いとゆうの読書日記

本の感想を中心に、日々の雑感、その他をつづります。

白蓮れんれん  林真理子著

2009年01月19日 | 小説
著者の林真理子氏の小説は数えたことはありませんが都心の大手の書店でも文庫本のコーナーの何パーセントかを占領するほどたくさんあります。林さんと私は同世代なのでそれなりに共感するところもあるのですが、「ルンルン・・・」が出たころはちょっと違和感がありました。

すごい作家だなと最初に思ったのは「ミカドの淑女」を読んだ時でした。そして次に印象に残ったのがこの「白蓮れんれん」。歌人柳沢白蓮がモデルです。

どちらも実在の人物がモデルだということと華族だとか平民だとかそういう身分制度が日本に存在していた時代の物語という共通点があります。
当時なら世間がいくら騒いだところでタブー視されていた部分にまで踏み込んではいるのですが、この「白蓮れんれん」の方は初枝という副主人公の心の動きが巧みに折り込まれていることで小説の構成の面白みがより大きくなっているように感じました。

確かに波乱に満ちた半生は人々の興味をそそるかもしれませんが、非日常の中の日常とでも言うのでしょうか、人間としてごく当たり前の恋や結婚に対する感情の機微が共感を誘います。
結婚も離婚も自らの意思で決めるものというのが当たり前のようになってしまった昨今ですが、当時の結婚は家柄がよければよいほど親や周りの世話人が決めるもの、幸せになれるかどうかは賭けみたいなものでした。そしてたとえはずれだと思っても家族のため、ただひたすら我慢を重ねていた女性は(男性もそうでしょうけれど)どれほどいたことでしょう。良家であればあるほど世間体にも悩まされたことと思います。

苦悩の末、自分の心に正直な生き方を貫いた白蓮さんはこうして林さんの手によって描かれた小説を読むと強い人だなあと思います。でも、この小説はそれだけでは終わらない人生の切なさがもう一つの大きなポイントです。初枝の最後が悲しい余韻となって残ります。

真実に生きようとすることが如何に厳しいことか、そしてそれを望むものがすべて得られるものではないことを暗示しているような・・・。それはまるで弱肉強食の生存競争のような切なさです。

世界最高の日本文学 許光俊著

2009年01月05日 | その他
正月の三日間も瞬く間に過ぎてしまいました。
今年は丑年、慌しく動き回るねずみから大きな牛へバトンタッチでどっしり構えたいところです。

さて、今年最初の本は許光俊氏の「世界最高の日本文学」<こんなにすごい小説があった>です。去年の秋ごろ一度、読み始めたのですが紹介されていた小説のいくつかを読んだ後、再び、年末から新幹線などでの移動の時に読んでいました。

人の感受性はもちろんそれぞれ違います。でも例えば同じ小説を読んだ時、受ける印象は、100%違うことはほとんどなく、大雑把に言えば1%から99%の類似点はあるかなという気がします。そういう観点から著者の文学観にどこまで共感できるかなと思いながら読み進めていきました。

この本に出てくる小説はすべて明治、大正、昭和の作品です。どれもそれなりに世代を超えて読み継がれてきたものです。
でも「有名な文豪の作品ばかりではありません。全く知らなかった小説もありました。この本に紹介されているあまり有名でない小説の多くはネット上の青空文庫に掲載されています。またニンテンドーのDS文学全集の中にもいくつかありました。

さて、話を文学の方に戻します。
紹介された小説の最初は「岡本かの子」の作品、そして最後も「岡本かの子」でした。

私も高校生くらいの時に「岡本かの子」の小説は読んだ記憶がありましたが(「老妓抄」の方はDS文学全集の中にあります。)当時の私はかの子自身の生き方をふしだらと思いちょっと敬遠していました。改めて読んでみてもっとも許氏に共感できたのは岡本かの子の小説2つについてかもしれないと思いました。なんとも言い難い人生の「せつなさ」がかの子文学のすごいところかなと思います。敢えて言えば、読者が想像力をどれだけ膨らませることができるかということなんでしょうけれど・・・。

三島由紀夫の小説が若い人々に人気があるのを知っていましたが、「憂国」を好きというのはちょっと驚きでした。私自身の印象はけっして良くありませんでしたから。「金閣寺」や「潮騒」、「午後の曳航」「仮面の告白」などを読んだ直後に三島由紀夫氏はあのような死を遂げてしまって当時高校生の私は驚きと当惑で三島文学を以後20年近く遠ざけてしまっていました。「憂国」を読んだときの私は歳をとりすぎて若いときのようなストレートな感受性は失っていました。
私にとっては共感はできないけれど不思議な作家「三島由紀夫」、あの事件以来38年間、友人ともあまり話題にすることがなかった三島文学でしたが、許氏の人間くさい三島由紀夫論がなんだかとても新鮮でした。

これはまだ読んでいませんが怖いもの見たさと気味悪さでためらい中なのが、江戸川乱歩の「芋虫」。泉鏡花の「外科室」と嘉村磯多の「業苦」、敢えて川端康成の「眠れる美女」を取り上げられた点は、何だか「ああこれは男の視点かなあ」と感じるところでした。

もしかしたら知らずにいたり再び読むことはなかったりだったかもしれない日本文学再発見っていうところでしょうか。