現実のことではないはずなのにとても考えさせられる小説でした。
日本生まれの英国籍作家カズオ・イシグロ氏のことはアマゾンで他の本を検索した時、お薦めの本の中にあって、偶然知りました。以後、機会があれば一度読んでみようと思っていましたが、これが朝日新聞ゼロ年代の50冊に選出され、解説よりも先に日本語版の表紙の絵が最初に目にとまりました。「無機質なカセットテープ」・・・イシグロ氏は私と同じ世代です。インターネットも携帯電話もなかった時代、ラジカセやウォークマンが登場して、レコードに変わり持ち運びに便利な機器として、大流行しました。しかし、今となっては、我が家のどこかにわずか数本眠っているだけとなってしまった懐かしいものです。それも本当に音がでるかどうか・・・。
それはともかく、この表紙のカセットテープの絵に魅かれた私はこれがこの物語のどんな部分に関係しているかも全くわからないまま、解説の中のクローンという言葉を目にした途端、怖いもの見たさの好奇心にも誘われ、思わず購入を決めました。映画化もされたそうで、日本では来年上映の予定だそうです。唯、映画となるとイメージがどうかなあ・・という感じでもありますが・・・。
さて、この日本語訳はたいへん読みやすく、すぐに読んでしまいましたが、その後どうしても原文も読みたくなって英語版も購入しました。アマゾンなどで英語版も簡単に購入できますし、英文も難しい表現が少ないので、英語に抵抗のない方にはこちらもお薦めです。
この物語の主人公キャシー(Kathy)はクローン人間です。親友のトミー(Tommy)とルース(Ruth)も同じで彼らはヘールシャム(Hailsham)という施設で育ちました。物語はキャシーの回想によって始まります。それはあまりにもどこにでもいそうな普通の子供たちの話なのですが、彼らの運命は最初から決められていて、子供を持つことはできないばかりか、年老いるまで生きることはありません。一人ひとりが提供という使命を担い、それを果たすと終わりで、その先はありません。たとえクローン人間であっても、一人の人間としてのこころは普通の人間と同じで喜びや哀しみの感情も同じです。
ここでは敢えて詳細は書きませんが、カセットテープの話も切なさを誘います。
現在の科学はこうした人間を作り出すことが可能なところまで進歩したということのなのですが、現実には倫理的にクローン人間の研究は禁止されているものと信じています。
ただ、これがもしも・・・と考えるとまさに不気味な話です。
体外受精のベビー第一号がこの世に誕生したのが1979年、その後代理母による出産なども可能になりました。わが国では代理母は禁止されていますが、それを認めている国もあります。
クローン羊の誕生は90年代だったでしょうか。
遺伝子が解明されて、遺伝子組み換えの植物などは各地で栽培され飼料などに使われるようになりました。遺伝子組み換え人間は倫理上、禁止されていますが、もし登場したらこれもたいへんなことになるでしょう。
こうした時代背景は、私の人生に重なるところがあるだけに、この小説は臨場感があります。
そして、最後は悲しい余韻が残ります。
人生とは何か。
科学とは何か。
人間が平等であるとはどういうことなのか。
この小説は人間の重い課題を暗示していると思いました。
日本生まれの英国籍作家カズオ・イシグロ氏のことはアマゾンで他の本を検索した時、お薦めの本の中にあって、偶然知りました。以後、機会があれば一度読んでみようと思っていましたが、これが朝日新聞ゼロ年代の50冊に選出され、解説よりも先に日本語版の表紙の絵が最初に目にとまりました。「無機質なカセットテープ」・・・イシグロ氏は私と同じ世代です。インターネットも携帯電話もなかった時代、ラジカセやウォークマンが登場して、レコードに変わり持ち運びに便利な機器として、大流行しました。しかし、今となっては、我が家のどこかにわずか数本眠っているだけとなってしまった懐かしいものです。それも本当に音がでるかどうか・・・。
それはともかく、この表紙のカセットテープの絵に魅かれた私はこれがこの物語のどんな部分に関係しているかも全くわからないまま、解説の中のクローンという言葉を目にした途端、怖いもの見たさの好奇心にも誘われ、思わず購入を決めました。映画化もされたそうで、日本では来年上映の予定だそうです。唯、映画となるとイメージがどうかなあ・・という感じでもありますが・・・。
さて、この日本語訳はたいへん読みやすく、すぐに読んでしまいましたが、その後どうしても原文も読みたくなって英語版も購入しました。アマゾンなどで英語版も簡単に購入できますし、英文も難しい表現が少ないので、英語に抵抗のない方にはこちらもお薦めです。
この物語の主人公キャシー(Kathy)はクローン人間です。親友のトミー(Tommy)とルース(Ruth)も同じで彼らはヘールシャム(Hailsham)という施設で育ちました。物語はキャシーの回想によって始まります。それはあまりにもどこにでもいそうな普通の子供たちの話なのですが、彼らの運命は最初から決められていて、子供を持つことはできないばかりか、年老いるまで生きることはありません。一人ひとりが提供という使命を担い、それを果たすと終わりで、その先はありません。たとえクローン人間であっても、一人の人間としてのこころは普通の人間と同じで喜びや哀しみの感情も同じです。
ここでは敢えて詳細は書きませんが、カセットテープの話も切なさを誘います。
現在の科学はこうした人間を作り出すことが可能なところまで進歩したということのなのですが、現実には倫理的にクローン人間の研究は禁止されているものと信じています。
ただ、これがもしも・・・と考えるとまさに不気味な話です。
体外受精のベビー第一号がこの世に誕生したのが1979年、その後代理母による出産なども可能になりました。わが国では代理母は禁止されていますが、それを認めている国もあります。
クローン羊の誕生は90年代だったでしょうか。
遺伝子が解明されて、遺伝子組み換えの植物などは各地で栽培され飼料などに使われるようになりました。遺伝子組み換え人間は倫理上、禁止されていますが、もし登場したらこれもたいへんなことになるでしょう。
こうした時代背景は、私の人生に重なるところがあるだけに、この小説は臨場感があります。
そして、最後は悲しい余韻が残ります。
人生とは何か。
科学とは何か。
人間が平等であるとはどういうことなのか。
この小説は人間の重い課題を暗示していると思いました。