いとゆうの読書日記

本の感想を中心に、日々の雑感、その他をつづります。

キリスト教は邪教です! 現代語訳{アンチクリスト」

2015年02月13日 | その他
早春のやわらかい陽ざしにちょっと心が和むこの頃です。とは言え、日が沈んだ後、満員電車から降りて通りに出ると急速に身体が冷気に包まれ、冬がまだしっかり居座っていることを感じます。

さて、今回はニーチェの「キリスト教は邪教です!」。去年亡くなった義父の遺品の中から見つけました。手にとってみてまず「何だろう?これは?」くらいの感じでしかなかったのですが、新書版だし、著者があの大物思想家のニーチェ(といっても彼の著作は全く読んだことがありませんでした。)ということに一瞬興味を持ちました。

ニーチェの名前だけは高校生の時から知っていましたが、当時は哲学と聞くとなんだか遠い世界の実体のない読み物のような気がして読破しようという気持ちにはなれませんでした。パラパラとページをめくると何だかわかりやすそうな普通の言葉で書かれています。今なら少しは何か発見があるかも・・・そんな気持ちで読み始めました。
これは1888年にニーチェによって書かれ、1895年に出版された「アンチクリスト キリスト教批判の試み」の超訳です。

果たして・・・・第一印象は・・・「おじいさん、けったいな本読んではったんやな!」思わず家族にそう言ってしまいました。

確かにちょっとヘンな本です。でもなかなか面白いところもあります。超訳という言葉通り、訳者の適菜収氏の見解なのでしょうけれど、それを承知で読めばニーチェとはどんな考え方をした哲学者なのか凡人の私にもほんの一部が見えてくるような気がします。

宗教とは一体何でしょう?私たちは日々の生活の中で神の存在をどのくらい意識しているでしょうか?
それは、宗教と結び付くものなのでしょうか?
「困ったときの神だのみ」なんてよく言われますが、お釈迦様や天照大神を意識したりするでしょうか?

私は20代の頃から、仏教やキリスト教だけでなくイスラム教やヒンズー教などいろいろな宗教を信仰している人々に出会ってきました。イスラム教のラマダンやヒンズー教の食事に関する厳しい戒律をしっかり守っている人々にも出会いました。でも、キリスト教の熱心な信者であるという欧米人には身近では出会ったことがありません。すでに半世紀以上生きてきた欧米の友人たちの多くは、「子どもの頃は家族で教会へ行ったけどね。」と言いますが・・。21世紀の現在、日本ではキリスト教の人は依然少数ですが、かつて欧米の植民地であった国々でもキリスト教は広く信仰されているようです。

さて、前置きが長くなってしまいましたが、ニーチェは19世紀後半の社会を鋭く批判しています。訳では「近代」とされていますが・・・。

つまり、古代ギリシア・ローマの文化をキリスト教は破壊し、中世ヨーロッパは、キリスト教の価値観に支配され、人間性が失われていました。それを14世紀の終わりにイタリアで発生した革新運動ルネサンスが取り戻してくれたはずでした。ところが、<これを再びキリスト教・・・高級な人間とされた僧侶たちが、神学者たちによって変形させられた哲学が、破壊しようとしている。>という意味でしょうか?
ニーチェはイエスを否定してはいません。イエスの教えはその弟子たちによってゆがめられていったとあります。
ところでニーチェは仏教については、批判していません。むしろ良い点を指摘しています。でもそれは、ニーチェが現実に仏教に触れていなくて書物だけの知識から得た情報だったからではないかと思います。確かに仏教といえども、ニーチェと同じ観点に立ってみれば、信仰という名のものにとんでもない商売を行っている僧侶や仏教関係の業者が存在するからです。

ニーチェは「信仰によってしあわせになることはない。」と言いきっています。「キリスト教は信仰を利用している。」理由はこの本に書いてあります。長いので省略しますが、これは正しいと思います。

「教会は精神病院。いつの間にか世界中が精神病院だらけになってしまいました。」考えようによっては、ずいぶん乱暴な言い方です。

またニーチェは民主主義も批判しています。
団塊の世代の後を追うように学校教育で民主主義をたたき込まれてきた私です。
「民主主義のどこが悪いの?」と言いたくなるところですが、ちょっと長く生きてきた所為か、最近は民主主義には危険な要素もたくさんあることを知っていなければならないことを感じています。

ニーチェはパウロやカソリック教会だけでなく、私たち日本人も歴史の教科書の宗教改革でお馴染みのルターをも徹底的に批判し、最後までキリスト教は病気だと言いきって終わります。

