いとゆうの読書日記

本の感想を中心に、日々の雑感、その他をつづります。

されど われらが日々    柴田 翔 著

2009年03月09日 | 小説
 先日、アマゾンのサイトで大学紛争のころのある本を検索している時、偶然この本の案内を画面の中で見つけました。団塊の世代の人々に青春のバイブルと言われた小説です。

 高校時代、この本を読み、大学の自由な雰囲気に憧れました。大学受験の勉強のエネルギーの糧にもなっていたかもしれないような1冊でした。大学に入学してからも読み返したことがあるように思いますが、もう今となっては、内容はすっかり忘れていました。でも、本の案内を見た途端、急に懐かしさがこみ上げてきて購入しました。

 私が大学へ入学した時は大学紛争もすっかり下火になって、多くの大学で平穏さを取り戻していましたが、これは、当時も尚、時代の寵児のような青春小説として大きな書店には必ずあるような本でした。

 小説の時代背景は昭和30年代、大学紛争が激化するより少し前です。いかにも東大の学生らしいちょっと理屈っぽい哲学的な語り口が先進的なイメージを醸し出していました。・・・・・と今回読み返すまでずっとそう思っていました。

 長い歳月を経て再び読み返すと、「えっ?こんなのだったの?」という感じで、ちょっとびっくり!かなり古典的にさえ思えました。
 今読んでも主人公の大橋やその友人や先輩たちの話や手紙はかなり理屈っぽくて難解です。「なんか若いなあ!もっとすっきり考えたら?」とでもいいたくなるような・・・。
 恋愛や結婚も男性優位の社会基盤や考え方が小説の中の男性たちの発言にところどころ感じられて今となっては「ああ、昔はこうだったのかな・・・。」という想いが広がります。

 ただ人間として生きようと模索する大橋の婚約者節子の迷い方や最後の選択については団塊の世代やそれに続く世代の女性の共感者は案外多いかもしれません。今の若い人にとっては、じれったいかもしれませんが・・・。

 自分の気持ちに忠実でありたい、より純粋な心を持っていたい・・・。進学も恋愛も、仕事も結婚も、親が決めるのでななく、自分の意志で決めたいという思い・・・。今なら当たり前だと言われそうなことなのですが、私たちの青春時代は、それがやっといわゆる普通の女の子たちに定着しようとしている時代だったのです。


 それで、結果はどうだったかって???

 団塊の世代の人々は第二の人生を歩み始めたばかりですから、そしてそれに続く私たちも先輩たちを手本にあるいは反面教師にしながらこれからの人生を生きようとしているところですから・・。きっとまだ模索中でしょう。


 話が横道にそれてしまいましたが、はっきり言って、若い時から持っていたこの本のイメージはずいぶん壊れてしまいました。今読み返すのはあまり正解ではなかった小説だったかもしれません。あと20年位経って、人生丸ごと振り返ろうとした時ならどんな気持ちになるのかな?って思いますが・・・。

家族 南木佳士著

2009年03月01日 | 小説
 いよいよ3月、暦の上では春です。とは言うものの、今日も首都圏はどんより、肌寒い一日でした。

 さて、今日の本は最近ちょっとはまってしまった感じの南木家佳士氏の「家族」です。実は、読み終わってから2週間余になるのですが、記事にするのにしばらく躊躇いを感じていました。何か身につまされるとでも言うのでしょうか、読んでいる間はグサッと来るような・・・、そして読み終わった後はずっしりとした重みのようなものを感じたからです。

あとがきに医師でもある著者の南木氏が、<「家族」は亡き父に贈る鎮魂小説なのだ>と記されていました。


構成は45歳の医師と姉と妻と継母と死を目前にした父のそれぞれの視点からの語りです。

私自身、同居はしていませんが、一年にかなりの頻度で、時には何ヶ月も連続で、高齢の義父母や実父と向き合う日々の中で、自分自身の暮らしとの両立を模索しています。この小説のように嫁として、妻として、姉としてのそれぞれの立場に重なる部分が多く、他人事とは思えない点が切なかったです。

現在は長寿社会で核家族社会、皆が健康なら小さな家族単位での日常がごく当たり前に続いていきます。もちろん多少の波風はあるかもしれませんが・・。昔なら大家族が同居する中で葛藤や助け合いがあったでしょう。

でも、もし誰かが病気になったり怪我をしたりして介護が必要になった時、その均衡が崩れ、親子、夫婦、兄弟姉妹、家族として誰かが暗黙のうちに新しい圧力の中に放り出されます。あるときは無制限に・・・。


血のつながりがあってもなくても家族が助け合うのは暗黙の了解であるかのごとくにです。

情と業が見えない操り人形のように動き、家族間でその均衡が崩れ、介護する者が精神的にも、肉体的にも疲れ、深い心の傷を追うのです。この話はこの点を深く突き刺しています。

さらにもう一つ、印象に残ったことは、この小説では介護されていたお父さんの視点が語られていることです。心の傷は介護される方にも刻まれていくことが感じられます。

フィクションとはいえ南木氏自身がお父様亡くなられて何年も経ってから書かれたこと、気持ちが変化していくまでに時間がかかったことがあとがきにありましたが、家族の中の特に父子の関係の難しさを改めて感じます。父と子の複雑な感情のやり取りは嫁や妻や姉妹の前にしばしば立ちはだかるものだからです。

決して特別ではない平凡な家族かもしれないある家族の日々が、「人生とは何か」と訴えかけているような思いがしました。