氏の自伝的小説ですが、非常にノスタルジックな印象です。いろいろな自伝小説を読んできた私には構成も奇抜とは言えない感じなのですが、何となく時代という観点から不思議な感覚を呼び起こすものでした。

辻井氏は私の両親と近い世代です。昭和の初期から戦中戦後、今は亡き両親が成長していった時代背景の中で、主人公「津村(山野)甫」の生い立ちが語られていきます。未知の世界でありながら、時空の軸のちょっと先の延長線上に、私が辿ってきた時代もあるような、タイムマシンにのって昭和という時代を遡るような感覚でした。

複雑な家族構成の中で生きる主人公と家長としても社会的にも権勢をふるう偉大な父との確執や母や妹に対する愛情が何とも言えない切なさを感じます。

後半、主人公が東大に入学後共産党に入党し、党活動から手を引いて、結核の療養生活に入るまでの部分で、恋愛や家族との葛藤の日々の記述は読者に時にはこの小説を飛び出して歴史に刻まれた事件や社会への接点を思い起こさせます。

私はこれを読んだことによって改めて初期の全学連や戦後の東大内部での日本共産党の様子を知りました。

主人公は50年代の共産党分裂の際、国際派に属していた為除名処分を受け、病気療養も重なり、今までとは違う道を歩むことになるのですが、何となくあえて説明をしがたい転身のような後味が却って読者に、安心感を与えるような感じさえしました。

弱いとか強いとかそんな尺度では測れない混沌とした主人公「津村甫」は、「人間って案外そんなものなのかもね」と思わせるような結末で余韻を残します。

その後小説家辻井喬として、そして実業家堤清二として生きた作者の人生へ思いを馳せるとちょっと複雑です。
将に題名の如く、何だか時空を超えてその思いが行ったり来たりするような小説でした。