ニーチェはこの「アンチクリスト」を執筆した翌年から、精神錯乱状態に陥り、その後母と妹の介護のもと11年生き延び1900年に亡くなったそうです。

本当のところはどうだったのかわかりませんが、これだけキリスト教を大胆に切り込んでいった思想家ですから、世間の風当たりは相当なものだったように思われます。
当時の社会を懸念する強烈な思いが伝わってきます。

古今東西、人間の歴史を振り返ってみると、そして、現在も尚、政治や宗教の世界に限らず、人間が作り出す社会というものはかならず利害関係が発生し、時には戦争にまで発展します。

ニーチェの思想が現在までずっと人々に影響を与え続けたことを思えば、私たちはずっと警鐘をならされていることになるのかもしれません。



宴のあと   三島由紀夫 著

2015年02月03日 | 小説
例年になく変わりやすい天気が続いていた冬でしたが、今日は節分、早春のやわらかい陽ざしを感じます。

さて、本当に久しぶりの更新となってしまいましたが今回は、三島由紀夫の「宴のあと」です。

最近、三島由紀夫がマスコミでも注目されています。今年2015年は、三島由紀夫 生誕90年、没後45年という節目だからでしょうか?
それとも、自衛隊に憲法改正のクーデターを促し、自決した三島由紀夫と最近の安倍総理の憲法改正論と何か関係づけようという動きがあるのでしょうか?

私は中2の時くらいから「潮騒」や「金閣寺」など三島作品を読み始め、他にいくつかの小説を読みましたが、市ヶ谷の三島事件を最後に長い間、読んだことはありませんでした。
1970年の事件の時、十代の半ばだった私には、世間に名前が知られていない人が起こした事件ならいくら騒ぎになっても唯の犯罪者で終わってしまいそうなことを、作家三島由紀夫であるだけに、当時の報道は、その行動を非難しているようでもあり、誉めているようでもある、わけのわからない物であるように思えました。

以後長い間、私の中で封印してきた三島由紀夫でしたが、事件から12~3年後、オーストラリアでフランス人の日本文学ファンの人に出会い、フランスでは、三島由紀夫は川端康成とともに非常に人気があることを知りました。その時After the banquet 「宴のあと」のことを高く評価されていたことを思い出します。私もたぶん読んだことがあると思いましたが、なにしろその頃14~5歳でしたから、この小説の価値を理解できなかったように思います。
 
あれから○十年の歳月が流れ、改めて読み返してみると、ああこれは昭和の小説だなと思うと同時に非常に芸術的な作品だと思いました。
これは、実在の人物をモデルにし、三島がプライバシーの侵害であると訴えられた小説です。三島は一審で負け、後に和解したそうです。

あれから半世紀も過ぎ、モデルも故人となった今は、当時世間で何が起こり、どのような世論が飛び交っていたかなどは、この作品から、完全に切り離されているような気がします。

主人公のかづや野口の心理描写は三島が構成したものだということ容易に感じます。かつてこの「宴のあと」も翻訳したドナルドキーン氏が「三島の金閣寺の主人公は現実の放火事件の犯人とはまるで違う。あれは三島の中でつくられた主人公なのです」と言っていたことを思い出しました。

元首相を含め大臣クラスの政治家たちに贔屓にされていた高級料亭の主人福沢かづは元外務大臣で戦後は革新党の一員となった野口と結婚します。かづは都知事選に出馬した夫の選挙戦では湯水のごとくお金を使い応援します。

しかし、野口は革新党からの出馬、かづのかつての顧客たちからすれば対立する立場にあります。
かづのエネルギーは夫を当選させるために料亭まで抵当に入れ借金をし、お金を使いまくります。結果は落選。隠居を決め込んだ野口に対して、かづはさらなる借金をかつての顧客たちに申し入れ料亭再開をめざします。結局、野口とかづの心は決裂し、離婚することになりました。


かづは大物政治家に「女傑」と言われるほど、ひらめきとエネルギーと豊麗な肉体で周囲を圧倒させてきた中年の女性です。そのかづが、良く言えば古風な悪く言えば自分勝手な老人、かつては外務大臣まで務めた野口を愛してしまうのです。年齢は重ねていても恋は理屈抜きに始まるのかもしれません。如何にも現実に起こりそうで、でもいささか不自然さも感じます。「ああ、これは三島の創作のすごいところかもしれない」と思わせるところです。
最後まで読み進めると空虚な余韻がのこります。なんだかあわれでもあり、また驚くべきかづの強さを感じさせるところでもあります。かづと野口の不協和音はかづへ新たなエネルギーを吹きこみます。

最後の山崎(選挙戦の間ずっとかづと行動を共にしてきた革新党の人間)の手紙は空虚さから読者を静かに現実へ引き戻してくれるような気がしました。