いとゆうの読書日記

本の感想を中心に、日々の雑感、その他をつづります。

方丈記   鴨長明 著  川瀬一馬 校注.・現代語訳

2012年12月06日 | その他
今年も年の瀬の慌ただしい季節を迎えました。
本当に久々の更新となってしまいました。ここしばらくはずっと忙しくてこのブログを更新できていなかったので、そろそろ閉じようと思っていたのですが、先日遠方の友人より楽しみにしていると電話があり、ちょっと励まされて再びこのページに戻ってきました。

さて、今回は最近けっこう話題になっているらしい「方丈記」です。冒頭の部分はあまりにも有名で最初の数行は書道展などでもよく目にするため、ほとんど諳んじていましたが、改めて読んでみるという気にはならず、長い間注目することはありませんでした。

実は、私はこの小さな文庫本を40年近く前に購入していました。ところが、先日長い間我が家の倉庫のような本棚に眠っていたのを偶然見つけたのです。大学の受験勉強のための古典のテキストとして使用したあとがあり、あちこちに文法や言葉の意味の書き込みがありました。懐かしさも手伝ってふと手にとってみると「あら、こんなに短編だったんだ!」というわけでそのままバックの中に入れ、新幹線の車内などで再び読み始めることとなりました。原文の後に川瀬一馬氏の現代語訳がありその両方を読みましたが、今ではあまり苦痛なく読めるようになった古文を目にしながら歳月の重みを感じていました。

はっきり言ってしまえば「なんだ、今と少しも変わっていないじゃないの!」というのが第一印象です。
世の中も人間個人も結局「よどみに浮かぶうたかた」に過ぎないってことです。

鴨長明が生きた時代は平安末期から鎌倉時代(1155-1216?)、政治の中心が貴族から武士へ・・・日本史の中でも激動の時代です。今、この方丈記が注目されているのは、日本の政府は借金まみれ、少子高齢化に加え、無力感漂う若者の増加や、経済も低迷状態といった暗いイメージの現在がなんとなく末法思想が流行した長明の生きた時代に通じるところがあるからでしょうか。

当時、福原遷都などもあり京都に住んでいた人々にとっては大変な出来事だったでしょう。鴨長明は京都の下鴨神社の神官の家に生まれながらも出世街道からは程遠かったようで、五十歳くらいで出家しています。五十代の後半には新古今和歌集の撰者の一人飛鳥井雅経とともに鎌倉へ下向し実朝に謁見しているようです。
実際、長明は歌人でもあり新古今集にもいくつかの歌があります。この本の記述ではありませんが、こんな歌も残しています。

見ればまづいとど涙ぞもろかづらいかに契りてかけはなれけん(新古今1778)

諸葛は桂と葵をつけて賀茂祭で使う髪や冠にさす飾りのことでこれを見ると涙が出て、賀茂の神社の禰宣となる望みが断たれてしまったことを思い、嘆いているという意味でしょうか。他の「鴨長明集」や「無明抄」などの歌を見ても何だか悲しい歌が目立ちます。

様々な苦難を乗り越えながらも住む家はどんどん小さくなっていき最後は小さな庵・・・ここで方丈記は書かれたといわれています。

ところで十代後半だった私がこの小さな本に特に多く書き込みをして熟読していたと思われる部分は「安元の災害」と「大地震(おほなゐ)」でした。当時の私は煩悩がどうのこうのという記述より、現代も起こりうる自然災害が古文でどう記述されているかに興味があったようです。

しかし、歳月を経て、改めて考えさせられたのは今まで書かれたことをも全否定するかのような「むすび」の部分でした。脱力感を招くような・・・空虚な気持・・・南無阿弥陀仏って何?・・・。と思いながら思わず再び最初のページに戻ってしまった方丈記でした。